20,差し迫る狂気
策士「……一体何が私の評価を上げて、木下くんの評価を下げているんだろう……ううん、木下くんが注目されてないだけかな。高校になっても表に出なかったから…でも、これからは私が木下くんを表舞台に上げてあげれば良いんだ。そうすれば、木下くんも…自分がダメ、なんて言わなくなるよね?」
「いってッ! …急に投げて……ここって」
ここは……剣道場だ。
あれから、鈴原君と思しき人たちに捕まった。
男子十数人に抱え上げられ、もはや体の自由は効かず、されるがままにここに来た。すると着た途端に投げ捨てられ尻を打つ。
目の前の人たちを改めて見ると、全員着物……袴を着ていた。
「……なんで、袴を着てるんですか?」
「剣道部だから当たり前だろう」
……剣道部だからって昼休みも袴なんだろうか? しかもチャイムが鳴ってすぐに現れたんだから授業中もその姿だったに違いない。それが十人強もいる……この学校大丈夫か?
答えてくれたのは、竹刀を腰に持った男子。教室を出ようとした時にばったり会った人だ。
こっちを睨みつけていて、どうも何か因縁をつけられてそうな感じがする。
「で、何の用ですか?」
「何の用、だと? お前、果たし状の意味を知らないのか?」
「果たし状…君が鈴原君なの?」
「ああ、そうだ」
はぁ、なるほど。鈴原君と僕で決闘……武器は竹刀、と。
大会のなんたらに選ばれる実力の人と未経験者が戦うなんて、そんな理不尽なことがあってたまるか。こちとら、触ったことすらないんだぞ。柔道は授業でちょっとやったことあるけど……こんなことなら剣道を選んでおけばよかった。
……話し合いでどうにか見逃してもらうか、鈴原君の目的を違う形で達成させよう。戦いたくはない。
「何で僕と?」
「お前にはッ…お前には分からんだろうなぁッ! よくも抽冬さんをッ!」
「え? 抽冬さん?」
何でここで抽冬さんが出てくる?
「俺が告白しようとした所に、お前がッ!! お前が割り込んで来たせいで!!」
告白? 割り込んだ? 全然話が分からない。もしかして僕を恋敵にでも見てるのか?
「それに付き合うまでならまだしも、生徒会長と二股をかけるなんて言語道断ッ!! その腐った性根、叩きのめしてくれるッ!!」
……頭が痛い。
もしかして鈴原君……
「はぁー……」
「何ため息ついてるんだよ!」
「色々誤解してるようだから言っとくけど、僕は二人とは付き合ってないし、これからも付き合うつもりないから」
「なん、だとッ!? それは…本気で言っているのか?」
「そうそう、だから抽冬さんに告白したいなら好きにすれば良いよ」
「弁当を交換したり、一緒に帰ったり、二人っきりでお茶していても、それでも付き合っていないと言うのか?」
「……付き合ってないよ? 信じられないと思うけど」
「…………」
ふぅ、何も言ってこないし、これで誤解は解けただろう。
頑張って抽冬さんを落として欲しい。そしてお幸せに。僕はもう教室に帰る。あとは抽冬さんとよろしくどうぞ。
「お前ッ! まさか、二人は遊びで————本命に三人目がいるとでも言う気かッ!!」
「……もう勘弁してくれよ」
つい本音が出てしまった。
どうしてそう曲解するんだ。そのまま言葉通りにとってくれたら済む話じゃないか。
僕は抽冬さんとも先輩ともどうなる気もない。君は抽冬さんと付き合える…チャンスがある。こればっかりは抽冬さんの意思があるから確信はできない。
僕は一切君の恋路に関係無いのに、自分が照れて告白できなかったという逆恨みなんて止してほしい。
そう思った矢先に竹刀が投げつけられる。足に当たって床に転がっていった。
「竹刀を拾え…そして俺と戦えッ!」
「……剣道部相手に剣道で勝負はちょっと……」
「ちっ、ああ分かった、その通りだ。フェアじゃない。なら何だ? 何で勝負する?」
まず勝負しないって選択肢を増やしたい。今時、決闘なんて時代錯誤も甚だしい。穏便な解決を求める。
「僕、運動は無理なんですよ。足を怪我してて」
「ふん? そうなのか?」
「あ、はい。あいつ、体育の授業はほとんど休んでます。詳しいことは知らないですけど、事故の後遺症らしくて…」
「ちっ……そうか。なら——」
「——ちょっと待ったぁッ!」
誰か入ってきた。って…うわっ、いつか見た筋骨隆々な先輩だ。初秋とはいえまだ半袖はないでしょ?
所々筋肉の形がシャツに浮き出ていて、今にも服が弾け飛びそうだ。うぉぉ、とかゲームみたいに気合を込めたら本当に千切れそう。
そんなマッチョな先輩が柔道着を着た数人を引き連れて入って来た。
……だから、なんで君らも柔道着着てるの? 逆に若干マッチョ先輩と僕がアウェーだよ。
「あれ? 筋肉先輩どうしたんですか?」
「誰が筋肉だっ! 俺は吉田だ!」
吉田……ああ、吉田先輩だったか。
凄い筋肉という印象だけが残って、名前は忘れてしまっていたなんて言えない。
「おい! そこの一年!」
「……何ですか?」
「どうして昨日来なかったんだ!」
あー、はいはい、言うと思いました。
どうしてって、嫌だったから以外に理由はない…けど、それでは納得してくれないだろう。何か別に理由をでっちあげるか。
「……すみません、昨日は家で急ぎの用事があったので…早退して」
「…うむ、そうか。なら仕方ないな」
第二の家(部室)でゲームをするという用事がね、あったんですよ。
先輩は話を聞いてくれる部類の人のようだ。もう久しぶりにこういう人に会って泣きそう。
正直に言っても許してくれたかもしれないと思って、少し罪悪感が出る。
「先輩、バカっすか? 相変わらずの脳筋っすね。あんなの嘘に決まってるじゃないですか」
「ッ!?」
「…どういう意味だ。説明しろ」
「昨日は部室棟に向かって行くのを見かけた。そもそもお前が午後の授業もいたってことは知ってるんだ。見えすいた嘘は吐くなよ」
……バレてたか。
「……退け、鈴原。俺がやる」
「こればっかりは譲れないですよ。俺にボロ雑巾を絞る趣味は無いんで」
「ああ? じゃあ決着をつけるか? ちょうど良いな」
「そうっすね。先輩にはずっとイライラしてたんすよ。ここでどっちが上か決めましょうか」
「依木が上か!」
「抽冬さんが上か!」
「…………」
そっちかい! てっきりライバルかなんかだと想ってたよ!
もう逃げるしかない。でも、動けない。両側で二人が————二つの集団が睨み合っている。一触即発の雰囲気だ。僕が逃げたとしてもすぐに捕まってしまうだろう。このままでも、戦って勝った方に捕まって——
「——君たちッ! ちょっと待たないかッ!」
「えぇ?」
「ッ!? よ、依木がなぜここに……」
剣道場に先輩の声が響く。
声を辿って入り口を見ると、息切れしそうな先輩がそこにいた。ここまで走ってきたんだろう。
どうしてここに、と思ったが、手元の弁当箱を見て予想がついた、僕が教室にいなかったから、ここまで来てくれたんだろう。場が混沌としていく……でも、これで流れが変わった。吉田先輩のチームは先輩ファン勢だ、先輩がどうにか……
「僕を差し置いて木下君をどうするつもりだ?」
「うっ………」
「っ!」
吉田先輩は目を逸らし、逆に鈴原君は依木先輩を睨んだ。
これでおそらく吉田先輩は行動不能に。あとは鈴原君だけ。反抗心が目一杯の彼をどう止めるか……抽冬さんがいたら……
「先輩には関係ないでしょう! 僕は彼の性根を正し、試すだけだ!」
「ん? そうか、君は……別に僕は教師を呼んでもいいんだけどね、こっちの方が良さそうだ」
「——鈴原くーん、私の木下くんに、何、してるのかな?」
抽冬さんなんでここに!?
いや、来て欲しいとは思ったけどね? ……弁当箱を見つけて察しがついた。
「ぬ、抽冬、さん…何故ここに!」
「鈴原君達が連れ去ったからだよ? それよりも…ねぇ、質問に答えて? その竹刀は何? 木下君に何させようとしたの?」
「い、いや、これは……」
鈴原君はさっきの吉田先輩と同じようになっている。慌てて竹刀を背中に隠し、抽冬さん対してオドオドしていた。
「もしかして怪我させようとした?」
「そんなことは別に……」
「良かったぁ、そしたらもっと大変なことになってたよ」
………もっと?
「木下君、行こうか」
「え、いや、でも」
鈴原君、大丈夫かなぁ。
もっと大変なことになってた、つまり、言わずもがな今から大変なことが起きるわけで……
「今日も弁当を作ってきたんだ。早く食べて欲しい」
「……分かりました」
あぁ、鈴原君……ご臨終です。
「さぁて、どうしようかなぁ」
————ゴクリ。
放課後の学校。
僕はある一室を前に立ち止まっていた。
さながら、ダンジョンを攻略する探検者のような気分だ。斥候は既に済ませ、大量のお菓子とお茶があることも、モンスターがひしめいているのも知っている。しかし……この目的を達成するには、たとえ分かっていたとしても、小さなトラウマがあったとしても、入るしかない。
「よしっ、開けるぞ」
緊張はどうにもならない。せめてちゃんと喋れるように深呼吸をした。
開けたら速攻でこの紙を渡して部室に戻るんだ。そうしないと捕食される。
「ん、君、何か用かな? ……ああ、部活に入るの?」
そう意気込んで生徒会室に入ったが、中には知らない先輩がいた。
柔和な笑みを浮かべた、温厚で優しそうな男の人。先輩と同じ二年生だ。腕章には副会長と書かれている。
……こ、この魔窟で、副会長を……
「…は、はい、部活に」
「その紙をもらえるかな?」
「……どうぞ」
油断は禁物。
ここにいる以上、普通の優しそうな先輩、と決めつけるのはまだ早い。抽冬さんという前例があるんだ。いつ豹変してもおかしくはない。
「えっと、判子に、住所に、学年、クラス、名前は木下君か、うん。全部大丈……ん? 木下……ああっ! 会長がいつも言ってる木下君か!」
「……多分そうだと思います」
……先輩、何言ってるんだろうな。
「いやぁ、会ってみたかったんだよ。あの人があそこまで楽しそうに話すのは滅多にないからね」
「そ、そうっすか」
「うん。……あ、この紙は顧問の先生に渡しておいてね」
「…はい」
……楽しそうに?
紙を半分に千切り、半分を渡され、先輩は紙を持って奥の戸棚へと向かった。
「もうすぐ会長も来ると思うけど、ここで待ってる? お菓子あるし、紅茶でも淹れてあげよっか?」
「い、いえ、部活があるので」
「そう? なら、もう大丈夫だよ。あとはこっちの仕事だから」
「あ、はい、どうも…失礼します……」
んー……普通の優しい人、なのか?
それで副会長が務まるとは到底思えないんだけど。あの人たちを補佐するなんて。
あ、そうだ。まだ見たことのない会計さんが副会長と同じぐらいの優しい人だったから、良い塩梅に中和されているのかもしれない。
さて、次は生活指導室。ここまでくるとRPGのたらい回しかと思ってしまう。
生徒手帳で探してみると、すぐ隣にあった、
「えーっと……誰先生だったか……あ、部活の顧問欄に」
柊木月美?
……うーん? 柊木、月美。月美………何処かで聞いた気がする。
「柊木先生、部活の加入届けを提出しに来ました」
「あ、入ってくれたのね」
「あと、宿題の提出に」
「……ふんふん……両方とも受け取るわ。これで用事は終わり?」
「はい、これから部活に行こうかと」
「ソニアのことよろしくね。…あ、くれぐれも、まだ過度な接触は避けるように」
「……はい」
…過度な接触とは? ……先生もソニアさんの人見知りを知っているからか。
やっと来た、僕の安住の地。待ち遠しかったよ。
「ソニアさん、こんにちは」
「きょ、今日、昼休み、なんで来なかったの?」
「なんか、面倒事に絡まれて……」
「明日は、ちゃんと来てね」
「あ、ああ」
「…良かった。他のみんな、みたいに、すぐに来てくれなく、なるかも、って思ってて」
「…大丈夫、できる限り毎日来るよ」
予想はしてたけど、やっぱり来てないのね。
その方が緊張せずに……いや、今考えれば、女の子と二人っきりってのも緊張する。この空気に慣れるしかないか。
「ソニアさん、今日は一緒に」
「うん、私、準備してきた」
表示された画面にはレベル5のキャラクターが映っていた。
「…新しいアカウント?」
「こ、これなら、一緒にやっても、良い? ダメ?」
「…うん。じゃあやろっか」
実は無双ゲーを楽しみにしていた、なんて言っちゃいけない。
二人で最初からするっていうのも楽しそうだ。
そうして結局、部室に来た柊木先生に追い出され、帰路についた。この時は今が何時だなんて知る由もなかった。腕時計すら持っていない。
——そうしたことから、つい、妹とした約束を忘れてしまっていた。七時までに帰るという、ある種の束縛的な物を。
「ふぅー…やっと家に着いたー」
ドアノブを捻って引くと。
————ガタッ。
「あれ? まだ閉まってる?」
もう七時過ぎてるんだぞ? 紅葉はとっくの昔に帰ってるはずで……七時を過ぎて……
「…紅葉ー、紅葉さーんっ。家に入れないのは流石にやめてーっ。約束破ったの謝るからーっ」
…………。
「え? もしかして寝ちゃった? ……仕方ない、自分の鍵で」
カギを鍵穴に差し込んで回そうとしたところ、なぜか回らなかった。
力を込めても無理だ。これ以上は折れそうなので止めておく。
「か、鍵が回らない?」
かくなる上は。
「えっと……あのルートで……うん、行けそう」
周りに人がいないことを十分に確かめ、家と家を仕切る塀に乗る。そして水道管と電気メーターを使って自分の部屋のベランダに着いた。ずっと鍵が開いている窓を開けて、自分の部屋に侵入————いや、帰ってきた。
……なんか、自分の家なのに泥棒してるように感じる。
「も、紅葉さーん…何処ですかー」
荷物を置いて自分の部屋を出て、二階の廊下スペースに居る。紅葉の部屋を少し見て、これから階段を降りるところだ。
紅葉の部屋に怪しいところは無かった。一目見ただけだったが、紅葉は部屋に居なくて、勉強の跡も布団の乱れも無かった。
————ギシギシ。
階段を降りる度に軋む音が鳴る。静かすぎるせいで音が響き、恐怖に駆られた。
家は真っ暗だった。物音一つ無く、誰かが居るという気配も無い。
「肝試しなんて聞いてないよー? 紅葉ー、出てきてー」
————ギシギシ。
にしても紅葉の反応が無い。梓ちゃんの家にお泊まりで勉強会とか? んー、それだと電話ぐらいしてくるような気がする。携帯を確認しても着信履歴は無かった。
————ガタガタガタッ!
「ひぃッ!? い、だ、誰!?」
心臓がドクドクとうるさくなる。呼吸も乱れてきた。
ただの耳の不調ということにして心を落ち着かせる。
ホラゲーなら、ここで音の原因を見つけに行くんだろう。でも、耳の不調だ。耳の不調、なんだ。そんなことする必要はない。
ようやくリビングの扉の前に着いた。震える手でドアノブを握り、ドアを開ける。
——サプライズとかだったら嬉しいなっ。クラッカー音を期待してるっ。
…………。
「………あれ? ここにも居ない……心配だ、電話しよう」
————プルルルッ、プルル————
「ッ!? や、やっぱり紅葉は家の中に!」
……いや、単にスマホを忘れただけの可能性もある。スマホを忘れてお泊まりの連絡をしようにもできないという可能性が。
耳を澄ませて着信音を聴く。
「ソファ? ……あ、あった。……うーん、紅葉はお泊まりに——」
「——お兄ちゃんやっと帰ってきたの?」
「いやぁぁぁぁああッ!?」
「お、お兄ちゃんッ、うるさいよッ」
「ふ、ふっ、ふぅーっ、あ、いや、ごめ、ごめんっ。家の中が真っ暗で、ホラゲー感覚になってた」
「電気点ければ良いじゃん」
「……確かに」
電気を点けて平常心を取り戻す。
紅葉はやっぱり……怒っているようだ。
「それで、何か言い分はあるのかな?」
「……ゲームが楽しくて、つい、遅くなりました」
「……またゲーム……それって、妹との約束よりもゲームを優先したってこと?」
「………はい、そうです」
申し開きもない。何を言っても言い訳になるだけだ。
「っ! ……私が一番って言ったくせにッ……」
「…紅葉?」
「もう口聞いてあげない! 一人で勝手に食べて勝手にすれば!!」
紅葉がリビングを出て行ってしまった。
「………っ! 紅葉に、嫌われてしまった、なんて……」
あの時、レベルが上がらなければ。あの時、ちょっとぐらい約束破っても良いやと思わなければ。
「……紅葉と、仲直りしたい」
監視者「お兄ちゃんまだかなぁ…今日はお兄ちゃんの好きなハンバーグだから温かいうちに食べて欲しいのになぁ。…もう先に風呂に入っちゃおう」
監視者「んー、何処か寄り道でもしてる? 今日は暑かったし、お兄ちゃんのことだからコンビニでアイスでも食べてるのかな。お兄ちゃんは今どこに………え、まだ学校? もうあと十分で七時だよ?」
時計「チクタクチクタク」
蛇口「ポタ……ポタ……」
監視者「…………」
時計「チクっ、タクっ、チクっ、タクっ」(ぷるぷる)
蛇口「ポタポタポタポタ」(がくがく)
監視者「…………」
時計「…………」(コワサレタ)
蛇口「…………」(シメラレタ)
監視者「お兄ちゃん、やぁっと、帰って来たね」




