第一章 二人の関係
第一章 二人の関係
一人の女子生徒が、紙を握り締めながらニヤニヤとしながら優貴の机に近づいてきた。
正直怪しい。普通にしていれば可愛いその顔が、小物の悪役のような顔に変わっていた。
女子生徒が紙をドンと目の前に突き出してくる。
紙の一番下には女子生徒の名前、『遠野紅音』。そしてその横に赤色で
『89/100点』
と書かれている。
口にしてこそいないが、少女の表所が「どうよ、すごいでしょ、恐れ入ったでしょ」と言っている。
「なぁ紅音」
「何よ」
俺は黙って自分の紙を突きつけた。
「90点……? な……な……」
わなわなと震えだす紅音。そして、
「何でよぉ!!!!!」
そう叫んで絶望した。
「なに、嫌がらせ? ねぇそうでしょ。だって、三教科とも一点差なんてありえないじゃない!」
無論、嫌がらせのつもりは無いが、まぁ神様のいたずら、というやつだろう。「残念でした」
俺は冷静にそう言い放った。
「うぅ……。なんか奢んなさいよ」
「何で勝った俺が奢るんだよ……」
「いいから奢んなさいよ!」
なんて紅音は無茶苦茶の事を言い出した。
◇
優貴は、協会から湖鳥市に派遣(といっても、優貴は元々三矢市の人間ので形だけだが)された魔術師だ。
目的は、地元の魔術師『遠野』と協力して、再誕者の討伐及び一般市民の保護を行うこと。
そして、その遠野の魔術師が遠野紅音だった。
紅音は努力家で、そして負けず嫌いだった。
優貴と初めて会ったときは、テニスボールほどの火玉を出すのに一分以上もかかっていたが、いまや、発火能力<バイロキネシス>の使い手と比較しても遜色ないほどに成長した。
まさに彼女の努力の結晶だった。
それは、彼女が負けず嫌いで、優貴に追いつこう、と思った結果だった。そして、それに優貴も刺激される。
お互いがお互いを成長させる。それが二人の関係だった。
◇
夜の街を三人の人間が駈けていた。
二人が追いかけ、一人が逃げる。それが今の構図だった。
追う側は優貴と紅音。逃げるのは江戸時代の侍と思われる再誕者だった。
『再誕者』は簡単に言ってしまえば、実体を持った霊だと考えて良い。
過去に死んだ人が、魔力で構成された体を得て現世に蘇る。それが再誕と呼ばれる現象だ。
この不思議な現象が起こり始めたのが七年ほど前。
再誕者は、多くの場合不完全で、知能や理性を伴わない場合が多い。結果、一般人に襲い掛かってしまうのだ。
「このッ!」
紅音が杖を振るう。見えない魔力の塊が弾丸のように飛んで、再誕者に当たった。その瞬間、侍の服が燃え上がる。
優貴はすかさずベルトのホルダーからカードを取り出して、侍に投げつる。カードは侍に命中し、その瞬間侍が刹那の悲鳴と共に光となって爆発した。
一息つく二人。
「……紅音、体調悪いのか?」
そう聞くと、紅音は不思議そうな顔をした。
「え、いやそんなことないけど。なんで?」
「いや、いつもより放った魔力の量が少なかったように見えたからな」
優貴には、いつもの半分以下に見えた。
「ああ。そういうことか。ううん。違うわ。体調は大丈夫。ただ……もう一ヶ月近く補給してないから」
と紅音は、最後の方はすこし顔を赤らめながら言った。
「ああ……そういえば」
その答えを聞いて、優貴も視線を逸らした。
数秒の沈黙の後、優貴が先に口を開いた。
「……今夜するか?」
「……うん」
遠野は日本で五本の指に入る一族だった。
だが、紅音は分家筋で、しかも何代か前に魔術師の血が途絶えていたのだ。
では、何故彼女は魔術師なのか。
答えは、彼女が『ヴァンパイア』だからだ。
ヴァンパイアとは、自身で魔力を生成できず、他人の体液から得るしかない者を指す。
俗世間に『吸血鬼』と呼ばれるのもこのためだ。
ゆえに、定期的に他人から体液を摂取しなければならないのだが、紅音には ある致命的な欠点があった。
彼女は血液を飲めなかった。
幸いだったのは、彼女の血にまだ魔術師の素質が残っていたことだろう。
魔術を使う能力は途絶えても、魔力を生成する能力が彼女の血には残っていた。結果、彼女は優貴と出会うまでの十数年間、体液無しで生きることが出来たのだ。
とはいえ、その力は微弱なもので、彼女は一般人と同じくらいの魔力しかもてなかった。ゆえに、魔術を行使すれば、すぐ魔力切れになってしまう。
魔術師として戦うには、やはり、他人から体液を摂取する必要があった。
だから、優貴は紅音の魔力提供者となったのだ。
本来なら、血液を分け与えるのがベストなのだが、紅音はソレが出来ない。だから、残る選択肢は二つ。
一つは唾液を与える方法。
この場合は、血液よりも魔力の濃度が引くいため、頻度は二十倍以上になる。
もう一つは、精液を与える方法。
この場合は、血液よりも濃度が高く、大体二〜三ヶ月に一回の摂取で済む。
二人が選んだのは後者だった。
結局どちらにしても、恥ずかしいことなので、それを毎日するか、二ヶ月に一回にするかという点からの判断だった。
そして、
摂取をした次の日の朝はこのように……
「お、おはよう」
「あ、うん」
気まずくなる。
もう五回ほど重ねてきたことだが、その行為にはなかなか慣れなかった。
二人は恋人ではないのだから、当然と言えば当然だった。
このまま紅音を押し倒してしまいたいと思ったこともある。だが、事が終わってみると、そんな風に思ってしまう自分に自己嫌悪を覚えてしまうのだ。
黙って席に着く二人。
過去五回のうち、元のようになるまでの期間は、一日が二回、三日が二回、そして一週間かかったことが一回だけあった。
だが。
もう今日はいつもどおり接しよう
優貴はそう決意した。
「なぁ、紅音」
と、いきなり話しかけてきたのに驚いたのか、紅音はビクっと振り向いてきた。
「あ、なに? ユキ」
優貴の発音は『ゆうき』だが、紅音は省略して『ユキ』と呼んでいる。
「あのさ、今日の放課後、練習に付き合ってくれないかな?」
「……え? あ、あ、うん」
◇
放課後。
二人は校舎の屋上に居た。
ここは、魔術の訓練をする時に二人が良く使い場所だ。人に見られる心配が無ので、安心して練習が出来る。
「よし。紅音。何時も通りやってくれ」
紅音はブレザーの胸ポケットから、短杖を取り出した。
優貴は集中力を高め始める。
「ユキ、いくよ」
紅音が杖を構える。
それと同時に優貴は体中から、魔力を放出した。
衝撃波が紅音の杖から放たれる──!
だが、その衝撃波は優貴の魔力によって打ち消される。
優貴が得意とするのは『無効化』魔術の上位互換『逆行』魔術。
無効化がただ打ち消すのに対し、逆行は打ち消した上で、さらにその先、つまり反対にさせることができる。
さらに言えば、逆行のベクトルを逆行させることで、未来を作ることも出来る。と言っても、『逆行の逆行』はAランクの魔術。優貴には到底扱えないが。
紅音がさらに杖を振る。衝撃波が、一、二、三回放たれ──四回目が飛んで来た。それらを全て無効化し続ける。だが、だんだんと体に衝撃が伝わってくる。そして、五発目は無効化できず、体に衝撃が走った。
「五発、か」
「ユキ、大丈夫?」
紅音が歩み寄ってきた。
「あぁ」
「でも、だいぶ精度上がってきたよね。これなら実践レベルだよ」
「だけど、クタクタだ。魔力出し切った」
疲れてはいる。だが、これで『技』の完成も目前。ようやく修行の成果が実る。
技──自ら『逆行特攻』と名づけた、全てを無効化しながら敵に切り込む攻撃方法。完成すれば、対人戦においては無敵の技となる。
「よし。じゃぁ、商店街行ってドーナツでも食べない?」
紅音がそう提案する。
「そうだね。確か今月は全品百円だもんね」
そうして二人は商店街に向かった。
◇
「ねぇ、ユキ?」
買ったドーナツ二つのうち一つを食べ終わった紅音が、手を休めて話しかけてきた。
「ん?」
「今週の土曜さ、部屋の改修工事をするんだけどさ」
「リフォーム?」
「っていうか、水道管が破裂しちゃったらしいのよ。で、直すのに丸一日かかるらしいの。だからさ、土曜日泊めてくれない?」
「──え?」
優貴は間抜けな声を出す。
一泊? 泊まる? 家に? 紅音が?
「ええっと、家に?」
聞き返すと、紅音は「そう」と即答した。
「駄目かな? お泊り会みたいなノリで」
いや、ちょっと違うだろ……。
優貴がどうしようかと黙考していると、紅音が
「だめ?」
と上目遣いに聞いてきた。
正直、優貴は上目遣いに弱い──というか見つめられることに弱い。そんな目で見られたら、
「まぁいいけど……」
そう返事するしかなかった。