月夜の森で笛吹きは
曲の解説間違いあり修正。
あなたは笛を携えて、こっそりと枝影から覗いていましたね。手作りらしき素朴な横笛を片手に、月明かりの森で佇むあなたは、まるで一枚の絵のようでした。
月を映す銀の髪は、花の香を運ぶ夜風に揺れておりました。星を宿す青い眼は、好奇心に煌めき少年のようでした。
すらりと伸びた美しい手脚は、頼りない程細い長身を彩り、あなたを月の化身かと錯覚させたものでした。
息を殺して眺めるあなた。あなたは、小柄な民謡弾きが、妖精に囲まれて音を紡ぐのに驚いておりました。そのフィドラーが月の無い夜に、どうやってここに辿り着いたのか、三日月の森を来たあなたには想像もつきません。
彼の奏でる哀愁を帯びた舞曲に導かれ、あなたはふらふらと森の小道をやってきました。月は明るく、妖精のランタンもあなたの行手を照らします。
あなたは、この場所に来た誰とも違う。ぶかぶかの白いワンピース寝巻きをだらしなく着て、古ぼけた提琴をぶら下げてきた小男とは違う。
三つ編みに花を挿し、夢見るように歌い来た乙女とも違う。
月は銀の光を注ぎ、あなたは静かに眠る瞼を洗われて目を覚ます。半身を起こしたあなたが窓を見れば、隙間風が白く薄い安物のカーテンを揺らしていました。
三日月が誘う魔法の夜に、あなたは簡素な板作りのベッドを抜け出しました。
小さな箪笥の天板に載せた袋から、継ぎ手の無い真っ直ぐな木の笛を取り出す為に。
あなたは素朴な笛に唇を寄せ、何処からか漏れ聞こえる音楽に合わせます。
しばらく吹くと、ふと微笑んで、あなたは笛を下ろしましたね。
それからあなたは、夜だというのに、きっちりと小綺麗に身仕舞いをして、そっと扉を開けるのでした。
月の光を直に受け、あなたはとても満足そう。
耳に届く不思議な調べは、甘く切なくあなたの胸を締め付けるのでした。その不思議な音楽に誘われるようにして、あなたはきちんと磨いたぼろ靴をゆっくりと運びます。
石畳の途切れた裏道は、そそくさと進む猫たちの他、動くものはありません。この町は貧しいけれど、不潔ではないのですね。皆が幸せに暮らすこの町を、あなたはとても気に入っております。
町外れのあばら屋をいくつか通り過ぎて、道はいつしか草原へと導きます。どこか影のある豆腐屋笛の歪んだ響きが途切れ途切れに聞こえます。
あなたは、ショームを導くフィドルの声に微笑みながら誘われて、月の小径を辿ります。
夢の光を頼りにゆらゆらと、惚けたように旋律を手繰り、あなたは先へ進むのでした。
5月のさやかな月影にぼんやりと浮かぶ郊外の森が、あなたの心を浮き立たせます。
この森は町にほど近く、よく晴れたお昼間には、ピクニックの家族や川遊びの子供達がやってきます。
今は夜に沈んで、草原との境も曖昧になっておりました。町の人々が通ううちに出来た自然の道は、耳慣れない楽の音に伴われて、するすると森へ這い込みました。
誰もいない月夜の森は、昼とは違う花が開き、夜の生き物達が葉陰から起き出して通ります。あなたは物珍しそうに、辺りをきょろきょろ見回しました。
風が伝える奇妙な曲は、森の奥へと誘います。小寒い初夏の夜更けの森は、分厚く繁る枝葉を抜けて降る青紫の月光を浴びて、さながら水底のようでありました。
近く遠く揺めき浮かぶ妖精のランタンは、あなたがよそ見をする度に目の前に大きく現れます。
その癖じっと観ていると、急に離れて消えてしまう。
古びたショームに鄙びたフィドル、そこへ雄々しい桶型太鼓が加わり、中世竪琴のダミ声みたいな金属弦が包み、陽気なリュートが飛び込みました。
シ モーラック、シ モーラック、
シ モーラック ア レインニャバニー、
モーラック、シ モーラック、
ア レインニャバニーシャニャーラック
幼い娘の高く細く澄んだ声が、古い昔の言葉を紡ぎ始めました。あなたはますます嬉しくなって、意味も知らずに口ずさむ。
シ モーラック、シ モーラック、
シ モーラック ア レインニャバニー、
モーラック、シ モーラック、
ア レインニャバニーシャニャーラック
月光の紗を分けて、ついにあなたは目撃するのでした。素早く廻る踊りの輪。色とりどりの薄衣が、捻る手脚に靡きます。
踊り手の薄衣には背中が大きく開いていて、トンボの羽で浮かんでいました。
見たこともない花々に立ち、堂々と歌う少女もいました。カールした緑の髪は、畳んだ蝶の羽にふんわりとかかっておりました。
シ モーラック、シ モーラック、
シ モーラック ア レインニャバニー、
モーラック、シ モーラック、
ア レインニャバニーシャニャーラック
きのこに座ってびよよんびよよん愉快に指を走らせる竪琴弾きは、短く青い髪をして緑の瞳が煌めきます。ショームの吹き手は飛び回りながら、まっすぐな金髪に星の光を飾っております。
そんな風景がはっきりと眼に入ると、あなたはぴたりと歌をやめ、足も止めてしまいます。
歌は一旦間奏に譲り、蝶の羽を持つ少女はタンバロン片手に飛び上がりました。
しゃらしゃらと、太鼓に付いた小さなシンバルを振り鳴らし、高く低く、踊りの輪の周りを飛び巡ります。
そこに華を添えたのは、ネジバナ色の髪を振り乱す蝶の羽を持つ小さな提琴弾き。
そして、もう一人。彼女の音に寄り添う、だらしのない風体をした小柄な人間のフィドラーでした。
古風な弓は大きく山形に弧を描き、紡ぎ出される旋律は、軋んだように跳ね廻る。
あなたはしばし凝視して、傾聴すらした後に、至極自然に木陰を出ました。
薄羽を震わせる小さな人達が、物珍しげに寄ってきました。あなたはにっこり彼等を見回し、手にした笛を構えます。
さあ、歌姫が花の舞台に戻りましたよ。
あなたが彫った林檎の笛は、まろく素朴な音色を森の中へと放ちます。
意地悪をしようとテンポを上げた小さな楽士に遅れる事なく、あなたは軽々と着いてゆきます。あなたの笛は、彼等を受け入れ、彼等の唄は、あなたを招く。
シ モーラック、シ モーラック、
シ モーラック ア レインニャバニー、
モーラック、シ モーラック、
ア レインニャバニーシャニャーラック
幼く澄んだ魅惑の唄と、生き生きと渦巻く夜のリズムに、羽ある踊り手はぐるぐる廻る。
今宵一夜の隠れた宴に、あなたは夢中で笛を吹く。
それからずっと、今でも変わらず、あなたは林檎の笛を手に持って、月夜の森へやって来ますね。来る度に深まる笛の音に、踊り手達が声をあげて笑います。
あなたは嬉しそうに目を細め、どんどんテンポを上げてゆきます。
あなたの笛と小さな楽器達、そして踊る小さな人達は、時折加わる人間の楽士達と共に束の間の夢を見るのです。
そうして月の良い晩に、森では、星空へと駆け上る、踊りと歌と音楽が、夜いっぱいに広がるのでした。
(終)
◆創作ノート◆
スコットランド民謡
『有名な結婚』訳:黒森冬炎
’S i Mòrag, ’s i Mòrag,
’S i Mòrag a rinn a' bhanais,
Mòrag, ’s i Mòrag,
A rinn a' bhanais ainmeil
それはモーラック
結婚するのはモーラック
それはモーラック
有名な結婚式をあげるのは
上記のリフレインを軸に物語は歌われます。
間違いあり、修正。以下は初稿で想定した別の曲。
本文直してるときに混乱して間違えました。
シモーラックは、単に結婚の歌です。
大恥。
※ここから別の曲
妖精と恋仲になるが親に軟禁された。
妖精の若者はシダを刈りながら切なく歌い慕います。
これは悲恋の物語。
ですが、旋律は明るく、弾むリズムです。
この歌は、妖精から伝えられたと言われていますよ。
※ここまで別の曲
文中の発音は、公式に音源公開しておられる数人の歌い手さんのうち、もっとも口承文芸の伝統歌唱に近い方の例を、私が聞こえるままに採取しました。
なお、モーラックはスコットランドの女性名。
サラのスコットランドゲール語形。
意味は「偉大な」。
スコットランドにある湖の化物、
キャラクター名として日本語ではメレフ。
また、ラテン語起源の「輝く海の星(聖母マリア)」とする説は、ゲール語と関係ないので割愛。
私がかつて学んだのはアイルランドゲール語なのですが、それも方言が多くあっという間に脱落しました。
例えば、ラウンドストーン(町の名前)の太鼓屋さんでは、ボーランよりもバウロンと聞こえた。
まして別の国スコットランドのゲール語。音韻規則も全く知りません。聞こえるままに書き下しました。
聞いた限り、昔練習していたシャンノースとはかなり違う口承文芸のようです。
シヤンノースはアイルランドの古謡。歌と呼ばれるが遠野の語りに近い。言葉ありき、自由リズム自由旋律、同じ人でも歌う度に違うのが本物です。
因みに、スコットランドの古い竪琴ブレイブハープのびよんびよんエフェクトは、オンオフ可能。お好みで。
林檎の木から作られたフルートは、加工しやすく初心者向きなのだそう。動画サイトで音源を見つけました。私は好み。しばらく聞いていました。
才能あるあなた、古い友の奇妙な唄を、どうぞ学んでウタッテミタ発表して下さいませ!
お読み下さりありがとうございます。
九傷さんのエッセイ「『一人称使い』と『三人称使い』」
https://ncode.syosetu.com/n4739fu/
をきっかけに、二人称小説を執筆致しました。
以下は黒森の覚書。上記エッセイとは無関係です。
二人称小説のヴァリエーション
1•決めつけ型
ブラッドベリ、ゲームの説明。
「あなたは、だ」「あなたは、ゆく」
2•語りかけ型
詩、手紙小説
「あなたは、ですね」「あなたは、きた」
3•モノローグ型
一人称亜種、ストーカー小説
「あなたの、は、だ」「あなたは、見られる」
二人称発話の主体
•一人称型→2、3
•三人称型→1