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07:食べて寝る


「数日の間に随分とこの街に慣れたようで」


迷いなく中心となる通りへと足を運ぶイールの様子を見て思わずエリィは口を開く。


「元々道を覚えるのは得意だ。それに手元に記録を残している」


そう言われ、エリィは彼の持っていた小さな手帳のことを思い出した。


「行った場所全てを書き留めているのですか?」


「いや、気になる場所だけだ。ただこの街はどこに行っても道が面白い。書き留めきれなくて困ってるところだ」


そうイールが笑う。

面倒な客だとは思うが、今この一瞬だけを切り抜いたら人当たりの良い人間にしか思えない笑顔だ。


「この前の店以外も何処か良いところはあるか?」


「お茶だけですか?それともお食事も?」


「そうだな、そろそろ食べても良い頃か」


空の真上には眩しい太陽が光っていた。


それならとエリィは思い当たる店へとイールを連れて行った。



二人店内の入り口近くの席に座る。

丸テーブルの真ん中にはいくつかのスパイスが置かれている。この国の食事処ではよくあるものだ。


「注文は任せた」

そうイールが言うのでエリィは店員を呼びいくつかこの街で有名な食べ物と、先日と同じ茶を頼んだ。


「あ、お酒はいりませんか?旅の方はよくお昼から飲まれてますが」


「いや、酒は飲まない。酒と煙草はやらない主義でね」


イールが店内の様子を珍しそうに伺いながら答える。

そんなに珍しいような店ではない。エリィは彼のその素振りが気になりふと質問した。


「お食事はどうされていたのですか?」


「宿の近くの店をいくつか教えてもらって。この辺りも来たんだが店が多くて逆にどこに入れば良いかわからなくなってな」


そんな話をぽつらぽつらとしていると頼んでいた料理が運ばれてきた。

目の前に置かれたのは、肉の串焼き、豆を煮込んだ料理、それから野菜を使ったサラダだ。

ちょうど昨日から天気が良い。野菜も届くようになったようで良かったとエリィはそれを見て思った。


(ダンジュさんにも今年の野菜食べてもらいたかったな)


ふと頭に浮かぶのはやはり彼のことだった。

ぼんやりとそのサラダを見ているとイールが話しかけてきた。


「親代わりだったらしいな」


自分の口からもそういう人間がいると言ったし、きっとヘンスからも聞いたのだろう。否定する必要はないと思いエリィは小さく頷いた。


「俺も父親を亡くしてる。気持ちはわかる、なんて薄っぺらい慰めなんて不要だろうが……そういう時は食べて寝る、それだけできれば十分だろ」


そうイールが言う。

言われてみればここ数日は眠りはしても大したものを食べていないことにエリィは気づいた。


「このスパイスはどう使ったら美味い?」


テーブルに置いてあったスパイスのうち一つを手に取りイールが聞く。


「それは煮込み料理にかけると味がしまります。あと、こちらの粉末状のものは串焼きに」


言われた通りイールがスパイスをかけ料理を口に運ぶ。


「美味いな」

そうイールが笑って言う。

それにつられエリィも料理に手をつけた。

久しぶりに食べたきちんとした食事はエリィの体に沁み渡り思わず目に涙が浮かぶ。

零れてしまっては困ると思いふっと斜め上に顔を上げ、小さな窓から外を見るかのような素振りをとった。


「これは俺の単純な興味関心で知りたいんだが」


そうイールが言うのでなんだと思い顔を彼に向けた。涙はなんとか引っ込んでくれたようだ。


「なぜ案内人を?」


「育ての親がそれをやっていたので」


「教えてもらっていたのか?」


「ええ。けれどもどちらかと言ったら後ろをついて歩いて学んだ、と言う方が正しいかと」


「地図はないのか?」


「……あることはありますが商売道具なので人に見せるものではないです」


そう言うとふっとイールは笑う。


「それはそうだな」


彼は豆の煮込みが気に入ったのか皿に入っているものはもう残りわずかだ。


「それにしても、本当に愛想ないな。いつもそんななのか?」


笑いながらイールが聞いてくるが、その言葉に少しだけエリィはムッとした。

相手が面倒そうなあなただからだとでも言いたかったがお客様だ。流石にそんなことは口にできない。


「別に、必要がないだけです」


その言葉にさらにイールは笑った。

何故笑われなければならないのかと思ったがそれを言うのも何か違う気がしてエリィは黙ったまま串焼きを頬張った。


イールは宿を出た時に言ったように先日の話の続きはせず、なんてことのない話をして食事を終えようとした。

その様子を見て少し安心した後、エリィはテーブルに置いてあるスパイスのうち、ひとつだけ違う容器に入った白いサラサラとした粒を自分の手元にある茶に入れた。


「それは何だ?」


「ただの砂糖です。たまにですけど食後はお茶に砂糖を入れて甘くして飲みます。まぁ甘いものが嫌いな方はやりませんけれど」


エリィの言葉に誘われる様にイールは試しに、と言った風に少しだけ自分の茶に砂糖を入れて一口飲むと、なんとも微妙な顔をした。


「俺は甘くしないほうが好みだな」


とりあえず試してみる、が染み付いている旅人らしい人だ。

旅人であった自分の父親もそういう人だったなとふとエリィは思い出した。


すっかり食事を済ませ会計をと言うときにイールは全額を払おうとしたため、エリィはそれを遮った。


「自分の分は自分で支払いますので」


「いや、俺が付き合わせたから」


「いえ、今後の仕事に響くこともあるかと思うので」


要は奢ってやったから色々と話せと言われたくないのだ。そう言わなくとも貸しは作りたくない。


「エリィは本当に仕事熱心だな。まぁそれなら今日は折半で」


そうイールが呆れた笑顔をして言った。


店の外に出ると相変わらず天気は穏やかだ。


「前も伝えたが、落ち着いたらまた声をかけてくれ。頼みたいことがある」


「……お受けするかはわかりません」


「そう言うな。もちろん報酬は払う」



当たり前だ、とエリィは思うが何も言わずに彼の顔を見ていた。


「じゃあ今日はこれで」


そう言ってイールは宿の方向へ向かっていった。

随分と慣れた足取りに感心しながらその後ろ姿を少しの間だけ眺めた後、エリィは自宅へ戻ることにした。



****


自宅に戻ったエリィはふぅっと一息をした後椅子に座った。

イールのことはやはり面倒な客だとは思っている。

けれども彼の言った、こういう時は食べて寝るだけで十分だと言う言葉に少しだけ救われた気がしていた。

それに数日間誰とも話をしていなかったからだろうか、エリィにしては珍しくあまり親しくない相手と雑談を続けていた。


(夕食も考えないとな)


そう思いながらふと商売道具に目が行く。

大きな紙の地図だ。

なんとなく手に取りテーブルの上にそれを広げる。大きさはちょうどテーブルと同じほどだ。


細かな道や階段、店や建物の名前、それから誰も知らない忘れられた場所。

全てが書き込まれているそれはダンジュとエリィの思い出でもあった。


ダンジュはどちらかと言ったら頭の中にその地図を置くタイプの人間で備忘程度にこの地図を書いていた。

反対にエリィは今でこそほとんどの場所は覚えているが、頭の中だけで整理するのが苦手だったためこの地図を精緻に仕上げていったのだ。

その様子を見てダンジュは随分と感心していたことがあった。

地図の書き方など誰に習ったわけでもない。けれどエリィのそれは見やすく、ダンジュの頭の中を具現化したようなものだったのだ。


埋まっていない場所はダンジュと二人、出かけがてらに歩いて埋めていった場所もある。

地図上全てが彼と歩いた場所なのだ。



(この街のことは任せると言われたけれど、私の手におえる自信なんてないや)


そう地図上の青い印をすっと撫でていく。


けれど、とエリィは思う。

彼に頼まれたのだからやらねばならない。

この街のこと、青い印のこと、案内人としての仕事。

全てを自分が担うのだ、そう思ったらここ数日のなにもやる気が起きなかった自分が少しだけどこか遠くへ行ってくれたような気がした。



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