34:本心
エリィは自宅に帰りリビングの椅子にイールと向き合って座っていた。
テーブルの上には茶色の小さな巾着と、その中に入っていた鍵が置かれている。
「……これ、本当に入口の鍵でしょうか?」
今更になってエリィが疑問を口にする。
「入口に付けられていたのは普通のパドロックだったからな。これも普通の鍵だ。おそらくそうだろう。ヘンスさんもエリィ以外には渡さないようにってダンジュさんに言われていたようだし」
その言葉にそうだよなとエリィは納得する。
けれどどこかでやはり入口の鍵ではないんじゃないかという思いが消えなかった。
いや、むしろ入口の鍵じゃなければ良いという思いに近いものだ。
けれどももう手にしてしまったのだ。
これを手にして『青の回廊』に行かないという選択肢は目の前に座るイールにはないだろうし、一人で勝手に行かせるわけにはいかない。
(なんで純粋に嬉しいと思えないんだろう)
そうぼんやりと鍵を見ながらエリィは考えていた。
ずっと探していたものが見つかったのにも関わらずその気持ちが晴々しいものでなかったことにエリィは自分でも驚いていた。
もう一度あの綺麗な空間に行けるという期待、中に何があるのかを確認しなければという使命感、けれども頭の隅にチラつく、父の死があった場所に行くという怖さ。
色んな感情が渦巻いていた。
「エリィ……嬉しくないか?」
その言葉にぱっとイールの顔を見る。
「……良かったですね。やっと見つかって。今日はもう日が暮れてしまいますので明日行きます。前に伝えていた通り警護はお願いしますね。私明日ちょうど仕事休みなので」
エリィがそう言うとイールは少し呆れたような笑いを浮かべた後、夕食にしようと言ってキッチンに向かっていった。
出かける前に作ってくれていたのだろう。
エリィもキッチンに向かい皿やカトラリーの準備を始めた。
食事中は鍵の話をしなかった。
なんなら『青の回廊』の話すらしなかった。
エリィが避けていたわけではなく、イールがその話を振ってこなかった。
どうして話題にしてこないのかとエリィは少し不思議に思っていたがわざわざ聞く必要もないかと思い、他愛のない話をしながら夕食を終えた。
「じゃあ明日、午前からで良いか?」
部屋に戻る準備をしながらイールが聞いてくる。
「はい」
「エリィ、無理して行かなくてもいいからな」
急にイールが真面目な顔をしてエリィに言う。
「別に……無理なんてしてませんけれど」
「怖いか?」
その言葉にエリィは思わず黙ってしまった。
何も言っていないのにどうしてわかるのかという疑問が浮かんだものの、怖くはないと否定できるほどの心持ちはまだできていなかった。
思わずイールから目線を逸らす。
「無理なら無理で、行かなればいい」
イールがエリィの頭に手を乗せる。
「……行かなかったら何もわからないままじゃないですか。それに……解決しないと部屋のお代もいただけないようですし」
目を逸らしながら不機嫌にエリィは言い放った。
「エリィはずっとそれだな」
イールの声が笑う。
その声に何だと思ってイールを見た瞬間、エリィはイールに抱きしめられた。
「怖いなら怖いって言えばいい」
エリィはその言葉に黙った。
言われた言葉に答えるよりも、何故こんなことをするのかのほうが聞きたかった。
「……なんで……抱きしめるんですか?」
「エリィは言葉じゃ言わないから。言葉で言ったところでわかんないだろ。こうしてたら安心するだろ?」
「….…そんな子供じゃありません」
言葉ではそう言ったものの、エリィは自分の中に込み上げてくるものがあることに気づいていた。
「今日は離せって言わないな」
イールの声は変わらず笑っていた。
その言葉にしばらく黙った後、エリィはそっと口を開いた。
「……私、多分どうかしてるんだと思います」
震えた声でエリィが言う。
「面倒通り越して大迷惑な客なのに……」
「そうだな」
「……離してほしいとは……あんまり思わないんです……」
エリィの鼻を啜る音が聞こえていた。
「やっと素直になったな」
イールがそっとエリィの体を離した後、頭を撫でながら続ける。
流れた涙をエリィは自分の手で拭うが追いつかない。そんな顔を見られるのが嫌でイールとは目を合わせずにエリィは言った。
「あの……私今言ったばかりですよね?……離してほしいとは……あんまり思わないって」
エリィの不機嫌な言葉に僅かに驚いた表情を見せたもののイールはふっと笑ってまたエリィを抱き寄せた。
「悪い。ちゃんと聞いてなかった」
エリィは自分でもわからなかった。
どうして涙が流れてくるのか、何故そんな言葉が自分の口から出てきたのか。
けれどイールの言った通り、どこか安心してほっとしてここから離れたくないと思っていることだけはわかっていた。
「エリィ」
イールがエリィの名前を呼ぶ。
「少しだけ離してもいいか?」
何のことだかよくわからないがエリィは小さく頷いた。涙はまだ、止まらない。
体を少しだけ離したイールがエリィの顔を覗き込む。
「だめだ。さっきのはちょっと言いがかりだった。俺がエリィを放っておけなくなってるだけだ」
「……それ……」
どういうことなのか、とエリィが聞こうとすると、イールの左手がエリィの頬にそっと触れる。
その感覚にそれ以上聞くのは野暮なのだということをエリィは理解した。
泣き顔のまま、エリィはその手を右手で掴み自分の頬に引き寄せた。
そこには父親のものでも、ダンジュのものでもない、温かなイールの手があった。
「……まだ、冷たくない」
「まだって言うな」
そうイールが呆れた笑顔で言った後、二人の唇が触れ合った。