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31:旅人への依頼


エリィの半歩後ろにはイールが歩いている。

目指していたのは廟でも『青の回廊』でもない。


砂の季節ではない今の時期は地面の砂が皆に踏みしめられ大地と同化している。

滑ることも少ない。


イールを案内するのは随分久しぶりな気がしながらエリィは目的の場所へと向かっていた。


「まだ歩くか?」


「いえ、もうすぐです」


そう答えて最後の階段を下りすぐ右に入る小径を抜けていった先、ぱっと辺りが開ける。

目の前には広場のような場所がひろがっている。

地面は石畳だったのだろうか、ターランの街並みによくある砂の踏みしめられた道の中にところどころ長方形の石畳が垣間見れる。


「相変わらず、この街は面白いな。あんな狭い道から急にこんな場所が広がるなんて」


イールを連れてやってきたのは古い城のあった跡だ。

今はもう城だったのかと疑問に思う程度の建物しかないが、この街にくる旅人や観光客はわりと来たがる人が多くエリィは何度も来たことのある場所だ。


イールに気分転換がてらここに行きたいと言われ仕事が休みの日に連れてきたのだ。


特に何があるわけではない、広場と古い城だったのだろう朽ちかけた建物があるだけの場所だ。

以前案内した旅人は廃墟が好きと言っていて、そういう人間からするとここは堪らない場所らしい。


「誰が住んでたか知ってるか?」


「4、50年前まで当時の領主が住んでいたと聞いています。まぁこんな街なのでその領主の一族もこの街を捨てて出て行ってしまったらしいですが」


「中に入っても?」


冒険の始まりだと言わんばかりの顔でイールが聞いてくるのでエリィは頷く。



「ここの手入れもしてるのか?」


建物の中に入り、いくつかの部屋を回りながらイールが聞く。

誰のものでもないものは自分が手入れをしているという出会って間もない頃エリィが言っていた言葉をイールは覚えていたのだろう。


「廟ほどではないですが、気が向いた時は」


そう答えるとイールはそうかと口角を上げる。


3階建てのその建物を一周した後、そういえばとエリィは思い出しある場所へと足を進めた。

イールは何かあるのかと黙ってエリィの後ろを歩いてきていた。


1階の一番奥にある部屋の扉を開ける。

古い扉のため開け閉めする時に心地が良いとは言えない音が鳴る。



「この部屋に何かあるのか?」


「ちょっと面白いものが」


そう言ってエリィは部屋の右手、棚かなにかが置いてあったのだろう跡のついた壁を確かめるように軽く手で押していく。

その様子をイールは不思議そうに眺めていた。


(ここだ)


そうエリィは思ってぐっと力を入れるとただの壁だった場所が扉のように開く。


「……本当にこの街は、面白いな」


目を丸くしてイールが言う。


開いた場所からは地下に降りるような階段が続いている。

入口はエリィでもかがまないと通れない高さだ。

ひょいと頭をかがめてエリィは足を進め、階段を少し降りたところでイールが入ってくるのを待った。


ちょうど人一人が通れる幅の階段だ。

両側は壁になっていて灯りもないため薄暗い。手で壁の感触を軽く確かめながら降りていく。


「何か下にあるのか?」


「いえ、別に何もないんですけど。さっきあなたが言った通りただ面白いだけですよ」


その回答にイールの笑い声が階段に響く。


階段を降り切って目の前に現れた扉を開けるとそこは半地下のような場所にある広場だった。

広場になってしまった場所、と言った方が正しいか。

石の大きな柱が半分に折れたり、上に乗っていたのだろう屋根は見る影もなく崩れ大きな岩のようなものがあちらこちらに転がっている。


「何もないって言う割に何かあったんだな」


「私も何があったか知りません。まぁ柱の装飾など見る感じだと神殿か何かですかね」


「ここにも人を案内してるのか?」


「いえ、ここまではあまり。急に崩れてきて怪我でもされたら困りますし」


エリィはそう崩れ損ねた屋根の方を指さす。

見るからにいつ壊れてもおかしくないような屋根を見てイールは納得する。


辺りをざっと見てから、イールが転がっている大きな岩の上に上りそこで空を見上げる。

屋根が崩れてしまっているおかげで開けた空が見える。


「登るか?」


エリィにイールが声をかける。

一人で来たことは何度もあるが流石にそんな岩の上に登れる気は全くせずこれまで登ろうなんて思ったことがない場所だった。

せっかくなら良いかと思いコクンと頷くとエリィが右手で掴みやすいようか、イールは利き手ではない右手を差し出してくれた。

その手を掴みぐっと岩の窪みに足をかけその上へと登った。


思っていたよりも高い。

僅かにすくむ足が不安になり思わずその岩に座った。これならなんてことなく岩の上にいられる。

イールもエリィにつられるように並んで座った。


「たまには息抜きも良いな」


言われてみればイールがサマルタに行く前も帰ってきてからも毎日毎日、『青の回廊』のこと、そして鍵のことそればかり考えているのだ。

エリィはそこに仕事も追加される。


他のことなど考える暇などないかのような毎日の中で、今日のような意味もない外出はいつぶりだろうかと思いながら開けた青い空を見上げる。

長く伸ばしたような雲が空に横たわっていた。

昼間だが薄らと白い二つの月が並んで見える。

風もほんのりと頬を撫でるように吹いていて気持ちが良い。



「旅に出たすぐくらいの時にな」


何の脈絡もなくイールが話始める。


「わりと大きな街でスリにあって。肩がぶつかったから謝って、けど違和感感じて荷物確かめたら、やられたなって」


何の話だろうとエリィはイールの顔を見た。

思い出しながら話しているのだろう、彼の顔には苦笑いが浮かんでいる。


「全部盗られたわけじゃないのに急になんか色々どうでも良くなったんだ。これが洗礼かって。で、考えるのも面倒になって人の流れに任せて歩いてたら街の外れにある少しばかし有名な湖に行きあたったんだ」


「……そこで何を?」


あまりにも脈絡の見えない話にエリィは問いかけた。


「何もしてない。ただ日が暮れるまで湖のほとりでぼーっと座ってた」


はぁ、と気の抜けたエリィの返事が響く。


「気づけばあたりは真っ暗になって人もほとんどいなくなってた。で、急に自分が一人なんだってことに気づいたんだよな。あの時だけだな、旅人辞めて生まれた街に戻ろうかと思ったのは」


「あなたにもそんな時期があったんですね」


そう言うとハハッと笑ってイールが続ける。


「レンさんとの約束守るために、母親一人置いて街を飛び出して。なのにスリにあって盗んだやつに反射的だったけど謝ったのかって思ったら、嫌になってな。全部やめて帰ろうって思った時だった」


イールの視線が空に向かう。


「湖にぼんやり二つ月が浮かんでた。風で水面が微かに靡いて、月も一緒に靡いてて……綺麗だったな」


思わずエリィは首を傾げる。

ホームシックになった話かと思ったらそうでもないのか、と。


「水面に浮かんだ月から目を上げて本物を見上げた。水面に映るのも綺麗だったけど、本物は……それ以上だった」


「……すみません、何の話なのか……」


思わずエリィは質問する。

けれどもイールはニッと笑って質問に答えず話を続けた。


「その時に思ったんだよな。やっぱり本物みないとなって。だから帰るのやめて、代わりに決めたんだ。レンさんとの約束守るのは勿論だけど、何があろうと『青の回廊』の本物をこの目で見てやろうって」



気分転換と言いながら結局は『青の回廊』かと心の中で笑ったと同時に、エリィはここ数日頭の中にあった自分への問いかけを思い出す。


見つかるかはわからないものの、鍵が見つかり中に入ることができることになった時、イールに入るなと自分は言えるのか、という問いかけだ。


気づけばイールとは共に『青の回廊』について探る仲になっていた。認めたくはないがエリィ一人ではたどり着けなかったシナンの話を手繰り寄せたのは間違いなくイールだ。



もちろんダンジュには『青の回廊』に人を近づけるなと言われていたのだ。

それは守らなくてはと思うが、ただ盲目的にその教えを守ることだけがエリィの仕事なのか、そうも思い始めていた。

そして、いざ中に入れるとなった時に自分一人であの場所に足を踏み入れられるのか、とも自分に問いかけていた。

入口までいくのにも精一杯だった自分がそんなことできるのか、と。


何よりもここまで来てイールにあなたは入るな、なんて本当に言えるのか。


その問いかけにエリィは思う。


(言いたくない……な)



空を見上げるとさっきと同じように白い薄らとした月が二つ並んでいる。

それを見た後、エリィはそっと口を開いた。



「……あの、旅の方って旅先で色々と頼まれ事をされたり……しますよね?」


エリィが恐る恐る発した質問に今度はイールが急に何だと言う顔をしながら頷く。



「一つお願いが……報酬は……まぁ渡すまでもないくらい私が貰わなければならないので渡しませんが」


「なんだ?」


大きめに息を一度吸い込んでふぅっと吐く。

ダンジュの教えを破ろうとしているのか、そう自分に聞くがもう一人の自分がそうではないのだと否定する。

少しドキドキする胸を押さえながらエリィは口を開く。


「鍵が見つかって『青の回廊』の中に入ることになった時、……私の身の回りの警護をお願いしても……?」


エリィの考えられる妥協案だった。

人を近づけるなと言われていたがエリィ自身は行くなとは言われていない。

けれども一人で行くにしても父親が死んだ場所だ。自分に何があるかわからないからというあり合わせのようにも聞こえる理由をとってつけて、イールが一緒に行くことを許可しようと思ったのだ。

父親が殺された理由がわかった今、エリィに何かが起こることなどないとはわかっていたが。



イールはエリィの言葉に一瞬ポカンとした顔をしたもののすぐに意味を理解したようで口角を上げてエリィを見る。


「容易い御用だな」



どう言う意味だと聞かれなくて良かったとエリィはほっと胸を撫で下ろした。


「ありがとう」


そうイールが言うので横に座る彼に目を向け、もう随分と見慣れた浅いグレーのその瞳に向けてエリィは言い放った。


「何か私お礼をされるようなこと言いました?珍しくあなたではなく私が頼み事をしたはずですけど?」


淡々と放たれたエリィの言葉にイールは笑いを堪えて下を向く。

その様子を見てエリィも自分が言った言葉が面白くなって思わず小さく笑ってしまう。


2人で馬鹿な悪戯でもしている気分だった。


「エリィはずるいな」


堪えた笑いがおさまりかけた後、イールが言う。


とってつけたような理由をつけたことを言っているのだろうか。

そう思いながら何がだとイールに問いかける。


「普段愛想ないからか、笑った顔が古の宝物並に貴重に見えるから」


イールの回答に、はぁ?と大きな声で言いそうになった。いや顔はそういう表情になっていた。


「……馬鹿にしてます?」


笑いながらイールは否定するが、馬鹿にされている気しかしなかった。


「さっきの依頼取りやめましょうか」

淡々と言うとイールはほんの少し焦ったように否定を続けた。

その焦り方がイールらしくなく面白くってエリィはまた小さく笑ってしまった。


「……依頼は取りやめないよな?」


「今のところ、ですけどね」


その言葉を聞いて安心したのかイールはニッと笑った後、岩の上に立ち上がって大きく伸びをした。


「良い気分転換だったな」


そう言って軽々と岩の上から地面に降り立つ。


けれどもエリィはそれを見て初めて気づいた。

ここから自分は降りられるのかということに。

人間不思議なもので登れる場所でも降りるのが怖い場所がある。

今まさにその状況だということに今更気づいた。

覗き込むように地面を見るが決心がつかない。


エリィの様子に気づいてかイールが手を差し出してくるが届きそうで届かない。

軽く勢いをつけて降りるタイミングで掴めば良いのだろうが出来る気がしなかった。


「……ちょっとなんとかして降りるので大丈夫です……」


消え入りそうにエリィは言いながら後ろ向きになり登る時に足をかけた岩の窪みへもう一度同じように足を伸ばす。

うまく引っかかった。

これで反対側の足を下ろし、重心を後ろにかければきっと降りられる。


「大丈夫か?」


声に笑いがこもっているイールにムッとするものの今は何かを言い返す余裕がない。


心の中で1、2、3と数え重心を後ろにかけて降りようとした時だった。

窪みにかけていた足がずるっと滑る。



「……警護は今から必要かもな」


結果的に岩からずり落ちたエリィはイールに背中を受け止められる形で着地した。


「……失礼しました」


エリィの口が尖ると同時に、イールの手がエリィの頭に乗る。


「いくらでも警護してやるからな」


その言葉にムッとしてイールに向き直り何か言おうと思ったが、受け止められていなかったら後頭部から落ちていただろう。

分が悪い、そう思い何も言わずに建物のほうへと足を向けることにした。


後ろからイールの笑い声が聞こえる。

面倒だと思いつつ、もはやこれすらも当たり前のように感じてしまっているのだから人間怖いものだ。


そう思うとエリィの口元には笑みが浮かんだ。


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