03:嵐の翌日
明朝、薄明の空の下、エリィは男がいる部屋に向かった。
出かける前、ダンジュに「気をつけろよ」とだけ声をかけられた。彼もきっと何かしら面倒そうなことに気づいたんだろう、そう思いながらエリィは家を出てきた。
昨夜の嵐の後、随分と穏やかな空だ。
これで砂の風の季節が終われば良い、そう思いながら入り組んだ道を歩いていく。
朝も早いので人もまだいない。静かで穏やかな空の下を歩くのは気持ちが良い。
昨日の砂が階段の至る所に積もり、足を踏みしめるごとに滑るような砂の感触がするが慣れたものだ。
「おはようございます」
そう扉の外から小さな声をかけると男が扉を開けた。
「早くから助かる。頼んだ」
そう言う彼は既に出かける支度を済ませていたようですぐに部屋から出てきた。
「少し歩きます。はぐれたらこの街から出られなくなると思ってついてきてください」
そう言ったエリィの後を男は素直についてきた。
人とは全くすれ違わなかった。
嵐の夜の翌朝だ。この街の人間だとしても嵐の音で深く眠れない人間も少なくない。
きっとまだ多くの人はベッドの上にいるのだろう。
粛々と目的の場所へ足を進めていくと狭い階段が続く。
後ろからザッと言う砂で軽く足を滑らす音がし、エリィは振り返って声をかける。
「お気を付けてくださいね。慣れていないとつもったばかりの砂は滑りますから」
階段には至る所に嵐が運んだ新しい砂が積もっている。
「この街の生まれか?」
「いえ」
「なのに何故詳しい?」
「育ちはここなので」
「名前は?」
昨日名乗ったはずだが、名乗ったのは宿の部屋を開けられた時だ。聞こえていなかったのかと思いながらエリィは名乗った。
「俺はイール。今から案内してくれる場所にはどのくらいいれる?」
「お好きなだけ。誰も知らない場所ですから」
「何故エリィは知っている?」
「案内人なので」
その答えにイールと名乗った男は納得のいかない顔をしながらエリィの背中を追ってきていた。
迷路のような場所だ。エリィにとってはどうと言うこともないが、イールにとってはそれは驚きと共に歩む道だったようだ。
「この街は何故こんなに入り組んでいる?」
「さぁ、私がここに来た時から変わりませんので」
そうエリィは淡々と答え足を進める。あまりゆっくりしていると宿にいる二人の案内が遅れてしまう。
イールがついて来れる程度の速さに気を使いながらも少し足を早めた。
「こちらになります」
ある扉の前でエリィがイールに声をかけ扉を開ける様に促す。
扉はいたって普通の木の扉だ。
イールがその扉をそっと開け、中に入ると一般の家よりも少し天井の高い空間があった。
窓際に建物に備え付けられたベンチの様なものがあるだけで、他は何もない。
ただアーチのような形をした柱の向こうにはまだ部屋があるようだ。
「ここは?」
イールがエリィに聞く。
「古の時代に使われていたと思われる場所です。今は皆に忘れられた場所。ただそれだけの場所になります」
「人目につかない」
「えぇ。建物自体古いので、あまり壁などにはお触れにならないようお願いします」
そう念のため言った後、エリィは手に持っていた荷物を窓の近くのベンチのようになっている場所にほどき広げた。
「朝食の場へのご案内ができないかと思いますので少しですが置いておきます」
ほどいた荷物から出てきたのは持ってきていたパンや干した果物だ。
「気がきくな。助かる」
「とんでもございません。あの部屋にご案内した際はいつも朝食をお出ししてますので」
エリィの低くはないが落ち着いた声がその場所に響く。
それでは、とエリィがその場を後にしようとするとイールがエリィを呼び引き止めた。
「一つ頼んでも?」
「何でしょう?」
「あの二人がこの街からいなくなったら教えてほしい」
「それは私の仕事ではありません」
そう言うとイールは小さくため息をついた。
「気はきくが、業務外のことは受けないということか」
「私は案内人なので」
「なら、こう言えばいいか?あの二人がいなくなったら俺を人のいる、この街が初めての人間でもわかる場所に案内しろ」
その言葉にエリィは思わず少しだけ眉を顰めイールを見た。
その依頼の仕方なら承らずを得ない。案内をしろ、と言われているからだ。
「……わかりました。ご案内いたします」
そうその翠玉色の瞳を少しだけ強めにイールに向け言った後、その場を後にした。
(やはり面倒な客だ)
そう思いながらイールと共にこの街に来ていた二人のいる宿へと向かった。
「おはようございます」
宿に着くと長髪の男と体格の良い男は既にロビーにいた。
「今日はどこへご案内すれば?」
「ここらで宿は他にあるか?」
「ここ以外ですとあと2つあります。ご案内しましょうか?」
「ああ」
そう言ってこの街にある別の宿二つを回ることになった。
それぞれの宿に着くなり男二人はその宿の主に何かを聞いているようだった。
(イールという男を探しているのだろうか)
そうエリィは思うが口は開かない。それは案内人の仕事ではないからだ。
それに言ったところで面倒事に巻き込まれるだけだ。言わない方が得策だろう。
「あの野郎、トンズラかきやがった」
体格の良い男が苛立たしげに言う。
「外の様子をなんて真っ赤な嘘だったか。ぬかったな。やっぱり昨日やっちまうべきだったな」
長髪の男が答える。
「おい、案内人」
昨日名乗ったはずなのだが、そう今日二度目となる思いを持ちながらエリィは長髪の男に顔を向ける。
「この街を出るにはどこから出れる?」
「南北にそれぞれ出口が。北は丘の上に出る、オアシスの街に向かう方向。南は丘の下、おそらくお二人はそちらからいらしたのでは?」
「あぁ、登ってきたからそうだな。北の出口に連れて行ってくれ」
「わかりました。昨日の砂が足元に残っています。階段がさらに増えますので足元にはどうぞ、お気をつけて」
そうエリィは言ってまた入り組んだ道を迷わずに歩き始めた。
路地は狭く左右に建物があるため見通しも悪い。人とすれ違うのがやっとと言う狭さの路地もある。
そんな中をエリィは二人の男を連れて歩いていく。途中、顔見知り何人かとすれ違った時は軽く会釈をしながら。
「北の出口はこちらになります」
そう石積みの門の前でエリィが口を開く。
その場所はそれまでの路地とは違い周りが開けてその門の先は何もない砂っぽい荒野だ。オアシスへの道はここしかない。
「この先の案内は?」
「残念ながら私はこの街の案内人ですのでここまでになります。オアシスの街に向かわれるようでしたらここを出てひたすら北にまっすぐと進めば大丈夫です。夜、辺りが見えなくなった時は星の位置を目印にしてくだされば間違い無いかと」
「わかった」
そう言って二人は門の外、街の外へ出て行った。その背中を見送った後、エリィはふと思い出した。
(あ、お代もらい損ねた……)
(イールという男へ上乗せしよう)
そう思い、彼のいる場所へと足を運んだ。