29:報告
イールが帰ってきた翌朝エリィは前日分の睡眠を取り戻すかのようによく寝た。
自室の小さな窓から明るい光が差し込んでいる。
ベッドから体を起こし少しの間ぼーっとした後、顔を洗いに行こうと寝ぼけ眼を擦りながら自室の扉を開けた。
「お、起きたな。おはよう」
その声にハッとして思わず開けた扉をバタンと閉め自室に引き戻った。
(何でもういるの?っていうか寝巻きのままだし寝癖ついてるし)
自室の扉のすぐ横の壁にかけてある鏡を見て思わず髪を手櫛で直す。
しばらくいなかったから忘れていたがダンジュの本を読んで良いという許可を与えてからイールは勝手にこの家に上がり込む。
そういえばそういう人間だったとうんざりしながら仕方がなくエリィは着替えを済ませ、気を取り直して自室を出ることにした。
扉から出た後はささっと機敏な動きで顔を洗い何事もなかったかのようにリビングの椅子に座って本を開いているイールを向く。
「玄関のノックくらいしてください」
「したぞ?返事がなかったからまだ寝てるんだなって思って」
全く気づかないくらい深い眠りについていた自分のせいかと思うとエリィは何も言えなくなった。
「朝食食べるだろ?俺もまだだから」
そう言って当たり前のようにキッチンにイールが向かう。
「エリィ、昨日も聞いたけどちゃんと食べてたのか?」
「……それなりには」
正直自分一人のために作る食事なので大したものは作っていなかったし食べてもいなかった。
「食材が全然ないから後で買い出しに行こう」
「……どこから食費が出るんですかね」
思わず嫌味を言うと相変わらずイールは笑う。
「それよりどうだったんですか?何かわかったんですか?」
レードルで鍋をかき混ぜながらイールが答える。
「あぁ、色々とな。ちょっと話が入り組んでて、というか想像と違って笑っちまうこともあるがな」
どういうことだとエリィが首を傾げていると、二つの皿をイールがテーブルに置く。
「昨日のスープ、味変えてみた」
話を早く聞きたいもののそのスープの香りに誘われて大人しく椅子に座り食事をすることにした。
久しぶりにイールと向き合って食べる食事だ。
何故かこれに安心している気がするのは気のせいだろうとエリィは自分に言い聞かせるようにしていた。
「それで、どうだったんですか?」
「まずは、商人……シナンさんはレンさんを殺してない」
「でも殺した人間は、その方の関係だって」
「あぁ、確かにそうだった。けど犯人が独断でやったらしい。シナンさんはむしろレンさんと仲が良かったらしい」
エリィの眉間に皺が寄る。
「どういうことですか?」
「ちょっと前の俺と同じだよ。気が合って、その頃商人として成り上がり始めていたシナンさんが仲の良かったレンさんに資金援助をした。で、レンさんはその代わりに彼にお返しをした」
「お返し?」
「あぁ。これはびっくりだったな。レンさんらしいっていうか。こんなこと知られたら普通タダじゃすまないんだろうけど……この街の廟に古の時代の宝物があったらしい」
スープをスプーンで掬いながらイールが続ける。
「それを見つけたレンさんは勝手に殆ど売り払ったらしい」
エリィの口が半開きの状態で止まった。
「そのうちの売り払わなかった一部をお礼がてらシナンさんに渡した。で、売り払った金はこの街のことを教えてくれたダンジュさんに一部を、残りはどう使ったのかわからないがどこかに消えたと」
「……えっと、あの、私は父の素行を誰かに謝るべきなんでしょうか……」
エリィのその言葉にイールが大きく笑う。
「確かにな。けど誰のものでもない宝物だ。
それにダンジュさんすらその頃廟の存在を知らなかったらしい。知られていない宝物のことなんて、謝るべき人間がいない」
思わず呆れたため息がエリィの口から漏れ出る。
「それで、どうして父は殺されたのでしょうか」
「あぁ。レンさんは何度かこの街にきていたらしい。で、その度に廟を見つけて行った」
恐らく、という前置き付きでシナンがイールに語った内容はこうだ。
レンは廟を見つけた後に『青の回廊』を見つけたがすぐにはダンジュにもシナンにも伝えなかった。
秘密にしておきたかったのかもしれないが、どう言う意図かは今になってはわからない。
そしてしばらくしてまたターランに訪れた時にその存在を知らせた。
廟と同じように古の宝物があるのかとシナンは聞いたらしいが彼はこう答えた。
「あるんじゃないか?」と。
入ったことがあるはずなのに何故断定しないのかシナンはその時不思議に思ったが、レンは笑いながら言っていたからまた何かしでかす気かと思い、シナンはそのままにしていたらしい。
「けど、これが悪かった。それをどこかで聞きつけたシナンさんのところの人間が『青の回廊』にあるかもしれない宝物を横取りしてやろうとしてレンさんに付いて行った」
「……それでその人が、ということですか」
「あぁ、けど一つおかしなことがあって」
「なんですか?」
「レンさんを殺されたことに激怒したシナンさんは、その男をどうにかしてやろうと探し出した。もちろん男も逃げ隠れをしていたから結局見つけられたのは数年後だったらしい。シナンさんが見つけた時には彼は病におかされてもう長くはない状態。流石のシナンさんもそんな男をどうこうするつもりはなくなったらしく、話だけ聞いたようなんだ」
「それで?」
「『青の回廊』には古の宝物はなかった、と」
「どういうことですか?」
「それがわからないんだ。レンさんが廟と同じように先に売り払っていたのか、そもそもなかったのか」
「けどそうすると私が何故ダンジュさんから、あの場所に人を近づけるなと言われていたのかわからなくなりますよね……中に何もないのなら近づくななんて言う必要はないですし……」
「そうなんだ。だから別の何かが『青の回廊』にはある。そう俺も、シナンさんも考えてる。ダンジュさんはシナンさんにも中に何があるか言ってなかったようだ」
そんなにも秘密にしなければならないのかと頭にハテナが何個も浮かぶ。
「……そういえば、ダンジュさんはシナンさんに何を依頼されていたのですか?」
「それが、それだけは教えてもらえなかった。ダンジュさんに口止めされたんだと。『青の回廊』に行って全てを知った人間がいたらそれを伝えて良い、と。あぁ、日記にあった彼がダンジュさんに会いに来たって話はその口止め料としての対価を受け取りに来たんだと」
顔が勝手に難しい顔になる。
「まぁ、どっちにしろ『青の回廊』に入らないことには全部はわからないってことだな」
そうイールが言う。
朝食のスープはもう皿から消え去りそうになっていた。
昨日のスープの味を変えたとイールが言っていたが本当に昨日のものをベースにしたのかと思うくらい別の味の美味しいスープだ。
「あ、そうだ」
イールが何かを思い出したように立ち上がりキッチンから何かを持ってくる。
手にしていたのは掌に収まるくらいの果実だった。
「なんですか、それ?」
「サマルタで買ってきた。皮ごと食べれて食感がシャリシャリしてて美味いぞ」
受け取った果実をエリィは物珍しげに見る。
「あまりこの街では見ないものですね」
「あぁ」
答えながらイールが果実をかじる。
その様子を見てエリィも恐る恐る一口かじった。
「……美味しい」
イールの言う通り食感がシャリシャリしていてほのかな甘味と程よい酸味がちょうど良い。
「今度エリィもあの街に遊びに行ったら良い。大きな市場もあるし美味いもんも多い……シナンさんにレンさんの娘がこの街にいるって言ったら会いたがってたし」
そうなのか、とエリィは思いながら手にした果実を小さくかじり続けた。
エリィはこの街に来てから他の街へ出たことがない。
幼い頃なんて一人で出れるはずもないし、仕事を始めてからはこの街につきっきりになるのが仕事だから出ようにも出れない。
それに父に連れられていた頃はあちらこちら行くのが普通だったが、今一人で街を出るなんて考えただけでできる気がしなかった。
「私に旅は難しいかと」
「ん?あぁ、連れてってやるよ」
あぁそうか、そういう手があるのかとエリィは納得したがイールに返事はしなかった。
「で、ここまでわかったものの問題は鍵がどこにあるのか、ということだ」
イールが口の横をペロリと舐めてから言う。
「シナンさんはご存知なかったんですか?」
「あぁ、ダンジュさんが持ってたんじゃないかって」
その言葉に思わずため息を吐く。
届きそうで届かない『青の回廊』が随分と遠く感じる。
「けどこの街の何処かにはあるんだろうな、ダンジュさんが持っていたんなら。わざわざ無くすようなことはしないだろうし」
最後の果実のかけらを口に放り込みながらエリィはイールの言葉を聞いていた。
「まぁでも……今日は俺も疲れてるし、エリィも仕事休みなら考えるのは明日からにして今日は少し休もう」
言われてみてエリィは初めて気がついた。
そういえばイールは片道2日かかる場所へ行って帰ってきたのだ。
向こうで何があったのかもわからないが疲れているのは当たり前だろう。
なのに昨日も今日も食事を作り平然と話をしている。疲れなんて一切感じさせない表情で。
空になったスープの入っていたお皿を眺めた後、エリィは口を開いた。
「……美味しかったです。ごちそうさまでした」
そう言ってイールの前に置いてあったお皿と自分のお皿を手に取りキッチンへと向かった。
その後はいつも通りお茶の準備を始めた。
蒸らしている間、ぼーっと二つ準備したカップを眺めていた。
(昨日のあれはなんだったんだろう)
ふとイールに抱きしめられたことを思い出した。
前日ほぼ一睡もしていなかったのでその出来事自体気のせいなのかもしれない。
昨日の昼間の仕事の内容を覚えているかと言われたら正直はっきりとは覚えていなかったのだから。
どうであれエリィはイールに聞こうなんて思わなかった。
(気のせいか)
そう思ってポットからお茶をカップに注ぐ。
久しぶりに二つのカップを手に取りテーブルに置くと、イールはすぐにそのカップに手をかけた。
「最初は飲み慣れなかったけど、今はこれが一番だな」
そう笑って言う。
その言葉にエリィは何故だか少し嬉しくなっている自分に気がついていた。
けれどその理由がなんなのかはわからなかった。