24:商人
夕方、少し早いが例の旅人が集まる店に向かった。
予定より商人が早く来て帰ってしまうなんてことがあったら困るからだ。
店の中に入ると旅人だろう人間が沢山いる。
テーブルと椅子の席もあるし、カウンターで立ったまま飲み食いをしている人間も多い。
しばらく居座る可能性があるためイールは店内の端のテーブル席に座って商人が来るのを待つことにした。
店内は飲食店特有の心地よい騒々しさがあった。
ありとあらゆる地方から来ているのだろう旅人たちの服装はそれぞれだ。
見ているだけでも面白い。
しばらくすると見知らぬ人がイールに話しかけてくる。
「旅の方ですよね?」
そう声をかけられ顔を上げると長い黒髪の女性が立っていた。
真鍮の少し大きめのピアスが似合う、小綺麗な顔立ちの人だった。
「あぁ。何か?」
「いえ、折角だから情報交換でもと」
この店は旅人が集まる。そもそも皆、情報交換や人脈作りのために来ている。
もちろん商人と繋がりたくてきている人間もいるがメインは前者だ。
「お邪魔じゃなければ同席しても?」
そう聞かれどうせ商人が来るまでやることはないしと思いイールは許可を与えた。
「こちらに来る前はどちらに?」
「ターランに」
「それじゃあオアシスの街から?」
「いや、ターランにしばらく」
「珍しいですね。何か面白いものでもあるんですか?」
そう聞かれイールは考える。
『青の回廊』や廟の話は至極面白いが話すべきではない。
他に面白いものと言ったら、と。
「迷路のような街自体面白いな。あと……いや、街自体が面白い」
愛想のない案内人という、案内人らしからぬ人がいると言いそうになったが言う必要はないだろうと思い言い止まった。
「そうなんですね。私もそれなら少し滞在してみようかな」
そう目の前の女性はニコニコと愛想良く笑う。
エリィとは正反対だと思い思わず笑ってしまう。
イールが自分に笑ったのかと勘違いしたんだろう、黒髪の女性は他愛のない話をその後もひたすらしてきた。
名前はアヤナ、年齢はイールの一つ下、出身は港もある海の近い街、旅に出た理由は仲良くしていた叔母が旅人でその人について街を出たのが始まり、今日手元に着けているバングルはこの街に来る手前の街で人助けをして譲ってもらったもの。
この街でとっている宿のことやオアシスの街でやりたいこと。
その長い睫毛をはためかせながら喋るラナの話をイールは聞かされ続けた。
エリィにこの愛想と喋りの半分くらい分けてやりたいとは思ったものの、そうしたらそれはエリィじゃなくなる。
愛想よく喋り続けるエリィの姿を想像するとおかしくてたまらなく、またイールは笑ってしまった。
そんな意味もない会話を適当に続けていると、店の入り口の方のざわつきが少し変わる雰囲気がした。
ふと目をやると、商人がやって来たところだ。
「あら、あれが有名なムタファさんと言う方かしら?」
そうラナが言うが、イールはもう彼女に答える必要はない。時間を潰す必要が無くなったからだ。
黙って商人の様子を伺い話しかけるタイミングを見計らうことにした。
商人の周りには彼の財力にあやかりたいと思っている人間が取り巻いている。
彼は一人ずつ話を聞き、興味のない人間だと二、三言葉で話を止め、興味があると暫く話し込む。
今日の雰囲気を見ていると興味があまりない人間が多いのだろう。
次から次へと商人の話し相手が変わる。
残念だ、とでも言いたそうな表情をしたその瞬間、イールは席を立ち上がり商人に近づいた。
同席していたアヤナは急な離席に驚いていたようだが関係のない人間だ、放っておけば良い。
「お久しぶりです」
そうイールが声をかけると恰幅の良い見るからに肌触りの良さそうな衣類を身に纏った商人が顔を向けてくる。
「お前は……イールだったか?」
「はい、覚えていていただけて光栄です」
そう愛想の良い顔でイールは答える。
「なんだ、またたかりに来たか?一度断ったのはお前だからな、そういう人間ともう一度はやらない主義で」
「そうですか。それは残念です。今回は良い商売の話を持って来たんだが……」
「相変わらずそう言う言い方で私の気を惹こうとするんだな。まぁそういう旅人は嫌いじゃない」
商人が笑ってイールに飲み物を勧める。
ちょうど店のカウンターになっている所だ。
あまり長居する気は無いのだろう。勧められた通りイールはこの街でよく飲まれる柑橘が使われた飲み物を頼んだ。
「酒は飲まない主義だって言ってたな」
「あぁ、飲んでも良いことはない」
「変わりもんだな。旅の醍醐味は酒と金と女だろう?」
「いや、もっと面白いものは沢山ある」
「例えばなんだ?」
「……前にあなたが探れと言っていたターランの街とか」
その言葉に商人はなんだと言った風に眉を少し上げる。
「あまりこういう場で話すような内容じゃなくてね。ムタファさん、いや、シナンさんに聞きたいことがあって」
「……相変わらず面白いことを言うな、イール。商人の私ではなく個人としての私に何を聞きたい?」
そうニヤリと笑いながら酒を一口シナンが飲む。
「いや、もう調べられることはないと思ったあの街だが、面白くて暫く滞在していたんだ。そこで小耳に挟んでな」
「何を?」
ニヤリとイールは笑ってシナンの耳元で言う。
「昔、旅人が殺されたって話だ」
その言葉にシナンは意味ありげな笑みを口元に浮かべた後、店主に声をかけ何かを頼んだ。
「お前も物好きだな。あの街に滞在するなんて」
「あぁ、道が面白くて。毎日歩いても飽きない。砂の時期じゃなければ良い街だ」
核心に触れない話を二人で続けているとイールの前に新しい飲み物が置かれた。
「これは?」
「大丈夫、酒は入ってない。ここから少し南の街でとれる果実を使った飲み物だよ。商売を広げられないかと思ってな。味見してみろ」
(何か入れられてるか)
そう少し疑うような目でシナンを見るが彼の前にも同じ飲み物があり彼が先に口をつけた。
それならと思いイールもその飲み物を飲んだ。
甘めの果実だろう。少し口に残る感じがするがそれを抑えるためにさっきまで飲んでいた柑橘を混ぜているのかスッと鼻に抜ける酸味を微かに感じる。
「美味いが、もうちょっとこの残る甘さを消したほうが良い」
そうシナンに言うと彼もそうだなと同意していた。
「イール、立ち話も何だから家にこないか?」
「もちろん」
そう言ってその店をシナンと共に出た。
店を出たところでシナンを迎えに来ていたのであろう、馬車が止まっている。
乗り込むように促されたためイールは迷いなくシナンと共に馬車に乗り込んだ。
(上手くことが進みすぎてる)
そうイールは自分自身を疑うように思う。
足元を掬われないように、と。
馬車が動き出した後、シナンが話しかけてくる。
「前も聞いたかもだがお前は何故旅人に?」
「あぁ、前も聞かれた。答えは前と変わらない。あんまり深い理由はない。面白そうだから、それだけだ」
「変わりもんだな」
そうシナンが笑った後、イールは自分が恐ろしい睡魔のようなものに襲われていることに気がついた。
振り払おうとしてもその感覚は無くならず、意識が後ろへと引っ張られてしまう。
「……やっぱり何か入れていたか」
そうシナンを見て朦朧とする意識の中で言葉を口にすると、彼はニヤリと笑って言った。
「『酒は』入ってないと言った。大丈夫、死にはしない」
ほくそ笑むシナンの顔がイールのぼやけた視界に見えた後、そこからの記憶はなくなった。