02:訳ありな客
その日の夜、いつもの通りにエリィとダンジュは夕食を二人で取り、ダンジュは早々に寝床についた。
最近ダンジュはよく眠る。歳のせいだろうかとは思うがあまりエリィはそのことを考えないようにしている。
この家はリビングと、エリィ、ダンジュのそれぞれの自室と水回りだけの二人で暮らすにはちょうど良い家だ。
家といっても一軒家ではなく一つの大きな建物をいくつかの世帯が使っている、この街ではよくある形の家だ。
ダンジュが眠ってからは外の風の音以外は静かな夜だった。
時折強く吹く風で砂が窓を叩きつけている。
エリィはリビングのテーブルに大きな紙を広げていた。
この街の地図だ。地図と言っても商人が売りにくるようなものではない。
そもそもこの街の地図など必要とする人はほとんどいない。
旅人は地図などなくとも案内人で十分だし、たとえ持っていてもこの街では迷う。
地元の人間はその人間が必要な場所がわかっていれば生活ができる。
ダンジュがざっと書いていたものをエリィが細やかに仕上げたその地図は見るからに迷路のようなものだ。
(こんな時期にどこに行きたいのかしら)
エリィはその地図をそっと撫でるようにしながら道を確かめていく途中、ふっと青い印のついた場所で手が止まる。
「どなた?」
風の音かと思っていた音が玄関を小さくノックする音だと気づいたのだ。
こんな砂の嵐の夜に訪ねてくる人なんて、と思いながら、急いで広げていた地図をたたんだ後に玄関に近づき声をかけると聞き慣れない声が返ってきた。
その声の主を頭の中で探す。
街の人間ではなさそうだ。それにエリィとダンジュの家に訪ねてくるのは親しくしているごく限られた人間だがその人達の声ではない。
けれどもこんな時に街の人間以外が、と思うと今日の旅人しか思いつかなかった。
仕方がなくそっとドアを開けると砂の嵐の中、旅人のうち焦茶の髪の男が目も開けづらそうにして立っていた。
「何か御用でしょうか?明日の朝に、と」
「頼みたいことがある」
そう口に砂が入らぬよう腕で覆い隠しながら男が答える。
「何れにせよこんな嵐です。家に砂も入ってしまうので中へどうぞ」
仕方がなしに、と言った風にエリィはその男を家に入れ、いつもダンジュが座っている椅子へ座るよう勧めた。
「いくつかご確認したいことが。あと同居人がもう床についておりますのでできる限りお静かにお願いしたいと思います。ご用件はその後に」
エリィが淡々と言うと、男はわかったと頷いた。
「まず、この家が何故わかったのか。それからなぜこんな時間にお一人でいらしたのか」
「家がわかった理由は昼間に君の後を歩いていたから。こんな時間に一人で来たのは、頼みたいことに関わるからそれについて話しても良いか?」
面倒そうだ、そう思いながらどうぞとエリィは許可を与えた。
「俺を連れの二人から隠してほしい。この街なら簡単だろう?」
やはり面倒だ。
けれどもエリィは顔色を変えずに答える。
「折角ですが私は案内人です。何でも屋ではないのでお役に立てないかと。他を当たってください」
「ならこう言う頼みなら良いか?あの二人を案内するより前に、俺をこの街の人目のつかない場所へ案内してくれ」
その言葉にエリィは考えを巡らせた。
人を隠すことは案内人の仕事ではないが希望の場所へ案内してくれというのであればそれは案内人の仕事だ。
「……人目のつかない場所と言うと?」
「ここの住民の多くも知らない場所が良い。そう言う場所はあるか?」
「あることはありますよ、こんな街ですから。けれどもそれ相応の……」
「対価は払う」
それならばとエリィはいくつか当てを考えた。人が知らない場所でもエリィはいくつか知っている。
「わかりました。けれどもこの嵐です。外に出るのは得策ではないかと」
「いや、頼みたい」
何故そんなに急くのか、そう聞きたかったがエリィは聞かない。それは案内人の仕事ではないからだ。
エリィが黙って男を見ると彼は口を開いた。
「もちろん対価は払う」
「わかりました。でもこの嵐の中その場所へ行くには少し厳しいものがございます。なので明日の早朝までは近くの別の場所へご案内でもよろしいですか?」
「人が来ない場所か?」
「えぇ」
そう答えるが男は念を押すようにエリィをじっと見てきたので、エリィは小さく頷いた。
それならと男が立ち上がり玄関から出ようとするとエリィはそれを引き止め、自室に一度向かい必要なものを手に取った。
「こちらはあなたへ」
そう男に手渡したのは目の細かい手巾だ。
「なんだこれは」
「そちらの外套の襟の高さでは口元はなかなか隠しづらいかと。少しだけ歩きますので使ってください」
そう言って濃紺の外套を羽織り家の外に出た。
外に出ると砂嵐だ。
目を細め何とかと言った形で目的の場所へ向かう。
目的の場所はエリィの住む建物のちょうど裏側にある、細い路地からさらに一本入った場所だ。天気が良ければすぐそこ、といった場所だが今日の天気ではそこすらも遠く感じる。
時折ちゃんと男が後ろについてきているかを確認しながら暗闇の中その場所へ向かった。
「こちらへどうぞ」
自宅から持ってきていた鍵で扉を開け、男を中へ入るように促す。
その場所に入ると随分と真っ暗だ。
エリィはポケットからマッチを取り出し、壁に設置されているランプに火を灯した。
ぼんやりと浮かび上がったその場所は、人一人が寝泊まりするにはちょうど良いサイズの部屋だった。
「ここは?」
男が聞く。
「普段は使っておりません。旅人が多い時期、宿に入りきらなくなってしまった時にだけ私がお貸ししてる部屋です」
部屋には大きくはないがベッドも置いてあり、定期的に手入れをしているため埃っぽくもない。
「十分だ。礼を言う」
その言葉にエリィは軽く頭を下げその場を後にしようとすると、男が声をかけた。
「何も聞かないのか?」
「何をですか?」
「どうして、と」
「私はただの案内人です。お客様がご希望された場所へと連れて行くだけ。それ以上のことを知る必要はないかと」
「信用できそうだな」
「ありがとうございます。では」
そう言ってエリィはまた砂嵐の中、自宅へと戻る。
(面倒そうだ)
砂嵐の中、一人思う。
やはりこの時期に来る旅人は物好きか訳ありだ。今回は訳ありというところだろう。あまり深く関わると良いことはない。ただ自分の仕事を務めるだけだ。
濃紺の外套に砂を当てながら、夜の誰もいない道を歩いて行った。