18:日常
夜、エリィは一人でダンジュの日記を読んでいた。
イールがいないから泣いても構わない。
1ページずつ、ゆっくりと噛み締めるようにめくっていく。
文章というよりも、短文を並べたメモのような日記だった。
日付もまちまち、気が向いた時に書いていたのだろう。
案内人の仕事のこと、日々の生活のこと、近所の人間のこと、そしてエリィのこと。
その時の彼の思いがそこには書き記されていた。
心に温かなものが流れ込んでくるようだった。
ダンジュの喜びも苦悩も温かな感情も黒い感情もそこには文字として残っていた。
(ダンジュさんの手も冷たかったけど、ちゃんと生きてたんだよなぁ)
そう当たり前のことを思う。
エリィの手に残っていたのはダンジュが死んだ後、冷たくなってしまった彼の手の感覚だ。
生きているうちに温かな彼の手を握っておけばよかった、そうエリィは後悔していた。
ゆっくりとダンジュの心を垣間見るようなその時間は穏やかに流れていった。
けれどもその中でふと手が止まる。
『レンのことで隣町の商人が来た』
エリィの心の中に冷たい風が吹いた。
父を殺した人間はこの街にくる手前の街の商人の関係だ。隣町とはきっとその街のことだろう。
昔の話だ。どうこうしたい訳ではない。
けれどやはり父親を殺した人間のことを考えるとエリィの中の黒いものがジワジワと広がって行く。
いけない、と思いそのままダンジュの日記を読み進めた。
その商人が何故ダンジュの元に来たのかの理由は書いてなかった。
先方が何かしら確認のために来たのか。
手掛かりになるものはなかったが、父親のことはいくつか書いてあった。
『レンのものはエリィに』
『いつまでレンの遊びに付き合わねばならないのか』
『エリィだけ置いて行って、レンは馬鹿者だ』
『あれが宝だと言い張るレンのことは理解できない』
『それに付き合ってる自分も馬鹿だな』
何のことかは分からなかった。
けれど父とダンジュは確実に交流があったことだけはわかった。
案内人と旅人なんて一度きりの付き合いになるなんてことはよくある普通のことだ。
けれどダンジュの日記には何度も父親の名前が出てきていた。
親交があったとはダンジュには聞いていたがその言葉だけではないもう少し深い何かがきっとあった、そう思うには十分だった。
(そういえばお父さんが書いていたもの、どっかにあるのかな)
ふと父親がよく物を書いていたことを思い出した。
イールに渡した首巻きが残っているくらいだ。
もしかしたらと思いダンジュの部屋を漁ることにした。
ダンジュの部屋には本の山、ベッドと机、それから衣類用の引き出しがある。
その引き出しの一番下の段にダンジュはレンのものをしまっていた。
この前の首巻きもここから引っ張り出した物だ。
ダンジュの部屋にあるからあまりちゃんと見たことがなかったが、全部その中身を広げると見たことがあるようなないような、けれどもどれも懐かしさを感じる物たちだった。
もう着れないだろう煤けた外套、腰につけていたポーチ、いつも持っていた荷物を入れる袋。他にもたくさんのものが出てきた。
どれもそのうち処分するものだ。
けれど思わずいくつかのものをまとめてエリィは抱き締めた。
もう10年以上も前のもの。
父親の香りなどするわけがない。
けれど顔を埋めると、もうほとんど記憶に残っていない父親の香りがする気がした。
その香りに満足した後、父親が書いていた何かを探したものの、出てこなかった。
ダンジュの部屋の本に紛れているかと思い本が積まれている場所を見渡すと前に見た時よりも置き方が変わっている。
一つの山ごと題名を見ていくと、以前イールが言っていた大きく三つの分類に分かれていた。
きっとイールが本を読む前にと分けたのだろう。
けれどももしその中で父が書いていたものがあればイールのことだ。
きっと気づいてエリィに言ってくるはずだ。
何も言わなかったということはなかったのだろう。
そもそも父のもの全てが残っているわけではない。たまたまどこかへなくなってしまったのだろうと思い、エリィは引き出しから引っ張り出したものを綺麗に片付け元に戻した。
ダンジュの部屋からリビングに戻りエリィはまたダンジュの日記を読み始めた。
雨の少ないこの街なのに、なんだかその日は随分としっとりと感じる夜だった。
***
翌日、いつものように朝食を取りに来ていたイールに昨日読んだダンジュの日記のことを話していた。
「ダンジュさんはレンさんの何かに付き合わされていた、ということは確かだな……」
「ええ、しかも死後も尚」
「『レンのことで隣町の商人が来た』っていうのは気になるな。きっとあの商人だろう」
「……ええ」
エリィの顔に影が刺す。
その様子に気づいてかイールが少し明るめの声で言う。
「これだけじゃ何が何だかわからないな。けどレンさんは何かを宝だと言っていた。それが何かは気になるな」
「……ダンジュさんからしたら宝ではなさそうですけれど」
朝食のスープを口に運びながら考えるが何も思い当たらない。
あまりのんびりしていると今日は午前から案内人の仕事がある。
はっとしていつも通り食事を進めようとスプーンを動かす速さを早めた。
「私今日は一日仕事なので。地図は持ち出さないでくださいね。あと、私の部屋には絶対入らないでくださいよ」
そういつもの調子で言うと、イールはわかってると笑って答えた。
その笑顔に本当にわかっているのかと相変わらずムッとするものの、エリィはどこかその「いつも通り」に安心する自分がいることに気づいていた。
(非日常なはずだったのに)
イールと過ごす朝の時間が当たり前になっていた。
これが日常になるなんておかしなことだと思いつつその安心感に少しの間ぼんやりとしてしまった。
けれどふと時間を確認するともうろそろ出かけなければならない。
「わ!まずい!!」
そう言ってカップのお茶を大きく一口飲んで外に出かける最後の準備をする。
「片付けはやっとくから、気をつけろよ」
そうイールが言う。
我が家の如く言う彼にまた少しムッとしてしまうが今は仕方がない。
「じゃあお願いします」
エリィは急いで家を出た。




