17:散策と育ての親
「悪いけど、この地図今日外に持ち出しても?」
イールがエリィの商売道具を手にして言う。
「……わかりました。けど私がいない時は持ち出さないでくださいね」
「わかってる、今日だけだ」
イールを残りの3つの廟に連れて行く日、彼はその地図を手に外に出た。
(地図がなくても案内できるのに)
そうは思ったものの何か見たいものがあるのか。
仕方がないのでエリィは口を閉ざしていた。
「先に北の廟に向かいます」
そう言って慣れた足取りでエリィはその場所へ向かう。
この廟は今まで行った二つよりも更にわかりづらい道だ。
地下のような場所に入ったと思ったら外に出る、ということを2回ほど繰り返し、気づけば建物の2階ほどの高さ、丘の上のほうにあるので完全ではないが街が見下ろせる程度の場所にある。
「前の2つもすごいが、ここは更にだな」
そうイールが言う。
相変わらず廟に入ってからは手帳を開き何かを書き留めている。
けれど今日はそれに加えて地図と窓の外を見ながら何かを確認しているようだった。
「何かあるんですか?……窓の外を」
「あぁ……いや、五芒星を描いているのなら建物の向きもそうだろうとは思って……」
何かを考えながら話しているようだ。
あまり声をかけない方が良いかと思いエリィは一人祭壇のような場所を眺めていた。
相変わらず綺麗な色と文様だ。
幾何学模様と、流れるような模様が混ざり合った祭壇。花の様な文様もある。
いつ見てもエリィの目を奪う。
「エリィ、回廊はあの辺りか?」
そう背中に声が聞こえたので振り返るとイールが祭壇のある部屋の窓の外を向いて指差していた。
「えぇ。地図お借りしても?」
イールから地図を受け取り彼が指している方向とその辺りの地図を確認する。
「ちょうどあの二つ同じような建物がある少し西側です。まぁ見えはしませんけれど」
「見えない?」
「ええ、『青の回廊』の場所は半地下のような場所になっていたはずです。入口も半地下で周りの建物に埋もれて見えない」
「中は暗いのか?」
「いいえ、私の記憶の中では明るかったです。自然の光で明るくて……けれどもう10年以上も前の話なので定かではないですけどね」
「入口は?普通の扉か?」
昨日話したからかもう全てを聞いてくるだろうし答えないほうが勝手に行動される原因にもなりかねない。
仕方がなくエリィはイールの質問に答えていった。
「扉です。扉の前にまでなら以前ダンジュさんとも行ったことがあります。鍵がかかっていて、木の扉なんですが蹴破るなどできそうもない重いものでした」
「……その扉の前にまでなら俺も行っても?」
「それは……」
どうしようとエリィは考えるが答えが出ない。
近づけるなとは言われているが扉の前までならここに来るまでと同じような道で『青の回廊』ではない。
けれどその扉を含めてその場所だと言われたらそうなのだからと悩んでしまう。
何よりエリィももう一度行きたいとは思っているが行けない理由が別にある。
「……考えさせてください」
そう言うとイールはふっと笑ってエリィを見た。
「エリィを悩ませるために言った訳じゃないから無理なら無理でいい……次の廟に連れて行ってくれるか?」
その言葉に少しだけ安堵し、わかりましたと言った後、街の南東にある廟へと向かった。
***
「どこもかしこも同じような廟だな」
廟の様子を確認しながらイールが言う。
「ええ、来るまでの道と建物の向きが違うだけで他はほとんど変わらないんです」
「建物の向きは全て『青の回廊』に向いている、と」
そうイールが言いながら地図を確認する。
「……ほんの少しだけずれてる感じもするが…まぁ誤差か」
そう言って手に持っていた万年筆を地図の上に置き、廟の位置を確かめている。
「にしても、こんな廟なのに中に何もないっていうのも不思議なもんだな」
言われてみればそうだ、とエリィは思った。
入り口から入った一間と奥の祭壇のある部屋。
それ以外は何もない。
置いてあるものもなく、まるで全て綺麗に片付けられたような場所だ。
窓際のベンチのような場所も建物自体に備え付けられたもので物として置いてあるわけではない。
「最後の南西の廟も同じか?」
「ええ、これまでの場所と中は何ら変わりはありません」
「初めてここにきたのはいつだ?」
「ダンジュさんと……いえ、それより前……?そんなことないか……。多分ですが私が10歳頃が初めてかと」
「その頃からここには何もなかった」
「ええ、覚えている限りでは」
「不自然っちゃ不自然だな、何かを祀る場所ならそれ相応に何かしらそのためのものがあっても良いとは思うんだが……」
イールが顎に手をやり考えている。
その様子を見ながらエリィは自分の記憶の引っ掛かりを解こうとしていた。
初めて廟に来た時のことだ。
ダンジュに連れてこられたのが初めてだとは思うが、何故かそうだと言い切れない感覚が自分の中にあったからだ。
(まさかお父さんと……?)
可能性としてはゼロではない。
『青の回廊』に連れて行かれたくらいだ。それに関係のある廟に連れてこられていてもおかしくはない。
けれど来たという確証もない。
なんとなくもやもやしたものだけがエリィの中に残った。
その後は南西の廟にイールを案内し自宅へと戻った。
***
いつものリビングのテーブルにイールと向かい合って座る。
もちろんカップにはお茶を用意した。
「場所の確認ができたのは良かったが流石にそこから何かってわけはなさそうだな……」
地図を見ながらイールが言うが、エリィの頭の中は南東の廟に行った時のもやもやに満たされていた。
「……何か考え事か?」
カップを口元に止めながらイールがエリィに聞いてくる。
「いえ、初めて廟に行ったのがいつかと聞かれた時に何となくひっかかりがあって……」
「ダンジュさんとではないかも、と?」
「はい。父と行ったのかもとは思ったんですが確証もなく……」
そう言いながら彼の目の前に置いてある手帳と万年筆に目を向けた。
「私も幼い頃から何かしら記録でもつけておけばよかったかもしれないですね」
今更の話だ。しかも父親のレンが生きていた頃まだエリィは6歳だ。つけられるはずもないものの、そんなたらればを考えるくらいもやもやしていた。
「……エリィ、あれ読んだのか?ダンジュさんの日記のような」
「え?あぁ、まだ手をつけていませんが」
「どのくらい前からの記録があるかわからないけど、もし初めてエリィを連れて行ったのがダンジュさんなら何かしら残してるんじゃないか?」
なるほどと思いすぐに立ち上がってダンジュの部屋から一冊のそれらしいものを手に取った。
てっきりイールの持つ手帳ほどのものかと思ったら随分と厚くて重い。
何年分かわからないが古いことも記録されているかもしれない。
1ページ目を開く。
新しく書き始めたということだけが書いてあった。
新しいものを使い始めること特有のあの期待感と嬉しさが伝わってくるようだ。
人の日記を読むという少しいけないことをしている気分にもなるがいなくなってしまった人のものだから仕方がない。
2ページ目を開く。
日付が書いてあった。
「ちょうど10年前からのものですね」
中身を見ていないイールにわかるように言葉にする。
「じゃあエリィはもうダンジュさんと一緒にいたということか……初めて廟に行ったのは10歳ごろと言っていたからその頃のものは?」
そうイールの声が聞こえたが、久しぶりに見るダンジュの文字、そして他愛のない内容に思わず笑みが溢れる。
「ふふっ、サレナの実がなくなったなんて書いてる。買って来れば良いのに」
読み進めているとエリィのことも沢山書いてあった。
街で迷子になったこと、階段から転げ落ちたこと、その日よく食べたもの、面倒見きれないとため息が聞こえてくるような言葉。
読めば読むほど、ダンジュの暮らしの中にエリィがいたことが伝わってきた。
少しひねくれていたところのあったダンジュだが、日記から読み取れる彼はどれほどエリィのことを気にかけていたのかがわかるものだった。
気づけばエリィの視界が滲んでいる。
思わず溢れそうになっていた涙を手で拭った。
「……寂しいか?」
「いえ……寂しいというより、赤の他人をよくここまで育ててくれたなって……」
「……そうだな」
イールが微笑む。
涙が溢れないようにキュッと目に力を入れその日記を読み進めて行った。
全部を細かに読むのはイールの前ではやめた方がよさそうだ。
ペラペラとページをめくりながら読み進めていくとふと目に飛び込んでくる言葉があった。
「何これ……どういう意味……」
「どうした?」
目線を本からチラリとイールに向ける。
ダンジュの日記を彼に見せて良いものか考えたものの、何かの手がかりになるかもしれない。
心の中でダンジュに謝った後、イールにそれを見せた。
「『レンの馬鹿には付き合いきれない』って……どういうことだ?」
前後の文章を読んでもそれらしいことは書いていない。
なんなら今日の天気なんてことを書いているくらいだ。そんなことどうでも良いからもっと大事なことを書いてくれと言いたくなるようなものだった。
「他にレンさんのことを書いてある箇所は?」
そう言われペラペラとめくって行くが量が多い。
「今すぐ見つけられるか……少し今日読んでみます。何かわかったらお伝えしますので」
生きている人間が日記の中に出てくるのなら理解できるが死んだ人間に対してあたかも今も馬鹿をやっているかのように書いてあるその文章は不思議だった。
レンが死んだのはエリィが6歳、13年前だ。けれどその日付は10年前のものだった。
とりあえずそのページから目を進め、自分がダンジュと初めて廟に行っただろう頃の日記を読み始めた。
「あ……私を廟に連れて行った時のことは書いてありましたけど……私が初めて行ったかどうかは書いてないですね」
「そうか……」
イールの眉間に薄く皺が入る。
その後少しの間その日記に目を通したものの特段手がかりになるようなものはなかった。
その日は夕方にはイールは部屋に戻って行った。




