14:夕食
「じゃあ私出かけますので。私の部屋には絶対に入らないでくださいよ?」
そうイールに釘を刺す。
「わかったって。何度言ったら気が済む?そんなに信用できないのか?」
「はい」
そう答えるとイールはまた笑う。
何故笑うのか相変わらずわからない。
「……とにかく、入らないでくださいね。では」
そう言って玄関の外に出た。
(あぁ、本当に大丈夫かな……)
イールを二つ目の廟に連れて行った後、エリィが廟や『青の回廊』に関わることがないかダンジュの本を読んでいると言うことだけは伝えた。
何のためにとは言わなかったが、イールはそれを聞くなり自分にも読ませてくれと頼んできたのだ。
穀潰しには仕事を、結局色々と考えた結果ダンジュの本を読む許可を彼に与えた。
もちろん何か気づいたことがあったら絶対に伝えることを約束させて。
残りの廟の場所を教えるかどうかはしばらく彼の様子を見てからにしようと思っている。
いつもリビングに置いてある商売道具の地図も自室へと仕舞い込んできた。
心配は残るものの一度決めてしまったのだから仕方がない。
腹を括るしかない。
今日は朝から客が何人かいる。
忙しくなる予感しかしないので気合を入れて客の泊まる宿へと向かって行った。
朝一番の客は旅人だった。
オアシスの街に行く前にここに寄って少しばかり残るこの街の古い城の跡などを見たいと言うことで案内した。
その次の客は観光客寄りの三人組だ。
どちらかと言えば街中を楽しむようなコースを案内し、夕食前まで行動を共にした。こう言う客は金払いが良いので助かる。
最後の客はオアシスの街から来た人間だった。最近商売を始めたばかりの商人のはしりだと言っていた。この街にもそのうち商人として来たいらしく街の商店や飲食店、地元の人たちの衣食住を知りたいとのことで満遍なく街を案内した。こんな時間帯に頼んできたのは店を閉めた後の商店の店主たちと話をしたいとのことで確かにその人は行く先々でいろんな人と話をしていた。
そんなこんなをしていると気づけば夜だ。
仕事が終わった時にはいくら慣れているエリィとはいえ、足が棒になり体もぐったりしていた。
何よりも歩く距離がすごいことになるからだ。
路地だけならまだしも丘のような斜面に作られたこの街は階段が多い。
登ったり降りたりを一日中続けているようなものだ。
そういえば気候の良い時期の繁忙期はいつもこうだったと思い家路に着く。
夕食はどこかで食べて帰ろうかと考えていたがそれすらももう面倒になり大人しく自宅に帰ることにした。
(まだいるのか)
自宅の小さな窓から見える灯りを見てそう思いつつ玄関を開けるとイールは本を読んでいた。
「お帰り」
「……あなたの家じゃないですからね」
1日の疲れに追い討ちをかけるようなイールの言葉にうんざりする。
ため息を吐きかけた時、イールの言葉にそれは阻まれた。
「夕食、食べてなかったら」
何のことかと思いイールを見るとキッチンを指差しているのでその先に目をやると、いつも使っている鍋にレードルが入っている。
何だろうと思いその蓋を開けると煮込んだ料理が入っていた。
この町でよく食べられる様なスパイスを効かせたものよりも柔らかな香りがする。
「これ……あなたが?」
「あぁ、キッチンと調味料は借りた」
勝手なことをと思ったものの今日の疲労はそれ以上だった。
「……いただきます」
もごもごとイールに伝わるかどうかの声で言った後、火にかけ温め直し皿によそった。良い香りだ。
リビングのテーブル、向かいには本を読んでいるイールがいる前でそれを口に運んだ。
(美味しい)
疲れて帰宅した時に夕食が準備されている幸福を初めて知った気がした。
ダンジュと住んでいる時の繁忙期は基本的に夕食は別にしてもらっていた。
食べて帰ることや買ってきて帰ること、本当に面倒な時は何も食べずに寝るなんて当たり前のようにしていたのだ。
思わずエリィは口を開いた。
「……お料理できるんですね」
「まぁ適当にしか作れないけど」
本を読んだままイールが答える。
「……美味しいです」
そう言うとチラッと本から視線をエリィに移してイールは微笑む。
「そりゃ良かった」
「……何か収穫はありましたか?」
「いや、今日のところはまだだな。まぁ気長にやるよ」
気長にやられると居座られる時間が伸びるのだからさっさとやってくれと言いたいが、目の前の料理とその言葉が天秤にかけられてしまう。
仕方がなしにエリィは無言で目の前の料理をまた口に運んだ。
スープの色は透き通っているのに味が染み込んでおり、具材は食べやすい大きさに切られている。適当に、と言う彼の言葉とは随分かけ離れた料理だ。
「育ての親という方は随分と沢山の本を」
「ええ。ほとんど彼の部屋に仕舞い込んでいるから私が目にすることがあまりなくて。いなくなってから読むなんて今更ですけどね」
食事を続けながらイールに答える。
「ざっと本の題名を見てると大きく三つだな。古の時代に関するもの、哲学的なもの、それから個人の趣味なのか?伝記だったり人の生涯を書き記したようなもの。もちろん他にもたくさんあるけれど」
その言葉を表情にこそ出さないが、エリィは感心しながら聞いていた。
自分はとりあえず手当たり次第に読み始めていたのでどんな本が多いかなんて見ようとも思ってなかった。
「それで?どこから?」
「とりあえずは古の時代のものから当たってる。廟はそういう時代からあるものだろう?」
「ええ、恐らく」
「まぁでも相変わらずその時代に関するものは読みづらいな。言葉の使い方が固いものが多くて……」
そう言いながら本をテーブルに置き、ひとつ大きな伸びをイールがする。
エリィは自分の手元を見ると食べていた煮込み料理はもうあと一口だ。気づけばぺろりと食べてしまった。
最後の一口を頬張って、お茶でも淹れようと立ち上がりお湯を沸かしながらイールと話を続けた。
美味しい料理にいつもよりほんの少し饒舌になっている自分にエリィは気づいていなかった。
「エリィは読み書きはレンさんに?」
「ええ。けど育ての親……ダンジュさんという方ですがその方にも」
「そうか。……前から思ってたけど、父親が二人もいるようで少し羨ましいな」
ポットに茶葉を入れながら背中でイールの声を聞く。
「まぁ母親を知らない分、ですかね」
「母親のことは何も?」
「父から話を聞いていた程度です。話の中の人物なので本当かわかりませんけど、まぁ父がいたと言っていたから信じるしかないですからね」
コポコポとお湯をポットに注ぎ入れるとやんわりと茶葉が開いていく。
その様子を見ていると心が落ち着くが蒸らさなければならない。蓋を閉めしばらくその場でぼーっと立ったままエリィは話を続けた。
「それに父とは髪の色が違いました。私の髪色は母親譲りと言われてましたので、きっといたんだろうなと」
「あぁ、確かにレンさんの髪は栗色だったな」
程よいタイミングでポットからカップにお茶を注ぐ。
無意識に二つ準備していることに気づきエリィはイールに気づかれない程度に自分に向けて小さく呆れて笑った。
もう来客用のカップは使っていない。
毎朝来客用のカップとソーサーを出すのも片付けるのも面倒だし、何よりもイールは来客ではなく穀潰しだ。
もてなす必要はもはやないだろうという小さな当て付けのような気持ちも入っていた。
コトンとイールの目の前にカップを置くと彼は礼を言って一口口に含んだ。
もうここのお茶の味にも慣れた頃だろう。
椅子に座り両手でカップを包み込むようにして喉を潤す。
肩の力が抜けていく感覚がして気持ちが良かった。
「随分お疲れだな」
「一日中階段上り下りですから。代わりにやりますか?」
お金にならない客がいるのだ。少しだけ嫌味を込めて言って見せる。
「でも好きなんだろう?その仕事」
そう言われたら何も言えない。
そうなのだ。街歩きは好きだしたまに目の前にいるような面倒な客もいるが基本的に色んなタイプの人間と出会えるこの仕事は楽しい。自ら親交を深めるようなことは得意ではないが、こういう人もいるのだなと思いながら客と接するのは楽しいのだ。
「まぁ……そうですけど」
そう居心地悪く答えると、イールはふっと笑ってまた一口お茶を飲んでいた。
食後のお茶をゆっくりと飲み終わった頃にイールは部屋に戻ると言って立ち上がった。
「じゃあまた明日。おやすみ」
「……はい」
そう言って玄関をパタリと閉めた。
彼を見送りまたリビングの椅子に座り冷めてしまっているお茶の残りで喉を潤す。
イールがいなくなった部屋は随分静かだ。
本来ならばこれが当たり前なはずだが、ダンジュと入れ替わるように彼がこの家に出入りするようになったためこの静けさが不思議に感じるくらいだった。
(明日も仕事たくさん入ってるからな)
そう思ってさっと部屋を片付けベッドに潜り込むことにした。