11:面倒な客
イールが言っていた5日後を迎えた朝だ。
いつものように朝食を取り片付け終えていた。
外に出る準備を済ませお茶を飲みながらダンジュの部屋から拝借した本を読んでいる時に彼はやってきた。
「おはようございます」
そう普段客にするのと同じように挨拶をしてイールを出迎えると、彼は笑って挨拶を返してきた。
面倒だが客だ。それにこの依頼はエリィが彼から受ける最後のものだろう。
「じゃ、頼んでいた通りよろしくな」
「はい」
そう答え、二人でダンジュも眠る街の東の外れの墓地へと向かった。
ダンジュの葬儀が終わってから初めてここに来る。
流石に父のところにだけ行くと言うのは気が引けるので墓地の手前にあるダンジュの墓に寄ってからにしたい。
イールと一緒にいるものの彼は先日ダンジュの墓に来たことがあるし、エリィの状況も知っている。
「すみませんが先に育ての親のところに寄らせていただいても?」
「あぁ、構わない。……一応言っておくがこの前の花は俺の手持ちからだから安心しろ」
隣を歩くイールの浅いグレーの瞳を見上げる。
「お気遣いありがとうございます」
「例の商人と話をしてきた。何もわかることがないからこれ以上は調べられない、資金援助も断るって」
「そうですか」
だからなんだ、と言いたいがもうあまり関係のないことだろう。エリィは特に感情は込めずに答えた。
「けど、俺は『青の回廊』のこと諦めてはないからな」
感情を込めていなかったエリィに対し、イールが笑って言葉を続けたため、エリィは心の中で大きなため息をついた。
レンの娘ということがわかったからなのか先日よりも人懐こい顔で話してきている気がする。
ダンジュの墓に手を合わせた後、父の墓に向かった。
ダンジュのそれよりも丘の少し低い位置にあるその墓碑にはちゃんと父の名前が刻まれている。ダンジュが全て手配し作ってくれた墓だった。
何故ただの旅人一人のためにそこまでしてくれたのかはわからない。
何度か聞いたことはあったが「彼とは親しくしていた」それだけしか答えてくれなかった。
父の墓の前で止まると、イールはしゃがんで手を合わせていた。
エリィも隣にしゃがみ手を合わせた。
砂の風の時期などあるのかと思わせるような柔らかな風が流れて行く。
「レンさんもびっくりだろうな。俺とエリィがこうして会うことになるなんて……でも……なんで殺された?」
二人ともしゃがんだままでいた。
目をイールにやると悔しそうな表情だ。自分の親でもないのにどうしてそんな顔が浮かぶのかエリィは不思議に思った。
エリィの方がよっぽど他人事のように思っている気すら感じてしまうものだ。
「わかりません。けど……一応言っておきますが仇を、なんてこと私は思ってもいませんし父もきっと望んでいません。だからあなたもご理解いただけると助かります」
そう彼の腰についた短刀をチラリと見ながら言う。
旅人は大体持っているものだ。
「……わかってる。元々これは護身用だ。何もなければ使わない」
そう言ってイールが立ち上がり、その言葉に少しだけ安心してエリィも立ち上がった。
「連れてきてくれてありがとう。礼を言う。あともう一つ依頼が」
「まだあるんですか?」
ここに連れてくることがイールからの最後の依頼かと思っていたが、まだあるのかと思わず呆れた声で答えてしまう。
「まぁそう言うなって。エリィも知ってるように俺は資金源が無くなった。手持ちはなくはないが限度がある。けれどこの街にしばらく滞在したい。宿は今とってないしこれから旅人が多くなる時期だ。値段が上がる」
「野宿でもすれば良いのでは?私も父に連れられていた頃はしょっちゅうでしたけど」
イールはその言葉に笑って答えた。
「それもありかもな。けど良い場所を思いついたんだ。最初に、砂の嵐の日に案内してくれたエリィが持ってるあの部屋、しばらく貸してくれないか?」
「私は慈善活動をしているわけではなく商売としてやってますのでお代はいただきます」
「出世払いでな」
「旅人の出世なんて聞いたことがありません」
そう言うとハハッとイールが笑った。
「レンさんなら頷いてくれるんだろうけどな」
そう彼が父の墓を向いて微笑むので思わずエリィの眉間に皺が寄る。
父親を盾にされた気分だ。
「……私と父は違います」
けれども言葉とは裏腹に頭に浮かんでいたのは父親の朗らかで懐の広い姿だった。
その姿が頭から離れなかった。
ダンジュと暮らしていた時はたまに思い出す程度だった記憶の彼方にいた父親が、急にエリィに近づいてくる様だった。
(何でこんな時に……)
エリィの眉間の皺が深くなる。
そしてまた思い出してしまう。
父と旅をしていた時に、見ず知らずの人が空いた部屋を貸してくれたことを。
エリィはため息を吐く。
「あぁ、もう……本当、面倒な客!!わかりました。貸します。いつかお代は寸分違わずいただきますからね!」
そう不機嫌に言い放つとイールはニッと白い歯を見せて笑った。
***
翌朝、イールが使っている部屋にエリィは向かっていた。
天気が良ければすぐそこの距離だ。
(稼ぎにならないのに、何やってるんだろ)
自分のことながら呆れてしまう。
手には簡単な朝食を入れたカゴを持っていた。
父親のせいだ、とエリィは思う。
父がイールを旅人になんてさせないで、夢なんて見せないでくれたならこんなことにもならなかったのに、とちょっとだけ自分の父親ながらも恨めしく思った。
けれどエリィはそれと同時に思っていた。
(まぁお父さんらしいっちゃらしいか)
正直もう消えゆく記憶の中のものだ。細かなことは覚えていないが、どこに連れて行かれても父親は人当たり良く行く先々で色んな人と仲良くなっていた覚えがある。
そんな父親が少年一人に夢を見させるなんて簡単なことだったのだろう。
扉をノックするとイールの声が聞こえた。
「おはようございます。朝食を」
淡々と言ったエリィの言葉にイールが驚く様子をした。
「そこまでやってくれるとは思っていなかったけれど」
「前にもお伝えした通りここを貸す時は朝食をお出ししてます。もちろんお代はこれ込みですけどね」
物が書けるようなさほど大きくはない机にイールはあの手帳のような物を開き、何かを書いている途中だったようだ。
もちろん手にしていたのはあの父の万年筆だ。
(左利きだったのか)
少しの違和感を感じ、その万年筆を握る手を見ると左手だ。
「……そんなに何を書くことがあるんですか?」
「行った場所や道はもちろんだけど、まぁ日記みたいなところもあるな……今日の日付で愛想のないレンさんの娘が朝食を持ってきてくれたとでも書いとこうか」
そうふざけてイールが言うのでジトッとした目で思わず彼を見てしまう。
「じゃあ私はこれで」
そう言って踵を返し部屋から出ることにした。
背中にイールの笑い声が聞こえたが振り返る必要はないだろう。
今日はすでに街の宿から連絡があり客がいる。こちらのほうが稼げるのだからイールのような人間は放っておけば良い、そう思って足早に一度家に寄ってから街の宿の一つに向かうことにした。
宿に行くと男女二人組の旅人だった。
けれど旅人というよりは観光客のような二人で、この街の迷路のような道を楽しみたい、有名な食事を楽しみたいと言ったよくある簡単な仕事だった。
「エリィさんはずっとこの街でお仕事を?」
そう二人組のうちの女性が聞いてくる。ちゃんと名前を覚えてくれたらしい。
「ええ、幼い頃にこの街に親と一緒に来て。それからずっとここです」
「大変だろう?こういう街は。砂の時期はほとんど物流も止まるだろうし」
「はい、けれどここはここで楽しい場所ですよ。毎日迷路で遊べるような街ですからね」
そう営業用の笑顔を彼らに向けると二人はそれは確かに楽しいかもなと言っていた。
男女二人組ならエリィも絡まれることはない。それに観光客には愛想を振りまいておいた方が金払いが良いのをエリィは知っている。
二人の迷路が楽しそうという言葉に、ちょっとだけ本当に迷路のような路地にまで連れていき歩いたら、宿に戻る頃は随分とぐったりとしてしまった様子だった。
申し訳ないことをしたなとは思ったが良かれと思ってやったことだ、仕方がない。
その日の仕事を終えた夜、一人でお茶を淹れダンジュの部屋から拝借した本を読んでいた。ここ最近のエリィの日課だ。
そうしていると玄関をノックする音が聞こえる。
(彼か?)
そう思うくらいにはなんとなく勘が効くようになってしまった自分自身に、エリィは心の中で渇いた笑いを当てた。
「何か御用ですか?」
扉を開けると想像通りイールが立っていた。
「これを返しに」
そう言って差し出してきたのは朝食を持って行った時のカゴだった。
「あぁ、ありがとうございます。明日からは扉にでもかけておいていただければ大丈夫ですので」
そう事務的に言って扉を閉めようとすると彼はまだ話し続けた。
「美味かった。また明日もよろしくな」
「……あまり態度が大きくなるようなら追い出しますからね」
そう言うとイールはもう見慣れはじめた笑顔を向けて部屋に戻って行った。
(やっぱりお父さんのせいだ)
空には星が煌めいていた。
二つの月が明るく並ぶ夜だった。