物語の始まり
『あんたなんて産まなきゃよかった』
重苦しく纏わりつく空気の中、頭の中に響くように聞こえる声は否定の言葉。悔しい、苦しい、悲しいという感情はなく、ただただそこにあるのはなぜか納得だった。
『それが常識だし、普通だよ』
まるで沈んでいくように重い身体。頭の中に響くのは拒絶の言葉。黒く、淀んだ水中にいるかのように、もがいてももがいても身体が浮いていく事はなく沈んでいく。どこまでも……どこまでも……。恐怖、憎悪、悲壮。そのどれでもなく、もがくことを諦めたとき、何故か安堵していた。
どこまでも続く青空の下、円状に配置された石の中央に横たわる二人の男女がいた。まるで示し合わせたかのように上体をほぼ同時に起こした二人は、お互いを指さし開口一番訊ねた。
「君は」「あなたは」
「「誰?」」
お互いにきょとんとしながら考える素振りをすると、首を傾げながら自分自身を指さし訊ねる。
「俺は」「私は」
「「誰だっけ?」」
一瞬時の止まったかのような静寂が流れるが、いつのまにか、お互いに肩を揺らしながら笑い合っていた。
「俺に聞かれても困る」
「あら、私にも聞かれたって困るわ」
お互いに黒髪黒目、言葉が通じることから日本人であろうことはわかる。自分自身のことがわからず、どこにいるのかもわからない状況で、妙なシンパシーを感じた二人は、むしろ一人でないことに安心感すら覚えていた。
『おっと、もう打ち解けたのかい。遅れてしまったから殺し合いでもしていないか心配したよ』
いつの間にか現れた子供が、妙にエコーがかったような頭に響く声で二人に話しかける。
「いや、殺し合いとか物騒なこと初対面でするか?」
「どこの世界感なのよそれ」
『ん~? 話しは殺し合ってからだとか、相手を屈服させてからだとか割とよくあると思うけど?』
「どこの世紀末だよそれ!」
「なんだかヒャッハーって普段から言ってる人がはびこってそうね」
少年とも少女とも言えない容姿の子供が、これまたどっちとも言えない声色で語り掛ける内容にしては、些か物騒である。二人の男女の反応を見て、満足そうに子供は笑顔で頷いた。
『まっ、そうゆう感性だからここに呼んだんだけどね。大丈夫そうでよかったよかった』
「呼んだ? ってことはこの状況を引き起こした張本人ってことか」
「いい加減、状況を説明して欲しいんだけど」
『あはは、ごめんごめん。ほんとは起きてすぐ説明するつもりだったんだ。君たちは僕の世界に招かれました。この世界でまぁ……好きなように生きて欲しい』
少し間を開けた言い回しに、女性のほうがすかさず問いただす。
「それ、理由になってないよ? どうして招かれて、この世界? で生きて行かないといけないの?」
「名前すら思い出せない状況で、招いた。好きに生きろって言われてもな」
男性も同意すると、子供は困ったように笑いながら、言葉をつづけた。
『この世界は悪い方向へ向かっているんだ。僕は神なんだけど、直接関与はできないからね。ライトワーカーっていうのかな。神の使いとして君たちにこの世界に影響を与えて欲しい』
「さらっと神って言ったけど……。普通に話してていいのか?」
『あぁ、わりとフランクなほうだって言われるからそのままで平気だよ。むしろ呼びつけておいて控えおろーってのもね』
「えっと、世界に影響を与えて欲しいっていうのに、好きに生きればいいの?」
やれやれとったジェスチャーを交えつつ、自称神の子供は気軽な態度を崩さない。毒気を抜かれたように女性が質問を重ねる。
『悪い方向っていうのも僕の考えだからね。先入観を与えないように言葉にはしないよ。君たちが感じたこと、思ったことが大切なんだ。記憶はともかく、知識や倫理観は君たちのもっていたそのままだから、それに従って生きてくれればいいよ。それがこの世界にいい影響を与えると思ってるだけだから』
「ふぅん。色々とふに落ちないけど、選択肢はないのよね」
「半強制っちゃ半強制なんだよなぁ。記憶もない以上どうしようもないし」
男女の言葉に本当に申し訳ないという表情をし、神は深々と頭を下げた。
『君たちには申し訳ないと思っている。ただ、これだけはわかって欲しい。君たちは望まれてこの世界に来た。僕には、君たちの力が必要なんだ』
神だという存在がたかが人間である自分たちに、深々と頭を下げたことに驚きつつ、望まれて、という言葉が不思議なぐらい心に響いた。
「まぁ、よくわからないから、わかるように少しやってみようかな」
「そうね。傲慢な神様だったならともかく、お願いされちゃぁね」
『ありがとう。教会へ行けば僕にまた会えるから、その時にまた話をしよう。顕現できる時間ももうあまりないから』
「っと、そういえば名前!」
「記憶になくても教えてくれもいいんじゃないの? 困るんだけど……」
神は少し考える素振りを見せると、にっと人好きのする笑みを浮かべて言った。
『始まりの人である二人に相応しい名前として、君はアダム、そして君をイヴと名付けよう』
「おいおい」
「それって……」
知識だけは残る二人はその名に聞き覚えがあり訂正を試みるが、いつの間にか神と名乗る子供は姿を消しており、困惑する二人が残されるのだった。