NoWhere(3)
朝――無意味な一日の始まりを告げる空の明るみ/細波のようにして絶えず引いては寄せる再生=既に日常の一部と化した苦痛。
散らかされた部屋/最低限の生活を送るための水・薬・適当な食物が散乱するリビング/生活感の希薄な一室。
閃光/銃声――怒号・すすり泣く声・喚き散らす戦友の断末魔/ある夏の日の思い出――血液に流れ込んでいくヘロインがほんの少しの幸福とともに記憶を薄めていく。
音――ベルの音=客の来訪を告げるもの/昨日の不愉快なひと時を思い出そうとする――思い出せない/ヘロインの酩酊が記憶を攪拌する。
「――こんにちは、テイラー・ハリス」
声――聴き慣れた、懐かしい、過去の声=ロレッタ・キングストン。
過去が襲ってくる――「帰ってきたら結婚しよう」というありふれたプロポーズ/女子供の背中を撃つ/はにかみながら、とびきりの笑顔を見せるガールフレンド/誰が敵か民間人かわからない状況/確かめあうようなキス/撃ち殺された死骸を見てこみ上げてきた何かを飲み干す――記憶の攪拌/耐えがたい頭痛。
駆け寄ってくるロレッタ――振り払おうとするがそれだけの力さえない/虚しく空を切る手。
視界の端――転がっているもの=丁寧なラッピングを施された鉢植え/可憐な小さく白い花弁をつけた花が見える。
「は、な……?」
僅かに引き始める頭痛/明瞭になっていく頭/蒼白になったロレッタを見たくない一心で顔をそむけ、膝をついたものの立ち上がる。
「大丈夫、大丈夫、だ、ロレッタ。目眩がしただけだ」
自分に言い聞かせるようにして、大丈夫だと連呼する。幾度かの深呼吸で疼くこめかみの感覚を無視し、なんとか笑顔を作ってみる。
「花を持ってきてくれたのか」
ロレッタ――わずかに俯いて、ええ、とだけ短く答える。明らかに戸惑いの色を顕わにしながら、それでもこちらの目を見て告げた。
「……忘れな草よ。私のことも、ロバートのことも、昔のことを忘れないでほしいって思って持ってきたの。それで指輪も返そうと思って――」
忘れないでほしい=あまりにもささやかな、そして不可能な懇願だった。
忘れてしまうのだ。全ての記憶が加速度的に薄れていくのがわかる。
指輪と言うのは、自分が贈った婚約指輪のことだろう。忘れてしまうならばそんなことだってどうでもよくなってしまう。
だからこそ、テイラーは行動した。
乱雑に散らかされたテーブルの上、銀色に鈍く光る《それ》を手に取った。セーフティを外し、引鉄を引く。
銃声のあと、彼女の体は床へと転がった。頭から広がっていく赤い色=決して取り返しのつかない色彩――ロレッタ・キングストンという一人の人間が絶命した証でもある。表情は驚愕のまま固まり、目は見開かれていた。何故自分が撃たれたのか、理解できないという風に。
リリースボタンを押し込んで弾倉を確認する――薬室に装填されていた一発が発射されていた。残弾数は十発/《忘れられないようにする》ために予備の弾倉二つをポケットに入れる。
頭の中は冷え切っていた。やっていることはあの頃と変わらない。ただ、場所と相手と目的が変わっただけだ。目的が明確なぶん、今回の方が冷静にすべきことをすることができるだろう。
クローゼットの中にあった弾倉に弾をこめ、身なりを整えてテイラーは車のキーを持ち外へ出た。
◆
ロバートの通う大学へと到着/駐車場に車を停め、ジャケットのポケットに弾倉と銃を入れ、正門から入る。
春の風が頬を撫でた。心地いいという感覚は本当に久しぶりだった。きっと、これから起こることと自分のことを忘れる人など誰もいないだろう。
講義棟二階への階段を昇る。テイラーが講義を受けているだろう教室へと足を運ぶ。
扉の前に立つ。ドアはすでに開放されていた。ごく自然に歩いていくと、ロバートが驚きの表情とともに迎えてくれた。
「テイラー!?」
「ああ、そうだ、俺だよロバート。心配掛けたな」
なぜここまで来たのかという驚きと、自分で歩けるまでに回復したという回復の早さにロバートは驚いているようだった。
もっと驚かせてやりたい。その一心で、テイラーは銃を抜き――迷うことなどなく引鉄を引いた。
軽い音とともに赤い色が飛び散った。一瞬何が起きたかわからないという表情だったロバートが、苦悶の叫び声を挙げ、打たれた膝を抱え込んで虫けらのように転げ回った。
膝を撃ち抜いた。心配してくれたロレッタに一発しか弾を使えなかったのだ、ロバートは丁重にもてなさなければならない。一瞬でパニックになった教室を鎮めるため、すでに出入り口へと走っていた二人を頭を撃った。
「ギャラリーはあまり動くな。ああなりたいなら止めはしない」
同じ赤色だ。同じ真紅の血が流れた。かつて自分を殺そうとしたベトコンも、自分を迫害した故郷の人間も、自分を心から気にかけてくれた友人と恋人も。
一発あたり20セント。たったそれだけのはした金で人の心に残ることが出来る。これほどに素晴らしいことはない。きっと自分は人の心に残るだろう。
荒げた呼吸のままロバートが問う。顔色が悪い。
「な、んで、だ?」
「忘れてほしくないからに決まってるだろ」
もう二発、撃ち込む。悲鳴はない。肩と腹に一発ずつ。
「忘れな草を、ロレッタからもらった。忘れないでほしいって花言葉だそうだ」
「指輪、は、どうしたんだ?」
「関係ない。先にロレッタと待っていてくれ、俺もすぐ行くだろうから」
返事を聴くこともなく引鉄を引く/引く/弾倉に残された弾の全てを使う/返り血を浴びる。
硝煙と血の混じった臭い――これで湿り気さえあればあの密林と同じ状況/違うのは小銃ではなく拳銃を使っていること/場所が自分の故郷であること。
銃を奪おうと掴みかかってきた男/一歩引いて腹に蹴りを入れ、懐取りだした予備の弾倉を空弾倉と交換/眉間に一発。
次々と出入り口へ向かっていく/的へ向かって精確な弾道が走っていく/何人かが死体になって転がったのを確認して悠然とテイラーは教室を出て行った。
◆
講義棟屋上――残りの弾は一発のみ/二十九発の弾で少なくとも十五人を死体にできた/軍属だった頃よりも素晴らしい戦果。
下が騒がしくなっていく/無数のパトカー/投降を訴えるけたたましい拡声器の声/数多くの人が自分を見てくれている/耐えがたいまでの欣喜。
胸ポケットからシガーケースを取り出して一服/ヘロインの多幸感こそないもも、苦味のある紫煙が心地良い。
フィルターまで煙草を楽しんで、ようやく警察が屋上へと詰めかけてきた。妙な動きをすれば撃ち殺すと語るような物々しさで、全員がこちらへと銃口を向ける。
一服している間に銃身が十分に冷えたのを確認して、テイラーは屋上入口へと振り向いた。
テイラー ――銃を口にくわえる/金属の味/やめろ、という怒号とともに殺到する警官たち/引鉄に指をかける/セーフティは最初からかけていない。
恐らくは最期の再生――くだらない冗談を言ってふざけ合い、笑い合う自分とロバートとロレッタの姿=決して忘れたくない記憶/そう遠くない過去に喪ったモノ。
自分は決して忘れない、テイラーはそう思う。だが、忘れてしまうかもしれない誰かのために、何かをする必要があった。それがこの行動の理由だった。
だが、すべて終わった。これならもっと装弾数の多い銃を使うか予備の弾倉を持ってくればよかったとも思うが、これくらいで幕を引くのが最善だろう。
笑いかける――走り寄ってくる警官に。
引鉄を、引いた。
青い空だけが視界に広がった。雲はない。ただ、青いだけだ。あの空は自分が味わった地獄にも続いているのだろうか? 自分の愛した二人が待っているのだろうか?
頭から体へ伝っていくぬるい体温を感じながら、テイラー・ハリスは絶命した。
( ゜Д゜)<ぼんじゅーる、estでございます。
( ゜Д゜)<どうでしたでしょうか。訳がわからない、と思っていただけたなら幸いであります。
( ゜Д゜)<題材にした花は忘れな草、花言葉は「私を忘れないで」ということで。
( ゜Д゜)<体言止めとダーシ、スラッシュなどの記号をこれでもかと乱発する文体ですが、これでまず多くの人に「読めない」と思っていただけたはずです。
( ゜Д゜)<コンバットストレスというのは非常に深刻なもので、戦争の様式が様変わりし、塹壕戦が一般化したWW1にはシェルショックという新しいものが加わりました。最近ではイラク戦争での帰還兵が重度のPTSDに悩まされ、自殺する兵士も多いです。
( ゜Д゜)<そのような極限状況の中、追い詰められた人間が何を思うのかと私が考えたとき、「誰かに覚えていてもらいたい」という欲求が出るんじゃないかな? という発想が今回の作品につながりました。
( ゜Д゜)<加えて、誰にも理解されない帰還兵の内面を電文体で書いてみたのですが、結果は――ご覧の有様だよ、ということで(笑)。
( ゜Д゜)<今回の執筆で聴いていたBGMはDo As Infinity「夜鷹の夢」、ぶっちゃけイマジンなんかよりよっぽどリアルでストレートに胸に届く反戦歌だと思います。
( ゜Д゜)<それでは、お目汚し失礼しました。
( ゜Д゜)<またどこかで会うことがありましたら、お会いしましょう。