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FORGOTTEN  作者: est
1/3

NOWHERE (1)

本作品はフィクションです。実在の人物・事件・団体・機関等との関係はございません。

 ――ヘロインだけが絶えない銃声を抑えてくれる、唯一の救い主だった。





 1978年4月、ルイジアナ。

 肌を灼く強い日差し/それでいて静けさを保つ街――あの忌まわしい日々を思わせるには十分すぎる不快な環境。

 男――やつれた土気色の肌/浅黒く変色した注射痕/一見してわかる落伍者の様相=テイラー・ハリス――アメリカ陸軍の一歩兵であった男/哀れなベトナム帰還兵の典型的一例。

 ベトナム帰還兵――多額の税金をつぎ込んだ殺戮の実行犯/近代戦を心得ているはずもないだろう東南アジアの原住民から勝利を勝ち得ることさえできなかった無能な男たち=アメリカの恥。

 焦点を定めずただ虚空を見るだけの目/正義と自由のため、何よりも祖国のために戦った者の末路/言葉にすらならないうわ言を呟き続ける。

 地獄という言葉すら生ぬるい激戦/分隊の仲間が目の前で《損耗》していく日常/共産主義者が作ったAKの模造品に腹を撃ち抜かれて腸をぶち撒けた戦友の最期が再生フラッシュバック

 密林に潜むベトコンを撃ち殺し、貧弱な武装で楯突く原住民を撃ち殺し、通信と補給線を断たれて前線で孤立し、ゲリラどもと命がけで戦い、ようやく合流した友軍から受けたのは本国への撤退という屈辱的な命令だった。

 帰国してからテイラーを待っていたのはねぎらいの言葉でも温かい言葉でもなく、侮蔑の視線と罵倒の嵐だった。無辜の農民を撃ち殺した悪魔として、獣にも劣る残虐な人間として、手厚い迫害を受けた。

 姪っ子と同じくらいの女をベトコンを撃ち殺した光景が再生フラッシュバック――膝を撃ち抜かれて悲鳴を挙げのたうち回る芋虫のような姿/照準を頭に合わせて引き金を引く/肩口に軽い反動リコイル/重くもなければ軽くもない奇妙な乾いた銃声/頭から灰白色のペーストを撒き散らかしてそれきり動かなくなる、子供の形をしたベトコン=日常の風景。

 最初に殺したのは誰だったかさえ覚えていない/正しく照準して引き金を引くだけで人は殺せる/死体を見てこみ上げる罪悪感を希釈するためにまた殺す・殺す・殺す/上官にお前は勇者だと絶賛される/一人殺すたびに自分を殺しているような奇妙な感覚。

「やあテイラー、気分はどう――って、聞ける雰囲気じゃないか。また薬かい?」

 視界の端――ブロンドの短髪に青い瞳の男/エルボーパッチの付けられたジャケット・パイプステムシルエットのパンツ――総じて両親からの愛情を受けて育った中流以上のWASPの息子=ロバート・ジョーンズ――大学に通う優等生/徴兵猶予によってあの日常を味わうことなく終戦を迎えることのできた幸運なアメリカ人の一人。

「そうだ、ロバート」――テイラー。「これ以上に効く頭痛薬があれば教えてほしいくらいだ。――何の用だ? 女子供の背中を撃った無様な敗残兵を、笑いに来たのか?」

「笑えるもんか。君は僕らのために最前線で戦って、こうして生きて帰ってきたんだ」

 真っ直ぐに見据える目/嘘は言っていないとわかる目/泥と血と糞にまみれた帰還兵とはかけ離れた、とても綺麗な濁りのない目。

「間違ってるんだ、こんな状態は。選択権のない軍属の人間が国と国の思惑に振り回されて、それでも生きてこのルイジアナの地を踏みしめたと言うのに、君が手にしたのはほんの少しの年金とありったけの罵声や差別なんだよ?」

 お勉強のできる優等生らしい台詞――吐き気がする/偽善とも思えるほどに正しいロバートの言葉。

「――お前はその罵声を、止める方法が思い浮かぶのか?」――テイラー/頭の中を掻き回される様な不快感に酔いながらかつての友人に問う。

「正直に言えば、時間が経つのを待つしかない。ジョン・レノンやハノイ・ジェーンを平気で信奉するようなイカれた連中も、数年経てば頭が冷えてこの戦争が何だったのかを理解できる時が来ると、僕は思ってる」

「遅い、遅いなロバート。数年? 五年か、十年か、それとも百年後の話しか? 墓の下で腐った後に口でクソを垂れていた連中に感謝されるのを待てと言うのか?」

 テイラー=さながら呼吸している死体のような無表情――辛うじて口元だけは薄笑いを浮かべているが、それだけだった。

 ロバート=硬い表情――本心から親友の身と心を案じているが故の。

 その友情を受け止められるただ一人の男=テイラー・ハリスは既に、あの密林で殺されたのだ。

 密林という広大な密室特有は極度の緊張感を与え、彼の人間性を少しずつ削り取っていった。劣悪な衛生環境と銃弾は彼の仲間の命を奪ったが、その中でも彼は生き残った。故郷に帰りたい、恋人や両親や親友ともう一度会いたいという願いが、死の淵に首まで浸かっていた彼を引きずり出した。

 ただ、彼を引きずり出したのは主でもなければ天使でもなく、他でもない悪魔だった。

 公民権運動によって熱狂の坩堝と化した故郷ルイジアナ。テイラーは帰るなり犯罪者のレッテルを貼られ、恋人とは音信不通となり、家族も彼を置いてどこかへと引っ越していた。彼に残されていたのは僅かな金と大きすぎる絶望だった。極限の状況下で磨耗しきった彼の精神は断末魔を挙げ始める。

 フラッシュバックだ。視覚だけではない、頬を舐める密林の生温い風や銃声、そして血の臭い。どれもが現実となってテイラーの精神は容易く摩耗し、ほんの数週でヘロイン漬けの脱落者が完成した。

 誇りとともにベトナムへと発った多くの兵士のうち、はたして何人がその誇りを失わずこの日を迎えたのだろうか――そんな勇者などいるはずはない、あの地獄を、凄惨な地獄を、目に焼き付けてまともでいられる人間などいるはずがない。

「帰れ。死体相手に話を持ち掛けるほど、お前は暇なのか?」――テイラー=目は決して合わせない/焦点を合わせることすら容易ではなくなったが故。

「……わかった、今日は戻る。けれど僕は諦めないよ?」

「俺はもう諦めた。――お前もじきにわかる。俺に向けられる言葉が、どれだけ無意味かということをな」

 テイラー=部屋から出ていこうとするロバートに目をくれることさえない/束の間の安息をもたらすだろう注射器シリンジをゆっくりと腕の静脈へ突き刺した。

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