第八話 トラブルシューティング!
血の気が多いヤルンは、(特に一人きりの時には)たびたび人から絡まれる、というお話。
城というものは、たとえ辺境にあったとしても実に多くの人間が働いている場所だ。
でもって、そんな閉鎖空間に年齢も出身も様々な者達を無理矢理押し込めておいて、何のトラブルも起こらない方がおかしい、らしい。
「なぁ、お前。ちょっと態度でかいんじゃないのか」
降ってきた低い声に「まただ」と思い、俺は内心溜め息を吐いた。こういう手合いを相手にするのは初めてじゃなかったからだ。
日もとっぷり暮れた時刻の食堂で、その日、講義を終えて夕食を取るつもりだった俺の前に立ったのは、同年齢にしてはやや背の高い男子だった。髪がさらっとしていて、どこか優等生っぽい雰囲気を醸し出している。
「えぇと、誰だっけ?」
席に着いたまま素直に言って首を傾げると、そいつは品よさげに取り繕っていた顔を引き攣らせた。口振りから察するに、つい今しがたまで一緒に師匠の長話を聞いていた、いわば戦友なのだろうが、あいにく記憶になかった。
「一緒のグループになったことは、なかったよな? 最初の紹介だけじゃ全員は覚えきれないって」
同期生が一体何人いると思っているのか。魔術実習は数人ずつに別れて行うことも多いから、同輩全てと顔をつき合わせて学ぶ場は少ない。
そういうのが得意なキーマじゃあるまいし、たったそれだけの機会で全員の顔と名前を覚えていたら奇跡だぜ。
しかし、コイツは俺を知っていた。つまり、秀才か世渡り上手か暇人のどれかだ。……少なくとも世渡り上手ではなさそうだが。
「ふん、名前などどうでもいい」
言って、腕組みした上背を反らす。随分と変わった気の取り直し方をする少年である。
「俺は、お前のその態度を改めろって言ってんだよ」
「態度? 意味不明なんだけど」
正しい指摘には紳士に対応せねばなるまい。こちらも腕を組み、暫く顰め面で考えてみたが、やはり理解は出来なかった。
「悪い。自分じゃ分からないから教えてくれよ」
身に覚えがないと、反省のしようもない。だからここは静かに耳を傾け、迷惑をかけたなら頭を下げるのが大人ってやつだろうと考えた。
昔からやんちゃばかりしてきた俺だって、今や一応兵士の端くれだ。いずれなる騎士という目標のためにも、そろそろ「大人の対応」を身に付けないとな。
そんな、俺にしては殊勝なことを考えていたのだ。……相手がとんでもないことを言い出すまでは。
「講義の時に目立とうとしたりして、オルティリト先生に取り入ろうとしてるだろう。まさか裏で賄賂でも渡してるんじゃないだろうな」
「はぁ!?」
意外過ぎるクレームに、がたがたっと席を立ち上がる。思ったより大きな音が鳴ってしまった。見習い同士のいざこざに慣れっこで、そ知らぬふりで帰ろうとしていた同輩達もぎょっとして振り返った。
ざわついていた広い部屋がしぃんと静まり返る。
「どこをどう見たらそうなるんだよ。頭おかしいんじゃないのか?」
事実無根にも程がある。声をかけられた時にちらりとチンピラの類かと勘繰ったが、もしかして優等生らしさは外面だけの、本気でイカれた野郎なのかもしれない。
「どこも何も。あの有様を見れば、誰だって同じように感じるさ!」
「なんだと? 多少の文句は広~い心で受け止めようと思ったけど、言うに事欠いて『取り入り』? 『賄賂』だぁ? ふざけるなっ!」
頭に血が上っていくのを感じる。それでも怒りは抑えられなかった。
「俺は剣士に、ゆくゆくは騎士になりたいんだよ! なのに、魔導師に取り入って何の得があるってんだ!」
あぁ? と顎を斜めに上げて睨め上げる。立ち上がっても向こうの方がまだ背が高いことも怒りに拍車をかけた。
キーマかココが近くにいれば状況は違っていただろうに、運悪く二人とも今は別行動中だ。周囲からはそれこそチンピラ同士の喧嘩にしか見えていなかっただろう。
「騎士? 騎士だと? はっ、笑わせる。だったら、ここは偉大な騎士様がいらっしゃるようなところじゃないぜ?」
「……」
この男は根っからの馬鹿だ。俺が歯を食いしばって「一歩手前」で耐えているのにも気付かず、ペラペラとよく喋る。
「馬鹿か。お前みたいな、先生に取り入ろうとする小物が騎士になんてなれるわけないだろ。そういう寝言はまず鏡で自分を見てから、ベッドの中だけで言うんだな」
「かちん」とか「ぶちっ」とか、そんな生易しい表現では収まらない音が俺の脳裏で木霊した。まるで頭の中が爆発でもしたみたいだった。
どぉおぉおおおおん!
「そうそう、どーん! だよ。どーん! ってこう……あれ?」
俺の脳内でだけ起こったはずの轟音が、気付けば何故かリアルに鼓膜を震わせていた。……なんで?
状況が理解出来ず、目をぱちくりさせていると、あのいけ好かない暇人がかなり離れた位置でぱったり倒れているのが目に入り――自分の体から立ち昇る薄い煙に気付いた。
「えぇと……」
事の成り行きを見守っていた者達は更にその輪を大きく広げ、瞬きも忘れて俺を凝視している。
「何がどうなったのか、誰か」
説明してくれない? 言葉を続ける前に、ばたばたと数人の大人達が食堂に入ってきた。先ほど講堂で講義を終えて退出したはずの師匠の姿もある。
その中の一人である教官が叫んだ。
「誰だっ、こんな場所で爆発実験をしたのはっ!」
「ばくはつ……、爆発実験?」
その教官はさっと周囲を見渡し、場にいた全員に「動くな」と命じた。他の大人達は倒れた男子を見つけて声をかけている。呆然とする俺の元へ、師匠が髭をさすりながら近付いてきた。
「お主がやったのか?」
「やったって、何を?」
むしろ、これからするつもりだったんだ。そうチラリと思ったが、口にはしなかった。俺にだってそれくらいの分別はある。
「ふむ。おぬしらには攻撃系の術はまだ教えておらぬからのう」
一人で勝手にふむふむと納得し、周りの大人に怪我人の処置を頼むと、師匠は再び俺に視線を戻した。
「いやぁ、見習いでこんなに派手な暴発は久しぶりに見たのう」
「……ぼうはつ?」
訳がわからず首を傾げる仕草が面白いのか、お決まりの笑い声を上げている。いや、笑ってないで説明してくれよ。先生だろ。
「師匠、何がどうなったんスか」
「お主、あの者に腹に据えかねるようなことを言われたのじゃろう?」
ぐっと声に詰まった。師匠は、図星で声が出ない俺を見て更にひと笑いする。そうしてひとしきり楽しんだ後、「魔力の暴発じゃよ」と言った。
「魔力の暴発……。そうか、これが」
少し前の講義を思い出した。確か、魔導書と契約して内から外へ発散されるようになった魔力は、時として術という形態を取らずに溢れ出すことがある――という内容だったか。でも、実感はわいてこない。
「呪文も唱えていないし、書を構えてさえいないのに?」
「まだ自分の強大な魔力を認めておらぬようじゃのう。だったら、この光景を良く覚えておく事じゃ」
師匠は心底嘆かわしそうだった。仕方のないことだ。きちんと教わっていたにも関わらず、浅慮からこんな事件を起こしてしまったのだから。
俺はさっと頭を下げた。
「すみませんでした。以後気を付けます。怪我をさせてしまった相手にも謝罪を――」
「違う違う、そういう意味ではない」
師匠の声色には憂いとは違う何かが含まれていた。肩をがしっと掴まれ、思わず仰いだ。
「へ? 違う?」
俺を見つめる瞳が、らんらんと輝いている。そして力強い言葉を紡ぐ。
「やはり素晴らしい能力じゃ。こうしてはおれぬ、お主には明日からと言わず、今から特別に訓練を施してやるとしようかのう。さぁ、特訓じゃ!」
「と、特訓? え、謝罪は」
「何を言っておる。兵士に怪我なんぞ付きものじゃ。そんなものは後回しに決まっておる!」
「ええ~っ!?」
老人と侮る無かれ。じいさんの握力は外見を大きく裏切って、俺を強く掴んで離さない。そのままズルズルと師匠の研究室へと引き摺られていったのだった。
幸い、相手の怪我は大したことはなく、数日で訓練に復帰していた。どうやら爆風で吹き飛ばされたショックで昏倒しただけらしい。
因縁を付けてきたのは向こうだが、俺の態度も悪かったし、傷付けたのは事実だ。ケジメはきっちり付けておきたくて頭を下げにいったら、そいつは俺より先にペコペコと謝ってきた。
妙に怯えているように見えたのは、勘違いじゃないよなぁ……。それに、事件以来、絡んでくる連中がぐっと減った。助かるけれど、なんか遠巻きにされてないか?
「ヤルン、超有名人だねぇ」
「有名人? 俺が?」
後日、件の食堂で無心に咀嚼していると、キーマがくすくす笑いながらそう言うので理由を訊ねたら、本人の預かり知らぬところでとんでもないことが起こっていた。
「知らなかった? 城中、『ガリ勉の見習い魔導士は危険人物だ』って噂で持ちきりだよ」
はぁ? なんだその根も歯もない噂は!?
「夜な夜な怪しい研究をしてるとか」
「それは師匠に魔術特訓させられてるだけっ」
お前、相部屋なんだから知ってるだろ。噂拡大に一役買ってないで弁護しろよ!
「怒らせたら最後、両目が光って殺されるとか」
「ンなのもう人間じゃねェし!!」
渾身のツッコミが、何よりも俺自身をつん裂いた。
最近、引き摺られてばかりのような気がするヤルン君。頑張れ。
教官にはみんなでお仕事する教官室と、研究を行うための個室が割り当てられています。
普通、見習いが用のある場所じゃないんですが、ヤルンは毎晩通わされることになってしまいました。頑張れ。