第七話 小瓶と薬師・後編
今回のゲストの女の子はヤルンの抱いた印象通り、見た目はわんこみたいな子です。でもその性格は……?
「はい、おしまい」
「おー、さすが。大事にならなくてよかったよ」
顔を上げると、女の子はまだ俺の足を見つめたままだった。数秒後にやっと気が付いたらしく、その頬がみるみる紅潮していった。
「い、今の……魔術、ですよね」
「師匠の知り合いなら見たことあるだろ? あんた……君は魔導士じゃないのか?」
見た目と挙動から年上っぽく振る舞ってしまったが、彼女は師匠の顔見知りのはずだ。「実は若作りのばあさんでした」なんてパターンもあると思い、口調を少しだけ改める。
「違います。私は薬師です。山で薬草を採って、煎じたお薬を売って暮らしています」
「あぁ、だからこんな山奥に住んでいるのか」
「薬草を採取するなら、そこに住み込むのが一番だもんね」
入った瞬間に鼻を通り過ぎた不思議な香りも、薬のものだったのだ。ただ、奇妙なことに、この家からは彼女以外の気配が感じられなかった。
使い古された道具や、家の傷み具合なんかが伝えてくる、生活の息遣いとでも表現するべき類のものだ。
「そういや名前も名乗ってなかったな。俺はヤルンで、こっちはキーマ。君は……メディス、さん?」
思い出したように師匠のメモを取り出して、名前らしき箇所を読み上げる。彼女はこくんと頷いて「メディスで良いですよ」と微笑んだ。
「この家に一人で住んでるの?」
「両親は私が幼い頃に亡くなりましたから」
キーマの問いにさらりと返され、胸にちくりと痛みが走る。二人で小さく「ごめん」と謝ると、彼女は笑って許してくれた。
「ちっとも寂しくないんですよ。近くの家はみんな親戚が住んでいて、小さな子もいて、毎日結構楽しいです」
家々が身を寄せ合って並んでいるように見えたのは錯覚じゃなかったのだ。
「師匠……あのじいさんとは、どういう知り合いなんだ?」
疑問がどんどん浮かんでくる。こんな山奥にあの人がわざわざ足を運んだりするだろうか。まさか、若い女子狙い!? もしそうだったら速攻で荷物を纏めて城を後にしなければならない。もちろんココも連れて!
「オルティリトさんとは私の両親が昔、町で薬を売っていた時に知り合ったと聞いてます。それが縁で、今でも薬をお譲りしたり、森では手に入らない材料を届けて頂いたりしているんですよ」
「へぇ」
少女趣味じゃなくて本当に良かった。
「縁は異なものだねぇ」
「それはちょっと違くないか?」
こんな小さな友人が存在したとは。何年も師匠のそばにいたのに、全然知らなかったぜ。まぁ、実際は知らないことの方がずっと多いのだろうが。
「持ってきて下さったお薬を確認しますね」
メディスは届け物である小瓶の栓をポンと抜いて、手であおぐ仕草をしながら匂いを確かめる。まだ年端もいかずとも、そこは薬師の卵。薬品を扱う時の基本をしっかり押さえている。
ちなみに俺は昔、瓶から直接ニオイを嗅いで失神しかけたことがある。良い子も悪い子もマネしちゃいけません。
「はい。確かにお約束のものです」
「それ、薬の材料なんだよな?」
届けた荷に興味を持ったのは、栓を抜いてからなんとも言い難い何かが部屋に立ち込め始めたからでもあった。甘いような、苦いような。でもこの感覚は、匂いか……?
「ある病の治療に使う薬の材料なんです。この森では採れませんし、町でもなかなか手に入らない貴重なものなんですよ」
「ふぅん。薬なだけあって、変わった匂いがするねぇ」
メディスはフタを開けたまま、小瓶をそっと差し出してきた。妙な感じがぐっと強くなる。なんだろう。近付いてはいけない気がする。
でも一瞬だけ、好奇心が警戒心を上回った。抗い難いそれに従い、小瓶を受け取り、手であおいで匂いを確かめる。
「――魔力の香り?」
自然と口から言葉が零れた。瞬間、ずくん、と体に衝撃を感じた。うっわ、これ、まずい! そう思うが早いか、げほげほと咳き込んだ。
「どうかした?」
脳裏に光が閃くほどの強烈な気配がした。どくんどくんと心臓が脈打つ音が聞こえる。嗅ぎ続けていたら頭がおかしくなりそうで、すぐに顔から離して瓶を押し付けるようにして返した。
「あの、どうかしたんですか?」
反応がよほど顕著だったのだろう、メディスは驚いた様子でこちらを覗き込んでくる。遠ざけた匂いが再び近づいてきて怖くなり、顔を背けて「来るな!」と叫んでいた。
「えっ」
「一体どうしたのさ」
くそっ、二人には分からないのか。こんなに強く深く体を侵してきているというのに!
「それ、ヤバい……! 早くフタ閉めてくれっ」
俺の声に弾かれたキーマがメディスから引っ手繰るように瓶を奪い取って栓を捻じ込んだ。
「待っててください。窓あけますからっ」
メディスも家じゅうの窓を開け放ってくれる。しばらく咳き込みながら椅子の背もたれに体を預けていると、匂いは段々と薄まり、なんとか普通に呼吸が出来るようになった。
「はぁはぁ、きつかった……」
「一体どういうことか説明しれくれる?」
「私も知りたいです」
疲労感が残っていて億劫ではあったが、放置するわけにもいかない。身を起こし、きっちり締められた瓶を指さした。
「それ、もう二度と魔導士には見せない方が良いぞ。魔力がキツ過ぎる」
「魔力?」
きょとんとするキーマに「物凄い魔力の塊みたいだ」と率直な感想を述べた。
ついさっきまで、あんなものをポケットに突っ込んでいたのか? 今更になって恐ろしさが込み上げてくる。きっとコルク栓に強い封印がかけられていたのだ。
「師匠は『渡すまで決して開けるな』つってたけど、冗談じゃない。渡したあとも駄目なやつだろ!」
がーっと怒りがわき上がってくる。……っと、今はまずい。あの薬で刺激されたばかりで、体内の魔力が未だ揺らいでいる。落ち着かなくては。でもやっぱ腹立つ!
「……それは昔、両親からも言われました」
メディスの言葉にはっとする。そうだよ、こんな特殊な薬、薬師が注意事項について知らないはずがない。
「こうなるって分かってたのか?」
「じゃあどうして」
済まなさそうに言う彼女に、苛立ちを抑えて問いかける。キーマも不審そうに髪をかき上げている。
「り、理由を知りたかったんです。私は魔術の才には恵まれませんでしたから。あなたはオルティリトさんのお弟子さんでしょう? だったら、大丈夫かと思って……」
「あのなぁ!」
女の強かさか、それとも、人里離れた場所に住んでいるがゆえの無邪気さか。曲がりなりにもじいさんの知り合いだってことを忘れてたぜ。
「ごめんなさい」
うっ、怒ろうと思っていた矢先に、その怯えた上目遣いは反則だ。しかも目に涙が滲んできてるし! うううう。
「どうする?」
どうするって。城の見習いだったら容赦なくどやし付けるところだけど、相手は兵士でもない普通の女の子だ。……いやー、普通かなぁ?
こう考える合間にも、大きな瞳からは今にも大粒の涙が零れ落ちそうになっていて、真っ赤な顔がぐしょぐしょになるのも時間の問題だった。
「分かった。分かったから泣くな! けど、もう二度と、金輪際、人を実験動物扱いするような真似はしないこと。いいな!」
「は、はい! もうしません」
しっかり頷いたのを見て、「じゃあいい」と言うと、ようやくメディスは鼻をすすって涙を引っ込めてくれた。はぁ、こういうとこ、甘いんだろうな。キーマは全然フォロー入れてくれないし。
「使う時以外はしっかり栓を閉めておけよ。その薬は毒だ」
「毒?」
メディスの手に戻った小瓶に、三人で目を落とす。匂いはだいぶ外に逃げていったが、見ているだけで胸が締め付けられる。あの衝撃を体が覚えてしまったのだろう。
「魔力持ちにはな。さっきも言ったけど、魔力の塊みたいなものだと思う。なりふり構わず欲しがるやつが沢山いそうだな」
あの香りは易々と魔導士の理性を溶かしてしまうような気がした。もし、もう一度突き付けられたらと思うとぞっとする。
「そんなにこれが欲しくなるんですか?」
「俺は要らない。匂いだけでぶっ倒れるかと思った」
泣き寝入りも癪だ。困惑気味のメディスを見ていたら、もうひと釘くらい刺してやりたい気分になってきた。
「もうちょっとでこの家が吹き飛ぶかもしれないところだったんだぞ」
「えっ」
「昔さ、怒りでぶち切れて、魔力を暴発させたことがあったんだ。あん時ゃ、ムカツく野郎は綺麗に吹き飛んで医務室送りになったっけ」
「ええっ」
「あったあった、懐かしいねぇ」
あの出来事を笑って思い出せるのはキーマくらいだろう。さすがはお楽しみマニアである。
「その薬はその引き金になるってこと。……いや、今起きたら、そのくらいじゃ終わらないかもしれないな?」
あの時より魔力が増えているし、師匠の訓練で流れもずっとスムーズになっている。おまけに今は王都に居た時みたいに腕輪もない。
一つひとつ説明してやると、メディスは「そんな」と呟き、両手を小瓶ごとぎゅっと握りしめた。
「終わらないって……どうなるんですか?」
「聞いとくか?」
薬師としてはまだまだ駆け出しの少女は、しばらくの間視線を彷徨わせてから、ゆっくりと頷いた。
「聞きたいです。私、両親みたいな立派な薬師になりたいから」
「やい、クソジジイッ。よくもあんなもの持たせやがったな!」
城に帰るなり師匠の研究室に直行した。屈強な門番でさえ、俺の剣幕に顔を引き攣らせて「お、おかえり」としか言わなかった。
「や、ヤルンさん?」
しかし、部屋には書類の整理の真っ最中だったらしいココの姿だけ。あわわ、睨んじまった。
「わっ、悪い! 師匠がまたエグイもの押し付けてくれやがったんで、腹が立っててさ」
聞けば、つい先ほど出かけたらしく、今日はもう戻らないと言う。大方、俺が戻ってきたと悟って行方をくらましたのだろう。
「くっそ!」
仕方なく、師匠愛用の椅子にどっかと腰をおろすと、ココが淹れてくれたお茶をぐいっと飲み干し、ことの顛末を愚痴った。
「……それは大変でしたね。そのお薬は、他の薬の効果や治癒力を高めるためのものでしょうか」
ココの予想に「多分な」と同意する。
「売れば凄い値が付くだろうぜ。病気の治療以外にも色々使えそうだったからな」
金持ち連中や裏社会の人間が大金をはたく姿が目に浮かぶ。
友人の忘れ形見を不憫に思って援助しているのだろうが、ガキに金の延べ棒をくれてやるようなものだ。厄介事に巻き込まれろと言っているのと同じにしか見えない。
「だから、ヤルンさんに行かせたんじゃありません?」
ココはくすっと笑って、「きっと、危険性を教えるためにですよ」と言った。
「メディスさんが薬に疑問を抱き始める時期に差し掛かりつつあるのを見越して」
誰にでもある、禁忌に触れたい気持ち。駄目と言われるとやってみたくなる好奇心。それがむくむくと湧いているところへ、何も知らない魔導士を差し向けるとどうなるか。
「メディスが俺で試そうとするって、最初から踏んでたってことか?」
だとすれば、全部じいさんの思惑通りに運んだことになる。……ぐつぐつ煮えたぎっていた腹の底が、急にすぅっと冷えた。
「なぁ、ココ。今度という今度は、あのじいさんに分からせたいんだよ。『親しき仲にも礼儀あり』ってことをな」
ああ、分かっている。この部屋を吹っ飛ばそうが、あのじいさんに反省を促す効果は薄いだろうことは。
「何か案をお持ちなんですか?」
「ある。多少の犠牲を払おうとも、俺は敢行する!」
翌朝。研究室に現れた師匠は、いつまでもやって来ない俺にしびれを切らしてココに所在を訊ねたらしい。
「それが……」
ココが差し出したのは一通の封書。俺が丹精込めてしたためたものだ。その中身を確認した師匠の顔が、見る見る驚きに染まっていく。手がぶるぶると震える。
「け、『剣士として、一から出直したい』? 『止めないで下さい』?」
これこそ一世一代の秘策。断固として立ち向かう覚悟を示すために、リーゼイ師範に頼み込み、しばらく仮の助手ということで雇ってもらうことしたのだ。
「まま、まさか、それをリーが了承したと言うのか?」
「……はい。人手は多い方が助かるそうです」
「なにーーーっ!?」
師匠の唖然とした顔を見損ねたのは勿体なかったが、こうして一泡吹かせることには成功した。もちろん、この後に師弟の壮絶な駆け引きが勃発したことは、言うまでもない。
この話には最初、キーマはいませんでした。呑気な彼が居た方が、話のシリアス度合いが薄まって助かります。
そして、ここからしばらく話が続きます。ヤルンの策はうまくいくのでしょうか?




