第五話 正しき惰眠
基本、飄々としているキーマの意外な弱点と、それに振り回されるヤルンのお話。
「ふああ、眠……」
どの業界でも見習いの朝は早い。城の訓練兵はその最たるものだろう。当然、毎朝日が昇る前からベッドを抜け出す生活を送っている。
別に俺は朝が苦手じゃなかった。確かに物凄く眠いし、体も重いけれど、自分だけじゃないし、早朝訓練は結構好きだったりする。
しかし、俺はしょっちゅう訓練に遅刻しそうになる。何故かというと……。
「おい! 起きろよ!」
「んん……、あとちょっと……。あと……30分」
「ぶっとばすぞキーマぁあ!」
狭い相部屋の向かい側で眠りこける、朝に、異常に弱いコイツのせいである。
何日か続けてキーマの寝坊に付き合わされた俺は、色々な方法を試してみた。
まずは、ありったけの声を振り絞って叫んでみた。普通の人間なら隣の部屋で寝ていたって起きるくらいの音量だ。叫ぶのはもちろん、耳元でだ。
「起きろー! 起きろ起きろ起きろー!」
けれど、この方法で起きたことは過去に一度だけ、それも他の方法を散々試した後だった。よって、効果は非常に薄いと判断せざるを得ない。
「……はぁはぁ」
朝から疲れてどうする。ノドも痛むし、声も枯れるし、メリットは皆無だ。
それならと、今度は毛布を捲って全身をくすぐった。足の裏なんてくすぐられた日には、弱い人間なら一発で飛び起きるはずだ。
「ふふ、ふふふ」
ってそれだけかよ! 俺は髪の毛を掻き毟った。あろうことかキーマは口元で二三笑って、あとはスヤスヤと眠りの世界に帰ってしまった。
「仕方ねぇ」
ルームメイトを傷つけるのは良心が傷むが、遅刻すれば怒られるのはコイツ自身。ここは心を鬼にして、拳にぐっと力を込めた。
大きく息を吸い、ぴたりと止めて――腹部めがけて一気に振り下ろす!
ドスッ!! という鈍い音を立てて、俺の渾身の一撃がベッドにめり込んだ。
「……ベッド?」
すかーすかー。健やかな寝息が俺の頬に当たる。視線を動かすと、そこには惰眠を貪り幸せそうにしているキーマの姿があった。
「コイツ、避けやがった……!?」
反射的にカッとして、今度こそ手加減なしの一発を決めようとし……再びマットレスに食い込ませる。
「おいっ、お前起きてるんだろ!?」
人をおちょくるのもいい加減にしろ!
それでも、キーマの返事はすぅすぅなんていう呼吸音のみ。寝ながらこちらの殺気を悟っているとしか思えない。
「凄すぎる。勝てない……!」
俺はしばらくその場に立ち尽くし、深く惨敗を噛み締めた。最強の敵がこんなに近くにいようとは思いもしなかった。こうなれば、出来ることは一つしかない。
「悪いな。恨むなよ」
負け犬全開のオーラを漂わせながら、本を抱え、荷物を背負って部屋を出た。そう、放置だ。見捨てるしか道はなかった。
キーマは要領の良い奴だったが、寝坊癖ばかりは直らず、よく叱られていた。もっとも、教官に叱られた程度で凹むようなヤワな心臓は持ち合わせていないみたいだけれど。
「なんで起こしてくんないわけ?」
それでも、こちらを鋭く睨みつけながら恨み言を漏らしたことは一度や二度じゃない。が、当然ながら俺が頭を下げた回数はゼロだ。
「毎朝、最善を尽くしてンだよ。それでも起きないお前が悪い」
何をしてやったか、俺は前に説明してやった。殴ろうとしたことは悪かったが、全部避けられているのだから別に責められるいわれはない。
キーマは鼻で笑って、珍しく強い調子で断言した。
「大声で叫んでくすぐって、終いには暴力振るう? それで起きないわけがないね」
「……歯ァ食いしばれー!」
誰か棍棒持って来い! トゲが付いたやつ!! ちなみに、少し前に講義で習った「気付け薬」を飲ませる案には、火がついたみたいに怒っていた。初心者が作った物は調合が杜撰で、食べると数日間唇が腫れたりするからな。
この問題は俺達の関係をやや悪化させていたけれど、他のことでは気が合うし、それなりに仲良く過ごしていた。
問題が完全に解消したのは、ある日受けた師匠による実技演習が発端だった。
その日は、講義が中心の魔導士見習いにしては珍しく中庭に集合がかかった。領主が自ら手入れする美しい庭園ではなくて、兵舎のこざっぱりとした演習場の方だ。
「では、始めようかのう」
『よろしくお願いしますっ』
揃ったことを確認すると、師匠はいつも最初に今日行う訓練内容について説明する。
だから俺達も習慣に倣い、ズボンのポケットに突っ込んでいた魔導書を元の大きさに復元し、重量を操る術が切れないように気を付けながら書き留める準備をした。
難しくても、この術が会得出来ないと間違いなく腕が死ぬのだ。試しに筋肉を鍛えるために術をかけずに講義を受けたら、翌日猛烈に腕と腰が痛くなってキーマに笑われた。
『腰痛じゃ、オルティリト師を越えたんじゃないの』と。あれは悔しかった。それ以来、多少重くする程度に留めている。
「では、……お主、横になるのじゃ」
「えっ」
指名されたのは数少ない女子の一人であるココだった。彼女は突然の指名にびっくりして目をぱちくりさせている。
「あ、あの、ここに、ですか?」
見習いの仕事の一つに「雑草抜き」という作業がある。演習場も例外なく綺麗に草が抜かれているものの、はっきり言って野ざらし状態だ。いきなり「横になれ」と言われれば躊躇うだろう。
それに、今日は説明がまだだ。何が行われるのかも分からずに寝転がるのは怖いはずだ。
「おお、そうじゃった。女性には失礼な話だったな。では」
師匠は口の中で何事かをモゴモゴと呟き、手をさっと開く。すると、赤い布が地面に広がった。
おおっと小さく歓声が上がる。まだ習っていない言葉ばかりだったから、きっと高等な術だ。効果がこれだとちょっとショボい気もするけれど。
「ヤルン、今、しょうもないと思ったじゃろう」
「いっ!? お、思ってません思ってません」
前から薄々感じていた通り、やっぱりこのじいさんには読心術の心得があるに違いない。一時も気が抜けやしないぞ。
「これでどうかのう」
「は、はい……」
多少は安心したのか、はたまた覚悟を決めたのか、ココは命じられるまま寝そべり真っ直ぐの姿勢を取った。やはりとても緊張しているようだ。
「……」
横になった女の子を上から見下ろす機会なんて、なかなかあるものじゃない。直視するのが躊躇われるような、妙な気分になってしまったのは俺だけじゃないだろう。
「あのっ。これから何を始めるんですか?」
とうとう見習いのうちの一人が我慢しきれずに質問した。でないと、この異様な光景に耐えられなかったのだと思う。
まさかジジイ……、なんて勘繰っても仕方ない構図だよな……。
「お主ら、変なことを考えておるのではあるまいな?」
ぎくっと肩を震わせたのは、ココも含めた全員だった。彼女の方は青ざめた顔を見るに、直接的な恐怖心がわきあがってきたのかもしれない。
そんな不安を吹き飛ばすように、師匠は「ほっほっほ」と明るく笑った。
「なぁに、気絶した者を起こす術の実地訓練じゃよ。口で言うより見せた方が早いからのう」
なぁんだ。自然に誰かの口から零れた安堵の呟きは、俺達の気持ちそのものだ。
「今日はまさか殴って気絶させるわけにもいかんから、まず眠らせる術をかけ、それから起こすぞ」
「……その役目、なぜ私なのでしょう?」
ココはやや恨めしそうな目付きで師匠に問いかけた。確かに、幾ら魔導士が少ないからって、彼女が選ばれたのが無作為じゃないことは誰にでも想像が付く。事情があるなら、きちんと説明して貰いたい。
「女子の方が、気合が入るからじゃ」
『ぅをい!』
思わず全員で、全力でツッコんでしまった。なんというセクハラ! じいさん、やはりただのエロジジィ疑惑――!
「ほっほ。皆、そうは言うがの。結構大事なことなんじゃよ? 術の成功は集中力にかかっておる。女性を助けるのは、誰でも力が入るものじゃろうて」
もっともらしい理由で煙に巻かれている気もするが、反論する材料もなかったので俺達は口を出せなかった。ヤローの救助より気持ち的に盛り上がるのは本当だし。
師匠は沈黙を肯定と捉え、「では始めよう」と呪文を紡いだ。
短い言霊で、すっとココの目蓋と意識が落ちていくのが分かった。素直に、マジで凄ぇと思う。
「これからやってみせるからの。あとは二人一組になって練習せい。魔導士は前線より後方支援が圧倒的に多い。これはその初歩の初歩じゃ。覚えておかねば、この先付いて来られぬぞ」
この一言が、負けず嫌いの俺に火をつけた。
悪戦苦闘しながらもなんとか術を会得した俺は、それ以来キーマとの関係もすっかり修復することが出来た。
「よーし。今日も一丁、起こしてやるか」
寝巻の袖を捲り、机に置いた本を手に取る。ふと、この本の角で殴るというスバラシイ案も思いついたけれど、やめておいた。俺は優しい男だからな。
覚えたばかりの項目を探してページを繰る。そこには真っ黒になるほどにペンで書き込まれた術の理論や、実際に扱うための方法が記されている。
『退け』
でこぼことした筆圧の感触を確かめるように呪文をなぞり、一つ一つ、発音の難しい古い言葉を確実に紡いでいった。
『眠りに誘う精よ。彼の者をその呪縛から解き放て――』
初歩の初歩であるだけに、呪文はたったこれだけだ。ただ、込める魔力の量を誤ると思わぬ事態を引き起こすので、決して気楽な術ではない。
訓練の時にも色々あった。弱過ぎると目覚めないし、逆に強過ぎると――この話は止めよう。あれは悪夢だった。もちろん、今の俺はそんなヘマはしない。
「ふぁああ……。あれ、おはよー、ヤルン」
「おう」
あのキーマがあっさり起き上がり、呑気に伸びなんてしている。これで毎朝すったもんだしなくて済むし、遅刻もナシだ。まぁ、魔術ってのも捨てたもんじゃないかもな。
「見ろ、俺の術は完璧だぜ?」
「ん。こんなに快適な朝はないね」
けどさ、とキーマは続けた。これだけしてやっているのに、まだ不満があるのか?
「ヤルンて、騎士になりたかったんじゃあ。……これで良いの?」
……あ。
「しまったぁああぁ! つい徹夜で何日も練習しちまったーーー!?」
俺の叫びが宿舎中に木霊し、兵士達をすべからく眠りから解き放ったのだった。
頭は悪くないのですが、思い立ったら一直線なせいで行動がおバカなヤルン。
気付いていても、面白いから暫く放置するキーマ。でも、彼もなかなかの天然です。