第四話 お馴染みの光景・後編
絡んできた相手は完全に絡む相手を間違えています。さぁどんな目に遭わされることやら……。
――うん、もういいや。
気づかぬ内に、周囲は静まり返って事の成り行きを見守っていた。食事中の兵士の中には年齢がずっと上の大先輩もいて、鋭い視線を送ってくる。興味が半分、牽制が半分といったところか。
「素晴らしいお手並みですね。それでは、恥ずかしながら、ボクも術をご披露するのでご指導ご鞭撻願えますか?」
うぎっとかいう、何かが潰れたような、表現し難い声が方々で上がり、静寂が打ち砕かれた。間髪入れず、がたがたと椅子を立ち上がる音や、少しでも遠ざかろうと逃げ出す靴音が響く。
オイコラ待たんかい。確かめるまでもなく、スウェルの同期の奴らだろう。「逃げろ逃げろ!」とか「下がれー!」とか、知らない奴にまで声をかけて一斉に避難させている。くっそ、相変わらず猛獣扱いしやがって。後で覚えてろよ!
「ヤルン、がんばってー」
振り向くと、キーマとココが厨房付近で手を振っていた。おいっ、お前らまでシレっと逃げてんじゃねェよ!
「なんだ、お前。嫌われ者かぁ?」
「めちゃくちゃ下手くそなんだろうぜ。おいおい、頼むから失敗しないでくれよ」
「そう言ってやるなよ、可哀相だろ」
からからと笑い声が上がる。兵士になる前の俺なら、頭に来て殴りかかっていただろう。そして傷だらけで家に帰って親に叱られて、晩飯を抜かれてしまうのだ。
今の俺は、そんな記憶がやけに昔のことに感じられて、思わず笑ってしまうくらいには余裕があった。
「何、笑ってんだ」
「いえ、何でもありません」
すっと息を吸い込み、口の端を引き絞る。一呼吸分置いてから、片腕を持ち上げて男の指先で未だ踊る火の玉を指した。
「室内で火は危ないですよ」
ぱちん! と指を鳴らす。すると、まるで火がその音にびっくりしたかのように散って、全て消えた。
「な……!?」
煙だけが細く立ち昇るのを見て、男やその連れはおろか、その場に居た誰もが数秒間、黙り込む。
「おっ、成功♪ どう、俺の術は。是非とも感想を聞かせて欲しいね」
にやりと笑うと、男は信じられないという顔つきで「何した」と言った。詠唱もなく、指を鳴らしただけで魔術によって生み出された火が消えた。大多数の人間にはそう見えただろう。
「水で火を消しただけだぜ。あれ、こんな近距離なのに気が付かなかった?」
へらりと笑う。えぇと、人を小馬鹿にする時って、こんな顔すれば良いんだっけ?
「指を弾いたのは合図。それに合わせて準備しておいた魔術を発動させた、ですよね」
ココがゆっくりと近付き、にこりと微笑んだ。俺は懐から、縮小させた魔導書を取り出してわざとらしく振ってみせた。
「ちぇ、やっぱココの目は誤魔化せなかったか」
彼女は、発想には驚かされたと評してくれた。
「お話の途中で動かしていた唇の動きから水の術だと分かりましたから、避難する必要なんてないと思ったんですけど」
「えー、何が起こるか分からなかったし。その方が面白いじゃない」
「やっぱりお前か。面白がるな!」
キーマはまだ警戒しているらしく、全く近寄ってこない。ま、アイツへの仕返しは後に回そう。今は目の前の奴らの処理が先だ。
「た、ただの水術でいい気になるなっ」
一つ言っておく。水系統は治癒から攻撃まで幅広く使えて、戦いでは欠かせない属性だ。そんな初歩的な知識もなく、「ただの」なんて馬鹿にしている時点で、程度が知れている。
「そうだ。それくらいで、生意気なんだよ」
どこまで行ってもチンピラはチンピラらしい。と、俺が冷めた目で受け止められていたのはここまでだった。
「お前も、女のくせに出しゃばるな」
「……んだと」
いつもの如く、ここでギクリとしたのは俺じゃなかった。周囲から、今度こそ人の気配が打ち寄せる前の波のように引いていく。
「今、なんつった」
一歩近寄り、三人との間合いを詰める。特に、先の発言をした三人目の馬鹿を全力で睨み付ける。相手が小さく「ひっ」と悲鳴を上げた。
「『女のくせに出しゃばるな』だぁ? ココ、何か言う事あるか?」
やや後ろに立つ彼女の方には一切顔を向けない。女子にこんな視線を浴びせたら死ぬほど後悔するだろうし、視線をそらした瞬間に目の前の馬鹿共が逃げ出す恐れもある。
「て、訂正して下さい! 兵士に男も女もありませんっ」
ココはぴりぴりとした空気の俺の傍から離れず、毅然とした態度で言い放った。精一杯の勇気だったに違いない。旅や訓練でココが一番身に付けたものは、いざという時の「度胸」じゃないだろうか。
「彼女はこう言ってるぜ? おたく、どーすんの」
こんな場面では人間の本性ってやつが露わになる。選択肢としては、謝罪か、言い訳か。あるいは三つ目の、最悪の選択か。
「うっ、うるせぇ。女が戦場で何の役に立つっつうんだよ。このクズ」
言い終わったかどうかの刹那、俺は口の中で用意していたもう一つの術を解放した。指先の一点に全集中力を傾け、手を横に滑らせるようにして放つ。
「わっ!?」
どさっ! 暴言を吐いた男、つまり三人目の下っ端が突然足を掬われ、その場に顔から突っ伏した。ざわめきと動揺が広がる。
「な、なんだ?」
他の二人はいきなりの出来事に完全に腰が引けていた。何が起きたか理解できず、倒れたまま呆けてしまっている男を見下ろし、俺は腕を組んだ。
「おい、起きろよ。頭は打ってないだろ」
「や、ヤルン、大丈夫ー?」
キーマが人垣の方から心配そうに声をかけてきた。お前まだそんなところに居たのか。どうせ俺じゃなくて、相手の方を心配してるんだろ。このウラギリモノめ。
「平気だよ。運が悪けりゃ鼻の骨か歯くらいは折るかもしれないが、死にはしねぇよ」
「いったい、何したのさー」
俺は「後で話す」と手で払い、今度はリーダー格に品定めするような目を向けた。
「よう、センパイ。あんたの連れがウチの仲間に酷いこと言ったのに、謝ってくれなくてさ。自分のこと言われるんだったら気にしねーんだけど、仲間を侮辱されちゃあ黙っていられない性分でさ」
その場にいた全員が「嘘つけ!」とか叫んでいる気がしたが、その話し合いも後でするとしよう。あーあ、疲れてるのに今夜はやることがいっぱいだ。
「代わりに謝ってくれると、お互いスッキリするんじゃないかなぁ」
睨み合いが続いた、と思ったのは、どうやら俺の勘違いのようだった。
「う……ぐす」
「へっ?」
よっぽど間抜けな声を出しかけ、続く言葉を慌てて飲み込む。
親玉と思しき魔導士は、顔の中心に皺を寄せて睨んでいたのかと思えば、急に嗚咽し始めた。目は赤く染まり、端には雫が溜まってくる。
「え、なになに、どういうこと?」
「あの、泣いていらっしゃるのでは……」
緊迫した空気がまたも一変、今度は俺の方があたふたさせられる羽目に陥った。
「あん時は参ったぜ」
俺が言い、その時の喧嘩相手――イリクレルが真っ赤な顔で「もう言わないでくれよ」と口先を尖らせた。その顔には年相応の素直さが滲み出ていて、偉ぶっていた時のふてぶてしさや馬鹿っぽさは微塵も残っていない。
「悪かったって。王都に来てお前達を見た時、まるで自分が偉くなったような気がして……調子に乗ってしまっただけなんだ」
あの後、騒ぎを聞きつけた教官達によって事態は一気に収束した。両方の話から、イリクレル達は態度を、俺は風の魔術で相手をすっ転ばせたことをしこたま叱られた。
「ちっ、もっとバレないようにやっときゃ良かったな」
転ばされた奴がびくりと肩を震わせている。ちょっと効き目がありすぎたか。ついでに言うと、騒ぎを止めなかった先輩連中もお叱りを受けたらしいが、重要なのはそこじゃなかった。
「今思い出しても、あの時はマジで怖かった。心底、殺されるかと思った」
「なんでだよ!」
必要以上に相手を責め立てるのは嫌だったし、下手をすると夢への道が閉ざされる、なんてことになりかねない。牢屋は気にくわない奴をブチ込むところであって、自分が入る場所じゃない。
「いーや、あれは本気だった。迫力が半端じゃなかったし。まさかヤルンが凄い魔導師の弟子だったなんてさ。知ってたら声なんてかけなかったよ」
ぬぐ、またこれだよ。
「あの一件で、ヤルンさんはここでもすっかり有名人ですね」
「ココまでそんなこと言うなよぉ~」
俺は顔をしかめて呻いた。ちょっと悪戯程度に術を披露してみせたのがいけなかったみたいで、またもや歓迎出来ない噂が立ってしまったのだ。
相変わらず師匠も「人生最高の弟子」と吹聴しているせいで、嬉しくない方向に名前が知れ渡る一方だ。
イリクレルがやんちゃっぽく笑って言った。
「きっと、将来は有名な魔導師になるだろうから、今のうちにサインでも貰っておこうか!」
「だ・か・らっ、俺は騎・士・にっ、剣・士・になりたいんだってば!」
ぎゃあぎゃあ喚くと、キーマが「それはもう良いから」などと首を振る。
「ホント、お決まりのネタだよねー」
ネタじゃねぇよ!!
ゲスト三人組でした。なんだかキーマはヤルンのマネージャーか何かみたいになってますよね。
ヤルンが使った風の魔術は、第二部第八話「手の内の刃」で覚えた術の弱体化版です。いつか使えそうだと思って改良していました。改良かな……?




