第二話 始まりの始まり
ヤルンは何故兵士になったのか。どんな人間で、どんな希望があったのか。
全ての始まりは、俺が12歳になる年の春に届いた一枚の紙切れだった。
兵士に呼ばれて渡されたそれには「汝、国民としての義務を果たすべく登城せよ云々」とかいう、気が遠くなりそうな難しい文章がずらずら並んでいたが、つまりは兵役に就けという命令書だ。
両親はやんちゃ坊主だった俺にお堅い兵士なんて務まるのかと随分悩んだらしい。
自分でも、振り返ってみれば相当の悪戯小僧だったと思う。壁の落書きなんて優しい方で、棒を振り回して物を壊したり、他人の敷地に無断で秘密基地を作ったりとやりたい放題しては叱られていた。
いつかは騎士になってやる! と思ってはいても、ただそれだけ。そのうち「何か」が起きて、夢が叶うと信じていた。だから、命令書には飛びついた。「何か」がついに起きたと思ったわけだ。
「よっしゃあ! これで俺もいよいよ騎士になれるぜ!」
どれだけ嬉しかったかというと、登城の日までニヤニヤ笑いが止まらなかったほどである。とにかく兵士になりさえすれば、あとは自分のやる気一つでどこまでも登り詰められると信じていた。
その考えが浅はかだったと知るのは、適性試験の時である。
親に手渡された目一杯の荷物を背負い、俺は城へ向かった。遠くからは眺めた事のある地方領主の城も、中に入るとその大きさに圧倒された。いったい、うちの何倍あるんだ?
そこにゾロゾロと同い年らしい子ども達が入っていくのを見て、あぁと思った。みんな、俺と同じように招集された者達に違いないと。
男は正規兵に、女は訓練後に職人や侍女などになるのだろう。まぁ、男でも給仕になる奴はいるし、女でも剣士になったりするらしいが。
「おっ、兵士がいる!」
腰にさしてあるのは本物の剣だよな。うぉお、格好いい~。俺も早くなりてぇ! 長く伸びた列に並びながら、期待に肌を震わせていた。
「これから適性試験を始める!」
膨れあがった筋肉を頑強な鎧で包んだ勇ましい男が、前に進み出て宣言する。てっきり体力テストをやらされると思っていたら、机と椅子が並べられた、だだっ広い部屋で、読み書きと計算をさせられた。
まぁ、訓練メニューや命令書の字が読めなきゃ話にならないか。計算は……なんのためだろう?
「なんだ、結構簡単じゃん」
問題用紙に目を通して、ピュウと口笛を吹きそうになった。勉強は嫌いだけれど、商家に生まれただけあって基礎的な学問は半ば無理矢理に仕込まれている。これなら早くも有望視されちゃうかも?
「終わった者から外に出るように。身体検査ののち、最終試験を行う!」
身体検査はともかく、最終試験って? まさか、もっと難しい問題を突きつけられるんじゃないだろうな。そんなことを考えている間にも手はスラスラと動き、用紙に解答を敷き詰めていった。
静かに立ち上がって外へ出る途中で周りを窺うと、すでに幾つかの席が空いている。貴族の子息達が座っていたところだ。ちぇっ、やっぱお坊っちゃんの方が何倍もお勉強してるに決まってるよな。
廊下には列が出来、その先は隣の部屋へと吸い込まれていた。どうやらそちらで身体検査をしているらしい。入ってみれば、内容は身長や体重、医者らしき男による検査といった単純なものだった。
それもすぐに終えてしまうと、いよいよ最終試験である。さっきより列の流れが遅いなと思ったら、次の部屋には一人ずつ入るようだった。
「何志望?」
「えっ? 俺?」
前に並んでいた奴がふいに振り返った。ひょろりと背が高く、俺に興味を持って聞いてきたクセに、冷めた瞳が印象的だ。なんだか「面倒くさい」が服を着て歩いているみたいに見える。
「そりゃ男だったら剣しかないでショ」
俺は鼻息も荒く宣言した。初対面から妙に馴れ馴れしい奴だなと思ったけれど、これから同期生になるんだろうし、堅苦しいのも嫌いだしな。
「へぇ。こっちは魔法なんかも使えたら便利だと思ってるんだけどさ」
「あ~、俺はパス。やっぱスリル満点の斬り合いこそロマンって感じ?」
それなりに盛り上がっている間に一人、また一人と順番の列が進み、いつの間にかそいつの番がやってきていた。
「じゃあ、お先」
誘導役に急かされ、それでも余裕の調子で入っていく背中を見送る。といっても次は俺の番なのだから、すぐに同じ部屋へと入ることになった。
「失礼しまーす」
室内は他となんら変わり栄えのしないところだったが、通常は配置されているだろう机や椅子が撤去されて広々としている。
そこに人影が一つ、ぽつんと佇んでいた。外を眺めていたのか、俺の声に気付いてこちらに顔を向ける。
ローブの帽子をおろしたそこには長い白髪がふさふさと生え、口髭との境界線が見分けられない。まるで童話にでも出てきそうな老人だ。
「ふむ、なかなか元気そうじゃの。名前は?」
声もしっかりと嗄れてる。こりゃ、ホンモノのじいさんだな。……と感心しているわけにもいかない。俺はおっかなびっくり「ヤルンです」と答えた。
それから、先程の部屋で提出するように手渡された二つ折りの紙を差し出した。老人は皺が刻まれた指先でそれを開くと、もう一方の手で髭を撫でながらまじまじと眺めている。
「見るな」と注意されていたから開いてはいないけれど、身体測定や試験の結果など、俺に関するデータが書き込まれているに違いない。
「ふむふむ……」
あれ? もしかしてこのじいさんってお偉いさんだったりする? これってまさか最終面接か……!? そのことに気付いた瞬間、じいさんは目線を紙から上げた。
「問題はなさそうじゃな。ほれ、これを飲んでみぃ」
すっと差し出されたのは小瓶だった。恐る恐る受け取ると、片手に収まるサイズの透明の瓶の中に、同じく透明の液体が揺れている。
「な、なんですか。これ」
「安心せい、体に害はない。ここに来た者は皆飲むんじゃよ」
くんくん。蓋を開けて嗅いでみても匂いはない。まるっきり、ただの水だ。でも、水を飲ませる試験なんて怪し過ぎる。警戒する俺に、じいさんは口の端を上げて笑った。
「ふふ、犬のような奴じゃの。どうした、怖いか?」
「舐めんな!」
挑戦的な瞳にカッときて、俺は叫ぶと同時に一気に飲み干した。味わっている暇もなかった。いや、最初から味などなかったのだろう。
「……?」
数秒は何事もなく過ぎた。なんだ、やっぱりただの水だったのか――。
「!?」
唐突に体が熱くなった。それも、腹の奧から炎が吹き出したかのような、痛みにも似た激しい熱だ。
「なっ、あつっ、じ……ジジィ、一体、何……盛りやがった……!?」
あまりの熱と痛みに、呼吸も声も途切れ途切れになる。視界に光が明滅し、これが「星が回る」ってやつなのかと思った。じいさんは慌てる素振りもない。苦しむ俺を涼しげな表情で観察し、「ほほぅ」と呟く。
「害はないと言うたじゃろう? すぐに消えるわい。それにしても、お主、そんなに熱いのか? 苦しいのか? 演技じゃあるまいな」
「誰が、初対面のじじいに、心臓止まるような真似、するかよっ」
いいから助けてくれ! と叫ぼうとして、勢いよく息を吸い込んだせいでゲホゲホと咳き込む。そうこうしているうちにピークが過ぎ去ったのか、やがてゆっくりと熱が引き始めていった。
ぜぇぜぇ肩で息をする俺に、じいさんはまたも髭を弄びながら目を細める。
「おさまってきたか。それは魔力に反応して熱を発する水でな。強い魔力を持つ者ほど苦しむのじゃ。……お主には余程見所があると見える」
まだ痛みの余韻が濃く残っていて、「えっ」とも、「ちょっと待て」とも言う暇はなかった。もちろん、剣士になって王様に仕える騎士になり、活躍するのが夢だ……などという情熱も。
全身汗びっしょりで前屈みになった俺の背中に、楽しげな声が降ってきた。
「よし、魔導兵士見習いに決定じゃ。わし直々に仕込んでやろう。いやぁ、楽しみじゃのう」
ほっほっほっ。その笑い声が、俺を不幸のどん底に突き落とした。
剣士になるはずが、魔導士コースへ強制突入させられるヤルン。軌道修正なるか?