第三話 お宅訪問・後編
後半はややシリアス。ほぼ戦闘シーンです。かなり長くなってしまいました。
「んじゃ、一丁気合い入れるかな」
気が付くとぽっかり開けた中庭のただ中に立たされ、目の前には先ほど初めて会ったばかりのココの弟――ルクスが剣を慣れた様子で構えていた。
青い短髪を風に靡かせる彼は今年で14歳になるらしいが、可愛らしい顔に反して背丈は割と高い方じゃないだろうか。
「よろしくお願いします」
「あぁ。よろしく」
だからと言って「抜かされるかも!」と焦ったりすることはない。俺も例の薬のおかげで目に見えて伸び始めたからだ。まだ飲み始めてそんなに経っていないのに、服がきつくなってきた気がする。
これまでどんだけ魔力に栄養を回してきたんだって話だよな。許容量は限界値を振り切ってるんだから、これ以上増える余地もないのに。
師匠の思惑通りに人間をやめるつもりは、これっぽっちもない!
「頑張ってくださいねー」
「おー」
少し離れたところからは、ココが手を振りながら明るく声援を送ってくる。その隣には彼女の両親――いかにも上流階級といった雰囲気の男女が微笑みながら並んでいた。
三人には使用人達がそっと日傘を差しかけている。実に優雅な光景だ。
それにしても、さすがは騎士を何人も輩出してきた家柄の当主だな。父親はがっしりした体つきをしていて、いかにも強そうに見える。武器の扱いもお手の物って感じだ。
横に沿う夫人はココによく似た細身の美人で、一足早く彼女の将来を覗くようだった。皺の薄い白い肌は、とても俺の親と同年代とは思えない若々しさを保っている。
審判役を務めてくれることになった執事のクオールズが問いかけてきた。
「武器は何を使われますか? 大抵のものなら御座いますが」
「それなら自前の物があるので。――『来たれ!』」
魔力を含んだ呼びかけに応え、自分の剣が薄い光と共にスッと現れる。よしよし。「おお」と驚きの声を発するクオールズやルクスを放置してその柄をグッと握ると、手に吸い付く感触に安堵を覚えた。
鞘を捨てて刀身の輝きを確認してから軽く数回振り、曇りのなさと馴染んだ重みに笑みが浮かぶ。やはり剣はシンプルで良い。
時間の許す限り触るように努めてはいるけれど、キーマや分身以外の誰かとの対戦となると久しぶりだ。昂る感情を抑えられそうになかった。
「先ほどといい、素晴らしい手腕ですね」
「魔術のことか? お世辞を言ったって手加減はしないぞ」
ルクスが先ほど、と言ったのは、通された客間でココの家族へ贈った手土産のことである。彼女が我が家に振る舞ってくれたのと同じく、俺も魔術で入れ物ごと喚び出したのだ。
術自体は剣を出すものの応用であり、呪文と理論さえ教われば一晩で習得することが出来た。いちいち荷物を持ち運ばなくて良く、傷めてしまうこともないから本当に便利だ。他にも転用が効きそうだしな。
贈り物の中身はフリクティー王国の一部の地域でしか織られないという異国情緒豊かな布の詰め合わせに決めた。
『だったら、お母様の心を掴むものがオススメよ』
何にすれば良いか悩んでいた自分に、護衛役の先輩がウィンクしながらアドバイスをしてくれていたのである。独特の色使いの布は手触りも滑らかで、特に夫人は大喜びしてくれた。
『新しい服やハンカチにピッタリね。カバーにも使えそう。うぅーん、迷うわねぇ……!』
丁度良いことに、彼女は繕い物や刺繍が趣味なのだそうだ。一緒に眺めていたココの父親やルクスも品質の良さと珍しさに見入っていたから、多少値は張っても奮発しておいて大正解だった。
じゃあ、何故それがこの対戦に繋がったかというと、直後に切り出された結婚についての話題からの流れだった。
美しい調度品がそれとなく飾られた客間は品が良く、居並ぶココの家族達の表情も柔らかい。
出されたお茶の口当たりも優しく、そのため緊張したのは最初のうちだけで、俺が勝手に想像して背筋を震わせるような展開は待っていなかった。
「それでは、私に縁談を指示されたあのお手紙は、本心からではなかったのですか?」
深く沈むソファの隣に座るココが言い、父親が軽く頷く。
「結婚を願う気持ちは嘘ではない。それにクオールズが、そうすることがココの幸せになるはずだと熱心に言ったのでね」
「私達も迷ったのだけれど、貴女と離れて過ごすうちに、その意見が正しいように思えてきたのよ」
なんと、あの騒動を引き起こしたきっかけは長年この家に仕えてきた執事の進言だったのか。前に会った時にきちんと説得しきれないまま、彼を帰してしまった結果ともいえる。
確かに手紙の内容そのものは常識的だったからなぁ。ココから聞いていた両親の印象との食い違いがあったのも、そのせいだったのなら納得出来る。
事実を知った本人は、自身の詰めの甘さに落ち込んでいるようだった。
「ココが受け入れるなら祝福しようと決めたが、お前は自ら相手を選び、セクティア様というこれ以上のない後ろ盾も得た。私達も今更反対するつもりもない。……が」
が? そこで脇から口を挟んできた相手こそが、俺にとっての伏兵だった。
「僕はまだ、心から姉上の婚約をお祝いする気持ちにはなれません」
とは、黙って話を聞いていたルクスの発言である。可愛い外見通りの素直な少年かと思えば、案外そうでもないようだ。
「姉上の相手は、少なくとも自分より強くなくては任せられません。是非、手合わせをお願いします」
……だよな、この両親の息子だもんな。
そして今に至る。
「本当に試合をやるんですか」
「敬語はやめて下さい」
念には念を入れて意思を問うと、ルクスは大人びた顔で笑った。同じように躾けられてきたからか、その表情も口振りも姉弟で良く似ている。
キーマのところも兄弟で瓜二つだったし、俺も自覚する以上に他人からは兄貴と似ているように感じられるのかもしれないな。
「じゃあ、遠慮なく」
「はい。僕達はもうすぐ義理の兄弟になるのですからね」
「……こっちが勝てば、だろ」
そこで先程の武器のやり取りを挟み、一定の距離を取った。俺も下げていた剣を顔の前で緩く構える。
「もし俺が負けたら?」
「姉上を置いて、お一人でお帰り頂きます」
ツッコみそうになる口の端を無理やり引き結んだ。
手紙が届いた時にも全く同じ疑問が湧いた。ココを本人の望まない場所に留め置くことは、自分には至難の業にしか思えないのだが、家族には簡単なのだろうか。詳細を聞いてみたい。
「では、いきますよ」
俺が浅く頷いたのが開始の合図になった。ダッと向こうが地を蹴り、その勢いのまま真っ直ぐに剣先を突き刺してくる!
どんどんと鋭い閃きが自分を目掛けて迫りくる光景は、本能的な恐怖を抱かせるものだ。肌に触れた時の想像が過って、全身が硬直しそうになった。
でも、こちらとて兵士になりたての新人ではない。フッと息を吐くことで腹に力を入れて強張りから脱し、体を捻って斜め後ろに避ける。
「クッ」
ルクスは予想していたのか、軸足を踏ん張って切り上げてきた。俺はその攻撃を自身の刃で受け止める。
ガッ! 耳障りな音が鼓膜に刺さった。その状態は維持され、力の押し合いに突入する。剣はギリギリと軋みを上げ、腕が震えた。
「……っ!」
いずれは家を継ぎ、書類仕事に従事する身なのだろうに、とてもそうとは思えない。
押し負けるつもりは毛頭ない。しかし、初めに見せた躊躇いのなさからも相当鍛えていることが窺えた。
「自分が騎士になろうとは思わなかったのか?」
「強くはなりたかったですが、それよりも姉上の夢を応援したかったので……っ」
なら、どこぞの誰かに嫁げなんて話に反対はしなかったのか? 顔見知りであれば姉を託したいと思うかもしれない。でも、縁談の相手はココの知らない人間だった。
「はッ!」
詰めていた息を吐くと同時に、横薙ぎに拮抗を崩す。ルクスは力を緩めて勢いを逃がし、後ろに跳んで体制を立て直した。
お互い、肩を大きく上下させている。数度吸って吐き、呼吸を整えた。
「矛盾しているとお思いですか? 僕は姉上が諦めるはずがないと信じていただけです」
「成程な」
魔導師の最高峰を目指して兵士に志願し、男達に混ざって訓練に齧り付いてきた姉は、結婚話如きでは折れない。必ず何か手を打ってくると静観していたわけだ。
「王族の後ろ盾はともかく、別のお相手を出してきたことには驚きましたけどね」
「そうなのか? 家に帰った時に、話くらいはするだ、ろっ!」
再度突進してきたルクスを、今度は逆側にかわす。風圧が髪を打ち付けてくる。がら空きの足元を狙って剣を振るも避けられ、自然と舌打ちが出た。
そこからは似たようなやり取りが数回繰り返されたけれど、決定的な一打は得られない。膠着状態が続いた。
「くそ、早いなお前」
「そちらこそ」
俺は素早さをウリにしているが、向こうはもっと小さい分、更に素早い。しかもその長所を本人も良く承知して活かしてくる。相性の悪い対戦相手だ。
「もちろんお話はして下さいますよ。魔術のことや、素晴らしい先生のことを主に」
素晴らしいかなぁ。師匠のことだと判別は出来るぜ? 納得出来るかは別としてな。
「違うのですか? お弟子さんなんでしょう?」
「一応な」
弟子は弟子でも、無理やり捕獲された弟子だ。なのに、きっとココは俺のことも「素晴らしい弟子」だと大盛りに盛って話しているに違いない。
それを裏付けるようにルクスは不思議そうな顔をした。
カン、カン! 刃を交わらせる度に音が鳴り、火花が生まれ、汗が散る。彼の剣の実力はかなりのもので、指導してやろうなんて空気では全くなかった。それだけ幼い頃から鍛錬してきたのだろう。
いかに普段、自分が魔術に頼っているかを思い知らされる。全身汗だくになりながら、歯軋りしたい気持ちでいっぱいだった。
「決着、つきませんね。本気を出されても大丈夫ですよ?」
出してるっつの。実力が伯仲している分、長引きそうだと思った、まさにその次の瞬間だった。
またも切っ先が飛んでくる。怠さを訴え始めた体に鞭打って避け、今度こそと渾身の力を振り絞って剣を繰り出し――自重を支え切れていないルクスの姿を、俺の両目がしかと捉えた。
余裕のあるふりをして、すでに限界を超えていたのだ。こちらの攻撃は確実にヒットする角度で入っている。当たる寸前で止めて試合終了に持ち込むつもりが、これでは胸を貫いてしまう。
「危ないっ!」
――駄目だ。
気付いたココの叫びが届いたのと同時に、全身が沸騰したみたいにカアッと熱くなった。その熱は圧力となって体外に発散され、限りなく近付きつつあった互いの距離をグンと遠ざける。
「ぅわっ!?」
ルクスも彼の剣も容赦なく吹き飛ばされ、俺も近くにいたクオールズも巻き上がる砂ぼこりにすっぽりと包まれた。
「泊まっていって下さったら良かったのに」
「あんな豪華な家に泊まれるかよ。何か壊しても弁償出来ないんだぞ」
俺達はスウェル城の兵舎へと戻ってきていた。ここ数日の間、仮の宿として借りている空き部屋である。
「気にされなくても大丈夫ですよ?」
「こっちが気にするんだよ」
あのピカピカ光る壺やら名画やらを壊した日には、この命で贖わなければならなくなってしまう。そんな人生の幕引きは嫌だ。
「あー、やっぱり楽で良いなぁ」
今は私服だ。一張羅は砂だらけにしてしまったから、やっと脱ぐことが出来て二重の意味でスッキリした。まぁ、腑に落ちないことは他にもあるのだが。
「……本当にあんなオチで良かったのかよ?」
試合のことだ。無意識のうちに魔力が溢れたおかげで誰も怪我をせずに済んだが、あんなものが決着と呼べるのか。なんとも言えない気分で問うと、ココは「はい」と応えて笑った。
「ルクスも『参りました。義兄上には敵いません』って言っていたじゃありませんか」
「文字通りに受け取れるわけないだろ」
疑いの目が面白いのか、ココはくすくすと笑い声を立ててから、「ヤルンさん、とっても格好良かったです」と言う。
「えっ?」
あまりそんな風に褒められることがないためにドキッとし、固まった隙に彼女に易々と捕まってしまった。
「というわけで、次は私のお相手をして下さいね」
「お相手って、何の……?」
「もちろん特訓ですよ。目標達成まであと一息です。頑張りましょうねっ」
「!!」
ココの立てた「目標」を思い出し、間近に迫った彼女の顔を凝視する。笑みの形に歪められたピンクの唇を前にまたもや魔力をグルグル巡らせて、「もー!」と怒りを買ってしまうのだった。
書いてみたら前編の1.5倍くらいになってしまいました。




