第九話 親善試合・後編
ロレーズの提案で試合をすることになったヤルンとココ。
人数的に圧倒的に不利だった戦いの行方は?
「寒いっ」
「助けてくれぇ!」
訓練場を満たす悲鳴に、試合は一時中断される。身動きが取れない者達はロレーズや観戦人によって運び出された。幸い、大きな怪我をした者はいないようだ。
「やり過ぎたでしょうか?」
「大丈夫だろ。この国の人達、治癒術が得意みたいだし。それに、もし相手が極悪人だったらどうしてた?」
「……その場合は水に電撃を伝わせてましたね。全力で」
『殺す気かッ!』
複数方向からツッコミの声が殺到した。
再開してみると、対戦相手は10人ほどにまで減っていた。やられた者以外にも、魔力切れや戦意喪失が原因で辞退する人間が出たせいだ。
対するこちらもかなり疲弊している。残るは実力者揃いと見て間違いないし、やはり前衛がいない中での武器の禁止が痛い。嫌な汗が背中をじっとりと濡らす。
「魔力、どれくらい残ってますか?」
「半分……三分の一だな。そっちは?」
「同じくらいです」
でも、消耗が激しいのは向こうも同じはずだ。競り負けるわけにはいかない。静かな睨み合いが続き、先に仕掛けたのは人垣の向こうにいた一人の魔導士だった。
『光の活力を受けし影よ――』
この甲高い声、女か? 物珍しさからつい気を取られ、一瞬、反応が遅れた。対策を練る前に術は完成してしまい、今度は黒い何かが俺とココの足元からズワッと生えてきた。
「げっ」
影だ。自分の影が肥大化し、体を侵食し始めたのである。黒く染められたところは、地面に縫いとられたみたいに動かせない。拘束には拘束をってか!
上がってくる端から引き千切ろうとするも、水と同じく切れるどころか伸びて余計に絡み付く。それはすぐにも全身を覆い尽くし、服に深く食い込んでミシミシと締め上げてきた。
「いでででで! 骨まで砕く気かよ。おい、大丈夫かっ」
「んん、ん~!」
彼女も必死に身を捩って抜け出そうとしている。けれど、脱出する前に俺達を縛った張本人が近付いてきた。空色のローブを着た若い女だ。
「降参しますか?」
一目置かれる存在なのだろう、周りは黙って見ている。緑の髪と瞳のそいつは腕を組み、不敵な笑みを浮かべた。その様は誰かを彷彿とさせる。……そうだ、西の魔術学院長のスネリウェルだ。
「それとも、精神まで闇に呑まれる方をお好みですか?」
脅しの内容まで似ているとは、なんとも皮肉な話である。
「はっ、誰が降参なんかするか」
「私も負けません!」
「そうですか。では」
名前も知らない彼女が目配せすると、仲間は懐からあるものを取り出した。細長いそれは、水晶!? 待て待て、「精神まで闇に」って、魔力を吸い取って戦闘不能にするって意味か!?
「道具の使用なんてアリかよ!」
「武器ではありませんから」
言って彼女は俺に近付き、一本を首筋に当ててきた。ひやっとしたのは一瞬で、すぐに栓を抜かれたかのように体の熱が奪われていく。
「あ、う、やめろ……っ」
そこに気遣いの色はなく、勢いの速さに視界がぐらりと揺れた。水晶は黒く染まっているに違いない。女は愉悦を含んだ声音で「素晴らしい」と呟いた。
その向こうからは他の奴らが水晶を手に迫ってくる。俺がやられたら、次はココが同じ目に遭わされて試合は終了だ。暗くなってきた視界の中で、活路へと思考を巡らせた、その時だった。
「駄目です」
「……ココ?」
背を向けているため、俺からは彼女がどんな様子なのかを窺うことは叶わない。けれど、ぷちりと何かが切れる音が聞こえた気がした。
「ヤルンさんの魔力を奪うなんて絶対に許せません。それをして良いのは、オルティリト師匠だけですっ!」
「んなわけないだろッ!?」
膨れ上がるココの怒りと魔力を背中に感じながら、敵よりも先に彼女の価値観をなんとかしなくてはと思う自分がいる。
ぶちぶちぶちっ! 背後で何かが激しく千切れる音がして、近付きつつあった敵達が後ずさった。
「か、影を引き裂いた?」
「力で捩じ伏せるなんて、あり得ない」
あー、この反応、なかなかなことになってんだろうなぁ。肌がピリピリするし。
女も余裕のあった顔色をさっと変え、俺の首に当てていた水晶を外した。鈍い痛みを伴うほどだった魔力の流出が止まり、薄れかけていた意識も戻ってくる。
これで影から脱出出来そうだと思ったそばから、ココが一歩踏み出す気配があった。
『光よ』
そのたったの一言で風が起き、俺の自由を奪っていた闇が綺麗に弾け飛んだ。
「大丈夫ですか?」
「あ、あぁ」
返事をして振り返り、ちょっとだけ後悔する。前に女性ばかりを狙った凶悪犯を捕まえたことがあったが、今のココはあの時と同じ状態だった。
「なぁ、武器じゃないから良いんだよな? 持っておいて正解だったぜ」
俺は懐を探って触れた硬いそれ――黒々と光る水晶を二本取り出し、空っぽ寸前だった自身を埋めて、ふぅと息をつく。
「これ、帰り用の魔力だったんだぞ。足りなくてウチのお姫様に叱られたらお前のせいだからな」
ココは体に立ち上るような魔力を纏い、見る相手全てを圧倒している。虚ろな目を向け、黒く染まった水晶を持つ女に手を差し出し、言った。
「その魔力、お返し下さい」
「これは試合でしょう。ルール違反をしていない以上、返す必要もないと思いますが?」
うわぁ。そりゃあ正論を吐いたつもりだろうよ。奪った物が「それ」でさえなければ良かったんだがな。
「残念です。ロレーズさん」
「は? はあっ!?」
俺は首をぐるりと巡らせた。試合が一時中断された際、ロレーズは倒れた仲間の介抱にあたっていたはずだ。しかし、探してみてもその姿は何処にもなかった。
「おや、見抜かれてしまいましたか。さすがですね」
女はあっさりと言い、変装術を解く。そこには数日の間にすっかり見慣れた男が立っていた。つまり、中断のタイミングで紛れ込んだってことか。
不自然さを隠すために、元々居た者と入れ替わった可能性も考えられる。
だから他の人間も大人しく従っていたというわけだ。道理で変だと思ったぜ。
「ココは気付いてたのか?」
「いえ、巧妙に隠されていましたから。でも、『素晴らしい』と言われた時の声でピンと来たんです」
そうか、情報交換の時に連呼してたもんな。俺の方は魔力をガンガン吸われている真っ最中で、気付く余裕は皆無だったが。
「どういうつもりスか」
試合に加わりたいなら提案すれば済む話だ。こんな騙し討ちのような真似をする理由が思い付かない。ロレーズはくすっと笑って種明かしをした。
「半分は王妃様のご命令です。もっとお二人について調べるようにと」
うげ、あの怖い王妃サマか。彼によれば、机上でのやり取りでは得られない情報を戦いの場で引っ張り出させろ、とのご意向だったそうだ。
そこで若手をぶつけたけれど、思うより成果が上げられそうにない事態を不満に感じた。おあつらえ向きのチャンスもあったため、こっそり参戦することにしたのだとか。
「あとの半分は?」
「ついでに強い魔力が欲しくなりまして。これでも宮廷魔導師の端くれですからね。貰っちゃ駄目ですか?」
茶目っ気を含んだ笑みで黒い水晶を見せる。このヒトは……っ! ココの魔力が再び勢いを増し、俺の頭でもブチリと切れる音がした。懐から更に数本、水晶を出して魔力を補給する。
「……お二人とも?」
「手加減、要らねぇよな?」
近付く足音に目を遣れば、隣にやってきたココも同じ作業をしていた。
「はい。あちらが先にルールを破られた以上、こちらが則り続ける理由は一つたりともありません」
差し出した手に、彼女が手を重ねてくる。魔力をゆらゆらと放ちながら笑い合う二人は、周囲にはさぞ不気味に映ったことだろう。
『世の理を支えるものよ、その柱に繋がれし、楔を砕け』
声を揃えて呪文を唱え、ふわりと宙に浮き上がった。幻で隠してあった印が互いの手のひらと手首とで微かに光っている。
「と、飛んだ?」
対戦相手はもとより、観戦者もリタイアした者も、そしてロレーズまでもが、口を開けてこちらを眺める。まだユニラテラ王国でも研究中の段階で、改良の余地の多い飛空術は彼にも教えていなかった。
ドサクサに紛れて魔力を盗もうなんて礼儀知らずには、もう幾ら知りたがっても絶対に教えてやるつもりはない。
ココは鎮め歌を『ひらり、はらり――』とワンフレーズだけ口ずさんでから、風に遊ばれる青い髪をざっとかきあげる。
「怖くないか」
「大丈夫です」
魔術歌も多少編曲を加えることで、呪文と同様に短縮することに成功していた。味気なくなってしまうのがちょっと勿体無いけどな。
「空気が冷たくて気持ち良いですね」
「あぁ。なぁ、外で飛ぶのって初めてだよな」
誰かに見られては面倒だったため、実験はいつも屋内だった。晴天の下、髪を靡かせて浮かぶのは格別の気分である。今はその心地よさに身を委ねている場合ではないのが残念だ。
「悪戯が過ぎる小僧には?」
「お仕置きです」
繋いでいた手を放し、両手を地上にかざして『母なる大地よ』と唱えていく。体の表面は熱いのに芯は冷えている、この冴え冴えとした感覚は久しぶりだ。
『汝の子らをその慈悲深き身に受け入れよ』
地属性の術を行使する横で、ココは水の術を重ねる。共鳴魔術は何の抵抗もなく完成し、変化もすぐに起きた。固かった大地が水面のようにうねり、そこに立つ者達を容赦なく呑み込んでいったのだ。
「なんだこれ、どうなってるんだ!?」
「ぎ、ぎゃああっ。足が、足が沈む!」
「嫌だ、死にたくないぃっ!」
かくして親善試合の場は阿鼻叫喚に包まれ、地獄絵図と化した。全部、欲をかいた馬鹿者のせいである。
「おー、見事な不機嫌顔」
首まで地面に埋まり、魂が抜けかけていたロレーズに二人がかりでクドクドと文句を言い終えて自室に帰ったら、キーマが苦笑して待っていた。
「お前も埋められたいのか?」
「まぁまぁ。大変だったろうから、愚痴くらい聞こうかと思って」
「まだイラついてんだ。明日にしろ」
魔力の解放による爽快感はあったが、我を忘れるほどにはキレなかったし、怒りの余韻はまだ残っていた。早く完全に鎮めないと、周りに影響を及ぼすかもしれない。
「そのイライラを静めるものを準備しておいたよ」
言ってキーマが披露したのはティーセットだった。
「んなもん、どこからちょろまかしてきたんだ?」
「ちょろまかすなんて人聞きの悪い。ほら、城下町でバザーやってたでしょ。あの時に面白そうなお茶を見かけたから、買っておいたんだ」
ポットやカップは、城の使用人に頼んで用意して貰ったものらしい。他国からの客人に出すだけあって、陶器製の美しい逸品だ。
って、いつの間にメイドとお近づきになったんだ? キーマ、侮れないやつ。
「ちゃんとお茶請けもあるし、三人で打ち上げしようよ」
あぁと応え、ココに伝令術を送ろうとして、とあることが頭に浮かんだ。実は前々から非常に気になっていたことがあったのだ。
「お前、こんなにのんびりしてて大丈夫なのか?」
俺とココ、そして師匠は仕事でこのフリクティー王国に来ているが、キーマだけは休暇で付いてきていた。ユニラテラ王都を出発して、そろそろ10日近くが経つ。
「王子サマとかそっちの隊長とかに叱られないのかよ」
あまりに自然に振舞っているものだから、つい忘れかけてしまう。でも、新人がそんな勤務態度ではヤバくないだろうか。クビになってもおかしくない気がする。
キーマは艶が美しいポットを持ったまま目を丸くして、衝撃的な事実をさらりと告白しやがった。
「何を今更。ちゃんと護衛以外の仕事をしてるよ?」
「……『他の仕事』?」
「セクティア姫の動向を、スヴェイン王子に報告するっていう仕事」
「は?」
ポットを一度テーブルに置き、荷物をがさごそと漁って紙束を出す。覗き込むと、紙面にはびっしりと文字が書き連ねてあった。
淡々と、そして丁寧に記されたそれはどこからどう見ても、れっきとした報告書である。
「報告ってお前、す、スパイだったのか!? ずっと俺達を監視してたのか、この裏切り者!」
唾を飛ばす勢いで糾弾したら、キーマはくすくすと笑いだした。何がおかしいんだよ!
「スパイってこっそりするものでしょ。み~んな知ってるのに、諜報もないよねぇ」
え。みんな知ってる……?
「ついでに言うと、ユニラテラとの連絡役も兼ねてるんだよ。何かあれば自分宛てに知らせが届くことになってる。今のところは何もないから安心して」
笑いながら言われ、ココを招いて確認したら彼女は当然の如く承知していて、今度こそ激しく落ち込んだ。ま、間抜け過ぎる!
「穴があったら入りたい……!」
「他人なら沢山埋めたじゃない」
頭を抱えて悶えていると、上手いんだかそうでないんだか分からないツッコミを入れられた。
ずっと書くタイミングがなく、触れていなかった疑問をようやく解消しました。
実は、最初の段階ではお茶ではなくお酒でした。
いつか彼らの酒盛りの話も書いてみたいです。
ちなみに晩餐会での一件はヤルンにとってもココにとっても軽いトラウマです。
目の前で似たような光景が繰り広げられては、黙っていられませんでした。




