第四話 ご利用は計画的に
長旅をしていれば眠くなる時もあるというもの。スウェル軍の爆睡王と、孤軍奮闘する少年のお話。
それは、西へ西へと向かう旅にもすっかり慣れた、とある領地に入った時のこと。
相変わらずトラブルもなく道程は順調で、山と山の合間に設置された、狭く簡素な関所もあっさりと通過した。
じゃあ何が問題なのかというと、師匠が乗った馬が立てる、ぱからぱからという規則的な足音だ。ヤバい、物凄く眠気誘ってきやがる……!
「おいキーマぁ、寝るんじゃないぞぉ」
俺の目線は、かろうじて自分の爪先を追いかけていた。
キーマへの注意もただ喋っているだけで、抑揚も何もない。単に、口でも動かしていないと夢の世界に落ちてしまいそうだから、言っているだけだ。
眠気に猛烈に弱いキーマは、横を歩きながらこっくりこっくりと船を漕いでいる。いやもうこれ完全に寝てるだろ。
「眠ったまま歩けるなんて、器用な奴だな」
普通の人間なら、そこらの石にでも躓いて転ぶはずだ。でも、キーマはヒョイヒョイ避けている。
「あの、起こして差し上げた方が良いでしょうか」
後ろからココが気遣わしげに囁いてきた。さすがというか、生真面目な彼女には睡魔との戦いの気配が一切見られない。
「放っとけば良いって。どうせ、ちょっとやそっと声をかけたくらいじゃ、コイツ起きないしさ」
「でも……」
顔を覗き込めば、目は半開きだ。せっかく高身長で整った顔立ちをしているのに、これじゃ百年の恋もさめるだろうよ。
「相部屋で寝泊りしていた俺が断言する。キーマが一度眠りに落ちたら最後、火災か大地震でも来ない限り、目を覚まさせるのは不可能だ」
「そんな大げさな」
誇張したつもりはない。見習いだった頃、俺がどんなに苦労したことか。一晩語り明かしても足りないくらいである。
「唯一効果があるのは気付けの術だけど、こんなことで使ってたら魔力が勿体ない。不都合もないし、放置放置!」
「はぁ」
ココの返事は、空気が抜けるような吐息だった。多分まだ納得してはいないのだろう。……ん、気付け? そうか!
「そうだよ。気付け術、自分にかければイイんじゃん!」
魔術は他人にかけるより自分にかけるほうが難しいと言われる。でも、この術は諸々の事情により徹底的に訓練したから自信は満々だ。
「いやぁ俺ってば天才だな!」
ところが喜んでいたのも束の間、そんな画期的な眠気対策も次の目的地に着いてからは全くの無駄と化すことになる。
その町は村をやや大きくしたような規模で、人通りも建物もそこそこの落ち着くところだった。当然、ここでも到着したらいつも通り代表者――町長の館へ挨拶に向かう。
「食料を調達したら通過するっぽいな」
「そのようですね」
館は赤茶けた壁で古めかしく、歴史はありそうだったが、抱える兵も使用人も少ないようだった。
言ってしまえば、ちっぽけ。こういう場所にはほとんど滞在せず、必要な物だけ手に入れたらさっさと旅立つことにしている。大勢の人間が何日も留まると迷惑をかけるからだ。
住人が暮らしていく分だけの蓄えしかない、小さな村や町に大人数で押しかけると、どうしても負担をかけてしまう。力仕事を頼まれたりすることはあるが、互いに長期滞在するメリットがないのだ。
「……これ、どうしようか?」
俺はココに話しかけながら、薄目をキーマに向けた。何が凄いって、師匠の指示により館の一室で待機する今の状況にあっても、キーマが眠り続けていることだ。
「甲冑の調度品に見えなくもない、よな?」
起こさないと決めた手前、仕方なく壁に寄りかからせてあるが、このまま置物としてここで一生を過ごしても問題なさそうな気がする。
「それは、さすがに……」
「もしかして、眠ったように見えて実は死んでるんじゃないだろうな?」
それとも誰かに石化か意識混濁の術でもかけられたのでは。ココに放っておけと言った俺の心中でも、呆れが困惑に変わってきていた。
「私、本気で心配になってきました。起こしてあげましょう?」
「そうだな。……待てよ?」
俺は頷き、しかしすぐに待ったをかける。思い付いたことがあったのだ。
「その前に、この間習ったあれ、試してみようぜ。『解析』と『解呪』」
『えっ』
驚きは複数方向から上がった。やはり聞き耳を立てられていたらしい。
待機を命じられている時、俺達は基本的にぼーっとすることくらいしかやることがない。人様の家でおおっぴらに飲んだり騒いだりするわけにもいかないしな。
となると、小声で会話するか、その会話を盗み聞くくらいが関の山だ。でもって、ほとんどの奴らが俺とココに注目していたらしい。ふん、無視だ無視!
「解析って、キーマさんを調べるんですか?」
「ずっと眠り続けてるなんておかしいだろ?」
万が一、何らかの術がかけられていたら大変だ。ほとんど妄想の域に近い意見を吐きながら、俺は指先に意識を集中し始めた。
「で、でも、キーマさんは健康そうですよ」
ココの戸惑いや焦りは尤もだった。解析の術は、呪いや病の原因を探る為のもので、ただ寝ているだけの可能性が高いキーマには不必要だ。
「術が悪影響を及ぼすかもしれませんしっ」
これも、実践経験の浅い術者が起こしやすい事故である。それに、術自体が施される人間の肉体や精神の構造を暴くものだ。扱いを誤れば面倒なことになる。
……ふぅ。一生懸命に止めようとするココの声に溜め息をついた。
「わかった。じゃあ、気付けしてみて、起きなかったら調べるってことでどうだ?」
「は、はいっ」
泣き出しそうだった顔が、ぱっと明るくなる。
周りからもホッと胸を撫で下ろす声が聞こえてきた。どうせ、次は自分の番じゃないかと怯えているのだろう。だから、俺をなんだと思ってんだ。いざって時に助けてやらないぞ。
「それでは……」
ココの集中力が高まるのを感じた。小さな唇からか細い言の葉が流れ、術が完成、発動する。その証拠に小さな閃きが起こった。
「お、おい!?」
ぎゅっと胸を締め付けられる。キーマは目覚めなかった。未だ、眠りの底から帰ってくる気配すらない。
「そんな」
ココもそれきり言葉をのみこむ。呪文も術の編み方も完璧だったし、発動も肌で感じ取った。俺と同等か、それ以上の効果はあったはずだ。
「や、ヤルンさんの仰る通り、何か特殊な術が……?」
「いや、適当なこと言っただけだって!」
ただちょっと悪戯してやろうと思っただけだ。それなのに、長旅で日に焼けた目蓋は動かない。
緊迫感に包まれ、頬に汗が伝う音が聞こえそうな重苦しい静寂の中、キィと扉が軋んだ。
「んん? なんじゃお主ら、そんな隅に集まって」
現れたのは、町長と話を終えた師匠と師範だった。俺達のただならぬ顔色を見て、すぐに察したのだろう。遠巻きの者を押しのけ、輪の中心へ歩いてくる。
「師匠。キーマが、目、覚まさなくて」
二人とも縋るような目をしていたに違いない。師匠は立ったまま眠っているキーマをじっと見詰めた。短く質問を重ねてくる。
「いつからじゃ?」
「町に入る前からです」
「気付けは」
「しました」
「術を調べてはみたか」
「それは、まだ……」
ココは詫びるような視線を送ってきた。解析しようとした俺を遮ってしまい、後悔しているのだろう。呪いなどの悪い術なら、一刻も早く解かなければ命にかかわることもあるからだ。
もちろん、彼女を責めるつもりも権利も、俺にはない。
「ふむ。ちと、調べてみるかのう」
骨と皮だけの細い指先に、針のように鋭い力が宿るのを感じた。ここにいる魔導士全員が、肩におもりを載せられたかと錯覚したほどの魔力だ。師匠はその指でキーマにそっと、優しく触れる。
「……」
実際には一瞬だっただろうが、時間がやけに長く感じた。邪魔してはいけないと分かっている一方で、「どうなんだ!」と叫び出しそうになるのを、必死で堪えた。
やがて手を放した師匠が息を吸い込み、こちらを振り向く。
「ヤルン、もう一度気付けをしてやれ」
「へ? なんで」
呆れ顔で、ほっほっほと笑い出す。
「今度はもっと強く。病人さえも飛び起きるくらいの強さでな」
その瞬間、俺は全てを理解した。怒りが咆哮となって溢れ出す。
「こんっっの、キーマああぁあぁぁあっ!!」
「えっ、あの、どうしたんですか?」
意味が分からずオロオロするココに、俺は「やっぱ眠ってるだけだったんだ!」と教えてやる。何故、ココの術で起きなかったのか。
「答えは簡単じゃ」
なんと、何度も何度も俺が術をかけ続けたせいで、抵抗力が付いてしまったらしいのだ。が、そんな事情、知ったこっちゃあない。
「ムキー!」
俺は怒りに任せて術を完成させ、魔力制御も無視してキーマにぶち込んだのだった。
――そして。
「ヤルン~、どうしてくれるのさぁあぁあ」
ぱっちり目の覚めたキーマが、ゾンビの如く恨めしげに言い募ってくる。いや、キーマだけじゃない。何人もの男達が、血管を浮き立たせながらこちらを睨んでいた。
「あぁ? なんだよ。これでもう寝ちまうこともないだろ。文句あんのか?」
結局、一日くらいは滞在しようということになり、食料を買い込んで宿に入ったものの、夜行性の鳥の鳴き声が途絶える頃になっても目は冴え冴え。大部屋の隅っこで、横になるのも辛い苦境に立たされていた。
「ありあり! 寝てしまうんじゃなくて、寝られないんだよっ!」
そうだそうだと、あちらこちらからブーイングの嵐が吹き荒れる。そう、力任せに魔術を使った余波で、あの場にいた全員が今度は眠れなくなってしまったのだ。
「はん、知るか。責められるべきはお前だろ!?」
『ぶーぶー!』
お前らはガキか! まぁ、不満を言いたい気持ちは分かる。分かるが……俺は絶対悪くない。非など決して認めるものか!
「うるさいっ! 俺だって眠れないんだっ! くっそ、こうなったら夜通し働ける騎士目指してやるかんなーっ!!」
睡眠不足のせいで我ながら意味不明なことを雄叫びながら、呪文の復習に没頭する。眠りの術をかければ良いだけだと気付くのは、それから数時間後のことだった。
「騎士」らしいお話でした。ナチュラルハイになって騒いで、師範に怒鳴られるまでがお約束ですね。
別室のココや師匠は解決法にすぐ気付いてぐっすり就寝です。




