第二話 歌を巡るあれこれ・後編
訓練場でのお話の続きです。
「次は循環ですね」
「あ、あぁ」
ココが両手を俺に向かって差し出してきたので、俺もそれに応じて差し出した。互いの魔力を色々な属性に変化させてから混ぜ合わせ、再び分離させてから元に戻す、「魔力循環」の訓練だ。
「今日は水から始めるかな」
「分かりました」
『……水よ』
気持ちを集中してから同時に唱え、それぞれが小さな水の球体を作り出す。それをそうっと近付け合い、一つの塊にした。
以前であれば、この後すぐに二つに分けて魔力に戻していたが、慣れてきてからは更に火や風にも変化させるようにしている。
「ん、良い感じだな?」
「はい。キーマさんも早く出来るようになると良いですね」
「ココって笑顔で物凄い無茶ぶりをしてくるよねぇ」
「何をげっそりしてんだよ。お前にもそろそろ始めて貰うって言ってるだろ。……よし、明日から実行決定な」
「ええっ!?」
何やらブツブツと文句を付けているようだ。うるせぇな、無視だ無視。もう決めたんだから、何を言っても無駄でーす。
「それじゃあ戻しましょうか」
「だな。……っと」
こちらももう手慣れたもので、以前のように焦って加減をトチったりすることはなくなった。手首の刻印のおかげで一層息も合いやすくなったし、それ自体は進歩したのだから喜ぶべきことなのだろう。
「な、なぁ」
が、自分には一つ重大な懸念があった。今こそ、それをココにぶつける時に違いない。そう思い、全ての行程を終えた時を見計らって俺は切り出した。
「これって消費効率を上げるための訓練だよな」
「そうですね。あとは共鳴魔術の練習にもなっていますけど……どうかしました?」
「……思うんだけどさ。魔力が減らずに困ってんだったら、これ以上効率を上げたら、逆効果なんじゃねぇか?」
そうなのだ。魔力が増え過ぎたせいで、これまで様々なトラブルに見舞われてきたのだから、効率を上げ過ぎると余計に減らなくなって困るのじゃないかと思うのだよ、俺は。
「え、今更それ言う? 遅くない?」
「気付いてたんならもっと早く言えよ!」
「いや、知ってると思ってたからさ」
「……」
くっそ、自分が馬鹿だったのか。まぁいいや。それよりココはどう応えるだろうか? 緊張の一瞬である。
「魔力は多ければ多いほど良いじゃありませんか?」
そこそこの勇気を持ってもちかけた発言だったのに、彼女はきょとんとした顔をした。うわ駄目だ、全く通じてない! しかも更に可愛い顔をして、恐ろしいことを畳みかけてきた。
「私達の魔力って、本当にもう増えないんでしょうか」
「え? ココはもっと増やしたい、とか?」
「はい。ちょっと残念ですよね」
「……マジでそう思ってる?」
「?」
彼女は不思議そうな顔で首を傾げている。わぁ、思いきり目算が外れたな。
「なぁ、そろそろやめにしようぜ?」って話に持っていこうとしたのに、この反応ぶりじゃあ未来永劫、そんなタイミングは来そうにない。完全にこちらの負け、見事なまでの撃沈である。……もういいよ。
「さぁて、始めるかな」
さてさて、基礎はこれくらいにして、本命はやはり飛空術の訓練だ。魔術歌が大いに役立ったのもこの術である。これまではずっと二人で練習していたが、今は違うのだ。
ココが目を閉じて胸に手を当て、小さく息を吸う。静かに歌い始めたのは優しくて甘い、心を静める「鎮め歌」。あの時スネリウェルが歌っていた歌だ。
『ひらり、はらり――』
高く通った声音は耳から体へと染み込んでくるようで、聞いていると眠り歌でもないのに目蓋が降りそうになる。……おっと、気をしっかり持たないとな。って、キーマ、寝るんじゃない!
「テトラ」
命令した瞬間、「にゃっ」という声と共にテトラの黒い右腕、もとい右前足がうなりを上げた。つられたネオンの白い左前足も的確にターゲットを捉える。
鋭い爪に左右から頬を引っ掛かれ、キーマが「ぎゃあ」と悲鳴をあげた。
「き、キーマさん、大丈夫ですか?」
「あんなの後で治せば良いだろ」
「酷っ、なんでもリカバリすれば良いってものじゃないって!」
そんな些末なことはともかく、この歌には緊張を解きほぐす効果がある。じゃあそれが何の役に立つかというと。
「大丈夫かー?」
「はい」
呪文を唱えたココが、俺の手を借りずに一人で浮き始めた。そう、鎮め歌には恐怖を和らげる効果もあるのだ。
おかげで、彼女もこうして自分だけで飛ぶことが出来るようになった。細い体が少しずつ少しずつ、天井に向かって上がっていく。……スカートじゃなくて良かったとこっそり安堵しているのは内緒だ。
それを見届けてから、俺も口を開いた。
「さてと、次は俺の番だな」
呟き、小さく小さく、自分にだけ聞こえるようにココとは違う歌をそっと歌う。と言っても、訓練場はしんと静まっているからどうしても皆に聞こえてしまうのだが。うぅ、恥ずかしい。早く終わってくれ……!
そうして歌い終えてから、手のひらに例の印があることを確認してから『世の理を――』と唱え始める。踵がふわりと音もなく地面から離れていった。
「……よし」
やはりだ。閉じた空間のはずなのに、空気に流れがあるのを全身で感じた。きっと通気口や細い隙間があるのだろう。
それを感じられるようになったのは、俺が「自分は風だ」と念じながら口ずさんだ「暗示歌」のおかげである。まるで本当に自分自身が風そのものになったかのようだった。
せいぜい、ゆらゆらと揺れるくらいにしか移動できなかった体がずっとずっと軽い。浮かんでいるココの周りを自由自在にスイスイと飛び回り、彼女も「凄いですね」と笑ってくれる。
まだ無理だけれど、魔術歌の重ね掛けが出来るようになれば一緒に空の散歩が出来るだろう。その日は遠くないに違いない。
「うっわ、凄いことになってんな」
「ですね……」
一方、セクティア姫の周辺も大騒ぎになっていた。部屋を訪れると布やら服やら箱やらといった荷物だらけの汚部屋……じゃなくて、荒れ放題の部屋と化していて、ココと揃ってびっくりしてしまった。
姫がちゃきちゃきと使用人のシンに命じている。
「あれも持っていくから詰めておいてね」
「畏まりました」
こんな有様になっている理由はただ一つ、俺達が「仕事」でフリクティー王国へ行くと告げたために、姫が「私も一緒に行く!」と言い出してしまったせいだ。
「あぁ、貴女。お土産の品を幾つか見繕って頂戴」
「はい」
今もこうして部屋の中央で元気に采配を振るっている。突然の「お出かけ宣言」に青ざめたのは、シンを始めとする使用人一同だった。沢山の人間が荷物を抱えて汗をかきつつ右往左往している。
王族の生活は平民とは全く違う。執務に社交に夜会にと予定を先の先まで決められているのが普通で、出かけたくなったと言ってすぐに外出出来るわけもない。
「子ども達の服の準備は進んでいるかしら?」
「お任せください。順調に進んでおります」
それも、故郷とは言え隣の国へ、しかも双子の子ども達まで連れてだ。しかし、それで止まる天下のお姫様ではない。行くと決めたら強硬突破あるのみである。
使用人達も止めたのだろうがお構いなし、その他にも夫やレストルを始めとする護衛役達との間にどんな攻防があったかは……聞かぬが花というやつだろうな、多分。
「あぁ、二人ともよく来てくれたわね」
扉のところで呆然と突っ立っている俺達に気付いた姫が、気難し気な顔から一転、ぱっと笑みを浮かべて手招いた。
「セクティア様、本当に行く気なんスか」
「当たり前でしょ? だからこうして準備しているのじゃない。もう、急に言い出すんだもの、やってもやっても準備が終わらないわ。あっ、あれも要るわよね」
こっそりと溜め息を零す。こんなことになるなら、意地でも言わなきゃ良かったな。まったく、どこの世界に、護衛の雑用にくっ付いて旅行に行くお姫様が居るんだよ。
この人の常識はどこまで出張してるんだ? 生まれた時に持ってくるのを忘れてきたとか?
「旅行の予定を詰めたかったのよ。さ、座って座って。シン、お茶の準備をよろしくね」
命じられたシンは一瞬だけ言葉に詰まり、薄い笑顔で「畏まりました」と告げた。原因を作ってしまったこちらは心の中で平謝りするしかない。
こりゃあ、マジで馬車ごと転移する方法を師匠に相談しなきゃならないみたいだ。……水晶が何本くらいあれば足りるだろうな?
そんな毎日をこなしている間に、正式な騎士になるための試験の日はあっという間に目前へと迫っていた。
「うーん」
出来ることと言えば自室で騎士の心得をおさらいしたり、本を借りてきて法律をかじってみたり、魔導書を捲りつつ魔術の復習をすることくらいだ。
なにせ、筆記と実技があるということ以外、レストルからは何も教えて貰えなかった。対策のしようがない。
「なんだかんだ言って、3人の中で一番合格が怪しいのは俺なんだよな……」
ぽつりと呟く。キーマはぼやっとした性格とは裏腹に何でもそつなくこなす奴だし、努力家のココが落ちるような試験なら、誰も受からないだろう。
対する自分はといえば、実技には自信があっても筆記が微妙だ。フタを開けてみたら1人だけ不合格でした、なんて恐ろしい現実には絶対に直面したくない。
万が一そんなことになったら、ショックで寝込むどころか感情が抑えきれなくて魔力を暴発させてしまうかもな……?
「いやいや、落ち着けよ。んなこと、あり得ねぇだろ? 今は合格することだけ考えるんだっての!」
机にかじり付きながら、今日も暗示歌を口ずさむ夜がやってくる予感がするのだった。もちろん、念じる内容は決まっている。
「俺は受かる。俺は受かる……っ!!」
書いているこちらが緊張してきました。次回から試験のエピソードに入っていく予定です。




