第九話 歌の調べ・中編
女性ばかりの晩餐会で護衛を命じられてしまったヤルン。
呑気な前編から一転、緊迫しています。
心をとろかすような優しい音楽が止み、代わりに盛大な拍手で迎えられたのは、細身の濃紺のドレスを纏った歌姫だった。ココがまたも耳打ちしてくる。
「有名な歌い手さんらしいですよ」
「へぇ?」
今いる壁際からだと、歌姫の立つ舞台の中央は少し離れている。そのため、はっきりとしたことは分からないが、年齢はセクティア姫と同じくらいだろうか。
頭の後ろで軽く結い、腰辺りまでに流した紅色の髪と瞳が印象的だった。
「本日はお招き頂き、ありがとうございます」
彼女は恭しく一礼して挨拶を述べ、脇に控える楽団に目配せをしてから、ゆっくりと歌い始める。
「わぁ」
「綺麗な声ね」
などといった静かな歓声が、すぐさまあちらこちらから上がった。柔らかい、けれど澄んでいて良く通る声だ。聞いたことのない歌だったけれど、耳に心地よかった。んん、でもなんだか、少し……?
「……あれ?」
はっとした時には歌は終わっていて、再び拍手喝采となる。「暫しご歓談を」との声に皆が再び食事に戻った頃、歌姫が王妃達に挨拶をしにやってきた。やはり思った通り、20代半ばくらいのようである。
っと、ぼんやりしてないで仕事しないと!
「このような素晴らしい席に呼んで頂き、光栄に存じます」
そう言いながら、ドレスの裾を掴み、そっと腰を落とす。王妃やセクティア姫が「素敵でした」と彼女を褒め、顔を上げるように伝えた瞬間、ふらりとその体が揺れた。
「!」
一瞬、倒れるかと思ったが、歌姫はなんとかぐっと持ちこたえ、「申し訳ございません」と謝罪する。具合でも悪いのだろうか。
「大丈夫ですか?」
「は、はい。失礼をいたしました」
しかし、良く見れば上げた顔の色もあまり良くはない。プロとは言え、こんな場だ。緊張したのかもしれないな。
セクティア姫はさっと周囲に目を走らせ――傍に居た俺を見止めて、「外までご案内して差し上げて」と告げた。え、自分? まぁ、案内するくらいは全然構わないけどさ。
「あの、私が行きましょうか?」
「良いって。ココはセクティア様に付いててくれ」
こそこそと交わし合い、俺は「どうぞこちらへ」と言い、歌姫に手を差し出した。
「ありがとうございます」
礼と共に触れた手に、からだがぴくりと震える。え、この感じは……。
「どうか、しましたか?」
「い、いえ」
駄目だ。微かに違和感はあったが、今はそれどころじゃない。それに、求められてもいないのに探るなんてマナー違反だろう。俺はその細くて白い手を引き、会場の外へと彼女を連れだした。
「ん?」
僅かに開いた隙間から抜け出すように出口をくぐると、控えていた騎士の声が聞こえる。見れば、立っていたのはセクティア姫付きの護衛隊長であるレストルだった。
「ヤル、ル。どうかしたのか?」
ぐっと歯噛みしそうになる。そりゃあ本当の名前で呼ばれたら困るんだけどさ、そっちの名前も使わないでくれよ。
言い難そうで怪しいし。いや、すらっと自然に呼ばれても嫌だがな? だったらいっそ、もっと捻れば良かったか。俺は無理やり平静を装い、「こちらの方が」と伝えることにした。
「ご気分が優れないようなので、会場の外までお連れしたんです」
「ご迷惑をおかけしてすみません。……お化粧室はどちらでしょうか」
自分は会場内の護衛が仕事だ。だから、彼女の世話を別の誰かに引き継いで持ち場へと戻ろうとした。
だが、レストルはなんと、「それなら、この者がご案内します」と、役目をこちらに振ってきてしまったのだ。ええっ?
「た、隊長?」
「外は見ての通り男ばかりなんだ。女性の相手は頼むぞ」
お、俺だって男だっつの! でも、事情を知らない歌姫の前でそうツッコむわけにはいかない。というか、廊下には男性騎士が何人も配置されているから、ここで叫んだら思いっきり自爆してしまう。
うぎぎぎ、これならやっぱりココに頼めば良かった!
「分かりました……。こちらです」
「ありがとうございます」
仕方なく手を取ったまま、長い廊下を連れだって歩いていく。あぁ、視線が痛い。ぐさぐさ刺さってくる。
「あの騎士見習い、誰だ?」
「どこの所属だ?」
だよなぁ。今までこの格好で仕事してたのってごく一部の場所だけだったし、今、女性騎士は全員中だ。ウロウロしてたら超・目立つよな。
うぅ、もし声をかけられたらどうしようか。その時は本当のことを言うしかないんだろうけどさ、はぁ。
けれども、幸いなことに行きは誰にも声をかけられずに、目的地である化粧室まで案内することが出来た。扉をキィっと押し開けてやり、彼女を中へと通す。もちろん俺は外で待機だ。
「ここにいるので、何かあったら声をかけてください」
「はい」
するりと入っていく背中を見送り、ぱたんと扉を閉める。しばらくの間は静かだった。たまに物音がするくらいで、特段、気になるほどでもない。
ただ、更に少し経ち、そろそろ……と思った頃、俺はあるものを耳にした。
「……歌か?」
そう、歌。子守歌のような、柔らかい調べだ。「歌姫」っていうくらいだし、気分が良くなって、鼻歌でも歌っているのだろうか?
でも、こちらも早く受け持ちの場所に戻らなくてはならない。あまり悠長に待っている時間はなかった。
「あの、そろそろ良いですか……?」
中を極力見ないように気を付けながら、扉を開けると、歌がより大きく聞こえてきた。それは優しくて甘い、不思議な音色で、聞いているとだんだん……。
その時、カシャン、とすぐ近くで別の何かが冷たく鳴り、瞬間、くらりと眩暈がした。え?
「なんだ……」
違和感を覚えて扉に添えた自分の左腕を見、そこにあった物を見て――一気に覚醒した。
「なんだよ、これ……ッ!」
疑問を口にしながらも分かっていた。それはどう見たところで、魔力を抑える魔導具の腕輪に違いなかった。「うっ」と声が零れそうになる。
今、俺は耳にカフスを着けている。その上に更に魔導具を付けられたら、体内の魔力はほとんど動かせない。駄目だ、変装術も保てない。幻が剥がれる!
「っ!」
すっと扉が引かれ、支えのなくなった体が前につんのめりそうになる。無理に捻って壁際に持たれかけさせたところで、とうとう術が解けて本来の姿を晒してしまった。
何が起きているのか分からないけど、とにかく早く、どちらかだけでも外さないと……!
「ふふ、こんにちは。さぁ、これもあげるわね」
「や、やめっ!」
相手の方が一枚上手だった。俺の手が耳に届く前に、右腕にもカシャンと腕輪がはめられ、僅かに残った力も完全に抑えられてしまった。
ごとりと懐から魔導書が落ちる。常時かけたままにしてある様々な術が、全部解けてしまったのだ。
魔力を一気に抑えられたせいか、体にも力が入らない。壁に沿ってずるずると硬い床に腰を落とすしかなかった。
扉は今や完全に閉じてしまい、視界の外から伸びた手がご丁寧に鍵までかちりと閉めてくれる。
「良い姿ね」
さっきから聞こえていたのは、あの歌姫の声ではなかった。その響きからもしかしてとは思ったが、かろうじて顔を持ち上げて完全に把握する。
「なんて強い魔力なのかしら。腕輪が二つも必要になるなんて思わなかったわ。でも、これでやっとお話が出来るわね、黒い坊や」
ねっとりと喋るのは、あの西の魔術学院長のスネリウェルだった。紅色の髪と瞳は紺の髪と紫の瞳に、ドレスはローブへと変じている。
どういうことだ? いつ歌姫とすり替わったんだ? いや、最初からこの女の変装だったのか? だとすれば、手に触れた時の違和感にも説明がつく。くそ、下手に遠慮なんてしなきゃ良かったぜ。
「『話』だぁ? 俺をどうしようってんだ」
まさか魔力を奪うつもりだろうか。それこそ根こそぎ、命ごと。そんな想像が頭を過ってゾッとする。
しかし、スネリウェルはオモチャを前にした子どものようにくすくすと笑い、「そうね、どうして欲しい?」などと意味の分からないことを言い出した。
「どうして、って。解放して欲しいに決まってるだろ」
そんでもって、お前をぶっ飛ばして騎士団に突き出す! ……と、ここまで口にしてしまうと敵を煽りそうだったから思いとどまった。すると、彼女はまたも妙なことを口走り始めた。
「あなた、本当に素晴らしい魔力の持ち主ね。ねぇ、私の弟子にならない?」
「は? 弟子……?」
予想外の要求だった。こういう場合って金か命が相場じゃないのか? なんで、「弟子」?
「あなたを勧誘に来たの。あんな老いぼれの人でなしじゃなくて、私の弟子になってくれないかと思って。きっと楽しいわよ?」
「あんな老いぼれ……って、師匠のことか?」
そうだろうなと思いつつも確認すると、スネリウェルは「えぇ」と頷いた。
「自分のことと魔術のことしか興味がない、あのロクデナシのジジイのこと」
「……」
先ほどの「人でなし」発言といい、この点に関しては、俺はちっとも否定できなかった。マジで事実だから。
っていうか、そんなことを口にするからには、この女性は、師匠の古い知り合いっぽいな。じいさんはそんなこと一言も言わなかったのに。二人の間には何があるんだろう。
ん? 俺はもしかして、そのこじれた人間関係のとばっちりを喰らってるのか?
「あなただって、あんな人の弟子でいることに嫌気が差しているんじゃない?」
「……」
完全な肯定も否定もしかねてぐっと押し黙っていると、「ねぇ、どうする?」と改めて問いがかけられる。深い色の瞳がさも楽し気に笑っていた。
「自分の意思で私の弟子になる? それとも――私の歌で、私のものになりたい?」
「っ!」
そうか、歌か。おかしいと思ったんだ。そのせいで身動きが上手く取れなかったんだな?
「古代語で歌う魔術の歌よ。これは、あの人には教われない術……興味ない?」
ない、と言い切ると嘘になるか。あの師匠だって、この世にある全ての魔術を網羅しているわけではないみたいだし、知らない魔術への好奇心はある。でも、「歌」ってのはどうなんだ?
「そんなの、俺よりココの方がよっぽど向いてると思うぞ。なんでこっちに振るんだよ」
彼女なら(正しい手順で)勧誘すれば食いつくんじゃないだろうか。
でも、現実の話の振り方は恐ろしく暴力的だ。一度はココに案内を変わって貰えば良かったと後悔したが、こんな面倒な展開が待っているなら自分で正解だった。
「ココ? あぁ、連れていた黒いお嬢さんね。あの子こそ、あなた次第なんじゃないかしら」
「買い被り過ぎ。ココは動く時は俺より早いぞ。よっぽど行動力も決断力もあるからな」
じゃなきゃ、あの大人しそうな見て呉れで、王城で騎士見習いなんてしてるかっての。少し考えれば分かるだろうに。
「あら、そうなの。なら、あの子を動かせば、あなたが釣れた?」
「俺は魚かよ。それもない」
「残念。……それで、もう返事は決まったかしら」
妖しい雰囲気のスネリウェル。ヤルンは弟子にされてしまうのでしょうか?




