第六話 共同研究の始まり・後編
第七話にしようかと思いましたが、第六話の後編にすることにしました。
「とにかく下準備をしておきましょう?」
「そうだな。とりあえず書いてみるか」
ココに言われ、俺は素直に首肯した。どんな内容であろうとも、師匠に命じられてしまってはやるしかない。うーん、序文かぁ。
「じゃあ、またあとでな」
言って、彼女とは騎士寮の二階へ通じる階段下で別れた。自室に戻るなり、机に向かって真っ新な紙を手に取れば、くっ付いてきたキーマが後ろから覗き込んでくる。
「何だよ、邪魔するなって」
「始める前に、せめて軽~く説明してくれても良くない? 知る権利くらいあるよね?」
「……分かったよ」
とは返事をしたものの、何から説明したものだか。順序立てて懇切丁寧に、ってのは面倒だし、適当に話してもコイツならそれなりに理解するだろ。
「あ、手を抜こうって考えてない?」
「ぐ。そんなこと言うなら説明してやらないぞ」
じろりと睨み上げると、ひんやりした視線とぶつかる。その状態で数秒の間睨み合ってみたが、互いに不毛だと悟って息を吐き出した。
背を向けていた姿勢をくるりと反転させれば、キーマも数歩下がって椅子にすとんと腰をおろす。
「さっき、なんとか術とか言ってたけど」
「『飛空術』な。師匠は、今回の研究テーマをそれにしようって提案したんだよ」
「『飛空』? 空を飛ぶって意味の?」
キーマは口の中で発音しつつ、咀嚼しきれないような表情をした。うん、誰だって、いきなり言われたらポカンとするよな。そして、そもそもの大前提を聞いてくる。
「えぇと、魔導師って空、飛べたっけ?」
俺は直答を避け、代わりに机の引き出しから羽ペンを取り出し、音になるかどうか程度の声で短く呪文を唱えた。するとペンは手の中からスルリと抜けだし、目線の高さにふよふよと浮かぶ。
更に呪文を加えると、今度は意思があるかのように部屋中をゆっくりとしたスピードで揺蕩い始めた。それを目で追いながら、キーマが「飛んでるね」と呟く。
「これが『飛ぶ』って現象だ。これは重力操作と風の術を合わせてるんだ。前にも見ただろ、荷物を浮かせて運ぶところをさ」
「うん。ものすごーく注目されてたね」
「そこは今すぐ忘れろッ!」
ある程度までの重さなら、並の術者でもこんな風に浮かせ、移動させられる。もし長時間行使しようとすれば、もっと技術や魔力が必要になってくる。キーマはこちらの言いたいことを概ね把握したらしい。
「なるほど。つまり、人間は『ある程度までの重さ』を超えるんだね」
「そういうこと」
木箱に詰められる荷物の重さなど、高が知れている。人間とは比べるのも阿呆らしい。
「あれ、でもヤルンは前に自分を飛ばしたよね? オルティリト師と戦った時に」
そんなこともあったな。あの時はココと二人がかりでも、結局師匠にコテンパンにやられたわけだが、今だったらどうだ? ……うーん、まだ負けるイメージしかわかないな。
「あれは特別。あの時は魔力が有り余ってたしな。もっと高くとか、長時間は無理だ。あ、安全性と操作性を無視して良いなら、吹っ飛ばすのは簡単だぜ?」
「それ、『飛ぶ』の意味が違うよね? この世とお別れするヤツじゃない」
キーマがすかさずツッコんできた。ま、冗談はこれくらいにして、だ。
「やっぱり肝は魔力と使い方だな。どっちにしたって、スリリングではあるだろうよ」
「スリリング?」
今のままでは、空中散歩を楽しむ余裕は皆無のはずだ。魔力が切れたら術は解けて、真っ逆さまに落ちるのだから。術者はその間、恐怖と戦い続けることになるだろう。
「あははは。そりゃ、随分と面白そうだね。……オルティリト師が目指すと言った『飛空術』は、さっきヤルンがペンを操ったみたいに自由自在に飛ぶ術なんでしょ?」
「だろうな」
今だって、重力操作で高く「跳ぶ」ことは可能だ。ふわっと浮いた瞬間は自由になった気がして気持ち良いし、空が飛べたら良いなぁとは思う。というか、誰だって1度は憧れるんじゃないか?
町を上から眺めたり、鳥と肩を並べて風を感じるのは、きっと爽快な体験だろう。
考えを聞かせると、キーマは腕を組んで「うーん」と首を捻った。ったく、唸りたいのはこっちだっつの。でも、師匠が勝算のない話をあの場に持ち出すとも思えなかった。
「もしかして、師には目星がついているのかな? 実はもう使えるとか」
「その可能性はあるな」
魔導師達が顔を強張らせたのも恐らくそのせいだ。
そこらの術者が言い出したなら冗談として流しただろうが、あの師匠が提案したのだ。絶対何かあるはず。
いや、単に面白そうだから言ってみたってことも、あの人ならあり得る? それだったら凄ぇ困るから、チラっとも考えたくないが。でも、今回は大丈夫じゃないかと思うのだ。
「ヒントっぽいものなら、もう分かってんだよな」
「何か言った?」
「と、とにかく説明は終わり! あとは邪魔するなよ」
キーマがまだ何か言いたそうにしていたので、俺はそれを遮った。夜にはまた訓練があるのだし、それまでは押し付けられた仕事をこなしたい。
「はいはい」
キーマの適当な返事を聞いてから、俺はまだ飛ばしたままだったペンを手元に戻し、インク壺に突っ込んだ。
「ヤルンー、訓練の時間じゃない?」
「あぁ、もうか」
数時間後、ココではなく、キーマが時の訪れを知らせてきた。ドアを開けてやると、仔猫のテトラと大きな魔導書を抱えて立っている。その二つは、どちらも人目に触れるとよろしくないものだった。
「よっと」
俺はまずテトラを受け取り、胸に抱くようにして体内に受け入れた。黒い肢体は、すぅっと音もなく溶け込んでいく。
自分の魔力で出来ているからこそ出来る芸当だ。ついでに運んでいる間にエサも与えてやれるし、一石二鳥だな。
「じゃあこっちも頼むよ」
次に魔導書を小さくして懐に仕舞い込む。まだ持ち主であるキーマには小さくしたり軽くしたりする術が使えないからだ。早く教えないとな。
さて、ココも加えて屋内訓練場に行ってみると、師匠はまだ来ていなかった。昼間に本業を休んでいたから、事後処理でもしているのかもしれない。だったらと、俺は一枚の紙をココに差し出した。
「出来たから、今夜のうちにでも見ておいてくれよ」
それは書き上がった導入部分の下書きだった。出来たといっても、10行程度のざっとした叩き台だが。彼女は「もう出来たんですか?」と言い、目を丸くしながら受け取った。
「適当だけどな」
当然、これをそのまま出すわけにはいかない。ココにチェックして貰い、表現などを変更した上で師匠に見せ、OKが出れば晴れて完成だ。
「まだ師匠もいらっしゃいませんし、読んでも良いですか?」
「今? い、良いけど」
了承すると、ココがふむふむと読み始めた。うぅ、自分が書いた物を吟味されている時間は、何度経験しても背中がむずむずして落ち着かないな。
ただ、研究を始めたいきさつをこの量にぎゅぎゅっと凝縮するのには骨が折れたから、そこだけでも評価して欲しいところだ。
「――良いと思いますよ」
やがてココは紙面から顔を上げ、にこりと微笑んでくれた。ほっ、第一関門は突破だ。後は細かい部分の修正を依頼し、了解して貰えたところで師匠がやってきた。ナイスタイミングだ。
「師匠、ホントにやるんスか? 飛空術の研究」
俺が質問を投げかけると、じいさんは右目の端だけをクイッと上げてこちらを見た。
「む? やる気もないのに提案したり、序文を書かせたりするものか。わしがそこまで暇人に見えるか?」
「見えます」
即答した。こんな簡単な質問は、滅多にお目にかかれないってくらいに即答した。このじいさんは「面白いものには脇目もふらずまっしぐら」が基本だ。
そこに周囲への配慮が入る余地はなく、周りはひっかき回される。となれば、被害が拡大する前の見極めが重要である。おう、お姫様への対処法と一緒だな。
「まさか何の計画もなく、『出来たら良いな』程度の気持ちで立ち上げた、なんてことはないッスよね?」
師匠はといえば、こちらの憂いなど露知らず。わざとらしくローブの裾で目元を拭う仕草をしてみせ、嘆いた。
「老人にそのような辛辣な暴言を浴びせるとは……。わしは弟子に恵まれておらぬのぅ」
「しなしな動くな気持ち悪いっ! 馬鹿やってないで、とっとと教えてくださいよ。飛空術、もう使えるんでしょ?」
直球をぶつけると、返ってきたのは一般論だった。
「空を飛ぶのは、そこらの魔導師にとって一種の夢じゃろう? 利用価値も高いしのう。提案すれば、乗ってくる確率は高いと思うてな」
そのまま口の先を尖らせ、師匠はぶつぶつと愚痴を言い始める。
「ふん、わしに相談もなく休みなど取りおって」
「あ? 事後報告ならしたじゃないっスか」
「しかも、あんな連中と魔術研究じゃと? お主には、まだまだ覚えるべき魔術が山とあるではないか」
何を言い出すかと思えば。じいさんに、そんな風にグチグチ文句を言われる筋合いなどあるものか。
「訓練なら、ちゃんと受けてるでしょ。だったら、あとは俺の好きにしたって良いでしょうが」
面倒臭そうな顔をするくらいなら、最初から首を突っ込んでこなければ良かったのだ。げんなりとしていると、しかし、師匠は何かを決意した表情を浮かべて言った。
「学会なぞに遣って、お主が『他に師を見つけた』などと言い出しては、わしの計画が狂ってしまうではないか」
「は?」
「そのような一大事を起こしそうな芽は、可能な限り摘んでおくのが、師としての重要な務めなのじゃ!」
な、何を勇んで宣言してんだ!? 内容が不穏過ぎるッ!!
ヤルンも別の誰かが師匠だったらもっと違った魔導師に……なっているかは微妙ですね(苦笑)。




