第十話 フロイラインの憤り・前編
朝から珍しく不機嫌なココ。その原因は実家から送られてきたとある命令だった。
その日は朝からココ嬢が酷くご立腹だった。
明らかにぴりぴりとした空気を発しているのに、どうかしたのかと聞いても答えず、仕方なく共に朝から護衛の仕事に向かった。
仕事中は普通にこなしていたのだが、それが終わると、また途端に不機嫌が顔を覗かせ始めた。明らかにむすっとしていて、もしかして体調でも悪いのだろうか?
「なぁ、本当にどうしたんだよ。らしくないぜ?」
「それは……」
ココがこんなにマイナスの感情を露わにするなんて珍しい。いつも機嫌が良いとまでは言わないにしろ、周りに気を遣わせるのが嫌で押し殺している時も多い。鈍感な俺は、後になって気付くこともしばしばだ。
「ココ、どうかしたの?」
「セクティア様……」
同じ女性として思うところがあったのか、会食を終えたばかりのセクティア姫が声をかけてくる。
「何か悩みでもあるのなら、私で良ければ相談に乗るわよ」
大事な護衛が浮かない顔をしていたら気になるじゃない、と彼女が言ってウィンクした。いつも人を振り回す傍若無人な姫様だが、身内を大切にする人でもある。
ココは意を決した表情で懐から一枚の封書を取りだし、姫に差し出して言った。
「郷里の両親が言ってきたんです。……そろそろ結婚するようにって」
どきりとした。ココが結婚するかもしれない。そう聞いて、ショックじゃないと言えば嘘になる。だが、一方でやはりなという気持ちもあった。
姫はココを自室に誘った。結婚となれば今後の仕事にも関わってくる。雇用主として詳しい話をするのだろう。
「じゃあ、俺は先に戻ってるから」
言って踵を返そうとしたら、ココに「待ってください」と止められた。なんだ?
「ヤルンさんも一緒にきてください」
「え……。部外者が聞いて良い話じゃないだろ?」
びっくりしていると、姫が面倒臭そうに割って入った。
「ココ本人が良いと言っているんだから、四の五の言わずに来なさい」
命令されてしまえば、大人しく付いていくしかなかった。
姫の部屋に入り、応接間のソファに座る。ちょくちょくお茶に呼ばれて利用する席だが、今日は抱えたものが重くて、部屋そのものが違う景色に見えた。
姫は封筒から手紙を取り出して読み、「なるほどね」と呟く。それからココに確認してから、俺に手渡してきた。読めってことか?
「……良いのか?」
こくりと頷くのを見て、観念して白いそれを広げる。流れるような筆致で書かれたその文面は、父親がしたためたもののようだ。
内容には娘であるココを心配する気持ちが綴られ、その後に本題が書かれている。はっきりと「そろそろ結婚するように」と記されており、下には見合い相手の素性もあった。幾つか年上の騎士で、今は西の地方にいるらしい。
「……」
他に大事そうな部分といえば、ココの仕事についてだろう。結婚すると言っても今すぐではない。まずは婚約し、正式に結婚する時までは今まで通り勤めればいい、とのことだった。つまり、その後は辞めろってことだ。
ふうと溜め息を吐き、読まなければ良かったと思いながら返す。受け取った彼女はそれをぐしゃりと握り潰した。
「ココ……」
「私、嫌です」
ぽつりと零す。すると、それが呼び水となり、どんどん言葉が溢れてきた。
「両親とも、前はあんなに応援してくれていたんです。色々な経験を積んで、こうして騎士見習いにまでなったのに、年頃になったからと言って、てのひらを返すような真似……!」
肩を震わせ、頬が赤みを帯びる。目にはうっすら涙が滲んでいた。姫がそっと言う。
「私としても、せっかく雇った優秀な護衛に辞められるのは困るわ。しかもまた結婚が理由で、なんて」
そういえば前に欠員が出た理由も結婚だと言っていた気がする。そもそも、女性騎士は非常に数が少ないのだ。その上、結婚や出産で辞めたり休みに入ったりするから、人数を確保するのに苦労するらしい。
俺に「女になれ」なんて言うくらいだもんな。つか、ココが抜けたら変装の頻度が跳ね上がるんじゃねぇか? ぐぬぬ……!
「セクティア様。少しの間、お休みを頂けませんか? 家に戻って、両親を説得してきます」
「スウェルに帰るというの? ……あまり推奨しないわね」
「どうしてですか?」
「そのまま家に閉じ込められて、結婚させられる未来しか見えないからよ」
しばしの間、沈黙が降りる。ちらっとだけ、ココを普通の家に閉じ込めておけるものだろうかという疑問が胸に過ぎったが、わざわざ口は挟まないで置く。姫が再び口を開いた。
「貴女自身は、結婚そのものについてはどう思っているの?」
「結婚についてですか……?」
「そうね、たとえば、もし仕事を辞めなくて済むとしたらどう? それでも嫌?」
そうですね、と言い、考えを巡らせながらぽつりぽつりと零す。
「絶対にしたくない、というわけではないんです。……でも、やはり全然知らない方と突然『結婚しなさい』と言われるのは、納得出来ません」
そこで姫が突然、「分かるわ!」と拳を握りしめて大きな声で同調し、俺とココは揃って仰け反った。
「そうよね! いきなり『嫁げ』なんて言われても嫌よね!」
「は、はい」
なんなんだこの勢いは。妙に実感がこもっていて怖いんだが。しかし、その謎はすぐに本人によって解消された。
「私も、もう少しで親の命令で物凄く遠くの国にやられるところだったのよ」
「そうだったんスか?」
うんうんと大きく頷く。じゃあどうして今ここに? 王族の結婚ともなれば、そんなに簡単に覆せるものでもあるまいに。
「そうなのよ! もう聞いて……じゃなかった、今は貴女の話だったわね」
うわぁ、気になる! 連載物の小説で「次号を待て」とお預けを食らった時みたいだ。でも、この状況で続きを強請るわけにもいかず、仕方なくソファに腰を沈め直した。
「私の権限で結婚を止めてしまうことは可能よ」
「本当ですか?」
「えぇ。でも、そうすれば貴女の家にとっては失点になる。今後、周囲との付き合いに影響が出るでしょうね」
そんな。俺には貴族社会の付き合いなんてものはちっとも分からないが、ココの浮かない顔を見れば結構な痛手であることは察することが出来た。
「一番手っ取り早い解決方法は、貴女自身が選んだ誰かと結婚することよね」
「えっ? わ、私が?」
ココは、今度は別の意味で赤面し、慌てた。親が押し付けてきた見合いを蹴るために、別の相手を出せと言われたのだから無理もない。
「ねぇ、ズバリ聞くけど、好きな人はいないの?」
ズバリ過ぎる! っていうか、そういう話は俺がいない場所でしてくれよ! 居心地が悪過ぎるんですけど!? ココは直接的な質問に面喰っていたが、やがてゆっくりと口を開いた。
「特には……いませんね」
うん、だよなー。そうだと思った。嘘をついているようにも聞こえないし、それが今のココにとっての真実なのだろう。
「なら、この王都の騎士や貴族の中から選んだら? 望むなら紹介するわよ?」
「えっ」
「ご両親も、いつまでという期日を決めた上で伝えれば待ってくれるのじゃないかしら」
悪くはないんじゃないかと思う。王都の人間が相手なら、仕事も辞めずに済む可能性が高くなる。そこまで考えたところで、ふいに本音が零れた。
「でも、そしたら寂しくなるな。もう三人一緒には過ごせなくなるし、師匠の訓練にも連れていけなくなるだろうしさ」
誰かと婚約すれば、俺達と今まで通り親しくしていては非常に外聞が悪い。それに、ココが夜の訓練に参加出来ていたのは、教官の助手という立場を外れても変わらず俺のフォローをしてくれていたからだ。
師匠は興味のないことに関しては非常にドライな面がある。俺から離れたら、ココの面倒を見ることはないだろう。……ん、あれ、なんだかやけに静かだな?
「……嫌です」
「うん?」
「そんなの、絶対に嫌です!」
ココは叫んだかと思えば立ち上がり、肩をふるふると震わせた。一度は止まったはずの涙を目に溜め、それがぽろぽろと頬を流れ落ち始める。うぇっ? 急にどうしたんだよ!?
「ちょっ、落ち着けよ。何がそんなに嫌なんだ?」
カタカタカタ……何かが音を立てている。それは地面が僅かに振動し、家具を揺らす音だった。お、おい、これって!
「私は一流の魔導師になりたいんです。訓練を受けられなくなるなんて、そんなこと、……そんなこと耐えられません!!」
がたがたがたっ! 今度こそ床が大きく揺れ、壁にかけられた絵が落ちてガシャンと額が鳴る。テーブルに飾られた赤い大振りの花も、花瓶ごと倒れて水が四方に飛び散った。
「きゃあっ」
姫が叫んだ。完全にココの魔力の仕業だった。どうやら俺が発した不用意なセリフが、彼女の感情を振り切らせてしまったようだ。あぁもう、またこのパターンか!
姫に「頭を抱えて伏せて!」と大声で指示を出し、足をもつれさせそうになりながらココに近寄る。この揺れの中で微動だにしない彼女の、その二の腕をぐっと掴んだ。
「おい、落ち着けって! 今居る場所を思い出せ! 護衛役が護衛対象を危険にさらしてどーすんだ!?」
声を限りに説得するも、ココは涙を流しながら虚ろに立ち尽くし、聞き入れる様子が見られない。頭を振って「嫌っ!」と短く叫び、それに伴って鋭い痛みが俺の左肩に走る。ちっ、この感覚、切れたかもな。
でも、そんなことに構っている場合じゃない。掴んだ両腕を強く揺すってなおも訴えた。
「ココ! 魔力を抑えろ!!」
「結婚なんてしません! 絶対に、絶対に!!」
揺れが和らいだかと思ったら、今度はぴしり、と妙な音が聞こえた。室温が急に下がったように感じ、足元を確認して息を呑む。寒いのは気のせいなんかじゃない、ココの足が凍り始めてる!
嫌な現実は拒絶するってことかよ? 氷はその間にもどんどん床に広まり、足にものぼってきつつあった。いよいよマズい。このまま魔力を放出させ続けたら、部屋ごと全員氷漬けだ!
「……一か八かだ!」
説得に応じる気がないなら、荒っぽい手段に出るしかない。俺は強く掴んだ部分から、ココの魔力を思い切り引っ張った。
この興奮ぶりでは眠らせる術は効きそうにないし、まさか攻撃するわけにもいかない。だったら、騒動の原因である魔力を絶つのが一番効果的だ。
「うぅっ!」
目をきつく瞑り、身をよじって苦しげな声を上げる。キツイだろうよ、無茶なスピードで吸い取ってるからな。けど、我慢して貰うしかない。受け皿になる俺も同じくらいしんどいんだっつの!
「うぐぐぐ……!」
おいおい、まだあるのか? 早く空になってくれ。じゃないとこっちが先に飽和してしまう。うぅわ、もう駄目かも――と諦めかけた刹那、ガンガン入ってきていた魔力の流れがぶつりと途切れた。
「はぁっ、はぁっ」
熱を出した時みたいに体が熱く、怠くて重くて、頭がボーッとする。自分の物でない魔力を大量に取り込んだせいだ。彼女の方を見れば、揺れも冷気も止まっており、ふらりと倒れるところだった。
「うぉっと!」
それをなんとか受け止めるも、支えるだけの力は入らない。一緒になって床にどさりと倒れ込んだ。激しい消化不良感に襲われつつ、そのまま自分も意識を手放した。
見えている地雷を踏みに行ってしまった主人公。でも、このタイミングで言わなくても、いずれは同じ結果だったかと。
セクティア姫の結婚騒動については、別作品の「家出物語(仮)」をお読みくださいませ(宣伝)。この第八部からだと、ちょうど10年くらい前が舞台になっています。




