番外編3 女騎士見習いの受難
第八部に入れようとしてやめた主人公の女装ネタの一つです。
時期は第四話の後あたり。
過激な表現はない(はず)と思いますが、苦手な方もおられると思うので番外編に。
「お、キミ、その服装は……騎士見習いの子?」
城の通路で声をかけられた瞬間、失敗したなと思った。話しかけてきたのは立派な身なりの二十歳前後の青年で、キザったらしい流し目がこちらを見ていた。
「そ、そうですけど、何かご用ですか?」
おずおずと問い返すと、そいつは「キミ、可愛いね」と微笑んできた。げ、やっぱりだ! その碧眼に映る俺の姿は女のそれで、護衛の仕事を終えた後に変装術を解くのをすっかり忘れていたのだった。
「え、えっと」
「ねぇ、これからお茶でもどう?」
まずい、うっかりしていた。でもまさか男の俺が、男にナンパされるなんて予想出来るか?
っていうか、見習いとはいえ女騎士をひっかけようとする命知らずな人間が実在するなんて、実に驚きだ。その勇気だけは買おう。
「えっ。いやその、困ります」
緊張から冷や汗がだらだらと吹き出し、背筋が嫌悪感でぞわぞわする。女子って大変だな。ココも今までにこんな目に遭ったりしてきたのだろうか。もっと気を付けてやればよかった。
「そんなに緊張しなくてもいいのに。ただちょっとお喋りするだけだって」
ぎゃー! 近寄るな、俺は男だ! そう声高に叫んで、殴って蹴って魔術で吹き飛ばしてやりたくなる。
でも、この男は服装からして身分の高い人間である可能性が高い。対応を間違えると後々面倒なことになるかもしれない。ここは穏便に済ませなければ……どーやって!?
「ひっ」
男の手が伸びてきて、俺の肩に触れた。好きでもない相手に触られるのはこんなに気持ち悪いことなのか。肌に虫でも這っているみたいだ。うう、やめろ、触るな、そんな目で見るんじゃない!
「触らないでください」
そう言うのが精いっぱいで、どうすればいいのかわからない。頭がぐるぐるして気分が悪い。胃もむかむかしてきた。
「まぁ、そう言わずにさ」
本当にしつこいヤツだ。多分、自信たっぷりでプライドも無駄に高くて自分が拒まれることなど考えもしない、要するに俺の大嫌いなタイプの人間なのだろう。
……うぅ、まずい。強い不快感と怒りのせいで、抑え込んでいる魔力のタガが緩みそうになってきた。もし溢れ出したら、それは目の前の男を格好のターゲットにするだろう。
「こ、これから仕事がありますので」
嘘でもなんでもついてその場を去ろうとしたのに、男はしっかり肩を掴んで離そうとはしてくれない。それどころか、ぐいと引き寄せられそうになる。
もっとも、自分のこの姿はあくまで見た目だけのことで、力は元のままだ。本気で抵抗すればこんな弱そうな相手に負けたりはしないだろうが……。
「やめてください」
おいマジでやめろって、じゃないと命がないのはそっちだぞ。少しは気付けよ、鈍感!
「結構気が強いんだな。ここまで拒否されたのは初めてだ」
ひえっ、な、何だ? ……おい、何をするつもりだよ。ちょっと待て、顔を近づけてくるな。まさか馬鹿げたこと考えてないよな? だ、駄目だ。もう無理、我慢の限界!
「なっ」
ばちっ! 何かが弾ける音がして男が手を放した。漏れた魔力が「敵」を攻撃したのだ。あちゃー、とうとうやっちまったか。でも、我慢してても結局は時間の問題だったよなぁ。
「今の……魔術か?」
男は呆けた顔で俺と自分の手を見比べている。正確には術ではないが、素人には似たようなものだろう。さて、どう出たものか。どうせ攻撃してしまったのだし、少し脅してやるかな。
「やめて下さい。次はこれくらいでは済みませんよ」
「せっかく目をかけてやったのに。見習い風情に拒否権なんてあると思ってるのか?」
どこまで馬鹿なのだ。本当に命が惜しくないと見える。こっちは今後の進退を考えて苛々に拍車がかかっているってのに。はぁ、こいつはかなりのボンボンみたいだし、俺はもうクビかもな。
「お前のような小娘、幾らでもクビに出来るんだぞ」
ほら来た。いや、「小娘」じゃないけど! あぁ、あと少しで夢の騎士になれると思ったのにさ。自分の油断が原因とはいえ、こんなにもあっけない幕切れとは……涙も出ないぜ。
いっそネタ晴らししてもっと怒らせてやろうか。そう半ば自棄になりかけた時だった。
「ちょっと貴方、そこで何をしていますの?」
「えっ」
聞き覚えのある声がかけられ、男の肩越しに向こうを見ると、そこには何故かセクティア姫が立っていた。前や後ろに数人の人間を付き従え、厳しい目を向けている。
「せ、セクティア様っ?」
俺を相手にいきり立っていたその男も、第二王子夫人の顔は知っていたらしい。どれだけ自信があろうが、王族には敵うはずもなく、声を上擦らせて固まった。お、助かった……のかな?
「何しているのかと聞いているのです。さぁ、お答えになって?」
うわぁ、最初っからかなりイラついてるぞ。別の意味でこいつの命はないかもしれないな。後でこちらに飛び火してきませんように。
「いえ、私は少し、こちらのお嬢さんとお話をしていただけで」
はぁ? どこが「お話」だ、散々気持ち悪いことしやがって。ちょっとばかり男の処遇に同情しそうになったが、なしだなし。俺はぶんぶんと首を横に振った。
「あら、その子は先日から私の護衛を務めてくれているのよ」
「そ、そうなのですか? いや、騎士にしておくには勿体ないくらいに可愛らしいお嬢さんですね」
あー、ココが監修した上で姫が太鼓判を押したのだから、それなりの見た目ではあるのだろうよ。でも、褒められても鳥肌しか立たないがな。
「勿体ない……そうね。先ほど『クビに出来る』、とかなんとか言っていたものね?」
「はは、何かお聞き間違えでは? セクティア様の護衛をやめさせようなどと考える者がこの城にいるはずがありません」
「何年もかけてようやくスカウト出来た優秀な、大事な、護衛なの。そんなに簡単に横からかっさらわれては困るわ」
「いや、ですから、その」
男の下手な言い分など全く耳に入っていない様子で、姫は光の宿った瞳で獲物をひたと捕らえる。あぁ、怒りは半分で、あとはこの状況を楽しんでいるのだな。よし、ここは俺も仕返しついでに追撃してやろう。
「セクティア様。私には用などないのに、こちらの方が離してくださらないんです」
「なんですって?」
「い、嫌だなぁ。誤解だ。そんなつもりは」
今や立場は完全にひっくり返ってしまっていた。攻撃する側に回っておいてなんだが、世の中とは理不尽で無常なものだ。冷めた気持ちで事態を見守っていると、姫はびしりと男を指さして言った。
「貴方ね、私の可愛いヤルルちゃんに手を出したら絶対に許さなくてよ。その命、ないと思いなさい」
よっ男前、惚れる! ……じゃなくて、ヤルルちゃんはやめてくれっ!
「私のナワバリでウチの子をナンパするなんて、本当に許さないんだから……!」
怖い、怖すぎる。姫の剣幕に恐れをなし、男は脱兎の如く逃げ去って行った。だが、あれでこの人から逃げられるとはとても思えない。
お付きの一人に身元の特定を命令していたし、改めてとっちめる気満々じゃないかと思う。社会的に生きていられるかも不明だ。ご愁傷様である。
「はー、やっと解放された……。お世話になりました」
壁に背を預けて盛大に息を吐き出すと、ようやく新しい空気が肺を満たした。魔力の揺れをなんとか抑え込み、忘れないうちに変装術を解く。
あのまま助けが来なかったら、あいつは黒焦げで俺はクビになっていたかもしれない。改めて考えてヒヤッとする。
「いいわ、半分くらいは私のせいだもの。ちょっと面白かったし。けど、気を付けなさいよね。可愛い女の子が一人でウロウロしてたら、貴方だってお茶に誘いたくなるでしょ?」
「なりません!」
「そう? 意外と根性ないのね」
あんな節操なしと一緒にしないで貰いたいし、ナンパを根性で片付けるのも大いにやめて頂きたい。
「今後は気を付けます。今後、あります……よね?」
一応確認すると、「何言ってるのよ」と呆れられた。
「聞いていなかった? 何年もかけて手に入れた護衛を、簡単に手放すわけないでしょ。バリバリ働いて貰うから覚悟しておいて」
「はい」
「大丈夫ですか?」
ドレスの長い裾を翻しながら姫が去っていくと、代わりに近寄ってくる人影があった。
「ココが気付いてくれたのか?」
心配そうな顔でこくりと頷く。成程な、タイミングが良すぎると思ったらそういう絡繰りか。ココ・センサーが相変わらずの高感度で助かったぜ。
「ありがとな。もう帰れるのか?」
ココがにこりと笑って頷き、歩き出す。う、今の笑顔は可愛かった。これは確かに誰でもお茶に誘うかもしれないな……。浮かんだ妄想を振り払うように俺も歩き出し、後悔と反省を吐き出した。
「これからはちゃんと術を解いてから退室しないとだなー」
多分、魔導士だったら纏う魔力に気付いて不用意には近寄って来ないと思うが、そうでない人間には注意が必要だ。
「そうですね。それが良いと思います」
「つか、俺に声かけるとか頭オカシイだろ」
思い出したらまたむかむかしてきた。あんな経験は二度と御免だ。自分もせいぜい気を付けることにしよう。声をかける側にも、かけられる側にもならないように!
「そんなことありませんよ。ヤルルさん、可愛いですもん」
「その名前で呼ぶの禁止っ!」
「あっ、次は私服も試してみませんか? スカートもきっと似合うと思いますよ」
なんでだよっ!
「……そういうココは今までああいう目に遭ったことはないのか?」
「私ですか?」
魔術のこととなると時々思考がぶっ飛んでしまうけれど、普段は控えめで真面目で可愛いお嬢さんだ。勘違い男が湧いてもちっとも変ではない。
「いつもヤルンさんやキーマさんと一緒にいるので、あまり……。でも、何度かはありますよ」
「やっぱり。その時、どうしてたんだ? ……嫌なら無理に言わなくていいけどさ」
経験してしまったから分かる。あれはすぐにでも記憶から消去したい出来事だ。嫌なことを思い出させてしまっただろうか? 心配しながら答えを待つと、ココはにっこり笑って言った。
「『魔術が私の恋人です!』ってお伝えしたら、皆さん、分かってくださいましたよ」
一点の曇りもない笑顔が眩し過ぎた。
ヤルンはかなり我慢していましたが、ココは笑顔でバチバチやりそうですね。




