第十話 ソボクな疑問
講義の後で芽生えた疑問。ヤルンとココは話し合い、手っ取り早い方法に飛び付いて?ちょっと真面目な解説回。
講義室で受ける師匠の授業は、いつもなかなかの戦場だ。
皺がれた声の癖に、とにかく良く舌が回って、滅多に止まることがない。「あれがこうで云々」と喋っていたと思ったら、黒板には全然違う内容が書きこまれている。……というか、チョークが勝手に黒板上を滑って書き込んでいく。
「うわ、もう消された!」
「まだ書けてないのに……」
「誰か後で見せて!」
あちこちから聞こえる泣き言がお決まりのBGMと化す中、あたふたと書き写しているうちに話題は次へと変化していて、それを魔導書の空きスペースにメモする。
一時間が終わる頃には、心身共にへとへとになるのだった。
「では、今日はここまで」
『ありがとうございましたっ』
講義が終わり、全員で礼をして師匠が退室した瞬間、俺は冷たい机に突っ伏した。耳には早速、書き損ねたところを見せ合う声や音が聞こえてくる。お前ら、元気だな。
「ヤルンさん。ここの部分、書けました?」
ぐで~っと溶けていると、講義中は離れたところに座っていたココが魔導書を広げて見せてきた。そこには女の子らしい文字が規則正しく並ぶ。う、美しい。眩しすぎる。
「あの授業で、良くまぁそんな丁寧に書けるな……」
俺も開きっ放しの自分の魔導書を捲るが、はっきり言って文字が文字の形を成していない。勢いだけで書くせいで、ぐっちゃぐちゃのお絵かき状態だ。
そのため、寝る前に毎回まとめをする羽目に陥る。俺は記憶力がそんなに良い方じゃなく、寝ると記憶が薄れるので、必ず当日のうちにしなければならない。最近は師匠に特訓もさせられているから、正直しんどい。
「で、どこだ?」
「この辺りなんですけど」
白い指先で示したのは今日の講義内容の中盤に差し掛かった箇所で、あぁとすぐに思い出せた。ちなみにこれも一晩で忘れる自信がある!
その記憶を頼りに、今度は自分の文字らしきものを目でさらう。……どこがどこだ? こりゃあ今夜も復習決定だな。
「ん~、これがここに繋がってて、こっちは……書いてる途中でどーでも良い雑談だって気付いて止めたやつだ」
師匠の話には「おいそれ今は関係ないだろ!」って事柄が多々紛れているのだ。本当だか嘘だか怪しい武勇伝とか、胡散臭い怪談話とか。
気分転換になるかというとそうでもなく、急に本筋に戻るから油断ならない。逆に、雑談に見せかけて重要話というフェイクもかけてくる。あれは絶対ワザとだ。断言しても良い。
「お、あったあった。ほら」
指でくるりと丸くなぞって見せても、ココは「?」を頭に浮かべまくった顔をした。そうだ、他人に読めるわけがないんだった。気付いた俺は慌てて読み上げてみせた。
代わりにこちらもメモし損ねた部分を見せて貰う。……ココの綺麗な筆跡を追いながら、そこでふいに気付いた。
「そういえばさ、魔術ってどうして呪文だけなんだろうな?」
「どういう意味ですか?」
「見ろよ、魔導書には術の効果を書くだろ。『気付け』とか『風の癒し』とかって。でもこれ、術として使う時は要らないものだよな」
詳しく説明すれば、ココも「言われてみれば」と同意する。
「正式名称だと思っていましたけど、呪文のどこかで唱えたりはしませんよね。鍵として組み込まれていておかしくないのに」
おとぎ話の魔法使いは、杖を振るだけでお菓子を出したり、箒に乗って空を飛んだりする。あんな風に出来たら楽しいだろうが、魔術は魔法とは全くの別物だ。
魔術は系統立てられた技術の一種に過ぎず、使うには魔力という素養に加え、豊富な知識と経験が必要になる。決して万能じゃないのだ。
そんな、やたら格式張った魔術の「名前」が、妙に適当な感じがするのは何故なのか。
「そもそも誰が付けた名前なんだろうな。術を作った人か?」
「その可能性は高そうですね」
魔術の歴史は途方もなく古いらしい。専門の研究者もいる、しっかりと確立された分野のくせに「らしい」としか言えないのは、兵士に必要とされるのが「戦うための力」だけだからだ。
手順を教え、使えれば問題なし。皆も納得しているのか、文句を付ける兵士は見たことがないし、俺自身もこれまで疑問に思ったことはなかった。
「興味がわいた人間は書庫で本を漁るなりして勝手に調べろ、か」
実は、最近までかなり制限されていた知識が、基礎を習い終わったところで一部解禁した。もしかしたら俺の疑問を解消してくれる本も読めるかもしれない。
「探しに行ってみますか? 私も気になりますし、ご一緒しますよ」
「気持ちは嬉しいけど、そんな時間ないんだよなぁ」
「お忙しいですもんね……」
ココも俺のスケジュールを知っているから素直に同情してくれた。
講義は終わっても、この後は少し休憩があるだけで、すぐに風呂や食事を済ませて師匠の部屋まで行かなければならない。なけなしの休憩時間すら、剣の鍛錬に当てているくらいなのだ。
そして、師匠の部屋から帰る頃には夜も遅い。書庫に入れる時間ではないし、早く復習を終えて就寝しないと翌日に響いてしまう。
「あー、気になり始めたらすげーモヤモヤしてきた!」
元々くしゃくしゃの髪を更にガシガシ掻き毟る。自分が使っているものの正体が分からないって、すげぇ気持ち悪い!
「では、私が行ってきます」
「え? あぁ、でもなぁ」
申し出は有難いけれど、ココだって暇じゃないだろう。真面目な彼女のことだ。毎晩、勉強に勤しんでいるのだと思う。それに、書庫は薄暗くて人目に付きにくい。女の子を一人で行かせるのは気が引けた。
「書庫にある山みたいな本をいちいち調べてたら、真実を突き止める前に何を探していたか忘れちまうな。……だったら」
「だったら?」
代案は一つしかない。突撃あるのみだ!
「名前なぞ、後付けのものじゃ。無くても術にはなんの支障もない」
身も蓋もない答えをくれたのは他でもない、師匠だった。
ココを伴って訪れたのは教官室である。兵士を育成する教官達が詰める、常にゴゴゴゴゴという効果音と目に見えない圧力を発している魔窟だ。
見習いの身分では縁のない、というか行きたくない場所だが、この際仕方ない。「失礼しますっ」と最敬礼で入ると、ずらっと並んだ机に座り、明日以降の準備をする大人たちが一斉にこちらを見た。怖ッ!
「だ、大丈夫でしょうか……」
「悪いことしてるんじゃないんだから、堂々としてれば良いんだよ」
ビシバシ当たる視線を直視しないように気を付けながら、一角に座ってお茶をすすっていた師匠の前にずんずん進んでいき、疑問をぶつけた。
で、やっと得られた回答が「後付け」、「無くても支障なし」だった。……おい。
悠長に長話が出来る場でもないので、促されるまま廊下の隅へと移動すると、師匠は髭を撫でながら詳しく教えてくれた。
こういうところは「先生」なんだよなぁ。ま、俺の時間がないのほぼこの人のせいなんだから、質問にくらい答えてくれなきゃ割りに合わん。
「魔術史を紐解くと、起源は神代の昔にまで遡る。初めは、魔術という名すらなかった。もちろん、術の名前はおろか、系統もあやふやに混ざり合っておってのう」
げ、想像はしてたが、歴史の解説が始まっちまった。こりゃ長いぞ……。
「そんな混沌とした時代が続く中、多くの先達が魔力を練り、言葉を編み出して、ゆっくりと『術』という形にしていったのじゃ」
「なるほど……。興味深いですね」
ココは初めて聞く話に目を輝かせ、いつの間にか取り出した魔導書に一心不乱に書き込んでいた。おいおい、マジかよ。こっちは頭が痛くなってきたぜ。
「ただし、あくまで個人レベルでの話でな。一つ一つは素晴らしい技術だったが、あまりにも多様化されていた」
術を生み出そうとするほどの人間の知識は深く、完成した術が難解であることも少なくなかった。結果、弟子を取ったり、書物に残したりして後世に伝えようとしたけれど、うまくいかなかったらしい。
「オリジナリティに過ぎた、というわけじゃな」
「んん? ……要するに、芸術品みたいになってたってことスか?」
たとえば、芸術を解さない人間は、抽象画なんて見せられても首を捻るばかりだ。大昔の魔導師を芸術家の一種と考えれば、同じような現象が起きたことは想像出来る。
「そうじゃ。宝の持ち腐れとはまさにこのことよ。そこで、後の魔導師達は残された遺産を集約し、種別に分けて『型』を作った。今我々が使用している魔術の基礎を固めたのじゃ」
「だから、私たちは魔術を効率良く習得出来るのですね」
「うむ。その時代に、知識をまとめるために便宜的に付けられたのが『名前』でのう。後付けで、あると便利じゃから使っておるに過ぎぬのじゃ」
「はぁ」
長々と歴史について聞かされて、やっと結論に辿り着いたら、そんな理由かよ~。しょうも無ぇ。どっと疲れた……。
「術に不可欠なものなら、もっと格好良い名前を付けたかもしれぬがのう」
確かに、聞けば一発で効果が分かる実用的な名前ばかりで、決めゼリフに使えそうな雰囲気は一切しない。
俺のぐったり感を感じ取ってか、師匠はにんまりと笑って聞いてきた。
「お主ら、真面目な顔で『気付け!』とか叫びたいのか?」
「え、うーん。その方が魔術っぽいような? ダサ過ぎっスけどね」
「分かりやすくは、ありますよね?」
「あぁ、そうか」
ココの言葉にピンと来た。兵士にとって「分かりやすい」ことは利点にならない、ということを。
「術を発動する前に敵に気取られたら、効果は半減だもんな」
「ほう、良く気付いたのう。では、気取られぬような名を独自に付けてみてはどうじゃ?」
師匠の誘惑は一瞬だけ、俺の心をくすぐった。自分だけの術名なんて、格好いいんじゃないかと。しかし、妄想を膨らませる途中で現実に引き戻された。
「いやそれただの頭おかしい奴だからっ!」
滅茶苦茶難易度が高いとか、オリジナルの術ならいざ知らず。見習い程度で使えるような魔術にいちいち、しかも判りにくい名前を付けて叫ぶなど愚か者の極み。考えただけで顔から火が出る恥ずかしさだ。
「なんじゃ、つまらぬ。特別に指導してやろうと思ったのじゃがなぁ?」
まずい、この目は本気だ! 俺達は視線を交わし合い、揃って首をぶんぶんと横に振ったのだった。
たまには真面目に、というわけで魔術の成り立ちについてでした。
第一部はここでひとまず終了して、おまけを挟んで第二部に続く予定です。ちっとも騎士になれそうにないヤルンの明日はどっち?




