第一話 大嵐の幕開け・後編
転送術でどこかへ飛ばれたヤルン。目が覚めてみると、そこにいたのは。
「ん……?」
白さが薄れ、意識が戻ってくる。背中に触れたのは床の固さではなく、先ほど転がされたあの布のざらつきだった。ぱちりと開いた目が捉えたのは、床に長い髪を振り乱して倒れているココだ。
「ココ、しっかりしろ! ……う」
身を起こして彼女の肩を揺すりかけ、くらくらと眩暈に襲われる。そうだ、転送術が仕込まれた布に魔力を大量に奪われたんだった。
ほぼ満タン近くあったはずが、今や空っぽだ。ココの魔力もかなり使っただろうに、どれだけ高コストの術なのか。いや、それとも物凄く遠くまで飛ばされた?
「んもう、やっと来たわね」
急に呼び掛けられ、どきりと鼓動が弾んだ。だ、誰だ? もしかして俺達を飛ばした奴らの親玉か!? どうすんだ、今はマトモに動けないぞ。でも、無理でもなんでも今度こそ、ココを助けないと……!
「ちょっと、返事しなさいよ、ヤルン」
「へっ?」
不満げに名前を呼ばれ、恐る恐るそちらを見ると、腰に手を当ててこちらを覗き込む懐かしい顔があり、驚きがそのまま叫びになった。
「せせせ、セクティア様っ!?」
「そうよ。良かった、ちゃんと見えてるみたいね」
ふふんと不敵に笑う様は、まさしくユニラテラ王家のセクティア姫その人に違いなかった。腰まで伸びた長い髪と透き通った青い瞳の美人は、今日も高そうなドレスを身に纏って仁王立ちしている。
こんなにキャラの濃い人を忘れるって、そりゃもう記憶喪失だろ。……ん、待てよ? この人がいるってことは。
「ここって、もしかして」
「決まってるじゃない。王城の私の部屋よ」
「なっ、何だってぇ!?」
遠くへ飛ばされたかもとは思ったが、よもや王都だと? どれだけ距離があると思っているのか。そりゃあ魔力だって空になるはずだ!
俺の絶叫にココと、今の今まで気付かなかったが、足元に転がっていたらしいキーマまでもが目を覚ました。
「起き抜けにうるさいヤツじゃのう」
今度は別方向から、これまたちょっぴり懐かしい声がして、首をぐきっと向ける。ソファに座って茶なんて飲みながら寛いでいたのは。
「し、師匠までっ、なんで、どーしてっ」
「女性の部屋で騒ぐでない。未熟者め」
だから、何がどーなってんだよ、誰か今すぐ説明してくれ!!
気を失っていただけで比較的元気だったキーマが俺とココを立たせ、ソファまで連れてくると、三人揃って倒れるように座り込む。寝過ぎたみたいに体が怠くて背筋なんて伸ばしていられない。
まぁどうせ今まで床にぶっ倒れていたのだ。行儀なんて今更過ぎる。向かいには師匠の隣にセクティア姫がすとんと腰を下ろした。
前に姫と会った時と全く同じように控えていた使用人の男性――シンが「体は大丈夫ですか」と気遣わしげに言いながらお茶を並べてくれた。
「少々手段が乱暴ではないかと申し上げたのですが」
常に優雅で動じることなど滅多になさそうな青年が申し訳なさそうに言う。ということは、やはり今回の騒動の犯人はこのお姫様に違いないのだろう。
とりあえず一口だけ飲み、熱の失せた体に僅かばかりの温かさを得た。旨さより有難みを感じるぜ。
「なんという体たらくか」
師匠が言って、ローブの裾から何かを取り出した。あの、魔力を込められる水晶だ。それもうっすら赤や青に色付いている。これは。
「前にお主らが送ってきたものじゃ。これで多少はマシになるじゃろ」
赤いのが俺で、青いのがココの魔力だ。受け取ると、体が本能的に欲しているのか、何も念じていなくても水晶からするすると魔力が流れ込んできた。1本くらいでは全然足りないが、空っぽよりはずっとマシだな。
ようやくひと心地着いた感じがする。倦怠感が和らぎ、頭もすっきりしてきた。そしてそうなれば、色々と問い詰めたくなってくるのが自然だ。
「何がどうなってんだよ。イチから全部説明しろ」
王族の前だろうって? 知るか。あんな目に遭わされて冷静でいられるほど、まだ俺は大人じゃない。口にし始めたら止まらなくなった。
「いきなり兵士が来て『来い』って言われただけでも怖ぇのに、人を荷物みたいに突き飛ばしやがって。問答無用で転送術で飛ばすってのはどういう了見だ、あぁ? 死ぬかと思ったんだぞ!」
事実、急速な魔力の枯渇は命にかかわる場合もある。あれ以上奪われていたら危険域に突入していたかもしれない。
「まぁ、多少手違いがあったようじゃのう。本当は発動直前まで準備しておいて飛ばす予定だったのじゃが」
手違いってそこかよ、計画の訂正箇所、他にゴマンとあるだろ!
「ねぇ、本当に二人だけの魔力で発動したの?」
姫の疑問にこくりと頷くと、彼女はとんでもない事実を発表してくれた。
「普通なら10人くらいの魔導師で行う規模の術だって聞いていたのだけれど」
「げっ」
そりゃ死にそうにもなるわ! マジで殺す気かよっ。ぐぬぬぬ、今魔力がもっとあれば盛大に暴れてやるのにぃい!
「手段が乱暴だったのは謝るわ」
くいっとカップをあおって空にした姫が言い、「でもね」と続けた。
「幾ら待っても貴方は来ないし、こちらもちょうど護衛役に欠員が出て困っていたのよ。今度こそ是非、この仕事を引き受けて貰うわ」
「えっ」
鋭い視線で射抜かれ、面くらってしまった。今すぐ護衛役になれってことか? ちらりと師匠を見ると、「勅命が下ってのう」と目を伏せた。
「回りくどいのは嫌いなの。貴方にとっての障害は取り除いたつもりよ。師弟一緒に城勤め出来るように取り計らったわ」
「障害って」
師匠は確かスウェルの領主サマに恩があって、それを返すまでは離れられないとかなんとか言ってなかっただろうか。あれをなんとかしたってこと?
「スウェル領主への借金でしょ、全部きっちり返しておいたわよ」
「し……しゃっきん? はぁっ? 借金んん!?」
三人揃って口をあんぐり開けていると、師匠は「そういうことじゃ」と言った。
「そういうこと、じゃねぇっ! 何だよ借金って!」
「昔、色々あってのう」
心底呆れた。ちょこっとは金絡みじゃねぇかなぁと日頃の行動を見て思ってはいたが、本当だったとは。まーでもチャラになったならいいや。詳細なぞ知りたくもない。
「……てことは、俺、もしかして、き、騎士になれるんスか?」
どきどきしながら問いかけると、姫がにっこりと笑んで人差し指を立て、茶目っ気たっぷりに言った。
「まずは見習いから、だけれどね」
「ま、マジで? マジでえぇぇえぇえっ!?」
立ち上がって叫ぶ。やった、やった、やったー!! ものすごーーく遠回りした気がするが、とにかく俺は人生の目標のゴールテープを切ったのだ。こんなに目出度いことはないぜ!
「ヤルン、良かったねぇ」
「おう!」
「おめでとうございます」
キーマが言い、ココも祝ってくれる。嬉し過ぎて涙が出そうだ。そういえば前に泣いたのも王城でこの姫様と話した後だったな。今度は悔し涙じゃない! くうぅっ!
「魔力がない時でこっちも良かったよ」
キーマがうるさいが今は喜びが凄いから許す! 俺はしばらくの間歓喜に打ち震えていた。
「あの、お話してもよろしいでしょうか」
話の流れを変えたのは、どこか所在なさげな表情のココだった。足元で両手をきつく握り締めている。そうか、俺と師匠が王城に来ることになったら、ココの立場はどうなるんだ?
「セクティア様、彼女は」
「知っているわ。貴女がココでしょう?」
姫はこともなげに言う。口振りからすると、独自に調べたのだろう。それもココだけじゃなく、スカウトする俺に関わる人間、全員を。
「貴女は一人前の魔導師になるのが夢だと聞いているけれど、合っているかしら」
「は、はい。そうです」
「なら、貴女も私の護衛役にならない? 役職は宮廷魔導師見習いでどうかしら」
「えっ」
ココが目を丸くする。いや、三人とも同じ顔をしていたと思う。ここに飛ばされてきてからずっと、急展開続きだ。
「欠員が出たと言ったでしょう。ヤルンはしばらく訓練をこなしながらの変則的な勤務になるでしょうし、人数は多い方が助かるわ」
「ほ、本当に……?」
声が上擦っている。俺と同じくらいの見事な食いつき振りに気を良くしたらしい姫がくすっと笑った。
「信じられない? ねぇ、シン、あれを持ってきて頂戴」
「畏まりました」とシンが応え、どこかからたっぷりとした黒い布を運んでくる。彼はそれを恭しい仕草で俺とココに一枚ずつ手渡した。ぱっと広げて、我が目を疑う。
「こ、これっ、マスターローブじゃありませんか!」
ココの口から驚愕が迸る。柔らかい黒地に銀糸の刺繍が散りばめられたそのローブは、どこからどう見ても「魔導師」に認められた者の証に相違なかった。
「私の護衛役になるのに、『魔導士』のままってわけにはね。あぁ、ちゃんとヤルンには騎士見習いの服も誂えるから」
「でも、そんな称号、貰っても良いんスか?」
魔導師の称号を得るには色々な方法があるが、俺もココもまだその要件を満たしていない。戸惑いを率直にぶつけたら、脇から師匠が口を挟んできた。
「何を言うておる。許可ならとっくにおりておるわ。あれだけの仕事や訓練をこなしておいて、まだかかると思っておったのか? 最低の合格ラインは学院に向かう前に超えておったし、向こうでは論文を書いたじゃろう。あれが決定打になっての」
『ええっ』
今日は本当に驚かされてばかりだ。しかも話はそこで終わりじゃなかった。
「貴方達が書いたあの論文ね、学会が大揺れだったそうよ」
あ? 学会が大揺れ……? なんで!? 師匠が再び口を開く。
「術の完成度と論文の出来はそれなりとして、ポイントは発表者であるお主らが持つ魔力の量じゃろうな」
聞けば、熟練の魔導師になると、文章を読むだけで術の完成までにどれくらいの魔力が必要なのかが分かるらしい。あー、確かに何度も気絶するくらいには必要だったな。
……そうか。魔力が有り余って困っていたのだから、新しい魔術を考えるのに使えば良かったんだ! くっそ、気づくのが遅すぎた!
「お偉方は、お主らが発表した論文から開発過程で必要と思われる魔力を推量し、さぞかし驚いたのじゃろうな」
「危なかったのよ。もう少しでそっちに引き込まれかけてたんだから。全く、油断も隙もない。私のえも……大事な護衛候補を他に渡してたまるものですか」
今確実に「獲物」って言いかけたよな?
その時、もう一度ココが声をあげた。
「あのっ、やっぱり私も騎士見習いにしてください」
「あら、私はどちらでも構わないけれど……?」
なんでだ? 一流の魔導師になるのがココの目標だったはずだ。宮廷魔導師なんて、そのものズバリじゃないか。全員の視線を一身に受け、やや赤い顔をしたココがちらりと俺の顔を見、心境を吐露した。
「魔術学院の先生方を見て感じたんです。私がなりたいのは『あらゆる魔術に精通した使い手』です。研究者ではありません」
「……そう、解ったわ。貴女の分の騎士見習い服も誂えないとね」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
「ココ、良かったな。これからも一緒に頑張ろうぜ」
「はい!」
満面の笑みが眩しい。いやぁ、紆余曲折あったが、これで大団円だなー。などと満足していると、実はずっと俺とココの間に座っていたキーマが言った。
「って、自分のこと、完全に忘れ去らないでくれる?」
「貴方のことも知っているわ。キーマでしょう?」
姫は前置きし、「付いて来るとは思っていなかった」と付け加えた。だよな、こいつは師匠の弟子でもないし、魔導士ですらない。完全にイレギュラーの存在だ。
「そうね、剣の腕はかなりのものと聞いているし、帰してしまうのも勿体ないのよね」
「なんでも良いので、ここに置いて頂けると有難いのですが」
なんでもいいなんて自己アピールがあるか。ふん、どうせ俺が起こす騒動を傍で見たいとか、そんな下らない理由だな? もう騎士(見習い)になるんだから、騒ぎなんて起こすわけないだろ?
「そうだわ」
呆れて眺めていると、姫がにやりと笑って両手を打った。何か良い案が浮かんだようだが、何故か悪戯を思い付いた子どもみたいで怪しげだ。
「私に任せておいて。ピッタリの就職口を斡旋してあげる」
後日、姫はキーマも騎士見習いにした上で、なんと自身の夫であるスヴェイン王子の護衛役に任命した。これまでに垣間見た限りでも苛烈な夫婦間に、一体どんな恐ろしい抗争が起きたのか……俺は考えたくもない。
怒涛?の導入部になりました。そしてとうとう主人公が騎士への第一歩を踏み出しました。ヤルンはもう騒動を起こさないと言っていますが、そんなわけありませんのでご安心を(笑)。




