Un labyrinthe heureux
うー、さむ。
まだ紅葉には大分早いとはいえ、もう十月も半ば。
時折強く吹く冷たい風を感じながら地図を片手に住宅街を抜ける。
えぇい、全部同じ家に見えるじゃないか!
約束の時間はどんどん迫ってくる。
なのに目的地が分からない。
「だから、ここどこよ……」
「ぶはっ!」
……え?!
後ろを振り返るとあたしよりちょっと上……かな、くらいの男だった。
一体いつくらいから見られていたんだろう。かれこれ十五分はこの辺でウロウロしてるんですが。
「あ、ご、ごめん。どこ行きたいの?」
くっくっくっ、と笑いながら声をかけてくる。
うーん、コレは結構長い間見られてたな……。大変情けない気持ちにはなりながら、時間がとっても差し迫っているのでありがたく教えていただこう。
「えーと、二丁目の有賀さんのお宅へ伺いたいんですけど……この道で合ってます?」
「二丁目ならこっち」
と、前を歩いてくれる。ぶっちゃけ超助かります。
「営業か何か?」
「あ、そうです。お客さまなんですけど、初めて訪問するので……この辺にお住まいなんですか?ご迷惑をおかけしてすみません」
「おれ?まぁ近所かな」
微妙な答えだな。まぁそんな興味あるわけでもないからいっか。
「ん、着いたよ。ここ」
表札は有賀。あれ、家まで連れてきてくれたんだ。
親切な人ー。
「本当に助かりました!ありがとうございました」
丁寧にお辞儀をしてこれで終わり、と思ったらなんとその男性はおもむろにドアを開けた。
え?!何、この人。
うっすらと嫌な予感はするものの取りあえず黙っておく。
「どうぞ?」
「も、もしかして有賀さん……ですか?」
「そう。有賀です」
にやりと笑って家の中に案内される。
うわ、まさかの初訪問で家人に案内させてしまった。大失態だわ。
「お邪魔します……」
大変バツが悪いです。
「わたくし、三東生命の三波と申します。お問い合わせいただいた商品についてご説明に伺いました」
道案内をしてくれた有賀さんに名刺を渡し、挨拶する。
「ちょっと待ってね。多分問い合わせたの親だから……三波、イクさん?」
「あ、郁と書いてカオルと読みます。あの、本当にご迷惑おかけして申し訳ありませんでした」
あらためてお詫びをしてから顔を上げると笑いをこらえている有賀さんの顔があった。
「いいえ、楽しませてもらいましたから」
と、飄々と言ってのける。
ほんとに何分前から見てたんだ。
「あの、不躾な質問で大変恐縮ですが、有賀さんはお仕事は何をなさっているんでしょうか?」
聞かないわけにはいかないでしょう。
だってあたしは保険の営業。
あわよくばの親子でのご契約を狙います。一度で二度美味しいもんね!
「なにやってるように見える?」
でた。
合コンで面倒くさい質問ナンバーワン。
正直そこまで興味ねぇよってときに飛び出す確立がめっちゃ高いよね。
でもこれも仕事。
「えぇと……営業、の方ですか?」
まぁそんな訳はないよね。この人から同業の香りはまったくしないもん。
「営業ではないなぁ……。そもそも、営業だったら平日のこんな時間に家にいないでしょう」
くっくっと笑う。
うん、もちろん分かってて言ってるの。
「でしたら……IT関連とか、設計……デザイナーさん……?」
一番疑ってるのはニートだけど。
だって普通の会社勤めならこの人も言ってるように平日のこんな時間には家にいないでしょう。
あとはシフト勤務が可能性高いかな。
だとしたら飲食とか、販売とか……美容師じゃないよね。なんかそんな雰囲気じゃないし。
「在宅ワーカーじゃないよ」
え、そうなの?じゃあやっぱり飲食とか販売とか?
「飲食業?」
「違うなぁ」
「でしたら、販売とか」
「販売でもないなぁ」
「すみません、教えていただけないでしょうか?」
「ははっ」
笑ってごまかされた。教える気、ないんかい!
「まー、すみませんねぇ、スーパーのレジが混んでまして」
約束の時間から十分遅れて有賀ママは帰って来た。
「いえ、とんでもない。こちらこそお留守の間に上がりこんでしまって申し訳ございません」
「いいんですよぅ、コウヘイが居て助かったわぁ」
ほほう、さっきのはコウヘイというのね。
「お恥ずかしながらご近所で迷っておりましたところ、お声をかけていただきまして。連れて来ていただいた次第です」
「まぁ!コウヘイが。やっぱり美人には弱いのねぇ」
「そんな、とんでもないです」
美人だなんて、有賀ママありがとう!──いや、お世辞だって分かってるってば。
「母さん、そろそろ本題に入ってもらったほうがいいんじゃないの?」
噂のコウヘイさんが麦茶のグラスを片手にリビングに入ってきた。
ちなみに、あたしにはさっきコーヒーを持ってきてくれていた。
グラスはもうすっかり汗をかいてるけど。
「あらやだ。コウヘイも一緒に聞いとく?」
「んー、おれは遠慮しとくわ」
「あらそ。愛想がないわねぇ」
「へいへい。じゃあ三波さん、また」
「はい。本当にありがとうございました」
笑顔でお礼を述べて、さぁ営業営業!
「本日はお時間をいただきまして、本当にありがとうございました。また来週、有賀さまへのプランのご提案書をお持ちいたしますので」
「お待ちしておりますね、三波さん」
ふぅ、お仕事終了。さて帰るか。
と、玄関から出ると外にコウヘイさんが居るじゃないですか。
何やってんだろ。
コウヘイさんは空に手をかざしていたが、近くに来たあたしに目線を移した。
「あぁ終わった?帰りも迷子にならないように駅まで送るよ」
「いえ、大丈夫です。お気遣いありがとうございます」
「まぁそう遠慮せずに。車だなんて言わないから」
「そんなとんでもない……」
と、言いつつ帰りの方向が分からない。
若干うろたえていると、それがコウヘイさんに通じてしまったらしい。
「こっち」
と、笑いながら指差された。
「申し訳ございません、お言葉に甘えさせていただきます……」
ほんと今日は厄日かしら。
団地は本当に鬼門だ。郁は下町育ちで団地に縁がなかったため、団地の戸建は全部同じに見えてしまう。
どこに行っても大体団地の場合は迷ってしまうのだ。
「ところで郁ちゃん、今日はこれから会社に戻るの?」
「いえ、今日はもう直帰ですが」
「そう。ならご飯でも食べに行かない?」
──は?
「あぁ身元は確かでしょ?」
そりゃまぁ……。
呆気にとられていると、手をとられて歩き出す。
まぁいいけど。どうせ帰ってもビール片手にスルメイカだし。
連れて来られたのは駅前にある居酒屋。
「ここ、料理が美味しいんだ」
へぇ。
チェーン店ではなさそう。でも隠れ家っぽくて落ち着いた店内だ。
「えーと、生と……郁ちゃんは?」
「あ、じゃああたしも生で……」
「生ふたつ。あと枝豆と特製サラダとあぶり鳥と豚串と……郁ちゃん、何かない?」
「えっと……じゃあ出汁巻き卵を……」
「じゃあそれ。あとは?」
「お任せします……」
「そう?じゃあ白菜のクリーム煮と…あ、牛すじも。取りあえずそれで」
かしこまりました、と注文を復唱してから店員さんが下がる。
しかしなんでこんなことに。
未だかつてお客さん(の、息子さん)とご飯食べたことなんてないぞ。なんだこれ?
「じゃ、郁ちゃんとの出会いを祝してかんぱーい」
「お、おつかれさまです……」
ていうか、郁ちゃんてなんだ、郁ちゃんて。
すっかり遠慮もなくしてしまったあたしは、結局三杯目のビールを注文しているところだ。
家にきた営業をナンパするヤツにいるか?遠慮。いーや、いらんだろ。
つーか結局コウヘイさんて何者なんだ?いや、有賀さんちの息子さんだってこたぁ分かってるけども。
「あのー、結局コウヘイさんて何のお仕事されてるんですか?」
「あぁ、そういえば結局答えてなかったんだっけ?」
えぇそうですとも。
──と、名刺を差し出された。
『ゲストハウス ラ・メール ウエディングプランナー 有賀晃平』
「う、ウエディングプランナーさん?ならなんで今日お休み……あ、有休ですか?」
「基本的にシフト制だから。結婚式は土日祝日が多いからね」
そりゃそうか。
当日休んでられないもんね。
「そうなんですね……ちょっと、驚きました」
「え?なんで?シフト制なんて良くあるでしょ?郁ちゃんだってそうなんじゃない?」
「いや、うちは土日休みです。……そうじゃなくて。ご職業のほうが」
「あぁ、見えないって?」
笑いながらビールのジョッキを上げる。
「えぇまぁ……」
「お式のご予定があるなら是非私をご指名くださいね」
あったらあんたとメシ食ってねぇよ。
「それでは有賀さま、こちらにサインと捺印をお願いします」
結局、有賀さまご夫婦にはシニア保険にご加入いただけた。無事契約成立してよかった。
「では後日、ご入金の確認が出来ましたらすぐにご連絡をさせていただきますね」
「はいはい。よろしくお願いします」
にこやかに挨拶して二度目の有賀邸からお暇する。
さすがに二度も同じ道を通ればあたしでも覚えるので今日は迷わずに着けた。本当によかった。
今日はさすがに晃平さんは留守なようだ。まぁ、息子さん居ても勧誘できそうにないし。
というか、会ったその日に携帯のアドレス交換させられたしね。
晃平からはびっくりするほどくだらないメールが二度ほど届いた。
『変な置物見つけた!』と『この生ドラ激ウマ!』ってやつが。
まぁ生ドラの方は郁も気になってメールが来た日の帰りに買って食べたんだが。……割と美味しかった。
さて、今日はもう社に戻る予定もないし結構遅くなったしご飯でも食べて帰りますかね。
そう思い立ち、先日息子さんの方と行った居酒屋へ向かう。
「「あ」」
件の息子さん発見。
しまった、別の店にすりゃ良かったかな。
「気に入ってもらえた?あ、よかったらここどうぞ」
「はぁ、すみません……」
「えーと、うちからの帰り?だったりする?」
「あ、はい。先ほどまでご自宅に伺っておりました」
「それはそれは、ご苦労さま。あ、ビールでいい?」
すすめられるがままビールを頼み、また息子さん──晃平さんと飲むことに。なんで?
さらになんで?は翌日、覚えのない部屋で目が覚めたとき。
ここ、どこよ?
ものすごいホテル仕様なんですけど。いやまぁ、ホテルだろうな……。
だってベッドとルームライトとテレビしかない。
昨日は──取りあえず、晃平さんと飲んで、あぁ……結構長いこと飲んだんだっけ?
ビール六杯目までは覚えてる。
明日は休みという安心感がつい飲みすぎてしまったようだ。
──この人も。
隣で寝ているのは問題の彼。
服は……あたしは着てない、な。てことはこの人もだろう。
あーあ、やっちゃったか。
まぁ過ぎたことはしょうがない。シャワーでも浴びて帰るか。
起こさないようにそっと抜け出してお風呂へと向かう。
さて困ったな。
相手は仮にもご契約者さまの息子さん。
つまりはお客さま。
まぁでも、契約はすでに成立したからもうご自宅に足を運ぶことは当分ないだろう。
じゃあまぁ問題ないか、この人結構好みだし。
などと寝起きの頭でぐるぐる考えているとバスルームにくぐもった声がする。
「郁?」
あら、起きてきた。しかもドア開けやがった。一緒に入る気か?
「晃平さん?どうしました?」
「あぁいや、逃げられたかなと思ったんだけど、よかった居て」
「はぁ、取りあえず閉めてもらえます?」
「せっかくの機会なので」
しれっとバスルームに入ってきた。
結構な広さのバスルームだから、二人で入るくらいなんでもないけどさ。
「で、今後のことだけど」
は?
「付き合うってことでいいんだよね?」
「はい?」
一気に目が覚めた。あれ?夕べはそんな話出たんだっけ?そんな記憶なくしてないはずだったんだけど。
「え、まさか一晩限りのつもりだった?」
「そのまさかですけど」
「えー。何か問題でもあるの?」
「いや、特には……」
「じゃあいいでしょ。これからもよろしく」
「あ、はい……」
まぁ身元ははっきりしてるし、好みなんだしいっか。知り合ってまだ二回目てとこが問題ではあるけど、まぁコンパで彼氏捕まえたとでも思おう。その割には親まで知ってしまったけど。
なんとも微妙な成り行きで彼氏が出来たもんだ。
「ねえ、パパとママはどうやって結婚したの?」
まさか四歳の娘にそんないきさつを話すわけにもいかないでしょう。
「あー……パパのお母さん、つまり詩津のおばあちゃんがママのお仕事のお客さまでね、そのご縁でパパと知り合ったんだよ」
嘘ではない。
迷子とかの件を端折って、飲んでそのままホテルで目が覚めたことを黙秘すれば。
あとの関係はお客さまの息子さん、だもんね。
「そうそう。ママはパパのおうちに来る時に迷子になっててね、おばあちゃんとの約束に遅れそうだったからパパが助けたんだよ」
あ、このやろ。ばらしやがった。
「えー、ママ迷子になっちゃったの?」
「う、うん……」
「パパに助けてもらえてよかったね!」
無邪気な娘はそういって晃平の足にじゃれ付いた。
晃平は詩津を抱き上げてニヤっと笑った。
──もう!




