記憶焼却
♢35♢
記憶喪失ではなく記憶の焼却。
それが水瀬 優姫。彼女の身に起きたこと。
全てを燃やす炎は、記憶すら燃やしてしまったのだ。
その身に受けたからか、炎が彼女の中へと消えたからなのかは不明。起きたことだけが事実であり現実だ。
だからユウキにはない。誰しもが持つ過去というものとか、想い出とか、それに付属する何もかもが。
燃え残りなのか灰なのかは分からないが、わずかに記憶のようなものが存在するだけ。
他は何も分からない。ここ5年間の記憶が彼女の全て……。
その全てすら幸福とは言えない。
水神 雲母と出会って、タワーマンションに越してきて、過ごした時間は5年の内のいくらかでしかない。
空白の期間が存在する。
だが空白の期間については、まだ語られない。
今はその時ではないから……。
♢
「記憶の焼却。それがあの炎の記憶の顛末だ。ユウキには、あれ以前の記憶は存在しない。いや、あれすら無いと私は今日まで思っていた」
タワーマンションへと帰宅し、予告通りに雅がパスタを作りそれを夕食とした後、雲母は炎の記憶について話始めた。
テーブルに座っているのは4人。ユウキ以外の4人だ。
「そんな……」
「……記憶がない?」
言われなくては分からないこと。
記憶喪失の人がいたとして、見ただけでは分からないし、話したとしても分からないかもしれない。
それが友達だと思っている相手だとしても分からない。過去があるということが普通だから。
「記憶焼却。あの炎の記憶しかユッキーにはないの?」
「あれだって完全じゃなかった……。ユウキは誰の顔も覚えてなかったじゃないか。あの子は仇どころか、両親の顔すら分からないんだ」
顔の無い死体が、元は誰であったかも分からない。
思い出すことも無いだろう。記憶の焼却という現象は、そんな生易しい事ではないから。
「私は、戻らない辛いだけの記憶など、必要ないと思っていた。だが……ユウキは知りたいんだろうか?」
「「…………」」
雅たちは何も言うことが出来なかった。
知らない方が幸せだとも、知った方が幸せだとも、答えられるはずもく、正しい回答など分かるはずがないから。
「……すまない。キミらに聞いたところで仕方のないことだったな……」
ユウキから姉さんと呼ばれている彼女にも、答えは分からない。無くなってしまったものの代わりを、代わるものを与えようとしてきた彼女ですら分からないのだ。
なら、付き合いの短い雅たちは、尚更何も言えないし、何もしてやれない。
「私からの話は以上だ。今日の鍛錬は休みにする。下手すると明日もか……。まあ、調子を見て判断するよ。今日のことがあるから私は明日も出掛ける」
「そっか。なら、ユッキーはあたしが見てるから」
「……そうか。なら、頼む」
雅たちは、テーブルを立ち自分のオフィスへと入っていく雲母を、黙って見送るしかなかった。
誰も何も言わないまま、時計の針の音だけが音を立てている。その音は同じリズムで鳴り続け、時間が進んでることを教えている。
「聞かなきゃ良かったかな?」
「そうかもな。でも、それはそれでモヤモヤしたままだったはずだ」
「何かしら出来ることはあるはずです!」
時間は進むのだ。時計の針はそれを教えるだけ。
同じ時間の中で生きているのなら。
過ぎ去った過去ではなく、今の時間を。
「あの炎の記憶には戻れない。ユッキーの記憶は戻らないかもしれない。でもさ、亜李栖ちゃんの言うように出来ることはあるよね」
「犯人探しでもしようってか?」
「それはユッキー次第だね。あたしたちが勝手にやっていいことじゃない。記憶の無いユッキーには難しいかもだけど……」
「では、何が出来るでしょう?」
無いのなら。失くしてしまったのなら。
過去も、記憶も、何も無いというのなら。
「あたしは色んな料理を作ろうと思う!」
その雅の宣言に志乃はふざけてると判断したのか、叩こうとしたが亜李栖がそれを止める。
「……亜李栖?」
「志乃さん。雅さんの言う通りです。分からない、知らないのであれば、教えてあげればいいんです」
「ユッキーはすき焼きを食べたことがない。じゃなくて、食べたことがあるかどうか分からない。だったんだね。なら、これから色んな料理を食べればいいし、その過程で何か思い出すかもしれない」
「無いものが戻らないんだとしても、それは忘れているだけで同じことをしたりすれば、何か記憶に繋がるかもしれません。たとえ記憶が戻らなかったとしても、新たな記憶にはなります!」
「あたしたちに出来るのは一緒にいてあげることと、一種に遊んであげること。そんな普通なことだよ。得意なことなら教えることだってできるしね」
確かにユウキは、交差点の一件で炎の記憶を蘇らせた。残り滓なのかもしれないが、全てが全て燃えて無くなったのではないのだろう。
燃えさったとしても、消えないものだってあるはずだと、信じるくらいはしてもいいはずだ。
「犯人探しじゃなくてか……雅にしてはいい案だ」
「雅にしてはって、何かな? あたしはいいことしか言わないよ」
「能天気なじゃなくてか?」
「違う! 能天気な発言などしたことはない!」
与えることはいくらでも出来る。
こうして同じ場所に、同じ時間の中にいるのだから……。
「後片付けしますよー、食器下げてください」
「ほら、食器下げてくれ。能天気」
「──能天気じゃないと言ってるでしょ!」
♢
あの時……。
私の剣撃は間違いなくあの男を斬れたはず。
そのはずなのに……。
「──能天気じゃないと言ってるでしょ!」
部屋にいても聞こえてくる声。
こんなに騒がしいのは初めてかもしれない。
雅たちがいるから? ……そうなのかな。
「志乃ちゃんこそ、今日はビビりまくりだったじゃない!」
「──なんだと?」
「まぁまぁ、2人とも落ち着いて。夜に騒いでは他の人たちに迷惑ですよ」
雅に、志乃に、亜李栖。
3人を見ていると、何か……。
何かを、誰かを思い出しそうに……自分以外に3人いて……。
『ぜんぜんダメじゃない。妹にまけるってどうなの?』
『うるさいぞ。今のはたまたまだ!』
『まぁまぁ、ユウキちゃんがこまってるから2人ともおちついて』
────っ! 今のは、何?
あれは、もしかして……。
もしかしたら。そうだとするなら。
私はもう一度、あの男の前に行かなくてはいけない。




