冷たい炎 ③
♢29♢
話しながらタバコを吸い始めた水神 雲母に、レンと名乗ったウサギ男は完全に油断していた。
本当に彼女は、大人しく足止めされるつもりのように、見えたし思えた。ゆえに油断していた。
「……だいぶ聞きたいことも聞けた。お前を倒す選択肢がある、ということが最大の収穫だな」
このウサギを倒しさえすれば、東京での遊戯は終わる。
何故なら、この男がこの裏東京を創り出した本人だからだ。この場所を維持する力に関しては話をはぐらかされたが、はぐらかすということは、やはりそれはあるということ。そこまで分かれば今はいい。
彼女は、こうして時間を無駄にするのを終わりにする。思ったより長かった我慢の時間は、もうすぐ終わりとなる。
「しかし、新宿のボスキャラ。TYPE ビーストすら倒せない現状では、それは不可能だと言っておこう」
「獣と言えば、自分だってそうだろう?」
「まあ……そうだな。オレもTYPE ビーストにあたる。この種類は迫撃戦、近接戦闘に強く、個で戦うタイプ。要は戦士型ということだな」
ウサギ男の言葉に付け足すなら、魔法はオマケでしかない。注目すべきは強靭さ。
戦士というだけあって武器など必要ない。人間など素手で事足りる力を持つ。ということだろう。
「お前みたいなのが他にもいるということか……。それも今はいい。いろいろ聞けて有意義だったよ。私は、そろそろユウキのところに行くとする」
雲母の咥えていたタバコが道路に落ちていく。
「……させないと言ったし。出来ないと悟らなかったのか?」
「勝つのは無理でも、出し抜くくらいは出来るということだ!」
今度は彼女らしく、ウサギ男に正面から仕掛ける。この無策とも思える特攻の準備に時間が必要だった。
「ふむ。この方がキミに似合ってはいる。しかし、愚かと言わざる得ない」
迎え撃つ男は構えを取る。
その構えに、隙はなく無駄もない。
だが、仕掛けるのではなく迎え撃つ。
攻めではなく守りである。
これは男が足止めが目的なのだから自然なこと。
「雨音」
雲母がそう口にすると、土砂降りのような雨音がしてくる。雨の音しか聞こえないくらいの土砂降りの音。
(音だけ? 意味があるようには思えんが……)
音だけであり、雨そのものは確認できない。
振りかぶられる拳にも確かに気配があった。
だけど音が無かったから、あるべきものが無いことには気づかなかった。
(新たに魔法まで出されては致し方なし。少し眠っていて貰うとしよう)
近づくタバコの匂い。
雲母は直前までタバコを吸っていたわけだから、これも自然なこと。
──だから分からなかった。
雨音がし始めたところから、足音が消えていることに。
触れるまで水神 雲母の姿が、煙りとなっていることに。
「──何?!」
吐き出される煙が上に登っていくのは自然なこと。誰も煙のいく先まで追いはしない。
例えその煙が魔法陣を作るのに利用されていても、気付かないし分からない。
タバコの煙の成分は水であり。
雲母は水を扱う魔法使いであり。
普通。煙とは風に流されてしまうものだから。
しかし、あたりの風は誰かが使い果たしてしまった。周囲は先ほどから無風に近い状態が続いていた。
(煙のように消えたが、進行方向は分かっている。追いかけるのは難しくはない)
雲母は出し抜くと言った。
それは戦うではなく、逃げることだとウサギ男は判断した。
逃げた方向をユウキのいる方向を、視覚ではなく感覚で、遠ざかるっているはずの彼女の位置を探ろうとする。
そんなところに雲母はいないとは知らずに……。
(──いない? それほど遠くまで行けるはずが……)
『お前が並以上で助かった。だがね……自分で言ったじゃないか? そんなのは私らしくないと。 ──その通りだ! 邪魔しやがって!』
続く雨音のためだろう。男の頭の中に声が聞こえる。
あるいは、位置を気付かなせないためだったかもしれない。
「──ぬおっ」
防がれたのと同じ一撃。
硬化による一撃が振るわれる。
背後から拳は直撃し、ウサギ男はきりもみしながら建物の壁に激突する。
『これくらいでくたばりはしないだろう? 次に会うときは、この場所を維持する力について教えてくれ。あと吸い殻は拾っておいてくれ。じゃあな!』
何も無しでは追われるのは明白。
逃げるにしても、追えないくらい手傷を負わせてから。
理由を付けるなら、こんなところだろう。
もしくは単に、いいようにされたのが気に入らなかっただけかもしれない……。
「ふむ。まさか殴り倒されるとは思いもしなかった。いくら分身とはいえな……」
独り言を口にしたウサギ男の身体が、黒い水になり消滅していく。
「気付かれたふうはなかった。この分身は完璧だった。それでもこの結果は予想外だ。しかし、時間は掛かったがカイアスが始めたようだし目的は達した」
そう言い残し、身体は跡形も無く消滅した。
後に残ったのは墨のような黒い液体だけだった。
♢
近くで魔法陣が発動し、見覚えのある場所が現れた。
これが幻しかあり得ないと理解しても、どうしたって考えてしまう。もし、この時に自分がこの場所にいることが出来たらと。
一目でいつの事なのかが分かった。
そこはもう存在しない場所で、何一つ残らなかった場所なんだから。
炎はまだ広がったばかりのようで、燃え落ちた……形すら残らないず燃える前だと分かる。
後に残るのは地面だけ。他は何一つとして残らない。痕跡も証拠も……そこにいた人たちの何もかも。
この炎は全てを燃やす。
善も悪も関係なく。
そうすることが己が役目のように。
ただ。ただ。燃やす。
幻の端に。自分の目の前に、顔の無い子供が1人現れる。
それがあり得ないことだとは思いながらも、燃える場所に向かって走る姿は、私に後をついてこいと言わんばかりに思えてしまう。
「ユウキの記憶なら。あの子の記憶なんだとしたらあり得ないが……。お前たちなら、あるのかもしれないな。連れてってくれ。優姫のところまで」
その小さな後ろをついて行こう。
♢
何が出てくるのかと思ったら、単なる、チープな、どこにでもあるような悲劇の話でした。
ワタクシ。ガッカリしました……。
こんなのが彼女の中身なんだとしたら。
先に手を出してきたのは向こうですし。
ワタクシ、1回斬られてますし。
1回は1回と言いますし。
──やられたら、やり返しましょう!
斬られたところもくっついたし、激しい運動をしない限りは大丈夫でしょうし。
せっかくの日本の夏なのに、冬みたいに寒いのにも飽きてきまさしたから!
『そこの傾奇者。これをやってんのはお前さんか?』
気のせいじゃなければ、記憶の中の幻が話しかけてきているように見えますが、幻の中の人が喋りはしないでしょう。と言いますか……こんな人いましたっけ?
……これは、俗に言う幽霊というやつですかね?
女性の方ですが何やら時代感が違いますし。
これはジャパニーズサムライというやつじゃないですかね?
『何度、この娘にこの光景を見せんだ……。自分が悪いのが分かってる身としちゃあ、辛えんだけど……』
「アナタ。幽霊の人ですか? 幽霊っているんですか?」
『この光景をさっさと消せ。そんで腹切って侘びを入れろ。そうしたら許してやる』
許すも許さないもない。
幻如きに何ができるわけでもなし! なので……。
「──お断りします! なぜなら。ほらコレ! こんなにバッサリ斬られたんですよ? 痛かったですから、同じ目に合わせないとワタクシの気がすまない!」
『……じゃあ、もういいや』
「そうそう。幽霊の人は大人しく見ててください!」
『──馬鹿が! 斬れねぇと思ってんのか? いっぺん死ね……』
いや、刀を抜いたところで……。
『斬るものを選ぶ。これが出来なきゃ護れねぇもんだってあるんだぜ?』
………………えっ
「ぎゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ────」
『ほら見ろ。腹切った方がマシだったのによ。今のは警告だ。次は本気で斬る……嫌ならこれを消せ』




