図書室の人形
終礼を告げる鐘が鳴る。
クラスメイト達は、次々と部活や委員会、遊び、帰宅と行動していく。
教室内に残るのは、遊びを選択した者達。
彼らは、カラオケやファストフード店、カフェなどで遊ぶ予定らしい。
騒々しくゲラゲラと笑う彼ら彼女らとは、相容れないだろうと思いつつ教室を出た。
僕にはやることがある。
やることと言うと何とも重大な事柄のように聞こえるが、日課のようなもので、この学校の図書室に通う事だ。
僕は本が好きだ。
勉強も運動も平凡で、特技もない僕には本がある。
物語の中にいる時だけは、平凡な高校生の本田友樹から英雄にだってなれるんだ。
それともう一つ。
図書室に通う訳がある。
鉄仮面、女帝、図書室の人形などと陰ながらあだ名が囁かれる学園一の美女である篠宮詩織先輩が居るからだ。
篠宮先輩は図書委員で、仕事がない日もほぼ毎日図書室にいる。
だから最後の図書室の人形というあだ名がついているのだ。
そして、僕は篠宮先輩が好きだ。一目惚れだった。
高校に入学して、図書室へ向かうとそこには——姿勢が綺麗で整い過ぎた美しい容姿は、まさに人形そのもの。陽の光が差し込んで、窓のそよ風に髪が揺れて……今でもあの光景は忘れられない。とにかく僕は目を奪われた。
それから何度も図書室へ通い詰めた。
勇気を出して話しかけても無視されるか、適当にあしらわれるだけ。
それでも、何度も何度も自分でも信じられないほどに諦めることを諦めなかった。
そして、今日も図書室へと向かう。
「あれ? 友樹ー! 帰るのか?」
廊下を歩いていたら友人に声をかけられた。
振り向くと友人は、これから部活のようで荷物を持っている。
「いや、図書室に行くよ」
「お前……まだ、篠宮先輩のこと諦めてなかったのか。もう半年だぞ。クリスマスもすぐだって言うのにさ。叶わない夢を追いかけるなとは言わないけど……な?」
すれ違いざまに肩を軽く叩かれて、彼は階段を駆け降りて行く。
痛くも痒くもないはずなのに叩かれた肩は、妙に重い気がする。彼の言葉に僕は、少しムッとしたけれど言い返す言葉もない。
現に僕は相手にもされていないのだから。
でも、時間の浪費だったという結果で終わりたくない。
我儘だろうか? もう、それでもいい。
そして、友人に感謝しよう。
たった今、やるかやらないか決めかねていた僕の心は決まった。
——今日、篠宮先輩に告白する!
この決意は硬い……はずだ。
いざ目の前にして、やっぱ無し! なんてことは幾度とあったが、今回もそうならないと言う保証はない。
でも、決意したんだ。男なら堂々と告白するべきだ!
だがしかし、図書室の扉を前にして弱い心が顔を出す。
やっぱり帰ろうかなぁ……。断られたらどうしよう。いや、別にどうなるわけでもないんだけど。あぁ! もうっ!
緊張と情けない自分へ怒りが溢れだす。どうしようもない感情が治まるまで、しばらく図書室の前で右往左往していると、
「邪魔よ。中に入るか帰るか選びなさい」
急に扉が開かれて、現れたのは篠宮先輩。相変わらず無表情なのに変わりはない。それでも僕の姿を見た時、一瞬だけ瞳の奥が揺らいだような気がした。
「は、はい。す、すみません……」
何とか絞り出した言葉は、震えていて情けなかった。
言われた通り図書室へ入ると、逃げるように本棚へ向かった。
そして、息を整えて心を落ち着けるために本を読む。
……集中出来ない。
ちらりと篠宮先輩の居るカウンターに視線を向ければ、落ち着いた佇まいで淡々とページをめくっている。
はらりと髪が垂れ下がると髪を耳にかける。そんなありふれた動作でさえ、様になっていて僕を魅了する。
そう言えば、僕は何かとこの半年で篠宮先輩を見てきたけれど、親しい友人というものを見たことがない。
意図的に避けているようにも感じた。
一方で告白されるのは幾度となく目にした。
しかし、全員撃沈。
中にはサッカー部のエースで爽やかイケメンの先輩も居たのにも関わらず、一瞬であしらわれるという結果に僕は安堵しつつもどんな人が告白しても無理なんじゃないかと思い始めていた。
それは僕以外の人たちも同じで、次第に告白される回数が減って行った。
そう思うと今、僕が告白するという行為自体が無駄であるかのように感じてしまう。
魂が抜かれたかのように呆然としていると、カウンターの篠宮先輩の姿が消えていることに気が付く。
肩を優しく叩かれた。僕の右肩だ。
友人に叩かれた時の重くて、いかにも男子と言った感触とは打って代わり柔らかで軽くて、それは女子の手のようで……。
全身の筋肉が、こわばりながらも少しずつ後ろを向く。
息が止まりそうになる。
ほぼゼロ距離で、あの憧れの篠宮先輩が目の前に居たのだ。
「ねぇ、君……本田友樹君?」
なんで僕の名前を!?
あぁ、でも、本を何度も借りていれば名簿で名前が分かるのか。それでも名前を覚えられたと言うだけで、こんなにも嬉しいとは思ってもみなかった。
「そ、そうです」
緊張のあまり声がうわずる。きっと、今の僕の顔は林檎のように赤くなっているのだろう。
「本田君は本が好きなの?」
「は、はい! と言うか僕には本しか無くて……。本を読んでいる時だけは、どこへだって行けるし誰にだってなれますから!」
つい本について聞かれて熱くなってしまった。
最悪だ。嫌われたかもしれない。
「ふふっ、そうね」
えっ!? 先輩が笑った……?
驚きを隠せない。そして、その破壊力に僕の心臓が張り裂けそうだった。
「ますます、君の事が好きになってしまいそう」
嘘だ……。これは嘘に違いない。
僕が夢を見すぎて幻覚を見ているだけなんだ!
先輩がこんな素敵な笑顔を僕に向けるはずなんか……。
あれ? 意識が……段々遠くなっていく。
最後に見た景色は、ボヤけていたけれど多分、篠宮先輩の困った顔だった。
■□
昔、十年以上前の出来事。
僕は、今よりも活発でやんちゃな男の子だったと記憶している。
田舎の野山で駆け回り、転んで膝小僧に擦り傷を沢山作るような子供だ。
そんな僕に、引っ越して小学生に上がった頃だったか、仲の良い女の子ができた。初恋の相手だった気がする。
名前は確か……しおりちゃんだったか、しょうこちゃんだったか、ハッキリ覚えて居ないが多分そんな響きの名前。
高校生になった今でも昔の夢を見ることがある。
しかもそれはいつも決まって、女の子を守ろうとして僕が傷付く夢。
今も、その傷跡が残っていて、髪で隠しているが額には縫い跡がある。
その夢は、遊んでいる公園に突然現れた大型犬によって僕達が襲われるという恐怖の夢。
今ではあの時のトラウマからか、犬恐怖症となってしまったが、あの頃の僕は勇敢で、蛮勇で無謀にも女の子を助けようと立ち向かった。
そして——時が過ぎるにつれて、助けた女の子とは疎遠になってしまった。
また、あの夢を見ていた。僕は目を覚ます。
しかし、いつもと何かが違う。
まず、温かくて柔らかい。そして、いい匂いだ。
この匂いは、篠宮先輩とすれ違った時にいつもするもので……。
寝惚けた目を覚醒させると、図書室の陽が入る温かな場所で篠宮先輩の膝枕で寝ていたことを瞬時に理解する。
どうしてこうなった。そんな感情が湧き出す前に、俺は気付く。
膝枕の主、篠宮先輩は瞳を閉じて静かな寝息を立てているのだ。
垂れ下がる艶やかな黒髪がくすぐったい。
それにしても寝顔を見れるなんて死んでもいいかもしれない。僕がなぜ気絶して、膝枕をされているのかさえ気にならなくなるほどの激レア度。
僕はもう明日を迎えることなく死ぬのかもしれない。
そんな気がするくらい心臓がはち切れそうだった。
「んっ……。あ、起きたのね。突然倒れるからびっくりしたわ」
「すみません」
いいのよ、と柔らかな笑みで僕を見下ろす。
雪のように白くて繊細な指が、僕の額を撫でる。髪をあげると、
「やっぱり、この傷……」
「あぁ、子供の頃犬に引っ掻かれて……」
恥ずかしくなった俺は、膝枕から起き上がって篠宮先輩と対面する。
幸いにして、図書室内には誰もいないらしい。
「そう。私、小さい頃に仲良くなった男の子がいて、その子は君みたいな大人しい性格とは裏腹にやんちゃで活発な子だった」
「え? 先輩?」
そして懐かしむように篠宮先輩は続ける。
「彼は、私に色々な遊びを教えてくれた。……けれど、彼は公園に突然現れた大型犬から私を守ろうとして、大怪我をしてしまったの」
「それって……」
似過ぎている。僕の過去の体験と、初恋の女の子は、もしかして……。
「それから彼とは疎遠になってしまったのだけれど、入学式の時に君がこの図書室を訪れたことは、なにかの運命だったのかもしれないわね」
「じゃあ、やっぱり……篠宮先輩は、あの時の女の子。しおりちゃん……?」
「ふふ、やっと気付いたのね。ともくん」
でも、今まで無視されていたのは何故なのかと僕は聞く。
そして、帰ってきた答えは至極単純で、
「だって、私だけ気付いているのはずるいと思ったもの。でも、全然気付く様子もないしどうしようかと思ってた。勇気を出して告白したのに、ともくんったら気絶しちゃうし」
「あぁ、あれは緊張のあまり意識が飛んじゃって……」
思い出すだけで恥ずかしい。あわあわと身振り手振りで誤魔化そうとする。
「ともくん……変わったね」
「しおりちゃん……詩織先輩も変わりすぎです」
「そうかもね」
篠宮先輩は僕の横に移動して肩に頭を乗せた。でも、今はなんだか緊張もしていない。昔に戻ったかのような自然体で居られた。
「詩織先輩。昔からずっと好きです。僕と付き合ってくれませんか?」
「……はい。喜んで」
永遠にも感じる刹那。返事は半年間、いや数十年の僕の努力が実るものだった。
「詩織先輩。もう閉館の時間ですけど……」
「じゃあ、一緒に帰りましょう」
「はい!」
僕の前では鉄仮面だなんて言わせない。
だって僕の前では、誰も見たことのない笑顔を見せてくれるのだから。