8話 一つ魔法というのものは
真学師の弟子という事にはなったが、いままでの生活から別段変わることはない――服装は日本から着たきり雀だったので、現地の服飾を師匠に色々と揃えて頂いた。
靴も貰ったんだが、日本の革靴に似てるかな……? ただ、ゴムはないので、木底だが。
服買ってもらって、飯食わせてもらって――なんかもう、マジでヒモかツバメだよ。
いい加減、独り立ちせんとなぁ。
会話の問題はなくなったので、いままで会話の練習に使っていた時間を、そのまま読み書きの学習への時間に充てた。
ふふふ、超複雑怪奇な日本語マスターの日本人を侮ってもらっては困る。
意味不明な象形文字とも言える漢字みたいな物があるわけでもなく、あるのはアルファベットに相当する記号があるだけ、こんなのは単語さえ憶えれば、どうにかなる。
文法は英語に近い感じで、女性名詞、男性名詞があるところがちょっと面倒なぐらいだ。
数の数えかたは、日本語と同じ10進法なので、フランス語みたいな超面倒な事はないし、読み書きもそこそこ、こなせるようになった。
いよいよ、空いた時間で魔法の訓練をすることになった。
いや~、魔法か……まさにファンタジーだなぁ。ちょっとワクワクしている俺がいるよ。
師匠の真学師としての、仕事の内容も教えていただいた。
師匠は、菌類や微生物を含む動植物についての専門家らしい。
------◇◇◇------
――ある晴れた日の午後。
俺と師匠は家の横の井戸が掘られている空き地に立っていた。
この井戸から、俺は釣瓶を使って毎日水を汲み、家の水瓶やお風呂に水を満たしている。
「これから、魔法の訓練を始めますが、真学師になったからと言って、それが即ち魔法を使えるという事になるわけではありません」
「はあ、それは承知してます。剣の達人に弟子入りしたからと言って、弟子が達人になれるとは限りませんよね?」
「その通りです。これには才能が付きまといますから、無理なら諦めるように」
「わかりました……」
ち、ちょっと厳しいんじゃありませんか? 師匠……。
「そもそも、魔法というのは、真学師を体現する一側面でしかありません」
「はあ」
「物事の理を解明し、真理を追究する過程において具現化するものであり、魔法を使いたいから真学師になりたいなんて、これは本末転倒な事です」
あれ? これって俺ディスられてる?
師匠の厳しい口調に、ちょっと疑問を感じたので、質問をしてみた。
「師匠は、私が真学師になる事に反対なのですか?」
「そうではありません。機会は何人にも平等に与えられるべき物ですが、その結果が無理なら、諦めろと事実を言ってるのです」
「失礼いたしました」
ふん――と師匠は、不機嫌そうに鼻息を吐くと、俺の方をジロリと見つめている。
ああ、多分俺みたいな弟子がたまにやって来て、役に立たなかったのが沢山いたのかなぁ……。
一応、弟子希望の入門者は断っちゃイカンらしいし。
魔法は遊びじゃねぇんだよ、いい加減引く事憶えろよカス! って事なのか。
ここで一つ疑問が。
「あの、師匠? 魔法を使えない真学師というのはアリなんでしょうか?」
「さきほども言いましたが、理を理解していれば、魔法は具現化し、付属してくるものなのですから、魔法を使えない真学師というのはありえません」
「つまり、魔法を使えないのは、理を理解していないからだと……」
「その通りです」
だから、使えないなら諦めろって事なのか……。
そのまま師匠は俺の手を引っ張り、家の裏手にある風呂の竈に連れていくと、薪小屋から薪を取り出し、竈の中へ放り込む。
彼女は、手に持ったロッドでそれを差すと、こう言った。
「さあ、それに火をつけてごらんなさい」
「え? いきなりですか? 何も教えていただいてませんが……」
「いきなりも何も、さっき説明しました」
え~? 理ってやつですか? マジでわけわかめなんですけど……。
俺は途方にくれて、風呂の竈の前に座り込んだ。
「ほれほれ、どうしましたか?」
今度は、ロッドで俺の背中を嬉しそうにツンツン突つき始めた。
「なんか師匠嬉しそうなんですけど、キャラクター変わってません?」
「キャラクターとはなんです?」
「性格の事ですが……それが、『地』なんですか?」
「さあ?」
うふふと微笑みながら、今度は俺の首に手を回して、屈んでる俺の背中に乗りかかってきた。
「ちょっと師匠、重たいんですが」
「失礼な、重いとはなんですか」
「あの、ちょっと……胸も当たってますし」
師匠の柔らかい胸の感触が、背中に伝わってくる。
「私の胸がなんだと言うのです、集中なさい」
とか言いつつ、俺の背中に胸グリグリ押しつけてくるし……。
集中なんてデキッコナイス。
師匠、絶対に俺をからかって遊んでいるだけだろ。
「一つ魔法というものは~理に命をかけねばならぬ~♪」
「なんですかその唄は? 真面目にやりなさい」
「師匠のその恰好は真面目なのですか?」
「ふふ――私は師匠ですよ?」とか耳元で囁いてくるし……。
とほほ……。
師匠の柔らかい胸の感触と体温を背中で感じながら、俺は師匠の言葉を反芻していた。
理……。
理か……。
理ねぇ……。
物を燃やす理ってなんだっけ?
物を燃やしたい。
物を燃やすには熱が必要。
熱を作り出すにはどうすればいい?
そうだ、空気を圧縮すれば高熱になるぞ――車のエンジンなんかはそれを利用しているし。
空気を圧縮すれば……。
俺は、大きな空気の塊を小さく圧縮するイメージを頭の中で描いた。
すると、ユラユラと陽炎のように空気が揺らめき――1点に集まっていくと、小さな輝く球と化した。
これを薪のところへ持っていけば……。
竈の中へゆっくりとその玉をいれると、薪から白い煙がモウモウと上がり始めた数秒後。
勢い良く火がつく音と共に竈に火が入った――。
「やった!」
――と、はしゃぐ俺が、集中を切らした瞬間!
炸裂音と共に、火の粉と竈の灰が飛び散った。
「あちちちっ!」
手をバタバタさせて逃げまどう俺を見ながら――いつのまにか、離れた場所に避難していた師匠が呆れた顔をしていた。
どうやら、圧縮した空気が一気に膨張して、生み出された衝撃波が高温になった灰と火の粉を吹き飛ばしたらしい。
「何故そうなるのですか? どういう理を描いたのです」
「火をつけるための熱源が欲しいので、空気を圧縮することを思いつきました」
「確かに、空気を圧縮すれば熱が発生するのは理として間違ってませんが、この場合の過程としては間違っています」
「はあ」
俺は、うなだれた。
「なぜ、そんな余計な理を知ってるのに、火をつけられないのです」
「そんな事を言われましても……」
「火が燃える理とはなんです?」
「燃焼ですか? え~この場合だと薪の炭素というか、炭の成分と空気中の酸素というか燃える成分が、結合する結果ですかね?」
「解っているではありませんか、その理を思い描けばいいのです」
「はあ、でも着火するイメージというのが」
「それは必要ではありません、燃えるという現象を思い描くだけでいいのです」
俺は、飛び散った薪を拾い集めて、竈の中へ放り込むと、再び竈の前で、念じ始めた。
炭素と酸素が結合
炭素と酸素が結合……
すると、竈の中に明かるい光が満ちて、ゆっくりと燃え始めた。
おおっ、これは台所で見た師匠の魔法と同じだ。
「やった!」
今度は爆発しないぜ。
「上手くいきましたね。おめでとう――チッ」
今、舌打ちしたでしょ? しましたよね?
「師匠はそんなに、私に真学師になってほしくないのですか?」
「さきほども言いましたが、そんな事はありませんよ。出来の良い弟子に出会えて、ああ、私とても幸せデス」
セリフ思い切り棒読みだし……。
「それにしても、あなたは変わってますね」と、なにやら納得いかないような顔をして師匠が呟くのだが――。
「ありがとうございます」
「褒めてませんが」
「でも、真学師で変わっているというのは、褒め言葉なのでは……」
師匠は――このクソ生意気なガキが~みたいな不機嫌そうな顔をして、ロッドで俺の頭をベシッ! と叩いた。
「アタッ!」
「あなたは、か わ っ て ま す ね」
「はあ、スミマセン……」
「解ればよろしい」
せっかく、風呂の竈に火を付けたので、そのまま薪を足して、風呂を沸かすことにした。
俺が、竈の世話をして居間に戻ってくると、師匠がお茶をいれようとしていたので――俺がやりますと、代わろうとしたのが……。
邪魔だと、手で払われた。
どうも、師匠はお茶のいれ方にはこだわりがあるようで、俺には触らせてくれない。
ここのお茶は、発酵の浅い紅茶のような感じの物だが――色も茶色で、味も緑茶ではない。
砂糖が欲しいところだが――この異世界では、砂糖は超貴重品。マジで王侯貴族ぐらいしか買えない代物らしい。
お茶うけか……あ、そうだ。
俺は、自分の部屋になっている納屋へ入ると、リュックからチョコを取り出した。
もう、遭難して命の危機になることもないから、食ってもいいだろ。
チョコを一列割ると、それをお茶を飲んでいる師匠のところへ持っていった。
「師匠、コレ食べませんか? 甘くて美味しいですよ」
そう言って、俺は3個一列になってるチョコを1個割って、師匠に渡した。
「なんですか、これは? 牛の血を固めた物ですか?」
とか言って、匂いをくんくんしてる。
日本に初めてチョコが入ってきた時も、牛の血で出来てるとか、そんな噂が出回ったとか聞いたなぁ……。
「そんなんじゃないですよ、お菓子ですよ、甘いですよ」
――と言って、俺が食べてみせると、師匠も釣られてチョコを口にいれた。
「んー! 甘い! 美味しい……」
師匠は、目を丸くして、驚いている。
「美味しいですよね。お口に合うようでしたら、もう一つどうぞ」
そういって、師匠のティーカップのソーサーの上に置いた。
「いいのですか?」
「もちろんですよ」
師匠は、チョコのあまりの美味しさに、ボーっとして、余韻を味わっている。
そして興味深々で色々と聞いてくる。
「これはどうやって作るのです?」
「え~と、地の果ての南の島で採れる、木の実を磨り潰して、アクというか不純物を取ってから砂糖と混ぜる……そんな感じだったと思いますけど」
「なるほど、それではここら辺で作るのは無理ですね……」
「そうですね~、まず砂糖すら貴重ですから」
残念そうにうなだれる師匠。まあ、チョコ美味しいよね。
「あなたは、本当に変わってますね」
また、師匠がつぶやく。
「はあ、ホントにすみません」
「今のは褒めたのですよ」と笑っている。
「ありがとうございます」
「さきほどの、空気を圧縮する理の他にどんな事を知っているのですか?」
「はい」
俺はとりあえず、思いつく簡単な物理現象を挙げてみた。
空気を圧縮すれば熱が出る。
空気を膨張(減圧)させれば冷える。
物質の粒(原子)を振動させれば、温められる。
物質の粒(原子)の振動を止めれば、冷やせる……ect。
師匠はお茶を飲みながら、
「それだけ理を理解しているのは帝国の大学でも中々いないでしょう。私が教える事は然程ないはずです。他の魔法もすぐに使えるようになりますよ」
理というか、物理現象に付属する魔法は簡単で、呪文等の詠唱は必要ないらしい。
所謂、初期魔法ってやつだ。
よくファンタジーに出てくるような、長大な呪文の詠唱を伴う大魔法もあるらしいが、まあ、そんなのは俺には無理だよね。
異世界の知識を持ってるだけの普通の人だし。
それに、あまり興味ない。
簡単な魔法、例えば――物を冷やす魔法でも憶えれば、氷を作ったりとかアイス作ったりして売れるじゃん。
それだけで、十分に飯が食えるよ。
なんだか我ながらセコイが、それだけでも、夢がひろがりんぐですよ?
それから、師匠の手本の下、いろんな初期魔法を憶えた。
火を付ける魔法
物を温める魔法
物を冷やす魔法
植物の生育、菌の発酵、腐敗を促進する魔法
物体の重さを軽減する魔法
物を乾かす魔法
なんか地味なのばっかだが――地味だけど役に立つんだよ、これが。
ただ、規模は小さい。
竈の火をつけられても、一面を火の海にするのは無理。
鍋の水は温められても、プールの水は無理。
鉢植えの植物の成長を早回しできても、畑一面は無理――こんな感じ。
でも、俺から言わせれば、コレはスーパーチートだね。
魔法の応用も利く――重さ軽減の魔法を使って物を動かしたり、小さい物なら飛ばしたりする事も可能。
滝で死にかけていた俺を、師匠が運んだ時は、この重さ軽減の魔法を使ったらしい。
こんな風に、ちょっとした事に役に立つのが初期魔法って感じ。
でも、物理現象さえ知ってれば、魔法が使えるなんて、ここの住民もそれさえ憶えれば魔法が使えるんじゃないの?
そんな初歩的な科学知識すら、ないんだろうけど……。