55話 魔法施術
ファルタスという国からやってきたミルーナというお姫様が、俺の魔法を使って火傷痕の治療を行っている。
その魔法とは、禁忌にも触れるという再生の呪文。
個人的には、そんなに危ない魔法ではないとは思うんだけどな。
ミルーナ姫の治療を始めてから、ステラさんが全く顔を出さなくなった。
まあ、色々とあるんだろ。 俺としては静かでありがたいが。
最初の再生治療が上手くいったので、徐々に再生する量を増やす事になった。
しかし、3日ほど治療して順調だったのだが、4日目にミルーナ姫が高熱を出してしまった。
やはり、無理やり早回しして再生するって事は、かなり身体に負担を掛けるようだ。
いくら魔法でも、何も無いところから湧いてくるわけではない、あるところから無理やり引っ張ってくるだけなのだ。
来賓室のベッドで寝こんでいるミルーナ姫を、診察がてら訪ねる。
診察といっても俺は医者ではないのだが、治療をしている責任があるからな。
「ショウ様、申し訳ございません」
横になったままのミルーナ姫が言う。
「ああ、別にミルーナ様のせいではありませんし。 やはり、治療にはかなり身体の負担が伴うようです」
「ショウ様の言う通りでしたわ」
「失礼ですが、施術したところを見せていただく事はできますか?」
ミルーナ姫が起き上がり、寝巻きの上をはだけて右肩を見せる。
「ふ~む、化膿しているとか患部が熱を持っているとかではありませんね。 やはり身体全体の衰弱が原因でしょう。 食欲はありますか?」
「いいえ……」
「それは拙いですね。 体力を付けなければなりません。 何か栄養のあるものを作ってきましょう」
俺はそう言って、工房に戻り病中食の準備をする。
といっても食事は食べられないから、やはり飲物か。
「う~ん」
しばらく思案すると、調理にとりかかった。
ミルクに水飴と卵黄を加熱消毒して入れる。
生卵は危険だからな。
それから、蜘蛛チョコを2カケ溶かして入れて、弾み車式フードプロセッサで攪拌する。
要はチョコミルクセーキなのだが、蜘蛛チョコは真っ赤な色なのでミルクがピンク色に染まり、イチゴセーキに見える。
栄養があるものを集めたこいつは強力だろ。
早速、ミルーナ姫の元へチョコミルクセーキを差し入れる。
「食欲が無いということでしたので、温かい飲物にしてみました。 これは栄養満点ですよ」
「ありがとうございます」
ミルーナ姫が起き上がって、チョコミルクセーキを受け取る。
「口に合わないようでしたら、他の物を考えましょう」
「美味しい……凄く美味しいです」
恐る恐る口を近づけて一口飲んで、ミルーナ姫が呟く。
「お口に合ったようで、良かった」
俺は、ミルーナ姫の明るい顔を見て、ホッと胸を撫で下ろした。
「これは、何が原料なのでしょう?」
さすが真学師の弟子、中身が気になるようだ。
「ええと、ミルクに甘味に卵にチョコレート……」
「チョコ? チョコってアレですか?」
チョコレートのよくない噂を聞いたと思われるミルーナ姫は、少し警戒する表情を見せる。
「ああ、大丈夫です。 元々病中、病後の栄養補助食として作ったのですから、用量を守れば凄く優秀な薬ですよ」
「そうなのですか」
俺の説明を聞いて、安心したようでチョコミルクセーキを静かに飲んでいる。
そのまま、ベッドの傍らでミルーナ姫とファルタス国の話をする。
深い森に囲まれた、大きな湖の畔に位置する小さな国で、人口は約1万人。
深い森を有しているというところはファーレーンと似ているかもしれない。
そのせいかは解らないが、少し歳が離れているにもかかわらず殿下と仲が良いようだ。
年に一度ぐらいの付き合いなのに、親睦を深めているらしい。
馬が合うというやつだろう。
湖の中之島には別荘街もあり、眺めが素晴らしいとの事。
う~ん、行ってみたい。
しかし、大きな湖に中之島ということはカルデラ湖だと思うんだが、火山とか地震とかは無いんだろうか?
そんな質問をしてみるが、ここ数千年火山の噴火も地震も無いようだ。
そもそも、噴火&地震に相当する単語が無い。
山が火を噴く、地面が揺れるという説明をして理解してもらったが、そんなことは聞いた事も無いと言う。
なるほど、太古に活動を停止した安定した大陸なんだな。
ミルーナ姫とそんな話をしていると、殿下がやってきた。
「なにやら楽しそうではないか」
殿下は俺とミルーナ姫が仲良くしているのが、少々気に入らないようだ。
「ミルーナ様が食欲が無いということでしたので、飲物を召し上がっていただいております」
「ほう、妾には無いのか?」
「気分が優れないミルーナ様に作った飲物なのですが?」
「ああっ! 突然気分が悪い! 食欲も無くなって、妾はもうダメだ!」
わざとらしい殿下の寸劇が始まる。
「そういう事をしていると、エルフになっちまいますよ?」
「げ! それは厳しいの」
「殿下の分も作ってきますので、少々お待ちください」
「うむ」
殿下はニコニコして、楽しみにしてるようだ。
作る時に少々多めに作ったので、もう一杯分ぐらいはある。
工房へ戻り、チョコミルクセーキをカップに入れてきて、殿下へ差し上げた。
「美味い! これは美味いの!」
甘い物好きな殿下は大喜びだ。
「殿下、以前にも申し上げたかもしれませんが、美味いものは身体に悪いのです。 これを毎日所望して飲んだりすると、太りますよ?」
「解っておる!」
「ふふふ、ライラ様と仲睦まじいのですね」
「はは、いつも悪魔だの嘘つきだの、首を刎ねるだの言われてますけど」
「それは、ショウが悪いのだ」
「そうです。 私が悪いのです」
「まあ」
病人のところへ長居しては拙い。 早々に切り上げて、じっくりと休んでもらう事にした。
幸い、高熱は1日で引け、次の日からまた治療の日々が続いた。
------◇◇◇------
一日の治療が終わった夜には、寝聞かせを差し上げている。
ミルーナ姫は殿下と一緒にベッドの上で俺の話す物語を熱心に聞いている。
そのまま一緒に寝ているようだ。
ベッドの上でキャッキャウフフのガールズトークに花を咲かせているのだろう。
「あの人が帰ってくる! 飛び込んできた伝令の兵士から報告を受けた主人公は、居ても立ってもいられなく、馬に飛び乗りました。 暗闇を切り裂くように疾走する軍馬。 いくら恋い焦がれても、あの方は王妃様の恋人……。 いっそ、私が本物の男なら私を好いてくれるあの娘の思いにも応えられると言うのに! 何故私は……。 そう言って主人公は、誰にも見せる事が出来ない涙で馬上を濡らすのでした――はい! 今日はここでお終い」
俺は大きな身振り手振りで、そんな物語を演ずる。
題目はそう、ヴェルサイユのナントカだ。
殿下がお気に入りで、何回か同じ物語を寝聞かせにしている。
「ええ~っ!? そんな殺生な! 後生ですから、もう少し続きを……」
ミルーナ姫はベッドから身を乗り出した。
「いいえ、治療は長いのですよ? ちょうど治療が終わる頃に物語が終わるようにして差し上げますので」
「そうだ、楽しみは先のほうが良いぞ?」
殿下はニヤニヤしている。
「もう! 殿下もショウ様も存外意地悪でいらっしゃるのですね」
彼女はベッドの上で、顔を明後日に向けちょっと拗ねる。
そんな寝聞かせが日課になっていた。
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ミルーナ姫の火傷痕の治療も終盤に差しかかり、一番に慎重に慎重を重ねた顔の部分の再生も無事終わり、彼女の美しい顔が戻っている。
彼女も治療の成功を確信したのか表情も明るく、ここへやってきた時の暗い表情とは対照的だ。
治療も、頭皮の部分を残すだけになっていた。
一日の治療が終わり、俺は工房横の温室で、蘭の世話をしていた。
「入ってもよろしいですか?」
ミルーナ姫が温室を訪ねてくる。
「ああ、どうぞ」
「綺麗な花が並んでいますね。 これは蘭ですか?」
「そうです。 ファーレーンの森は蘭が多いんですよ。 これなんか良い香りですよ」
「まあ、本当ですね」
「殿下が付けられてる甘い香りも、蘭から取った物なんですよ。 ファルタスも深い森に囲まれているというお話でしたので、蘭が多いのではないのですか?」
「残念ながら、森は危険だと言われて、私が入った事はあまり無いのです」
本当に危険なのか? それとも、外敵に狙われたりすると面倒なので――君子危うきに近寄らず――という事を実践させているのか……。
「それは勿体ない。 では、お抱えの庭師とかがいるでしょう? その者に調べさせるというのは?」
「庭師も薔薇は育てるのですが……こういった物は……」
「ああ、王侯貴族といえば薔薇ですから。 こういった変な花を育てても自慢にはなりませんか」
「いえ、そんな事は……あのすみません」
「はは、別にミルーナ様がお謝りになる必要はないでしょう」
温室のドアを開けたままミルーナ姫とそんな話をしていると、ゴムの木モドキを根城にしているカケスモドキが入ってきた。
地面をポンポンと跳んで入ってきて、俺の肩に飛び上がる。
「まあ、ライナルですね」
「ああ、そういう名前なんですか」
「随分と馴れていらっしゃいますね」
「こいつが怪我をして落ちていたところを治してやったら、居座られてしまって」
俺が指を出して、クチバシのところをチョイチョイとやる。
『オハヨウ、オハヨウ!』
カケスモドキが言葉を話す。
「え? 人語を?」
「ああ、他の鳥の声を真似するように、人の言葉も真似するんですよ。 まあ、真似しているだけで、意味は解ってませんよ?」
「鳴き真似をするのは知っていましたが、人の言葉も憶えられるとは思いませんでした」
ミルーナ姫が、温室の花々を見て呟く。
「まるで、ここでの出来事は夢の中の物語のよう」
「――」
俺がなんと返事しようか、考えていると。
「ショウ様」
「なんでしょう? ミルーナ様」
「ミルーナと呼んでください」
「それは、ちょっと……」
俺は口澱むが、彼女の思い詰めた顔を見て、察して手を伸ばすとミルーナ姫は俺の胸に飛び込んできた。
俺の肩にとまっていた、カケスモドキが驚いて飛び立つ。
「おっと! 顔を綺麗に治して、良い嫁ぎ先を見つけて女の意地を見せるんじゃなかったんですか?」
「そうです! でも、でも!」
「一体全体、私のような男のどこが良いのやら」
「そんな事はありません! ショウ様は素晴らしい御方です」
色々と出来るのも元世界の知識を持ってるだけなんだけど、そんな事を言われるとちょっと複雑な気分だ。
「ミルーナ様は、顔が綺麗に治った心の昂りを、私への思いと勘違いしておられるのでは」
「そ、そんなことはありません!」
ミルーナ姫が、俺の目をじっと見つめてくる。
「火傷痕の治療に行った姫様が、ファーレーンの悪魔に手込めにされてしまったとか、そんな事になったら、ファーレーンとファルタスの戦になるかもしれません」
「そ、そんな事……」
「ミルーナ様ぐらい聡い方ならお分かりになるでしょう。 私も殿下の信頼を裏切ったのでは、ここから追われてしまいますし、そもそも殿下を裏切るつもりもありませんが……」
「ライラ様とお知り合いになる前に、私と出会っていたら運命も違っていたのでしょうか?」
「殿下の前に師匠がいますね」
「ルビア様?」
「そう、私はファーレーンの森で行き倒れになっていたところを師匠に救われて、真学師になったのですよ。 行き倒れていたのがファルタスの森だったら、真学師にもなれずにミルーナ様とも会う事も無かったでしょう」
「ふう……最初から目が無かったのですか」
ミルーナ姫はちょっと諦めたような顔をして、俺から離れた。
今まで一緒に治療をしていて感じていた彼女の性格らしからぬ行動だったのでちょっと戸惑ったが、すこし演技が入っていたようだ。
「ファーレーンの悪魔の英雄譚に凄い逸話が追加されるところだったわ。 悪魔だから英雄譚じゃないが」
「私も吟遊詩人語りの姫役になり損ねました」
「洒落にならないんで、止めてください……。 一応言い訳させていただきますが、ミルーナ様の事は素晴らしい女性だと思っておりますから」
「私も薔薇ではなくて、野の花に生まれていれば……」
そんな事を言うミルーナ姫。 しかし、こればっかりはなぁ。
いくら、想っていただいても、俺はファーレーンを捨てるわけにもいかんし。
そもそも、俺なら火傷痕なんて気にしないんだけどね――などと考えていると。
「2~3日後に私の父上と母上が迎えに参ります」
「え? ファルタス国王がここまで? まあ、3日もあれば確実に治ってるはずですけど、わざわざ御国の重鎮が?」
「火傷痕が綺麗に治りつつあると手紙を書いたら、是非殿下にもショウ様にもご挨拶に伺いたいと」
「じゃあ、陛下と王妃さまに、ミルーナ様の綺麗に治った顔を見せてあげないと」
「はい……」
ミルーナ姫の治療は、残すところ頭皮だけである。
これなら、明日、明後日の治療で3日後には間に合う。
勿体ないがお姫様の柔らかい御髪を少々刈り込み、火傷痕を露出させて治療に移る。
「再生した部分にもすぐに御髪が生えてきますので、少々我慢してください」
「解りました」
治療の最中、ミルーナ姫は下を見てじっとしている。
「う~ん、本当に綺麗だ……」
思わず呟いてしまったのだが、それにミルーナ姫が反応した。
「そんなに誉めていただけるのに、私を選んではくださらないのですね」
「あ~いや、申し訳ございません。 それに、私なんかでよろしいのではあれば、火傷痕なんて気にしない男なので、治療をしなくてもよろしゅうございましたのに」
誤魔化すためにそんな軽口を叩いてしまったのだが、すぐに後悔した。
ミルーナ姫が綺麗な瞳から、ポロポロと涙を流し始めたのだ。
「え? あ、も、申し訳ございません! ミルーナ様の苦難も考慮せずに軽率な発言をいたしました。 謝罪いたします」
「良いのです……。 ショウ様ともっと早くお知り合いになれていれば……」
ミルーナ姫のそんな台詞を聞いた俺は、自分の無神経さにちょっと腹立たしさを憶えていた。
この軽口がイカンのだ。
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3日後、予定通りファルタスの国王陛下と王妃様がお見えになった。
ミルーナ姫は裏門からお忍びでお城に入ってきたのだが、さすがにこちらは正門から正々堂々の御訪問だ。
国のトップが国を離れて旅をするってのは、結構なリスクがあると思うのだが、御乗用馬車に重装備の護衛が付いている。
精鋭30人ばかりの重装騎士団に囲まれているこの馬車を襲うのはかなり難しいだろう。
見たところ、2人の魔導師も付いているようだ。
物珍しさにジロジロ眺めていたら、騎士団の方から睨まれてしまった。
馬車が城の正面玄関に横付けされて、護衛の騎士団に囲まれる中、馬車の扉が開くが――なにやら護衛の騎士団がざわついている。
こちらは俺と殿下、ニムとルミネス、それに数人の近衛だけ。 そして俺の隣にはミルーナ姫が立っている。
騎士団の連中は、ミルーナ姫の顔が綺麗に治っていたので、それに驚いているらしい。
まあ、あの酷い火傷痕が綺麗に治ってりゃ、そりゃそうだな。
馬車から降りてくる栗色の頭髪と髭を蓄えた赤いマントの御仁と、金髪の白いドレスを着た30代半ばぐらいの女性。
王冠とかティアラみたいのはしていない。
まあ、旅をするなら邪魔だろうし。
なるほど、ミルーナ姫は国王陛下似だな。 そんな事を考えていると、ミルーナ姫が走り出した。
「お父様、お母様! 私の顔をご覧ください!」
ミルーナ姫が陛下に駆け寄ると叫んだ。
「な、なんと! これは奇跡か……」 「まあ、信じられません」
「あちらにいらっしゃる、真学師のショウ様に治していただきました」
俺は、ペコリとお辞儀をする。
相手は、通常なら俺なんかが口をきく事も許されない、雲の上の御人だ。
「ファルタス王、御息災のようだの」
「そちらも。 色々と噂は聞いておりますぞ」
「どうせ、ロクでもない噂であろう。 ショウ! 来るが良い!」
俺は促されて、陛下と王妃の前で胸に手を当てて膝を折る。
「真学師ルビアの弟子、真学師のショウでございます。 お見知り置きを」
「おお、其方が! ご高名は聞き及んでおりますぞ。 しかし、これは奇跡か!」
陛下がミルーナ姫の顔の治療を見て声をあげる。
「いいえ、奇跡ではございません。 全て理と魔法による治療でございます」
「ううむ、これほどの物とは……。 其方は、救われる事が無い不幸から我が姫を救ってくれた、礼を言わねばならぬ」
そう言って、陛下が頭を下げようとするが――俺は、それに驚いてしまった。
「いえ、国の王たる方が、真学師などに頭を下げるなどあってはなりません」
「何を仰る! 国の王ではなく、愛娘を持つ1人の父親として頭を下げさせてくれ。 この通りだ」
「私からも、娘の母としてお礼を申し上げます」
王妃様まで頭を下げてくださるのだが、なんとも気恥ずかしい……。
誇ってふんぞり返っていても良いぐらいの偉業なのかもしれないが――俺も根っからの平民だからな、そんな気分にはなれない。
「このショウ、かようなお言葉を頂き光栄の至りにございます。 しかし、私だけの力ではございません。 厳しい治療に耐えられたミルーナ姫の一念の賜物でございます」
陛下と王妃様とミルーナ姫が抱き合って喜んでいるのだが――。
う~ん、凄い良い人達じゃん。 俺が王侯貴族に偏見を持っているせいかもしれないが。
しかし、いくら娘が可愛いといっても、わざわざ国のトップがやって来るような事ではないだろうから、これは政治的な動きだろう。
所謂、首脳会談ってやつだ。
ファルタスは帝国寄りの国であるし、何か言われても火傷痕の治療を終えた娘を迎えに参りました。
――と、それに託るつもりだろう。
------◇◇◇------
ファルタス王と殿下は、政治の難しい話し合いをするようなので、俺とミルーナ姫と王妃様は来賓室で待つ事になった。
ファルタス王と殿下の話し合いが終われば、そのまま帰路につくようだ。
1泊せずにトンボ帰りとは、強行軍だな。
「すぐにお帰りになるとは思いませんでした。 ファーレーンに1泊なされると思いましたが……」
「さすがに、陛下が長居されれば、帝国に痛くない腹を探られましょう」
王妃様が俺の疑問に答えてくださるのだが――なるほど、そういう事か。
国と国の付き合いというのは、中々難しいものだ。
「ああ、やはり拙いですか」
「ええ……。 それにしても、綺麗に治る物なのですね」
ミルーナ姫の顔を見て、王妃様が呟く。
「先程も申しましたが、ミルーナ姫の一念が齎した結果でございますよ」
「あの……その魔法というのは私にも使っていただけるのでしょうか?」
「はい? 王妃様は十分にお美しいと思いますが……」
「その……、最近目尻に……」
どうも、目尻に出来ているカラスの足跡とか言われる小皺を気にしているようだ。
「う~ん、このくらいならすぐに施術できますよ。 やってみますか?」
「はい! 是非!」
王妃様がまるで女の子のようなパッと明るい表情を見せる。
その明るい表情を見てちょっと心配になったので、一応どんな事をするか説明をする。
皮膚を切り開き魔法でくっつけると聞いて少々驚いた様子だったが、ミルーナ姫からもどんな施術を受けたか説明されて、大丈夫だと判断したようだ。
「それでは、私の工房へ戻って道具を用意してまいります」
工房で道具を揃えて戻り、蜘蛛毒で麻酔を掛けてすぐに施術を始める。
ミルーナ姫の真皮まで剥いで再生するなんて治療に比べれば、目尻の小皺取りなんてすぐに終わる。
ただ、消毒だけは気をつけて、念入りにしておく。
「ついでに、顎のしたの弛みを取りましょうか?」
「そんな事も出来るんですの?」
「ミルーナ姫の火傷痕の治療に比べれば、差程難しくありません」
すぐに王妃様の背中の紐を解き、上半身を露にしてもらい、顎の下の切開を行う。
再生魔法を起動させると、弛んだ皮膚を切り取り、繋ぎ合わせていく。
端から見たら、王妃を脱がして切り刻むとか、とんでもない事をしているのだが。
人に見られると拙いので、メイドさん達もちょっとの間退出してもらったが、ミルーナ姫の治療をやりまくったせいで、魔法の精度もスピードもかなりアップしていて、皮膚の吻合ぐらいならすぐに終わる。
大幅な再生を行っていないので、副作用等が出る事もないだろう。
「ちょっと見てみますか?」
俺は懐から鏡を出して、王妃様に施術痕を見るように促す。
「まあ! これは鏡でございますか? こんな綺麗な鏡は見たことがございません」
「はあ、あのミルーナ姫と同じ反応でございますね……」
「え? あの」
ミルーナ姫が横でクスクス笑っている。
「この鏡は、現時点では私の魔法を使用していて製作は難しいのですが、量産が出来るように研究中です。 そのうち市販されますよ」
「おほん。 しかし、こんなに綺麗に映ると、他の部分も気になってしまいますわ」
「魔法の使い過ぎはよろしくありませんよ。 王妃様はお美しいのですから、今回の施術で十分でございますよ」
王妃様は鏡を使って、左右に顔を向けて確認している。
「ああ、どうしましょう。 まるで若返ったようにドキドキしてきてしまいました。 真学師様、何か私にいけない魔法でも使ったのではありませんか?」
「はは、使ってませんよ」
俺のそんな魔法を否定する言葉を聞いた王妃様が、俺に抱きついてきた。
「ほら、こんなにドキドキしているのですよ?」
「王妃様、お戯れを。 洒落になりませんよ」
こんなところをファルタスの人に見られたら国際問題だ。
「お母様!」
そんな俺と王妃様の姿を見て、2人を引き離すようにミルーナ姫が割り込んできた。
「あら? ふ~む……。 ミルーナ、ちょっとそこへお座りなさい」
「はい……」
王妃様は上着を羽織ると、俺に背中の紐を結ぶように促した。
メイドさん達を追い出していたので、紐を結べるのは俺しかいない。
背中の紐をシューズの紐のように通して、最後に結ぼうとしたが、何か結び方があるのだろうか?
まあよく分からんので、普通のチョウチョ結びも芸も無いし、帯紐を結ぶときに使う花結びという結び方をしてみた。
元世界で俺の婆さんが、よく和服の着付けを頼まれたのだが、若い子がネットで見た可愛い紐の結び方をしてくれと言ってくることがあった。
婆さんはネットとか知らんので、俺がネットでググッてそれを婆さんに教えるという事を何回かやっていたのだが、ただの紐の結び方に多種多様なバージョンを造り出すのが、実に日本人らしい。
俺が、そんな紐結びをしていると、王妃様がミルーナ姫の行動に色々と察したのか説教を始めた。
「ミルーナ、私はあなたが幸せになってくれれば、どこへ嫁ごうとも反対するつもりはありませんけど、真学師様はいけませんよ」
「はい……」
俺自身も、何処が気に入られたのかよく分からんのだが。
「真学師様と色恋沙汰なんて、帝国で流行っている『薄い本』じゃないんですから」
「王妃様も、薄い本をご存じでしたか」
「ええ、若いメイドの間で流行ってしまって、大変なのでございます」
「王妃様の仰りようだと、内容もご存じのようですが……」
「おほほほ……。 そ、それはどういうものか、内容を知らないとメイド達を叱れませんから」
王妃様は笑って誤魔化しているが、これは積極的に楽しんじゃってる顔だ。
まあ色恋について、これは身分の違いってやつだな。 王侯貴族は王侯貴族同士でってのが、普通だ。
どうしてもっていうなら、貴族を辞めて野に下らないといけない。
無論そんなことになれば、俺はファルタスとファーレーン双方から追われる事になる。 それは勘弁してもらいたい。
「でも、真学師様? 本に出てくるようなイケナイ魔法ってあるのですか?」
――なんて質問を興味津々にしてくる、王妃様だが……。
神経を麻痺させる魔法があるのだ、逆に神経を興奮状態にさせる魔法だってあるだろう。
それを使えば、人の快楽を自由自在に操ることもできるのかもしれない。
人間の体は全て化学反応の塊だ――それを魔法でシミュレートすれば良い。
「ありません……と言いたいところですが、魅力のような魔法もありますからねぇ。 無いとは言えません」
ミルーナ姫は、一番の味方の王妃様にガッツリ否定されてしまって、ションボリ顔だ。
そんな話をしていると、来賓室のドアが開いた。
「殿下、短いながら有意義な時間でしたな」
「来たその足で帰るとは忙しないの。 1泊されると思うたのだが」
「いや、私はあくまで姫を迎えに来ただけですからな」
「なるほどの」
「姫、イライザ、出立の準備をせよ」
王妃様の名前はイライザと仰るのか。
「はい」
ミルーナ姫はそう答えたのだが、王妃様は立ち上がると白いドレスを靡かせて陛下に抱きつく。
「イ、イライザ、何をする。 面前だぞ……」
王妃様はじっと陛下を見つめているが、陛下も何かが違うと気がついたようだ。
「イライザ、お前どうしたのだ?! 若返っているではないか!」
「うふふ、お気づきになられましたか。 私も真学師様に、魔法を掛けていただきました」
「なんだと」
「ああ、陛下。 勘違いなされると困るのですが、若返っているわけではないのです。 少々お顔の皺を伸ばしただけですので、1年も経てば元に戻ってしまいます」
「な、なんと。 こんなことが……。 まるで夢を見ているようだ」
陛下が王妃の顔をマジマジと覗き込んでいる。
ミルーナ姫が、陛下に抱きついた王妃様の背中で花形に結ばれた紐に気づき、俺の袖を引っ張り俺に背を向ける。
王妃様と同じ結び方をしてほしいようだ。
王妃を抱いた陛下が、殿下を振り向き見てポツリと漏らした。
「これは、女共には麻薬のような魔法ですぞ」
------◇◇◇------
ファルタス王一家は帰路についた。
ミルーナ姫は――「ここで過ごした時の事を、どこへ嫁いでも決して忘れません」
――との言葉を残して。
馬車へ乗るミルーナ姫と王妃を見て、騎士団が騒めく。
「嘘だろ?」
そんな声も聞こえる。
王妃様は端から見ても、明らかに若返って見えるからな。
「ふむ、妾も皺が出来たら、ショウに伸ばしてもらえば良いのか」
「殿下がお歳を召しても、そういうのには頼らない気がするのですが」
「妾も女だぞ。 いつまでも美しくありたいと思うのが当然であろう?」
「そういうものですか?」
「そういうものだ。 ハハハ!」
殿下がえらい上機嫌だったのだが、その理由は後々に解った。
しばらくして、ファルタスから手紙が来たのだが、背中で結んでいた紐の結び方を教えてほしいという事だったので、図に描いて返信した。
これは流行りそうな予感がしたので、紐の結びと彫金を組み合わせた留め具を考えてみたが、中々好評で狙い通りになっているようだ。
治療の褒美として金貨20枚を頂き、給金が少し上がったが――殿下はミルーナ姫から渋ちんと言われてちょっと気にしていたようだ。
まあ、月金貨5枚から金貨6枚へ微妙なUPだったが。
やはり渋い。





