38話 そして宿酔い
――お城の飲兵衛達に酒を試飲してもらった次の日。
「さて、朝飯は何にするかな……。 昨日のスープの残りがあるな」
とりあえず、多めに残っているスープを温めるかと、竈に火を入れる。
当然、今は薪を使っているのだが、昨日の工作師工房でも話題になった燃料をなんとかしないとなぁ。
石炭か、石油があれば……。
ファーレーンに訪れている商人に、燃える水とか聞いた事ないか? みたいな話をしたりするのだが、そんな話は聞いた事がないと、素っ気ない言葉しか返ってこない。
石炭でもあれば、蒸気機関が常用出来るんだがな。
燃料にも使える――火石という魔法で作る石はあるが、高価で使えた代物ではない。
俺が個人で蒸気機関を使う分には、ボイラーを魔法で沸かせば良いんだから、作れない事は無いのだが……。
「う~ん」
――そんな事を考えながら、朝飯を何にしようか思案してると、玄関のドアが開いた。
「た、助けてぇ~、死んじゃう……」
そんな声でびっくりして玄関を見ると、真白い寝巻きに身を包んだ、真っ青な顔のステラさんだった。
「ど、どうしたんですか?! うっ! 酒臭っ!」
慌てて抱き上げると、凄い酒の臭いが漂ってくる。
「うぐっ!」
ステラさんは俺の腕を振りほどくと、台所の流しでケロケロ吐き始めた。
白いステラさんの背中を摩る俺だが、この背中を摩るってデフォでやっちゃうけど、意味あるのかね?
「うぼぁ……はぐぅ……」
――彼女は、顔を上げると、声にならない唸り声を上げた。
「はい、これで口の周りを洗って、口も濯いでください」
「ふぐ……。 ギギギギ……」
俺が差し出した杓に汲んだ水で、口を濯いでいたステラさんだったが――。
その杓を放り投げて、ウンチングスタイルで、頭を抱えて苦しみ始めた。
それにしても、なんちゅう格好なのか。
もう、とことん俺のエルフに対する夢をぶち壊してくれる人だなぁ。
なにか急病かと思って一瞬心配したが――どう見ても宿酔いです、本当にありがとうございました。
「頭痛いんですか? 宿酔いでしょ?」
「ふぐ? 宿酔いって何? ギギギギ……」
「え? 宿酔いって初めてですか?」
「うん……」
どうやら、ステラさんは初めて宿酔いになったらしい。
「はぐううっ、死んじゃうう……」
「宿酔いで死にゃしませんよ」
俺はウンチングスタイルで苦しんでいるステラさんを尻目に、自作の毛布で作った掻巻を戸棚から取り出すと、ステラさんに着るように促した。
「寝巻き汚れちゃってますから、これでも着てください」
掻巻というのは、ぶっちゃけ袖の付いた着れる布団だ。
そのまま寝たり、寒い時には羽織ってトイレとかにも行ける。
寒くなると必要になるし、便利かな~と作ってはみたが、ファーレーンはあまり寒くならないらしい。
掻巻自体は、都市のホームセンターや寝具売り場でも普通に売っていたし、ア○ゾンでも見かけたので、そんなにドマイナーな物でも無いと思うのだが――。
だが、掻巻が出てきたアニメとか漫画とかみた事がないから、やっぱりマイナーな代物なのか。
似たような物に丹前があるが、ちょっと違う。
「はい、後ろ向いてますから、着替えてください」
そう言って、毛布の掻巻をステラさんに渡すと――シュルシュルとステラさんが寝巻きを脱ぐ布擦れ音が聞こえてくる。
掻巻を着るのは、袖を通して羽織るだけなので、すぐに終わるはずだ。
「着替え終わりました?」
「うん……」
――後ろ向きのままステラさんに尋ねて、返事を確認して振り向いたのだが……まだステラさん裸だった。
「いやん」
ステラさんが少し身体を捩って悶えるフリをする。
「あの? ふざける余裕があるなら、看護しなくても良いですか?」
「てへ」
――とか、はにかんで笑っていたステラさんだったが、再び頭痛が襲ったらしい。
裸のまま腰を落として、またウンチングスタイルになり、俺が渡した掻巻を頭に乗せギャーギャー叫び始めた。
「ギャァ! 頭が割れるぅぅぅ!」
「はいはい、早く着てベッドへ寝てください」
もう、つき合うのもアホらしいので、俺はステラさんに掻巻を羽織らせると、少し乱暴にベッドへ押し込んだ。
ベッドで寒そうにガタガタと震えているステラさんを見て――こんな状況でもふざけるとか、さすがステラさんだとちょっと変な感心をしてしまう。
戸棚からもう一枚毛布を取り出すと、ステラさんに被せる。
「頭が痛いのは脱水症状ですよ」
「脱水症状って何?」
「身体の中の水が足りなくなってるんですよ」
「治癒の魔法掛けたけど、全然効かない……」
――毛布から半分顔を出して答えるステラさんに、脱水症状の説明をする。
「治癒魔法を使っても、身体の水分が増えるわけじゃないですからね。 そりゃ、効かないでしょう。 水飲みました?」
「水飲むと吐いちゃう……」
「ああ、解りました」
俺は、鍋に粉末にした乾燥コンブを入れると、水を入れて魔法で加熱した。
そして、岩塩を少々、味噌を少々。
即席の塩昆布茶だ。
ちょっと温度を調節して温めにした。
「これを、舐めるようにすこしずつ飲んでください」
塩昆布茶をステラさんに渡すと、チビチビと飲み始めた。
いつもこのぐらい素直なら良いんだが……。
俺は、工房の材料ストックから板を持ってきて――病院のベッドに取り付けられているような簡易のテーブルを作っていると、ステラさんは 10分ぐらい掛けて塩昆布茶を飲み干した。
「大丈夫ですか? じゃあもう一杯」
ステラさんに塩昆布茶のオカワリを渡すと、今度は5分ぐらいで完飲。
「大丈夫みたいですね。 じゃあ、今度はぬるま湯を飲んでみましょう」
湯飲みに入れたぬるま湯をステラさんに渡すと、ゆっくりと飲んでいる。
大丈夫そうなので、もう一杯飲ませた。
「それだけ、水分と塩が身体に入れば、治癒魔法も効いてくるでしょう。 そのまま寝てください」
もう、その時には真っ青な顔色だったステラさんの顔は、赤味を帯びていた。
「ふううう~」
ステラさんは、大きなため息を吐いて、ベットに沈み込んだ。
もう、ほんとに人騒がせな。
大分落ち着いたのか、おとなしく寝ているステラさんを眺めていると、玄関のドアが開いた。
「ショウ? おはよう」
「あ、おはようございます。 師匠」
ドアを開けてやってきたのは、師匠だったが、ベッドに寝ているステラさんを見つけて声を荒らげた。
――寝ているステラさんを指さして叫んだ。
「なんで、こいつがあなたのベッドで寝ているの!?」
「ステラさん、宿酔いみたいで、今まで大騒ぎだったんですよ」
「えぇ? エルフの宿酔いなんて聞いた事がありません」
そうなのか? じゃぁ、宿酔いになったその原因があるはずだが……。
「初めて宿酔いになったみたいですよ? ステラさん、酒の他に何か食べました? キノコとか?」
「チョコ食べた……」
ステラさんはボソボソと言葉に出す。
「ああ、それですよ。 あの蜘蛛チョコ、エルフには媚薬の効き目はないですが、悪酔いするみたいですね」
「人騒がせな」
師匠が呆れたように吐き捨てた。
確かに、リキュールとチョコの組み合わせは至高だからな、美味いから食べ過ぎたのは解るが。
「ショウ、お腹空いた……」
ステラさんが毛布に潜ったまま呟いた。
「え~? 吐いてお腹の中空っぽでしょ? 胃も荒れてると思いますけど、大丈夫ですか?」
「うん、多分」
まあ、治癒魔法も効いてるみたいだし、大丈夫だろうと思うが、何か消化がいい物の方がいいだろう。
――何にしようか。
俺は、深皿にスープを入れると、少々昆布ダシと塩を足した。
そこにパンを千切って浮かべると、その上に卵を落として、魔法で加熱した。
魔法レンジ、マジ便利。
この世界のパンは、フランスパンみたいなガチガチのやつだ。
柔らかいのも作れると思うのだが、やはり日持ちしないのが致命的で、みんな固いパンを食べている。
パンが固いので、スープに浸して食べるのも一般的だ。
「こんな簡単なので、良いですか? 消化は良いはずですよ」
「ありがと……」
ステラさんは俺の作った料理を受け取ると、静かに食べ始めた。
「口に合いますかね?」
「うん、美味しい」
――などと、ステラさんと話していると。
不機嫌そうな声を出して、師匠が文句を言い始めた。
「ショウ~、私も同じ物を食べたい」
「え? 師匠もですか? コレで良いんですか?」
師匠も同じ物を食べたいと言うことなので、俺の分も調理して3人で食べる事に――3人前の料理を作ると、丁度スープのストックが空になった。
3人で、スープにパンを浮かべた物を食べる。
浮かべたと言っても、すぐにパンがスープを吸ってしまうので、ブヨブヨになってしまうのだが。
なお、この料理の名称は不明。
食いながら思ったが、このパンを味噌汁に入れても美味いかも。
『麸』 の代わりになるかもしれないな。
「簡単でいいですね。 美味しい」
この簡単な料理は、師匠にも好評なようだ。
「男の料理の基本は、早い安い美味い栄養がある、ですよ」
「その割には、ショウは凝った料理も作りますね」
「まあ、あれは趣味ですよ、ははは」
「ショウ、オカワリ!」
ステラさんが空になった皿を、勢い良く差し出した。
「もう、ありませんよ。 そんなに食べて平気なんですか?」
「大丈夫! オカワリ!」
だから、もうスープが無いちゅ~の。
冗談気味に――じゃあ、俺の半分食べます? と言ったら……。
「うん」
あっさりとステラさんの返事が返ってきたので、そのままステラさんの皿へ、俺の皿から半分移す。
そんな俺の背中に、何故か師匠の冷たい視線が突き刺さる。
まあ、俺は後で何か食おう。
オカワリまでして、腹一杯になったのか、ステラさんがベッドの上で毛布にくるまって、ふざけてバタバタし始めた。
さっきまでの死にそうだった青い顔はどこへ行ったのか、もういつものステラさんだ。
「す~は~、くんかくんか、若い男の臭いだ~、えへへ」
――とか、なんとか、毛布にくるまって言ってる。
そんなに元気なら、もう帰ってくれませんかね?
「もう、すこし元気になったら、もうそれですか? 元気になったんなら、自分の部屋に帰ってくださいよ」
「いやどぅ~、もうここに住むのぉ~、ここに住んでショウに美味しい物一杯作ってもらうのぉ~」
「もう、勘弁してくださいよ」
「だって、裸も見られちゃったし、責任取ってもらわないとぉ~」
「ステラさんが勝手に見せたんでしょ」
「ほらほら、奉仕でエルフの匂い付きだよ」
――とか、そんな事を言いながら、身体を毛布に擦りつけている。
「そういうの良いですから」
「私って尽くす女だよぉ?」
――なんて言ってるけど、どう聞いても嘘でしょ? 尽くす女が、男漁りするんですか?
ステラさんの男漁りは、俺の憶測ではない――お城の全員が知っている、事実だ。
「は、裸だったら、私だって見られたし!」
俺とステラさんの会話を聞いていた師匠が、突然そんな事を言い出して割って入った。
「ああ、見られたね~裸で白目剥いて、涎垂らして、おしっこブシャーってね」
ステラさんがゲラゲラ笑いながら、師匠を指差すと――それを聞いた師匠が、頭を抱えたままゴロゴロと転がり始めた。
「ああああああああああ」
「ステラさん、師匠のトラウマ抉るのは止めてくださいよ」
「ケケケ」
妙な笑いを浮かべるステラさんだが、ほんとに性格悪いな、これの何処が尽くすタイプなのか。
「ああああああああああ」
ああ、もう!
頭を抱えてる師匠を見ながら、もういい加減ウンザリしたので、2人共追い出す事にした。
------◇◇◇------
師匠と掻巻を着たままのステラさんの背中を押して、追い出す。
「ほら、帰った帰った」
「ちょっとショウ、なんで私まで」
「あ~ん、ショウと一緒に住むのぉ~」
「お二人がいたんじゃ、私が仕事が出来ないじゃありませんか。 やりたい事があるんですよ」
ステラさんが着ている掻巻には帯等はついてないので、彼女が歩くたびに、白い裸体がチラチラとのぞく。
ステラさんがやって来た時に着ていた汚れてしまった寝巻きは、俺のところでは洗えないので、自作のティッケルト製の籠に入れて持ってきている。
ティッケルト製の籠やら笊は城下町市場にもならんでいるので、発明品価値はない。
そんな3人で騒いでいると、殿下がやってきた。
「ステラ殿、そういう格好で城内をうろつかれると困るのだが」
ステラさんの格好を見て、不機嫌そうな殿下だが、さすがにステラさんにはあまりキツく言えないようだ。
真学師で鉱物の専門家だが、政治にも明るいし、王侯貴族や商人へのパイプも強力、文字通りファーレーンの長老的存在だ。
殿下のお小言など、聞き耳を持つ気もないステラさんは、羽織っている掻巻を見せびらかすようにクルクルと回ってみせる。
「殿下、ステラさんはさっきまで調子が悪くて、私の所で伏せていまして、このような格好を何卒ご容赦の程を」
一応、フォローにならないようなフォローをいれてみる。
「それと、ステラさんが着ている袖付きの毛布は私が作った物で、コレは売れると思うのですが、如何でしょう。 このまま寝る事も出来ますし、羽織って歩く事も可能です。 寒い地方では重宝されるのではないでしょうか」
「むう、確かに面白そうだが……」
殿下は関心を示しているのだが――なにやら、ステラさんがソレを着ている事自体が不満な様子なのだが。
「これなら、現状工作師達の手が一杯でも、すぐに商品化できますよ。 それから酒の試作品ができましたので、ラジルさんやステラさんに試飲してもらった結果、好評でございました」
「うむ、そうか」
殿下とそんな会話をしている間にも、後ろでステラさんがクルクルと踊っている。
なんなんだ、この人は。
「あの酒は売れるよ~。 ショウ、アレってもう無いの?」
「とりあえず、作った分はもう無いですよ」
「んもう、残念。 もっと作ってぇ」
ステラさんが、俺に身体をすり寄せて、言い寄ってきた。
「作るの大変なんですから。 それに、いくら渡しても全部飲んじゃうじゃないですか」
「あはは、まぁね」
「あい解った、すぐに商人を集める」
殿下はステラさんに何か言いたげだったが、諦めたようだ。
「ステラさん、その着る毛布、後で返してくださいよ」
「やだ」
即答。
はぁ……今度は俺が頭を抱えた。
それにしても、エルフって宿酔いにならないのか。
身体の構造や生理現象自体が違うのかもしれないし、長寿の秘密も何かあるに違いない。
ちょっと恐ろしい話になるが、不老不死を望む王侯貴族とか魔導師とかに狙われたりしないのかね?
------◇◇◇------
その後、近隣の商人が集められた。
すぐに掻巻が商品化されたが、コレはお針子がいれば、すぐに作れるからな。
俺の目論見通りに寒い地方で受けたのだが、そんなに寒くない帝都辺りでも売れているらしい。
なんでも、派手な模様の掻巻を着て、カフェや食堂に行くのだそうだ。
元世界でも、ナイトガウンのままカフェに行ったりする人がいるみたいな話を聞いた事があったのだが、そんな感じなのか?
イマイチ理解不能だが、まあ売れりゃ良いわ。
新しい発明といえば、透明なガラスやステラさんが大騒ぎしたガラス製の鏡があったが、それらはファーレーンで直接生産するようなので、この度はお披露目されていない。
まだ、問題山積みだしね。
今回、掻巻と同時に商人への試飲が行われた熟成醸造酒の評判は凄まじく、
「今すぐ欲しい! いくらでも買う!」
――みたいな商人も多数いたが、そんな商人にはお引き取り願った。
熟成醸造酒を作るには長い年月が掛かる故、長期に渡ってファーレーンに投資出来るか? という事なのだ。
目先の金が目当ての商人は必要ない。
幸い、この世界にも長期熟成させたプレミアぶどう酒が存在しているので、長期投資に理解ある商人も何人かいた。
その商人を中心として、株式会社が設立される運びになる予定だが――その中に、以前祭りで話をしたファルキシムのミラルという商人がいた。
「いやぁ、この酒は素晴らしいですね。 コレしか飲めないのは残念です」
「作った残りは、ドワーフとエルフに飲まれてしまいましたから」
「ドワーフとエルフ相手じゃ、いくらあっても足りませんでしょ?」
「――と言われても、これ等はあくまで試作品で、無いポケットからは何もでませんからね」
そこから世間話になったが、ファルキシムでも人口増加による燃料不足が起きてるらしい。
ファルキシムは近隣に森が無くて、燃料を全て輸入しているので、ファーレーンより状況は芳しくない。
ミラル自身が、商売で帝都を訪れて、帝都の惨憺たる有り様も目にし、ファルキシムも同じようになるのでは? と心配しているようだ。
他の商人達も集まってきて、
「真学師様、何か良い方法はありませんか?」
そんな質問もされるが、いくら魔法があっても、一国の燃料事情を改善するだけの力はない。
大気中の二酸化炭素から、炭素を固定するような事が出来たとしても、とても国で使うだけの量は賄えない。
それが可能なら、凄い能力の持ち主と言われる純血の巫女とやらがいる帝国が、ここまで貧窮する筈がないのだ。
魔法を使って、森を促成栽培したとしても、成長するスピードが早い分、栄養も過剰に消費する。
追加で肥料をドンドン補給できなければ、すぐに土地は力を失って、土が死んでしまうだろう。
そうなれば、いくら魔法を使っても、無から物を生み出せないように、死んだ土地に植物を茂らせる事は出来ないのだ。
現在、森林保存のために利用されている魔法は、植林に使う苗木を成長を早めるために、使用されてるに過ぎない。
景気が良いのに行き先不安とは、俺と商人達は皆で頭を項垂れて、ため息を吐くばかりだ。