36話 酒が飲める酒が飲めるぞ
「また変なものを造りよったな」
殿下が、増築した工房に据えつけられた、高さ2mぐらいの小型ポットスチルを眺めている。
「これは酒を造るカラクリですよ。 正確には、酒精を濃縮する仕組みですけど」
俺が魔法で手伝ったので、工房増築は予定より早く終わった。
また、棟梁に色々と商売のアドバイスをしたので、工事代金を勉強してもらったが、まあ、俺が払うわけじゃないからな。
――良い仕事してますねぇ。
腕が良い大工という評判は間違いではなかったようだ。
殿下とラジルさんにポットスチルを使った蒸留の説明をする。
「これが、温度計と言って、物の温度を計るカラクリです。 今は25ぐらいを差しているかと思いますけど、これはここの部屋の温度ですね」
「その数値の意味は?」
ラジルさんが温度計について質問してくる。
「まず、水が凍る温度をゼロ、水が沸騰する温度を100として、その間を100分割した数値です」
「なるほどな」
俺の説明に、殿下が唸る。
「水が沸騰する温度を100とすると言いましたが、酒に含まれている酒精は約80で沸騰します。 つまり、この入れ物の中の温度を80にしておくと、酒精だけが蒸発して上部で水滴となり、下に落ちてくるわけです」
「それで、酒精だけを濃縮する事が可能というわけですな……」
――ラジルさんも唸る。
「そうです、論より証拠やってみましょう」
ポットスチルの中に以前買っておいたぶどう酒を入れて、温度計をセット。
じつは、前に作った温度計は短すぎたので、長い物を新規に作成しているのは内緒だ。
扉がある構造上、あまりぶどう酒は入れられないが、扉がないと中を清掃する時に困ってしまう。
ポットスチルの中に、以前買ったぶどう酒を入れて、扉を閉めて魔法で加熱し、ポットスチル上部から伸びる枝の部分は水で冷却している。
――そうしているうちに、温度計の目盛りがドンドン80に近づく。
「加熱は魔法でやるのが理想的ですね。 微妙な温度調整も可能ですし――直火で加熱すると、温度調整が難しい上に直火が当たったところが、焦げつく可能性があります」
「そうは言っても、毎回魔法を使うわけにもいかんのう」
「装置の規模は大きくなってしまいますが、別のところでお湯を沸かし、高温の水蒸気を引き込む方法がよろしいかと」
「なるほど、それなら蒸気を出したり閉めたりする事で、微妙な温度を調整出来ますな」
ラジルさんが黒板にメモを取りながら答える。
1時間ほど加熱して、出来上がりを見てみる。
蒸発したアルコールが、上部から伸びる枝のところで冷やされ、そこから下った所に凝結しているはずだ。
枝が下った所にある木栓の所に、ボウルを置き、栓を抜く。
すると、コップ一杯ほどの透明な液体がボウルの中へ流れ出た。
本当は、木栓じゃなくてコックとかを付けたいのだが、パッキンになる物がないからな。
飲み物が通る場所を作るのに、油に浸した皮を使うわけにもいかんし。
蒸留されたアルコールを、俺の作った透明なガラス製のコップに入れ直して、殿下へお見せする。
「ほう! 元はぶどう酒なのに、出来上がりは透明なのだな!」
「ううむ……」
ラジルさんは食い入るように見ている。
酒に目がない彼は、やはり酒となると気になるようだ。
「早速ラジルさん、味見してみます?」
「良いんですかい?」
「私もあまり飲まないクチなんで、ここはラジルさんが味見にふさわしいでしょう」
「それでは、お言葉に甘えまして……」
コップを持つ手が震えている。
まあ、こんな酒は初めて飲むだろうし。
ラジルさん、ちょっと躊躇した後、グイっといった。
「む! これは……強い酒ですな……ぶどう酒の風味は無くなってますが、ほんのりと残る香りが……なんとも言えません」
「まだ、出来上がったばかりですから、こなれてないでしょう。 それと、もう数回蒸留を繰り返して、水と酒精が1:1になるぐらいにしたほうが良いと思われます」
「そこまで、酒精の濃度を上げる意味は?」
興味深そうに見ていた、殿下の質問が続く。
「例えるなら薄い酒を10樽より、10倍濃い酒を1樽の方が、管理し易いし、運びやすいし、売りやすい、といったところでしょうか」
「薄い酒が好きな客もおるだろう?」
「そこは、濃い酒を買って、水で割ればよろしいのですよ」
「は! アハハ! その通りだの。 全くその通りだ。 こんな簡単な事に頭が回らぬとは……」
殿下は腕を組んで考え込んでしまった。
「蒸留の原理は解って頂けたと思います。 私はこのまま、魔法で蒸留を続けて、魔法での熟成もやってみようかと考えております。 熟成させなければ商品として売れませんので……」
「あい解った、ぶどう酒と同じだな。 全て其方に任す。 ラジルよ、質問はもうないか?」
ラジルさんはコップに残った酒をグイっと飲み干すと、
「これは、新しい酒文化の予感がいたします。 期待しておりますぞ」
「ファーレーンには綺麗な水も潤沢にありますし、酒の醸造産業は大きな産業になると思いますよ」
「楽しみですな」
ちょっと顔が赤くなったラジルさんと握手を交わす。
飲兵衛さんの彼には、期待が大きいようだ。
「これは実験用ですから小型のポットですが、実際に商売にするとなればもっと大型の物が必要になるでしょう」
殿下は酒をまだ飲まないので、ピンと来ないみたいだが、高い酒に大枚叩く奴らはわんさかいるからな。
酒なくてなんで己が桜かな。
この大陸に酔っぱらいが増えそうだ。
------◇◇◇------
とか格好良い事を言って魔法で蒸留をしてたものの……もう飽きてきた。
ただ、温めてるだけなんだもん。
もっと手っとり早く、アルコールだけ蒸発させられないかね?
ある程度、火で温めて微調整だけ魔法でやるとか……。
乾燥の魔法をちょっと試してみたが、色々と全部蒸発しちゃうので、ダメ。
う~む……。
ボコボコと沸騰させれば良いんだよなぁ……。
しばらく考えていたが……そういえば、富士山の頂上では100℃以下で沸騰するとかTVで見たな。
気圧が低くなると、沸点も低くなる。
宇宙空間じゃ、体温で血液も沸騰するとかナントカ……。
それじゃ、ポットスチルの中を減圧すれば、普通の気温でも沸騰させられるんじゃね?
ポットスチル内部の空気を膨張させて、追い出せば良い。
加熱してから密閉して冷却しても、減圧されるだろうけど、ちょっと足りないだろうな。
ここは、せっかく使える魔法の力を頼るべきだろう。
空気を魔法で圧縮できるなら、膨張させることも出来るはず。
これも、理の反転になるのか?
とりあえずやってみようと、工房から出て、中庭の真ん中で構える。
空気を圧縮する反対で、膨張するイメージで……。
すると、ゆらゆらと空間が揺らめき始める。
気圧差で、空気レンズとか作れるかな? とも思ったが、そんなに景色は変わらなかった。
ちょっと残念。
圧縮は結構大変なので、膨張も大変なのかな? とも思ったが、意外と膨張させれるようだ。
もしかすると、膨張の中心部分は真空になっているのかもしれないなぁ。
とか、考えていると、集中が切れた。
デカい板を叩きつけられるような凄まじい衝撃波と共に、身体ごと吹き飛ばされる。
為す術もなくゴロゴロと転がっていると――ガラスの割れる音が聞こえる……ああ、しまったやっちまったと思いつつ、意識が遠のいた。
――そして、目を覚ました……仰向けに転がっていたので空が見える。
多分、吹き飛ばされてから、そんなに時間は経ってないはず……。
くそ、地面に叩きつけられたように、身体が痛い……って、マジで叩き付けられてるじゃん。
顔を擦ると、ヌルリとした感触が手に残り、鼻血が出ていた事に気づく。
頭もガンガンするし、耳も聞こえにくく、フラフラする。
部屋に取り付けてあった窓ガラスが、きらめく欠片になって四散しているのを目にして愕然とする。
「マジか……」
その場で落ち込んでヘタリ込んでいると、音を聞きつけたのか、ニムがやってきた。
「どうしたにゃ!」
「ああ、魔法を失敗したんだよ。 スマン」
「血が出てるにゃ!」
「まあ、たいしたことは無いが、身体が痛い」
ヘマしてしまった照れ隠しに、苦笑いするが――ペロペロ舐めようとするニムを、大丈夫だからと言って止めさせる。
騒ぎを聞きつけて、師匠とステラさんもやってきてしまった。
「何をやっているのです?」
「ちょっと、魔法を失敗しました」
師匠のお叱りを受けたが、まだヘタリ込んだままだ。
ステラさんは、鏡のダメージからは回復したようで、いつも通りに俺を見てニヤニヤ笑っている。
「魔法の実験をするなら、開けた所でやったほうが良いよ」
まぁ、そうなんだけど――ちょっと不注意だったなぁ。
まさか、こんな事故になるとは、思ってなかった。
「そんなに危険な魔法のつもりじゃなかったんですけどね」
俺は手を広げ、やっちまったアピールをした。
――おそらく。
魔法が切れた瞬間、真空に近くなっていた中心部分に、超音速で空気が流れ込み――中心で衝突して衝撃波として跳ね返ったようだ。
もっと巨大な真空を作れば、衝撃波で数十人とか吹き飛ばせるほどの、威力だ。
痛い経験をしたが、これは武器に使えるかもな。
漫画やアニメで、剣を振って衝撃波を作って、敵を薙ぎ払うとか、そんなシーンがあるが、あれに近い事が出来るかもしれない。
しかし、あの表現と同じ物はちょっとあり得ない。衝撃波が生まれたら、同心円状に広がるはずなので、あんな指向性を持たせるのは不可能だと思うのだ。
使うのであれば、一番手っとり早いのは、魔法を使ってから地面に伏せればいい、頭の上を衝撃波が通りすぎていくだろう。
「またぁ、何を作ったの?」
ステラさんが、ポットスチルを設置している工房の外から、興味深そうに内部を覗いている。
「酒精を濃縮する装置ですよ」
「ははぁ、この前の水銀はこれに使っているのかぁ。 錬金術をやってる連中が使っている乾溜する装置に似ているけどぉ」
「乾溜というと、鉱石等からガスを抽出したりする物ですよね? まあ、原理は同じですよ」
師匠が寄ってきて、俺の身体を見ている。
「大丈夫なのですか?」
「まあ、大丈夫です、まだ耳が聞こえにくいですけど……」
「そもそもあなたは……」
師匠からお小言を貰ってしまった。
「ステラさん、酒はもうしばらく待ってくださいよ」
「楽しみにしてるよ」
ステラさんも手を振り振り、何もせずに帰っていったが、鏡の件で大騒ぎしたので、ちょっとは遠慮してくれたのだろうか?
そうならありがたいが、こんな状態でいじられるのは、ストレスがヤバイ。
ニムも心配していたが、帰らせた。
窓の修理をしないと……ああ、落ち込む。
窓を外して、枠を分解して、予備のガラスをはめ込む。
釘を使わないで分解できるようにしておいて良かったわ。
割れたガラスと破片は回収して、再度溶かして利用する――資源の少ない世界じゃ、なんでもリサイクルだ。
使い捨て出来るものは少ない。
疲労困憊で続きは明日にしようと、そのまま飯を食って寝た。
まだ、身体が痛いわ……。
まぁ、たまには失敗もあるさ。
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――次の日。
減圧の目安に使う簡単なバキュームゲージを作って、ポットスチルに取り付ける。
事前に、魔法で真空を作って、どのくらいのメモリで真空になるのかをチェックしている。
もちろん、今度は細心の注意を払った。
建物の内部で、アレを起こしたら、建物が吹き飛ぶ可能性がある。
一応、魔法で減圧状態を維持しながらじゃないと、ポットスチル自体が減圧のショックで潰れる可能性があるので、慎重にやる。
この上、ポットスチルまで壊したら、結構なショックだ。
衝撃波が発生してしまったのは、真空を作ってしまったせいなので、真空になるまで引かなければ大丈夫だろ……多分。
ポットスチルの内部から空気を追い出して、減圧していく。
すると、バキュームゲージで見て、大気圧の1/3ぐらいの所で、ボコボコと泡が出始めた。
ゆっくりと減圧しているので、今沸騰しているのは水ではなくて、アルコールのはずだ。
おおっ、これなら早く蒸留できるかも。
しかし、通常の蒸留と味の違いは出るのかね?
そこら辺も研究の余地ありか。
さらに乾燥の魔法を若干添加する事で、さらに効率アップする事が解った。
複数の魔法の組み合わせか……これも色々と試さないとダメだな。
しかし、複数魔法を起動するのはちょっと疲労がヤバイ。
集中力も必要になるし……。
修行、修行、何事も修行だな。
理の魔法、圧縮、膨張、乾燥、凝縮、加熱、冷却……ここら辺の魔法は繋がっているんじゃないのか?
もっと細かい原理に干渉できないかね?
例えば、乾燥の魔法で、選んだ分子だけ乾燥させれば、それで蒸留や乾溜が出来るじゃん。
まあ、夢は膨らむが、目の前の事案をなんとかせねば。
ドンドン魔法で蒸留を行い、ボコボコと泡が出なくなったので、終了。
後は、ぶどうのエキスと水分だけだろう。
残ったぶどうのエキスを汲み出して、乾燥の魔法を掛けて水分を抜くとドロドロの糊状になる。
少し舐めてみると……。
渋苦甘い!
結構甘いが、渋みと苦みが強くて、そのままじゃ使えない。
渋いのはタンニンってやつだろう。 口が渋みで糊付けされたように動かなくなる。
――が、何かに使えるかもしれないので、一応保存しておく。
せめて、糖分だけでも抜きたいが……。
でも、タンニンって胃薬としても使われるみたいだったから、このまま胃薬になるかもしれん。
そんなこんなで、大樽のぶどう酒が、半分以下の量になり、透明の液体になっている。
透明なアルコールになれば、以前試した魔法で水分を冷凍して抜く方法が使える。
水とアルコールが凝固点が違うのを利用して、水分を氷にし取り除き、アルコールの濃度を上げていけるわけだ。
ポットスチル部屋から、いつも作業している工房へ場所を移し――作業を繰り返して、元世界のワイン瓶4本(750ml×4)ほどの量に濃縮された。
計る術が無いが、多分45~50%のアルコール濃度になっているはず。
そこから一部を取って、さらに濃縮する。
これは、飲むために作ったのではなく、消毒用のアルコールを作ったのだ。
濃度はおよそ80%前後。
濃度100%の無水アルコールは、逆に殺菌力が弱く、80%辺りが一番殺菌力が強いと、確かア○ゾンで見た。
化学合成した消毒用エタノールじゃなくて、醸造酒を消毒用に使うなんて贅沢だけど、この世界にそんな物は無いから仕方ない。
とりあえず、目的は達成した!
工房の机の上に置いた大ボウルに光る透明な酒。
これはリキュール――焼酎になるのかな?
確か、ブランデーにするのには、何かの樽に詰めて熟成させないといけないはずだが、別にブランデーのコピーを目指しているわけではないし、こういう新しい酒と醸造の方法があることをこの世界に知らしめれば、後はいろんな人達が試行錯誤し、各地特産の酒も沢山生まれるだろう。
俺が一人で出来ることなんて、たかが知れているからな。
その結果、どんな酒文化が広がるか、今から楽しみだ。
――と、考えつつ、少しコップに取って飲んでみたが、こりゃキツイ!
思わず、ゲホゲホと噎せる。
さよならは言ったはずさ。
それは置いて、やはり、熟成させなければ商品として売れない。
魔法で熟成か……。
これまた、難問だな。
少し取って、反応促進の魔法を試しに使うが、変化無。
ただのアルコールで何も化学反応してないんだから、そりゃそうか。
出来上がった酒を井戸水で割り、チビチビと飲みながら俺は熟成の方法を思案していた。





