29話 回り道の回り道
お城の中庭にある俺の工房を出て右へ進むと、城壁と一体になった通路にぶち当たる。
その正面にあるのが師匠の部屋だ。
そこを右に曲がり、かなり奥にある薄暗い階段を登ったところに、ステラさんの部屋がある。
途中には灯りなどはないので、そこは昼でも湿っていて暗い。
俺は分厚いドアに取り付けられた輪を鳴らした。
薄暗い通路に、輪の音が響く。
「開いてるよ~」奥からステラさんの声が聞こえる。
「失礼します」
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「嫌だよ~」
俺のお願いした、返答がコレである。
この糞BBA!
こんな言葉は言いたくはないが、やっぱり言いたい。俺は聖人君子ではないし。
でも、散々俺のところで飲み食いされた挙げ句、こんな台詞を言われたんじゃ、やっぱり言いたい。
口には出さないけど。
「だいたい、水銀なんて何に使うのさ? 不老長寿の霊薬でも作るつもり?」
「水銀なんて入れたら死んじゃうじゃないですか、やだー毒なのに」
「ふうん、毒だって知ってるんだ」
「そりゃ、知ってますよ」
ステラさんは水銀の入った鉄製の小瓶をプラプラと振っている。
「それで、温度を計るカラクリを作ろうと思いまして」
「温度を? それでどうするの?」
「新しい酒を作りたいんですよ、そのために温度の管理が必須なので、そのために必要なんです」
「酒?」
酒と聞いて、ステラさんが身を乗り出した。
「ええ」
「それはもちろん、分けてもらえるんだろうね」
「そりゃ、水銀を提供して頂ければ、当然ですよ」
「よし! その話乗ったぁ」
酒と聞いて、ステラさんはあっさり掌を返した。ホントに現金な人だよ――エルフだけど。
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自分の工房へ帰ってきた俺は、早速温度計を作る準備をする。
温度計を作る目的はアルコール蒸留のためである。
飲酒用のリキュールとしてももちろん、そのまま濃度を高めて消毒用に濃度80%ほどのアルコールを作りたいのだ。
この世界の消毒には、フーパや炭、木タールが使われているが、アルコールがあれば便利だろうし、いろんな物質を溶かすための溶媒としても使える。
例えば、香水とかね。
早速、細工師工房へ行き、鉄の細管と、針金を貰う。
こういった細管や針金も、当然の如く――全部職人の手作りである。
細工師工房の女性親方には「ウチの事なんて忘れてたでしょう?」とか言われてしまったが、ほとんどの窓口は工作師工房とラジルさんだからなぁ。
申しわけないです。でも、忘れているわけではないのですよ。
貰ってきた細管に水銀を入れて、針金を差し込めば、これで完成。
――楽勝じゃん。
水銀より鉄の方が比重が軽いので沈む事はない。
鉄以外の金属だと、水銀と合金を作ってしまうので、使えない。鉄オンリーだ。
プラチナでも大丈夫だが、プラチナなんてないしな。
あとは、魔法で氷作ってそこの温度は0℃、水を沸騰させた温度で100℃を計って、その間に10分割すればいい。
やった完成~! ――と思ったら動きがなんだかおかしい、日によって数値バラバラなんだよ。
2~3日、他の事をやりながら悩んでいたが、数値が天気と連動してる気がして、原因が解ったような。
どうやら、上端が開放されているので、気圧の影響を受けてるみたいだ。
つまり、温度計+気圧計みたいな感じになってるらしい。
となると、上端を塞がないとイカン!
金属で塞ぐと、今度は目盛りが見えん。
となると、やっぱりガラスか……。
この世界にもガラスがあり、俺の工房の居住スペースにも一応窓ガラスが嵌まっているが、凸凹で色もついていて、透明ではない。分厚いすりガラスか、ステンドグラスのような感じだ。
まいったなぁ、ガラスもかよ……。
元世界の日本という国は、マジで超絶いろんな技術と知識の集合体だということを思い知らされた。
Aを作りたいと思っても、材料となるBもないCもない、それじゃBを作るために、DとEが必要だが――そのDとEもない。
という感じでナイナイ尽くしなのが、この世界だ。
「愚痴も言いたくなるが、ガラスもあるとかなり便利だな」
ガラスを作れば、鏡も作れる。
そう、ガラス鏡もないのだ。
――かろうじて存在している鏡は金属板を鏡面に磨いた、金属鏡である。しかも高価ときた。
温度計なんて、金にならんだろうけど、ガラスと鏡は金になりそうだな。
急がば回れ、ここは回ってみるか……。
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まだ温度計は出来ていないが、蒸留に使う酒を買ってきた――ぶどう酒だ。
以前に、各所へプレゼントするために買ったやつと同じ――ちょっと上等な物を大樽で運びこんだ。
蒸留すれば、1/3ぐらいになるはずだから、大樽が小樽ぐらいになるはずだ。
ぶどう酒を蒸留したやつが、ブランデーだっけ?
ブランデーの元は赤じゃなくて、白だったような気もするが……まあこの際なんでもいいや。
ちなみに、この世界に白ワインはない。白ワインに使う、マスカット系のぶどう自体が存在していないのだ。
この際、酒の種類はどうでもいい、蒸留技術の再現が目的だし、技術が完成すればどんな酒でも蒸留出来る。
ぶどう酒を少しコップへ入れて飲んでみたが、ちょっと甘味が強いな。
もしかして、上等=甘味が強いって文化なのかも……。
デザートワインみたいだな。
これが白なら、トロッケン・ベーレン・アウスレーゼぐらいの甘さ。
「美味いけど」
お菓子にも使えそうだな。
遊びでちょっと魔法で凍らせてみる。
すると、水分だけが凍る。
アルコールの凝固点は水より低いので、水が先に凍るのだが――。
「あれ? これで蒸留できるじゃん」
コップのぶどう酒を凍らせて、水分を取るを繰り返すと、たしかにアルコールの濃度は上がったが、ぶどうの成分も濃くなってしまった。
「ああ、当たり前か……」
思わず苦笑いしてしまう。
「でも、一旦蒸留をしたアルコールの濃度を上げるにはこの方法が使えるな」
やっぱり最初は普通に蒸留する必要があるようだ。
――となれば、温度計が必要となる。
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「う~ん」
俺が工房で頭を抱えて悩んでいると、ニムがやってきた。
「なにやってるにゃ?」
「悩んでいるんだよ」
「また、なんか作るにゃ?」
「ああ、アレだよ、ガラス」
俺は窓に嵌っているガラスを指さした。
「もっと綺麗な色の奴を作るにゃ?」
「逆だよ、透明なやつを作りたいの」
「そんなの作れるのかにゃ?」
――そう言いながら、頭をすりすり寄せてくる。
俺は、そんなニムを抱き寄せて、撫で始めた。
「ニム、お前毛並み良いなぁ」
――感触は言っちゃ悪いがデカイ猫なんで、撫で応えがある、コレは心のオアシスだ。
「毛並みには自信があるにゃぁ……」
ニムの毛並みを堪能し、心を落ち着かせたところで、記憶を整理してみよう――。
まずは石英か。
これは河原とかに、沢山落ちている。
化学薬品を使うような――元世界で普通に売っていたようなガラスは不可能だなぁ。
たしか、古いクリスタルガラスが木灰とかを使ってたような……。
後は鉛だな。鉛が入ると透明度が上がるとか、なんとか何かに書いてあった記憶が……。
粒子加速器のシンチレーション検出器の重鉛ガラスだったかなぁ……まぁ、そんなのはどうでもいいわ。
そうだな、とりあえず試してみないと始まらん。
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翌日、河原へ石英を拾いにいく。
別に珍しいものでもないんで、いっぱい落ちてる。
この世界でも、火打ちとして利用されてるし。
石英といっても水晶ではなく、結晶になってない白い石で、何か呼び名があったと思ったが忘れた。
俺もガキの頃、石を拾って火起こしに挑戦したことがある。トンカチとかで叩くと火花が出るから、それを脱脂綿等に燃え移させるわけだ。
結構コツはいるが、慣れれば、木をギコギコ摺り合わせるよりは余裕で火起こしが出きる。
まあ、ここじゃ魔法があるから、必要ないけどな。
河原には見た事がない、黄色い花が群生していたので、暫し見とれる。
ちょっと高い背に、小さい花を沢山付けている――匂いを嗅いでみると、結構良い香りだ。
アルコールの蒸留が上手くいけば、こういう花で香水が作れるかも。
籠を石英でいっぱいにして、重量軽減の魔法をかけて、俺の工房まで運んできた。
ついでに、黄色い花が綺麗だったので、少し摘んできてしまった。
黄色い花で飾りを付けた石がいっぱいの籠を見て、守衛の兵士が――この人は何をやってるんだろうみたいな顔をして見ているが……俺に聞くな、俺にも解らんのだから。
ガラスを溶かすためのコップぐらいの坩堝を作るために、ちょっと大きめの石英をハンマーで形を整えてから旋盤に銜えて、ゆっくりと整形していく。
切削に使うバイトは、俺が作った鋼製だ、残念ながらこの世界にはミスリルもオリハルコンもない。
時間がかかったが、なんとか完成。
「次は灰か……」
これまた、灰を山ほど用意して、魔法で沸かした大鍋のお湯に飽和するまで溶かしていく。
上澄みを取って、魔法で乾燥させると、白い粉が残る。
これが、カリウムだ。
何カリウムだったか、塩化カリウム? そりゃ塩カリって雪道に撒くやつだっけ? あれは塩化カルシウムか……。
まあ、この際名前はどうでもいいわ。
俺が汗まみれでやってると、ステラさんが後ろから抱きついてきた。
「なにやってるのっと?」
「うわわっ! ステラさんですか。ちょっと邪魔しないでくださいよ」
「酒を作るって話じゃなかった?」
「そうですが、それに必要な道具が足りないので、原料を作っているところですよ」
「ふうん、ふうううん」
なんだかんだ言っても、興味津々で俺の作業を見ている。
灰を溶かした上澄みを取って乾燥させ、白い粉を集めていく。
「その粉は灰の成分でしょ」
「そうです。色々と利用価値が高いんですよ」
「知ってる、畑の肥料とかになる」
「作った事あるんですか?」
「うん」
ステラさんは俺に抱きついたまま頷ずいた。
肥料となるのは知ってるだろうけど、ガラスの原料になるのは知らないだろうな。
「あ、そうだ」
俺は、集めた白い粉を持って、工房の部屋に戻ると小鍋で獣脂を煮始めた。
そして、河原で摘んできた花を毟ると、魔法で乾燥させてポプリを作る。
獣脂が溶けたところで、少し冷やして、白い粉を投入すると、白く濁り固まり始める。
油とアルカリの鹸化反応である。
続いて、さっき作った黄色い花のポプリを入れて、パーツの小物入れに使っていた木枠に押し込み成形。
最後に、コインを使って型押しをしたり、模様も彫ったりして完成。
ここから、魔法を使って熟成させていく。
まあ5分で半月分ぐらいの熟成だろう。
こうして出来上がったのは――石鹸だ。
そう、ここには石鹸もなかったんだよ。灰を直接ゴシゴシして洗剤代わりとかにしてたんだ。
鍋の汚れとか、意外とよく落ちるんだけどさ。
その油汚れが落ちるのが鹸化反応なんだけどね。
出来上がった石鹸の匂いを嗅いで、出来上がりを確かめてみる。
中々良い香りだ。
「はい、コレあげますから、作業の邪魔しないでください」
「なにこれ? いい匂い」
ステラさんも、出来上がった石鹸を鼻にもっていき、クンカクンカしている。
俺は、鍋に入ったままで、型に入れていない石鹸をちょっと指先で摘むと、泡立てた。
「こう手が汚れているでしょ? そしたら、こうやって泡を立てて汚れを落として、水で流すと」
俺は、杓で、泡を洗い流すと、掌をクルクルと返してみせた。
「もちろん、お風呂にも使えますよ」
「え? お風呂? 入る、入るぅ」
そう言って、俺の袖を引っ張って、俺の工房奥の風呂へ連れていこうとする。
「ちょっと、お城の浴場へ行ってくださいよ」
「こんな時間にやってるわけないじゃん」
「あ、そうか」
お城の浴場は、経費削減のために夜の決まった時間しか沸かしていない。
しかも入れるのは、女性だけ。
そこでは、身分の分け隔てなく、みんな一緒くたに入浴している。もちろん殿下も一緒。
こんなのは他の国では考えられない事だ。
殿下の話では女子会よろしく、秘密の情報交換の場でもある重要施設らしい。
工房の奥の風呂にはいつも水が張ってあるので、後は沸かすだけだが――。
俺の魔法では、これだけの水量はちょっと時間がかかる。
実際、俺も風呂は普通に薪で焚いている。
「ステラさん、そんなに入りたいなら、一緒に魔法を使ってくださいよ」
彼女は、少々渋っていたが、すぐに風呂へ入って石鹸を試してみたいらしく――一緒に魔法で風呂を沸かすと、30秒ほどで適温になった。
「ああ、石鹸の作り方だけ教えて、ステラさんに魔法を使わせれば良かったのか。なんで俺ばっかり魔法使ってるんだ……」
そんな事を考えていたら、ステラさんが目の前で服を脱ぎ始めた。
「ちょっと、ステラさん。私がいないところで脱いでくださいよ」
「一緒に入らないの?」
「入りません」
すたこら逃げてきて、灰を煮詰める作業に戻る。
結構大変なんだが、魔法で直に合成できないもんかね?
悶々と考え事をしていたら、後ろから声が――。
「ショウ」
今度は師匠だ。
師匠が何か言おうとしたら、風呂場からステラさん歌声が聞こえてきた。
「なにあれ?!」
「え~ステラさんが風呂に入ってるんですけど……」
「なんで、あなたのところの風呂に入ってるの?!」
「あ~え~」
――と理由を考えて話す前に、師匠がステラさんのところへすっ飛んでいった。
なんかぎゃあぎゃあ、言い争ってるが、この際無視して作業へ戻ろうとしたら……。
「……なんで私には作ってくれないの?」
「え? 何をです?」
「泡でるやつ……」
師匠が爆発する前に、小鍋に残っていた石鹸を整形熟成させて、師匠に渡す。
すると、また風呂場へすっ飛んでいって、ステラさんと早く出ろとかなんとか、言い争いをしている。
あ~え~と、俺、何してたっけ?
最初、酒のために温度計を作ろうとしてたよなぁ……。
回り道の回り道の回り道じゃん、どうしてこうなった?
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次の日、前日はステラさんに邪魔されまくってしまったので、気持ちを持ち直してガラスの試作に挑む。
そうだよ、温度計に使うガラスを作ろうとしてたんだよ。
それが、脇道に逸れまくって……。
まあ、いい。
炉に火を起こして、俺が作った坩堝に石英を粉にした物+白い粉+鉛を入れて、加熱する。
先に鉛が溶けるが、石英は溶けない。
こういったガラスの融点はかなり高かったはずなので、さすがに鍛冶用の炉だけじゃ火力不足か。
そこで、魔法の加熱でブーストを掛ける。
温度を上げるには、分子の振動を加速させればいい。
魔法で加熱をブーストするとドンドン溶けだし、オレンジ色の輝きを出す。
完全に溶けたところで、鉄板の上に流して、重量増大の魔法で押しつぶして伸ばし、そして冷却。
重量増大の魔法は、ステラさんの魔法をヒントにして、編み出した――理の反転ってやつらしい。
「あれ? なんか鉛が残ってる……?」
鉛が溶けていないようだ。
何回か繰り返してる内に、鉛が熱で黄色になったものだけが上手く溶けているようだ。
そこで、先に鉛だけを加熱して、黄色い鉛に変色した物だけを集めて、試作してみたところ――。
透明なガラスになった。
「やった、上手くいった……」
ちょっと凸凹はしているが、透明な円形の板ガラスが完成した。
多少不純物が入ってるが、窓ガラスには十分だろうし、鏡に使うために凹凸が気になるなら、表面を研磨すればいいだろう。
外に出て、天に翳してみる。
空が見える。当たり前だ。
高い温度を出すために魔法を使ったが、高性能な高炉を作れれば、魔法なしでも作れるだろう。
配合も適当にやってしまったが、もっと良い比率があるに違いない。
後の研究は、他の人にお任せだ。
ここで、やっと本線に戻る事ができる。
温度計に使った鉄の細管に、溶けたガラスを巻き付け、魔法で温度を維持しながら、コロコロと転がして筒状に成形していく。
通常なら、ガラスはドンドン冷えてしまうが、魔法があれば温度を維持したまま加工が可能だ。
ガラスの細管ができたら、片方を閉じて、カット。
カットには、クズダイヤを使ったガラス切りを作った。
俺が作った温度計にカバーのように被せて、膠で接着すれば……。
回り道を重ねて、やっと温度計が完成した。





