24話 甘い誘い
――鉄を打つ甲高い音と、火花が散る。
俺は自工房の鍛冶場でナイフを打っていた。
粗延ばしは、スプリングハンマーで――仕上げはもちろん手仕事で。鍛冶振りも板についてきて、ハンマーが手から抜けて飛ぶような事もなくなった。
相変わらず良い鋼は少ないので、本体は軟鉄で作り、ブレードだけを鋼の割り込みで打っている。
そして、成形が終わったら、土を盛っての焼き入れ。
それなりだが、まだまだって感じ。
ベッドのある部屋で、そんなナイフを研いでいたら、殿下がやってきた。
「あ、殿下いらっしゃいませ。殿下にはご機嫌麗しく……」
「やめよ。そなたが言うと、厭味にしか聞こえん」
そんなつもりはないのだが、殿下から聞くと、そう聞こえるのだそうだ。
「そんなことより、ショウよ……もうアレはないのか?」
「アレと申されましても……」
「黒くて甘いやつじゃ」
「ああ、チョコですか。あれはもう手に入らないと申し上げました通り、もう無理ですよ?」
「ああ……妾は、あの味が忘れられぬ」
殿下の話を聞くと、夢にまでチョコが出てくるそうな――それは深刻なご様子。
「そんな事を申されましても。殿下なら砂糖でも何でも手に入れられるでしょう?」
「砂糖なぞ、幾らすると思っておる!」
殿下の話からするとやっぱり高いのか。俺も甘い物を食いたいから、色々と探したけど、市場にもそれっぽいのはなかったよなぁ。
「あとは、果物を乾燥させた物とか、果汁を煮詰めたものとか……」
「妾がそんな贅沢をしていると知ったら、民はなんと思うだろうなぁ」
殿下は、椅子に座るとテーブルに突っ伏してしまった。
「でも、そういう王侯貴族もいらっしゃるでしょ?」
「妾にそういう輩の真似をしろと申すのか」
突っ伏したまま、声だけで俺の問に答える。
俺に金貨3枚払ったのはいいのか。
たぶん、チョコの衝撃に魔が差したんだろうけど。
「そういえば、師匠に蜂蜜あげたよな」
「なに? 蜂蜜?! ルビア殿は良いなぁ、其方からいろんなものを貰えて……」
今度は拗ねだしてしまわれた。こりゃ、どうすりゃいいんだ。
「師匠にも、そんなに色々と差し上げてませんけど」
「ルビア殿は、料理だって其方に作ってもらってるそうではないか」
「まあ、弟子ですから。たまにそのくらいのお世話はさせていただきますけど」
そういえば、蜂蜜も市場じゃ見たことがないな――殿下も持ってないってことは、蜂蜜も貴重品なのかも。
「もう! ショウのせいだ! 其方があんな物を妾に売らなければ、こんなに苦しむことはなかった!」
殿下が突然立ち上がり、滅茶苦茶な事を言い出した。
「そんな無茶苦茶な!」
「無茶でもなんでも、なんとかするがよい!」
「はあ、わかりました……何か考えますよ」
「申したな。口から出た言葉は引っ込められんぞ」
――と言って、俺の口を指さしてくるのだが。
「あまり期待しないで、いただきたいのですが……」
「期待するに決まっておろうが!!」
殿下は俺の耳元に大声で怒鳴ると、ドスドスと足音をさせて公務へ戻っていった。
そんな事言われてもなぁ……でも、ストレスで甘いもの物色し始めたりすると、政に影響出る可能性もあるし。
甘いのって何があったっけ?
甘草? アレって臭いよな。
カエデとか白樺の樹液とか、メイプルシロップだっけ? でも、あれって1年ぐらい掛けて採るんじゃなかったっけ? それを考えると、ちょっと時間が……。
だいたい、白樺とかカエデが、この世界にあるのか?
植物といえば、師匠に聞くしかない。俺は、師匠の部屋を訪ねた。
「師匠、ちょっとお聞きしたい事が」
「なんですか?」
何か書き物をしているのか、振り向きもせずに声だけの返答が聞こえる。
「樹皮が白い木とか、葉っぱがこんな形の木とかどこかに生えてませんかね?」
黒板にカエデの葉っぱの絵を描くと、師匠に見せた。
「黒板の木は見た事がありませんが、白い木なら、かなり北の地方に生えてますよ」
身体を捻りチラ見して、また机に向かう。
「北ですか……ちなみに、甘い樹液を出す木とか知りませんか?」
「そんな木があるなら、私が真っ先に採取してます」
「ですよね」
俺はそそくさと、師匠の部屋から退散した。
かなり北とか、北海道みたいなところかよ、そんなところまで行ってられねぇ。
車もない世界で、何ヶ月かかるんだよ。無理に決まっている。
自分の工房に帰って、ふと思いついた。
水飴ってどうやって作ったっけ?
なんか麦の芽を出してとかだよな、所謂麦芽糖。
ビールとかウイスキーもそれで作ってたよな。
確か、芽が出たところに、デンプンを糖に変える酵素ができるんだよな。あれも確か大麦をつかってたはず。
大麦なら、麦飯用に沢山買ってあるし、いっちょやってみるか。
精麦してないコップ1杯ぐらいの大麦をボウルに入れて、ぬるま湯を注ぐ。水でも良かったような気がするが、農作物の芽出しってお湯に漬けてたような記憶があるので、それに従ってみた。
芽が伸びる事で減る水分をちょっとずつ足しながら、成長促進の魔法を掛けて早回し――すると、ニュルニュル~と根っこと芽が出てくる。
面白えぇぇ。
芽が出たら水を切り、乾燥の魔法を掛けて乾燥させたら、それを工房の精麦用臼へ突っ込んで、杵つきで粉砕。
水車の動力で自動粉砕してる間に、芋の皮むき。
麦にもデンプンがあるとは思うが、芋のほうがデンプンが多そうなので、芋を使ってみた。
とりあえず、10個ぐらいにしておくか……芋の皮は魔法じゃ剥けないので、面倒。
魔法になれると、不精になるわ。
食べるものじゃないので、火が通りやすいように細かくして鍋にいれる。そして、竈に火をいれて、魔法レンジも併用して加熱。
火が通ったら、お湯をすてて――芋を潰して、再び水を張りかき混ぜる。
ここで、杵つきで粉々になった麦芽を鍋に投入してかき混ぜて、魔法で反応を早回し。
水がうっすらと茶色になったので、少し舐めてみるとうっすらと甘味が……。
上手くいったかも。
上澄みだけ別の入れ物に移して、乾燥の魔法を掛ける……と、みるみる水分がなくなり色が濃い茶色に変わっていった。
水分が完全になくなると、そこに茶色の層ができた。ちょっと水分飛ばし過ぎたのか固いのだが、完成だ。
スプーンでうにょ~んと取ってみると……うん、甘い!
砂糖のガ~ン! という甘さじゃないが、柔らかい甘さ。
はは、曾婆さんのところで食った、水飴南部煎餅を想いだすわ。
ガキの頃はあれは好きじゃなかったんだけどなぁ、こんな異世界でありがたがるとは思わなかったわ。
上手く出来上がったので、メイドさんの詰め所にある竈で作り方の説明会。
――作業の記録に、またラジルさんが来てる。
「度々すみませんラジルさん、でもこれって工作師さんの関係なんですか?」
「お気になさらず。私は記録するのが仕事になっておりますので」
「まったくの、休む暇もないのぅ、ラジルよ」ハハハと笑う殿下。
「いいえ、これだけ忙しいのは工作師冥利に尽きるという物でございますよ、ある国の工作師など、暇すぎて閑職になってるという話ですし」
「その件は、進んでおるか?」
「はい、着々と」
殿下の話からすると、なにやら新プロジェクトが動いているような――。
「なんですか?」
「工作師の引き抜きよ」
「それじゃ、工作師工房の人数が増えるのですか?」
「もう、増えておるぞ? のぅ、ラジルよ」
「はい、ショウ様が城においでになってから、倍にはなっております」
「え? 倍ですか? 益々大所帯ですね」
それは、解らなかったなぁ。工作師工房には、あまり顔を出さないし……。
しかし、景気がいい事は、良い事だ。
「ハハ、これでも足りないぐらいでして」
ラジルさんは、嬉しそうに頭を掻いた。まぁ、仕事好きなんだろうなぁ――根っからの職人タイプだ。
「その件はそのぐらいにして、早く見せてくれ」
殿下は、ソワソワして我慢しきれない様子で、俺たちの会話を打ち切らせた。
麦芽糖の作り方を一通り説明して、大鍋イッパイの芋を煮る。
手の空いているメイドさん達総出で、皮を剥いた。
麦芽を入れて、魔法で早回ししたあとに乾燥の魔法を掛けると、大鍋の底に3cmぐらいの茶色の層ができた。
「殿下、これです」
俺は、スプーンでむにょ~んと茶色い物体を掬い、殿下に渡した。
「こ、これか……」
殿下は、短く呟くと、スプーンの水飴を舐め始めた。
「殿下、いかがでしょう」
「……」
俺の問にも――殿下は無言で、ひたすら黙々とスプーンを舐めているのだが……。
それを見ていたメイドさん達も、皆総出で水飴を舐め始めた。
「皆さん、どうでしょう?」
「……」
――なんか皆、一心不乱に無言で舐めてますけど。
なんなの?
舐め終わった殿下、再び鍋の底を掬おうとしてる。
「あの? 殿下?」
「うるさい! 後にせよ」
――そう怒鳴ると、また無言で舐めはじめた。
ちょっとまって。
「これは甘いですなぁ」
ラジルさんも舐めてみたようで、正直な感想を漏らしている。
「ラジルさんは甘味より、酒でしょう?」
「ハッハハ、いやぁ、そうですなぁ」
「でも、これで糖ができましたから、これを発酵させれば酒になりますよ?」
「本当でございますか?」
「ええ。皆、コレを舐めるのに夢中になって、話にならないので、ちょっとやってみますか?」
コップぐらいの空の小壺を見つけて、水飴をちょっと多めに入れアルコール発酵をさせる準備。
だが、俺のやり始めた事にも目もくれずに、皆はまだぺろぺろしている。
「ニム、リンゴとかあるかな?」
――というと、ニムはスプーンを銜えたまま、戸棚にあったリンゴを放り投げてよこした。
そんな感じで、皆は水飴を舐めるのに夢中、手伝ってくれる気配がないので、自分でリンゴの皮を剥こうとしたら――。
「手伝いますぞ」
ラジルさんが、リンゴの皮を剥いてくれる事になった。
「あ、皮を使いますので、捨てないでくださいよ」
「え、皮ですかい、解りやした」
酒の事になってるので、ちょっとラジルさん地が出始めている。
小壺に水をいれて、少し魔法で温め、水飴を溶かすと――リンゴの皮を刻んで投入。
そして、魔法で早回しすると――ワ~と泡が出てくる。
少し舐めてみたが、まだ甘味が残っているので、もう少し発酵させた。
スプーンで少々掬ってみたが……間違いなく、酒になってる。
元世界に居た時に、同様な事をやってみたことがあった。
その時は、水飴とリンゴの皮ではなくて、蜂蜜とパンに使うイースト菌を使ったのだが……。
「ラジルさん、上手くできましたよ、飲んでみますか?」
「え? ホントですかい? 飲みますぜ」
ラジルさんにコップを渡すと、出来上がった酒を注ぐ。まだ酵母が生きてるので、シュワシュワと泡が出てる。
瓶等に入れて、完全密封すると、炭酸が強くなる。
ビールや、シャンパンなどと同じ仕組みだ。
俺の作った酒に、怖怖口をつけたラジルさんだったが、一口飲んだ後――グイッと一杯いった。
「ほ! こいつは確かに酒だ。こりゃ、美味いですぜ!」
「もう少し寝かすか、蒸留したほうがいいと思いますけどね」
「蒸留ってのは何ですかい?」
彼は、残りの酒を手酌で注ぐと、蒸留の質問をしてきた。
「ああ、アルコーいや――酒精の濃度を上げる事ですよ。装置を作れば出来ますけど、ここには何もないからな」
「ガハハ、美味い酒のためなら、他の仕事全部投げても手伝いますぜ」
ちょっと酒が回って赤くなって、饒舌になっているな。
まあ、それだけ、酒が好きなんだろうなぁ。
「ふ~、こいつは美味いな……」
「美味しいですね」
「甘いにゃ、甘いにゃ~」
水飴を舐めていた皆だったが、やっと落ち着いたのか、それぞれ感想を言い出し始めた。
「ショウ、これは何と言う?」
う~ん、水飴じゃ通じないだろうな――ここには飴自体がないからな。
「砂糖が、砂の糖なら、これは水の糖――水糖とでも申しますか」
「水糖か……なるほどのぅ」
甘味を堪能した殿下ではあったが、まだ不満があるようだ。
「しかしな、あの黒いやつの蠱惑さに比べると、なぁ……」
「なんですか、それは。せっかく作りましたのに」
「いや、これはこれで美味いがなぁ」
「随分と、贅沢な悩みでございますね。殿下は、私に無理難題言えばなんとかなると思ってませんか?」
「そ、そのような事はないが、ショウならなんとかするではないか」
「そんな事言われましても、国に金がなくなったから、黄金を出せとか言われましても、無理ですよ?」
「妾がそんな事を言う、愚か者だと思うのか?」
マジで言うんじゃないの? ちょっと怪しいとも思ったが、ある事を思いついた。
「……あ、そうだ。ルミネスさん、ミルクありますかね?」
「はい、ありますよ」
ルミネスさんからミルクを貰うと、水飴を温めて溶かしこむ――冷却の魔法を掛けてかき混ぜる、かき混ぜる……。
さすがにかき混ぜるのは、魔法を使えないので、ひたすらかき混ぜる。
疲れたので、メイドさん達にも頼んで、交代でかき混ぜること15分ほど。
そう、牛乳アイスだ。この世界のは当然生乳なので、アイスになる。
「出来ましたが、これでご満足できないとおっしゃるのなら、もう殿下をご満足させる手だてがございません」
小鉢に盛って、殿下に渡す。
「うむ……」
自分でも無理難題言ってると解ってはいるのだろう――殿下が1口食べる。
「……」
――続けて2口3口食べる。
「ん~! これは美味いぞ! 舌の上で蕩けるわ!」
「ショウ様! 姫様ばっかりずるいですにゃ!」
「そうですわ!」
メイドさん達が寄ってたかって、アイスに手を伸ばして、キャッキャッうふふと大騒ぎしながら、白く冷たいソレを食べ始めた。
「これは、氷菓子とでも申しましょうか。さすがに魔法を使わないと、作れませんけどね」
「氷菓子か、これは美味いのぅ……」
――アイスを食べた殿下は、ふぅ……と、軽くため息をつかれた。
もっと食べたいということで、メイドさん達総出で交代でかき混ぜながら、残りのミルクと水飴を全部アイスにしたのだが――魔法使いっぱで、疲れたわ……。
魔法使い過ぎは、精神的にくる。そうだな……徹夜ぶっ続けで試験勉強したような感じ。
殿下が、コイツをしょっちゅう所望されるようなら、かき混ぜる装置を作らんとダメだな……でも、これを作るのは疲れるのでちょっと勘弁してほしい。
全て食べ尽くされる前に少量取って、溶けないように魔法で冷しながら、師匠のところへ持っていったが――。
「凄く美味しい!」
――と喜んでいた。
作り方は教えたので、師匠なら自分で作れるだろう。
殿下はこの水飴も商売になると踏んだようだが、製法が簡単なので、どこからか漏れた作り方があっという間に、この国どころか大陸中に広がって、計画は頓挫した。
それどころか、甘いものに飢えていた大陸中の人々が、皆一斉に水飴を作って麦と芋を消費し始めたので、作物の値段が高騰、殿下はその対応に追われることになった。
また、麦芽を使った、麦や芋の酒の醸造も始まった。
進歩が止まったような世界だが、皆同様に閉塞感にウンザリしているのか、一旦新しい事が広まり始めると勢いが凄い。
物価高騰の対応に追われた殿下は、「ショウのせいだ!」と怒っていたが――。
何故、俺のせいなんですか? そんなの知りませんよ。