16話 ネコと好奇心の関係は
エルフのお姉さんに挨拶をしに行くために、師匠の部屋を訪ねて、一応確認する。
名前とか、部屋の場所とか全然解らんし。
――だが。
「必要ありません」いきなりの返答。
「え? でも、挨拶ぐらいしろって、抗議で来てましたよ」
「無視なさい」
「この新入りが! 挨拶にもこねぇとかどういう了見なんでぇ、ちょっと体育館の裏に面貸しな! とか脅されたんですけど……」
「言ってる意味が解りませんが、無視なさい」
逆に俺は、師匠の言ってる意味が解らないんですが……。
いくら師匠があのエルフの事が嫌いでも、ちょっとマズいでしょ。
「師匠、あのエルフの真学師――お名前はなんておっしゃるのでしょう?」
「……」
それすら、言いたくないって……だめだこりゃ! 話にならん!
俺は、一礼すると――師匠の部屋を出て、メイドさん達の詰め所へ向かった。
お城内部の事を聞くなら、お城の事情に詳しい、メイドさんが一番いいだろう。
隅から隅まで知っているはずだ。
詰め所には丁度ルミネスさんがいたので、エルフのお姉さんの名前と、部屋の場所を教えてもらう。
エルフのお姉さんの名前は、『ステラ』さんというらしい。
部屋の場所は――俺達の部屋から、さらに奥へ行って、階段を上がった2階。
俺の部屋に戻ると、街で買った小箱にエルフのお姉さん――ステラさんへのプレゼントを入れて、準備万端。
エルフのお姉さんを訪問するため――部屋を出た時には、すでに空は暗くなり始めていた。
部屋の前は、城壁下部の内側が抉られ、そこが通路になってる構造で――補強のために石の柱が並んで建てられている。
石の柱は、極太で頑丈そうだ。
聞けば、戦もあるという話なので――とにかく、装飾性よりは実用性重視といった感じなのだろう。
通路からは城壁の内部に広がる広い空間――つまり中庭が見えるが、整備された庭や公園があるわけでもなく、草は生え放題でボウボウである。
中庭に小川が流れ込んでいるが、外から直接流れ込んでいる物ではなくて――一旦風車等で汲み上げた物を流しているようだ。
水は綺麗で、汚れている感じはしない。
街の中にも下水処理の施設などはなく、基本垂れ流しなのだが――一応各家には石製の沈殿槽を設置してあり、ヘドロを一度沈殿させてから、上澄みを川へ流している。
また、沈殿物は定期的に乾燥回収、肥料などに利用されており、意外とリサイクルが徹底――。
こういうシステムにも真学師が関わっており、真学師から提案されるアドバイスも多岐にわたる。
そして、その力を背景に各国の中枢へ食い込んでいるらしい。
なんだ、ただ好きな研究とか発明とかするだけじゃないのね。
そりゃ、国は真学師の確保に力を入れる訳だわ。
通路の奥へ入り、薄暗い階段を登ると――四隅を鉄板で補強されてる、大きな木の扉があった。
扉に小さな鉄のワッカがついていたので、それを鳴らしてノックしてみた。
暗い通路に、木の板をトンカチで叩くような音が響く――。
「鍵は開いてるよ~」中から、女性の声が聞こえる。
「失礼します」俺は扉の中に入った……。
中へ入ると――山々そして山。それは、羊皮紙のスクロールや黒板の山。
薄暗い部屋だが、なにかの明かりが灯っているようだが……魔法なのか?
師匠の部屋もそうだが、乱雑で女性らしさは皆無。
しいて言うなら、カーテンにレースがついてるぐらい。
「改めてご挨拶させていただきます。真学師ルビアの弟子となりましたショウと申します。師匠の代理として、引越しの挨拶にまかりこしました。今後ともよろしくお願いいたします」
一応、丁寧な挨拶をしてみる。
「ふん、いまさらだよねぇ」
それを聞いても、エルフはとても不機嫌そうだ。まあ、当たり前といえば当たり前。
「引越しの挨拶が遅れまして、ステラ様のお怒りは重々承知しております。謝罪と今後のお近づきの印としてこれを……」
俺は、持ってきた小箱を差し出した。
「ふん」
――と、それを俺の手からひったくると、ステラさんはこう言った。
「自慢はしたくないが、私は人よりは多少永く生きている、何を持ってきたかは知らないが、こんなものでぇ……」
「ご査収ください」
俺が重ねて言うと――渋々ステラさんは箱を開けた。
「こ、これは……真紅!」ステラさんは、驚愕の表情でそれを魔法の明かりに翳した。
俺はハッタリを含めて、ニヤリと笑うと――。
「これだけ真紅の物は滅多にないはず、リルルメルヒの実にお詳しいステラ様なら、お分かりになるはず」
ステラさんは悔しそうにすると、
「くそ……こんな良い物を貰ったんじゃ、追い返せなくなったじゃないか、君も案外悪どい男だな……。いいね、悪い男は嫌いじゃない」
「フフフ……ステラ様とお近づきになれるなら、このぐらいは惜しくはないのですよ」とか、ちょっと格好つけて笑ってみる。
もちろんハッタリだよ、ハッタリ! 心の中はガクブルだっちゅ~の!
ニムの助言に従って、この世界の交渉はあくまで強気に攻めるのが吉と見た。
つくづく、平和ボケ&ナァナァの日本人の心臓には厳しい世界だ。
そりゃ、一粒2000万円はくだらないという貴重な物を貰って、喜ばない人はいない――エルフだけど。
「まあ、そこに座りたまえ、私のとっておきを淹れてあげよう」
乱雑に物が積まれた部屋の真ん中には1人用のソファーとその向かいには2人用のソファー――間に小さく低い木製テーブルが置いてある。
ソファーやテーブルには、細かな細工が施してあり、一見で良い物と解る。
俺が、ソファーに腰掛けると、ステラさんは、ゴリゴリカチャカチャなにか作り始めた。
そうして漂ってくるこの香りは……あれ? コーヒーじゃね?
ステラさんが、カップに淹れてくれた、その黒い飲み物を一口飲んでみても、それはコーヒーだった。
「あの、これはなんて飲み物なんですか?」
「え? これはピコだよ。飲んだことないのかい?」
「いえ、私の故郷にも、似たような飲み物はあったのですが、こちらに来てから飲んだことがなかったので――師匠のところはお茶ばっかりでしたし」
「ああ、あいつはお茶しか飲まないなぁ」
味も悪くない。悪くないどころか、結構美味い。やはり、コーヒーってのは、挽きたて、淹れたてだ。
「この元って、簡単に手に入るんですか?」
「ああ、この豆なら、多少値は張るけど、街で買えるよ」
「そうですか、俺はこっちのほうが好きだな……」ちょっと小声で本音を漏らす。
「そうか、ピコ派が増えるのは嬉しいねぇ、今度私の馴染みの店を教えてあげよう」
「それはありがとうございます」俺は丁寧に頭を下げた。
俺の正面の1人用のソファーに脚を組んで座っているステラさんは、コーヒーを二口程飲むと、こう言った。
「そろそろ、君が何者か教えてくれないか?」
「え? 何者か……ですか?」
「恍けなくてもいい」
「トボけるも何も、私はただの真学師見習いですから」
「ふう、いいかい? 君は高度な教育と礼儀作法を身につけている。そんな教育を受けられるのは、この大陸じゃ王侯貴族と大店の商人の子息だけさ」
なるほどな。高度な教育には金がかかるからなぁ。
「君ぐらいの歳で、それに該当する人間を私の記憶の中に探しても、見当たらないんだよ」
「それじゃ、その手の人間は全て把握しているという事ですか?」
「当然さ、我々の大切なお客様だよ?」
「なるほど、そういう事ですか」
「ふふ、観念したかい?」
「その答えなら簡単ですよ」
ステラさんは、俺の口から出る答えを期待してか――空色の眼を輝かせた。
「ほう?」
「私は、ステラ様の知らない国からやって来ました」
「なっ――そ、そんな答えで私が納得するとでも? それじゃ、君は海の向こうから来たとでも言うのかい?」
「そうです」俺はコーヒーを飲みながら答えた。
「ふうぅ、ルビアの弟子だからどんな奴かと思ってたら、これはとんでもないタマが来たもんだな」
「真学師大先輩のステラ様にお誉めいただき光栄の至りでございます。疑っておいでなら、心を読んでみますか?」
「誉めてはいないし、君の心の中にも興味はないよ」
あ、やべぇ、また調子に乗っちゃったよ。
「申し訳ございません。別にケンカをしにやって来た訳ではないのですよ。本当にお近づきになりたくてわざわざリルルメルヒを持ち込んだりしたのですから」
「……詮索するなということかな」
「ステラ様にも知られたくない事とかありますでしょ?」俺はまたコーヒーを一口飲むと尋ねた。
「うっ、知らなかったほうが幸せというのが、多々あるのは――確かに真理だねぇ」
「藪を突ついて蛇、好奇心がネコも殺すなんて言葉も私の国にはありましたけど」
「藪の諺は、この地方にもあるよ。洞窟を突いてドラゴンって例えもある。それにしても――好奇心がネコを殺すか、それは真理かもな。面白い気に入ったよ、良い言葉だねぇ」
え? 良い言葉かな? やっぱり真学師って変わってるなぁ。
「それはおいて、さきほど永く生きてるとおっしゃられてましたが、エルフ族は長寿だと聞いてますけど……」
コーヒーを飲むステラさんの手がピタリと止まり、
「好奇心がネコを殺す……」とボソっと一口。そして、漂う殺気。
じ、地雷源だ~っ! 退避~!
「失礼いたしました」あぶねぇ、何が地雷か全くわからん。
背中に汗をかいている俺を尻目に、ステラさんはソファーから立ち上がって、自分の机に置いてあった真紅の実を明かりに照らしていた。
光っているのは、何の明かりだろう? もちろん、電気ではないな――やっぱり魔法なのかな?
ステラさんは、余程、紅い実が気に入ったらしい。
「これをどこで手に入れたんだい?」
「私が森で見つけました」
「森で? じゃあ、花も見たのかい?」
「見ましたよ、白くて綺麗な花でした」
黒板を取り出して、5枚の花弁を持った花を図に描いて説明する。
「驚いた、まったく伝承の通りだ」
長生きしてても見た事なかったのですか? とか聞きそうになったが、地雷っぽいので止めとく。
「それは貴重な体験だよ、いや、羨ましいよ」
「それじゃ、白い花を見にいきますか?」
「え……?」
「師匠の家から方角はほぼ解ってますので、逆に辿れば同じ場所にたどり着けるかもしれませんよ。まあ、同じに生える物でもないと思いますけど……」
「ふふ……」
ステラさんは白い上着を脱ぎ、自分の椅子へ掛けると、俺の座っているソファーへやって来た。
上着を脱いだ、ステラさんを見て、ハッキリ解った事がある。
ステラさんもペッタンコだった。
「君はそれが、どういう意味か知ってるのかい?」
「え? なんですか?」
「はは、君が海の向こうから来たというのは案外本当なのかもしれないな」ステラさんが徐々に近づいてくる。
俺はたまらず、ソファーのひじ掛けのほうへ逃げるが、それでもステラさんの接近は止まらない。
「リルルメルヒの花を見れるなんて奇跡に近いんだよ」
「本当にわずかな時間で消えちゃいましたから……」
「そんな花を見に行こうとか、どういう意味なのか解らないかい?」
「え? もしかして……いつ見れるか解らない花を見れるまで、一緒にいてくれとか――そういう意味だったり?」
「アハ……ご明察」
もう、ステラさんの顔が目の前だ。
「あ――それで、師匠が変な顔してたのか、納得……」
「え? ルビアにもそれを言ったのかい?」
「ええ、そんな意味だと知らなかったものですから……」
「返事は?」
「はいって言ってましたよ?」
ステラさん、我慢しきれなくなった様子で、目を瞑ってクククッと笑いだした。
「でも、私にこんな事言うようじゃ、ルビアとはなんにもないんだろ?」
「そりゃ、弟子と師匠の関係ですし」
「じゃあ、私が食べてもいいんだぁ……」
ステラさんの唇が近づいてくる。
「あ~っ、タンマタンマ!」
「言ってる意味が解らないなぁ……」
「待って下さい、ステラ様ほどの方なら、よりどりみどりじゃありませんか、なんで俺なんです?」
「城の男共は食べ飽きちゃったしぃ……」
だめだ、この人! なんとかしないと……エルフだけど。
真学師って、だめな人多くねぇ? だから、俺が逆に変わってるって言われるのかよ!
俺の心の奥にあった、高貴なエルフへの憧れは脆くも砕け散り――今途絶えた。
もう逃げるしかねぇ、俺は右手の指で、ステラさんの左脇をツン!と軽く小突いた。
「あふっ!」ステラさんがバランスを崩した瞬間に逃げようとしたが、ステラさんの唇が何か呟くと、俺の身体が固まった!
縛ったというよりは、セメントで固まった感じ。
「あれ? なんだこれ、魔法?」
「は、まったく妙な技を……」
「ちょっとずるいじゃないですか、魔法なんて卑怯ですよ」
「別に君も真学師なんだから、耐魔法でも、対魔法でも使えばいいじゃん」
「あ~っ、そんなのまだできないですよ、タンマタンマァ!」
「ふふ、意味がわからないなぁ……」
その時、バァン! という音と共にドアが開いた。
ドアから流れ込んでくる黒い触手――そして光る赤い目、アレだよアレ。目からビームで石になっちゃうやつ。
ってよく見たら、師匠だった。
「あっ! 師匠助けてください! ステラ様が暴走してて……」
ズカズカと部屋に入ってきて、ステラさんを俺の上から蹴落とすと、ステラさんは「あぎゃ!」と叫び声と共に翻筋斗打ってひっくり返った。
そして、俺の胸ぐらを掴んで何か呟いた。
すると――。
「あ、動くようになった……、師匠ありがとうござ……」
バチコ~ン!
何故か師匠の右張手が、俺の顔面を捉えた。
あれぇ?





