153話 元世界の残り香
帝都から持ってきた、パズズの資料を入れる図書館を城壁内部の部屋に設置中。
部屋の中を掃除して、本棚を設置したら、日が暮れてしまった。
残りは明日にする。
夕飯の時間になっても珍しく誰も来ないので、サクラコと2人で食事をする。
ナナミがいれば、俺達が作業している間に飯の用意を頼めるんだが――俺は意外と、ナナミに依存をしてしまっていたようだ。
食事の後、人工蛍石を壁に設置する。 光らせてみるが――確かに明るいのだが、青い光を眺めていると、なんだか不安な気持ちになる。
一緒に普通の魔石ライトも点灯させて、光の中和を試みたのだが。 青い光と、オレンジ色の光が融合して中々良い感じだ。
「ほう、明るいわぇ! 周りはすでに暗いというのに、こんなに部屋の中が明るくなるとは……」
サクラコが、照明の明かりに目を輝かせる。
「これからは、これが普通になるかもしれないぞ。 皆が夜遅くまで夜更かしするようになる。 例えば――日が暮れたら、今までは寝るしか無かったが、勉強したりとか家族との団欒等の時間も長くなるってわけだ」
「夢のようじゃの」
かなり明るいが、蛍石の光は虫を集める事が無いので、その心配もしなくて良いのが利点だな。
部屋が明るくなったので、持ってきた本を読むことにした。
小難しい学術書を読むような気分でもないので、東京の観光案内本を持ってきたのだ。
パラパラと捲ると、一緒に見ていたサクラコが反応する。
「ほう! パズズの所でも、チラリと見たが、この本に載っている絵は何処でも凄い人出じゃの」
「まぁ、首都は人だらけだよ」
「この四角い建物は石で出来ておるのかぇ?」
「石ってわけでもないんだが――コンクリートって知ってるか?」
「便槽を作ったり、下水を作ったりする時に使う、固まるドロドロかぇ?」
この世界の古代コンクリートは中々優秀だ。 量産したいのだが、作り方は職人によって秘匿されており、製法は不明だ。
「そう、それと似たような物で出来てる」
「これは、天に届きそうな建物じゃの?」
彼女が指さしたのは、高いビルだ。
「100階以上ある」
「百かぇ? 信じられぬわぇ……このような国と戦をして、勝てるはずがあるまい。 あれだけ、頭の切れるパズズが何故それを解らんのかぇ」
「まぁ、あのゴールドって奴の口車に乗せられたんだろ。 奴は交易をしたかったようだが……」
「このような凄い国が、まだ沢山あるのじゃろ? 帝国など、路上の小石みたいな物ではないかぇ。 飲み込まれるのがオチだわぇ」
次のページを捲った瞬間、サクラコの目は、美しい着物に釘付けになった。
「これは、素晴らしい単衣じゃの! この模様は刺繍かぇ?」
帝国では、この手の着物は全部単衣と呼ぶらしい。
「これは、染め物だと思うよ」
「こんな複雑な模様をどうやって染めておるのじゃ?」
「う~ん、俺は染め物は詳しくないんだけどなぁ。 例えば、溶かした蝋で模様を書いて、布を染めるだろ? そして、蝋を落とせば、それを塗っていた所が白く抜ける――とか」
「なるほどのぅ」
本を見てはしゃぐサクラコをじっと見つめる。
「妾の顔に何か付いておるのかぇ?」
「いや、あんな出来事があったのに、それほど変わらないなぁ――と思って」
出来事というのは、もちろんパズズの実験施設での話だが。
「そんな事は無いわぇ。 妾にとって、正に人生最悪の出来事じゃ。 その上、最後の最後で、其方に代わってもらってしまったではないかぇ」
「俺が、屍を乾燥して火を着けた事か?」
「そうじゃ。 妾の覚悟が足りなかった故……」
「突然の出来事だったから仕方ないさ。 考える時間も無かったしな」
「変わらないのは、其方であろう。 其方は何故、躊躇が無いのだぇ?」
「躊躇? ああ――誰かが、やらなきゃダメな事だろう? それを嫌がるように、たらい回しにしては、亡くなった彼女達が不憫じゃないか」
それに、あそこに居たのは、巫女にするための女の子だけだったが――男の子も生まれていたはずなのだ。
「そうか、そうだわぇ……」
「まぁ、終わった事だ」
「……今後、其方が躊躇するような事があれば、妾に頼るがよい。 次は、妾が剣を振り下ろす故」
「解った。 でも無理はするな。 全部俺に任せても良いんだが」
「妾を誰だと思うておる!」
「はは、解った」
その後も、サクラコと和気あいあいと、本を見ながら話していたのだが――不意に玄関の扉が開いた。
「汝等はァァァ!」
鬼の形相で突然の訪問は、白いドレスの殿下だった。
「妾を仕事漬けにして、其方等は楽しそうだの!」
殿下は、つかつかと部屋を横断すると、俺のベッドに倒れ込んだ。
「殿下、ドレスが皺になりますよ」
「黙るがよい! 誰かある!」
「はい、お呼びでございますか?」
すぐに、殿下が開けっ放しにしていた扉からメイドさんが入ってきた。 いつも思うが、この人達はずっと待機しているのだろうか?
「妾の着替え――寝間着を持て!」
「ちょっと、殿下」
「黙るがよい! 巫女殿と一緒に寝たならば、妾と寝ないのは不公平であろう!」
「いつの間に、そんな話が……」
あの時、覗かれてたか? サクラコが結界を外した後、結界掛け直したっけ……?
いや、その後――ステラさんもやってきたので、掛けてないな……。
数分で、メイドさん達が殿下の着替えを持ってきて、手際よく着付けを始めた。
殿下が勢い良く裸になるので、俺は思わず彼女の裸体に背を向ける。
メイドさん達がいなくなると、殿下が俺のベッドに横たわって、毛布をポンポンしている。
「はいはい……」
俺が、ベッドに仰向けになると、殿下が覆いかぶさって、口づけをしようとしてきたのだが――。
「殿下、ちょっと!」
サクラコが、慌てて殿下を俺から引き離そうとしてくる。
「待つが良い! 妾はそんな事までしておらぬぞぇ!」
「ふ、語るに落ちたな。 では、どんな事までしたのだ?」
彼女がジロリと睨むと、サクラコの動きが止まってしまった。
「か、身体を触っただけじゃ……」
サクラコが、巫女服の袖を掴むと、恥ずかしそうに下を向く。
「さぁ、妾にも同じことをするが良い!」
「あの、お顔が怖いんですけど……」
「さぁ!」
鬼気迫る殿下の迫力に、やむを得ず殿下の身体を触る。
だが、彼女の柔らかい肢体を弄ると、漂ってくる甘い香り――。
思わず、体を入れ替えて殿下の上に乗り、彼女の肢体を弄り倒そうとすると、俺の髪の毛が引っ張られた。
「あいだだだ! 髪はヤメテ! 禿げちゃうから!」
「妾の目の前で、そんな事は許さぬぞぇ!」
俺の下になったままの殿下が呟く。
「それから!?」
「これだけです。 本当に……」
「真じゃな?」
「はい……」
それを聞いた殿下が、再び俺の上に乗ると、その胸に頬を埋める。
「そうか、今日は其方の身体がベッドだ。 う~ん、結構広いのぉ……」
殿下が、俺の身体を弄ってくるのだが――。
「それならば、妾も一緒に寝る!」
サクラコが巫女服を脱ぎ始めた。
「巫女殿は、この前ショウと寝たではないか!」
「前は前で、今は今じゃ!」
「待て待て、このベッドで3人は無理だっての」
「成せばなるわぇ!」
いやいや、ならないから。
それから、くんずほぐれつで、ベッドで3人――なんとか寝付いたのだが、真夜中にベッドから蹴落とされて、目が覚めた……。
何事かと、暗闇で腰をさすっていると――さらに俺の腹の上に襦袢のサクラコが落下してきた。
そう、今日初めて知ったのだが、殿下は非常に寝相が悪かったのだ。
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――次の日朝。
ベッドから転げ落とされて、床の上で寝ていた俺とサクラコを見て――朝から、殿下が叫び声を上げている。
「何故、其方等だけ床の上で一緒に寝ておるのだ!」
「お早うございます……何故って、殿下に蹴落とされたんですよ」
「その通りじゃ……」
毛布に包まったサクラコが寝起きの目をこすっている。
床に転げ落ちた後、サクラコだけ自分の部屋へ戻って寝ろ――と言ったのだが、ガンとして言う事を聞かない。
しょうがないので、予備の毛布を引っ張りだして、そのまま一緒に床で寝てしまったのだ。
「ライラ殿。 女子として、その寝相はどうなのかぇ……」
「確かに……枕と反対側へ頭があったりした事はあったが――其方達、あ、朝から、つまらぬ冗談は止めるがよい……」
殿下の話を聞くと、寝相の悪さを自覚していなかったみたいだな。
「本当でございますよ」
「うむ……毎夜、蹴落とされたのでは、ライラ殿の寝床に忍び込む殿方も不憫じゃな……」
サクラコは目を閉じると、胡座をかいている俺の膝の上に、頭を乗せてきた。 寝起きでボサボサの黒髪を撫ででやるが――まだ、眠たいようだ。
3人で微妙な雰囲気のまま固まっていると――玄関の扉が開く。
「ショウ、お早う……」
顔を覗かせたのは師匠だ。
「師匠、お早うございます。 今、起きたばかりなので、何も出来てませんよ」
だが、俺達を見た師匠は、顔を引き攣らせて玄関からフェードアウトした。
あ……。
仕方ない、朝飯を作るか。
マリアが買ってくれたミルクもあるし、卵もある……蜂蜜のストックも残っていたので、パンケーキにするか。
半ば放心状態の殿下にパンケーキを食べさせていると、メイドさん達が集まってきて、着付けを始めた。
そして、食いかけのパンケーキと共に、そのまま殿下を連れていってしまった。
ああ、こりゃ殿下は、今日も忙しそうだ。
だが、こちらも忙しい。
懸案の図書館を設置しなければならない。
サクラコが暇で、手伝っても良いと言うので、連れて行く事に。
俺とサクラコ、そしてサエッタとファラで、木箱に詰められている本やスクロール、黒板などを本棚に並べていく。
蔵書は殆ど、ファラが管理していたので、作業はファラの指示に従う事になった。
次々と、廊下にある木箱が開けられて、中に詰まっていた物を本棚に突っ込んでいく。
「あ、それは、別の書籍と一緒にしたいので、一時保留しておいてください。 そっちの本は、あそこの棚に――」
やれ、忙しい。
本ってのは結構重いからな、腰に来るぜ。 こんなのに、一々重量軽減の魔法とか使ってられないし。
「其方達の師匠はどうしたのじゃ、手伝わんのかぇ?」
本を棚に詰め込みながら、サクラコが不満気な表情だ。
「こういうのは弟子の仕事なんだよ」
「其方も、真学師じゃろ? 弟子は取らぬのかぇ?」
「ナナミが居たからなぁ……今のところ弟子に興味はないな」
「つくづく変わった男じゃの」
世間話をしながら、本を並べていると、いつの間にか師匠達が集まってきた。 ステラさん、そしてファルゴーレまで一緒だ。
「ファルゴーレも、やはりパズズの資料が気になるのか?」
「そりゃ、そうですよ。 真学師ですからねぇ。 こんな機会は滅多にないですし……」
サクラコが、ファラに目を向けた。
「やれやれじゃの。 其方も、あのような事をやらかしたのに、反省している風でもなし」
「私ですか? う~ん……反省も後悔もありませんねぇ。 人の道を踏み外したという意識はあるんですよ。 でも、これをやると、どうなるんだろう? ――という、好奇心の方が勝ってしまって……。 その事で、エルフ様には嫌われても仕方ないと思ってますし、それなりの覚悟も出来ていますよ」
「ふん!」
「そんなステラさんでも、ここに来ているってことは、外道に堕ちたパズズが何をやっていたのか興味津々なわけですよ」
「当たり前でしょぉ。 ファルゴーレじゃないけど、こんな機会は滅多にないんだし」
ステラさんは、俺の指摘が気に入らないのか、乱暴に本のページをペラペラと捲っている。
ファラをファーレーンに連れてくる決定を下したのは殿下だ。 彼女の手前、無茶はしないと思うのだが、酒が入った時とかが危険だな――注意せねば。
「ほんにのう、真学師という者は度し難いのぉ……」
「何を言ってるんだよ。 帝国の皇族だって、良からぬ事を何千年もやって来たじゃないか」
「うぐ……」
ステラさんのツッコミに、サクラコは黙ってしまった。
まぁ、巫女の力を維持するために、自分達の複製を代々造ってきたんだからな。
「結局、同じ穴のムジナ……じゃないな。 何て言うんだろ?」
「ムジナと申すのは、動物なのかぇ?」
「ああ。 悪い奴は、同じ所に集まるみたいな意味なんだが」
「それでは、『飛んでいるドラゴンの鱗』 じゃろうな」
なるほどな、意味的には確かに似ているな。
「そう、我々は、飛んでいるドラゴンの鱗なのですよ。 要は、一線を越えたか、越えなかったかですよねぇ」
ファルゴーレは、読んでいた本を水平に翳し、飛んでいるドラゴンを模倣しだす。
「でも、越えてしまったパズズが何をやっていたか、皆が知りたいわけだよ。 全く因果な仕事なわけ。 サクラコ、俺から離れるなら今の内だぞ?」
「ふ、何を今更。 妾は既に其方の半身、地獄でも何処でも好きな所へ連れて行くが良いわぇ」
何の因果か、真学師という職業についてしまったが――最初は、飯が食えれば良いぐらいな、軽い気持ちだった。
だが、元々真学師のような職業に対する素質があったのだろう。 物を造ったり、興味を持った事に対する調べ事も大好きだったし。
家の家電や機械の構造を知りたくて、分解しまくった事もある。 戻せなくなって、親父に怒られたりしたが、親父もそういう経験があったようなので、あまり強くは怒られなかったが……。
朝の事で、不機嫌そうに俺達の会話を黙って聞いている師匠だが、彼女もパズズのやった事を詳しく知りたいから、ここに来ているのだ。
部屋には、壁に大きな黒板がセットされて、持ちだした本と、持ちだした者の氏名を書くようにして、書物の管理をする事になった。
まぁ、ここに来るのは、お城の真学師関係だけなのだから、誰が持っているのかは、すぐに解るのだが――だと言って、無秩序になってしまうのも困る。
どうしても本が欲しければ、写本という手もあるわけだし。
この世界には、写本屋という専門の職業がある。 装丁も書式も自在に変えられるし、本家より立派な本にすることも可能。
要は、金次第ってやつだ。
ただ、内容が秘匿情報に関わる本は、ちょっと無理かもしれないな。
部屋自体の管理はどうなるのか?
部屋には鍵が掛けられて、真学師にしか鍵は渡されていない。 使い終わったら鍵を掛ける。
皆の共有スペースだ。
2つの部屋に本を詰め終わり、細かい配置の修正はファラが行うという。
廊下に並んでいた木箱には、彼女の荷物も入っていたようだ。
「はぁ、やっと私の荷物を取り出せた。 ずっと、着の身着のままでしたから」
彼女の部屋は、同じ廊下沿いにあるちょっと離れた部屋だ。 すでに、掃除は済んでおり、荷物は自分で搬入するという。
まぁ、人に見られたくない物もあるだろう。
「しかし、こんな真っ暗な所で大丈夫か? もう少しいい部屋もあるんだぞ?」
「確かに、廊下は暗いですけど、窓はありますし……頂いた魔石ライトもありますので。 それに、本に近い方が落ち着きます」
本当に本が好きなんだな。
「窓は、水晶ガラスで塞いでやるから、少し時間をくれ」
「承知いたしました」
残りの木箱の中身は、元世界からやって来た日本語の本だ。
これ等は、全部俺のところへ来て、チマチマと翻訳する予定。
冊数を数えたが、200ちょいだな。 この世界で200冊っていうと、一財産になる金額だが……元世界なら、こ○亀やゴ○ゴ13を揃えただけで終了だ。
木箱に重量軽減の魔法を使い、真っ暗な階段まで運ぶが、足下が全然見えないので、魔石ライトで照らしながら作業をする。
階段は、木箱を滑らせて降ろせば良い。
そして、1階に着いたら、木箱を猫車に載せて俺の工房へ運んだ。
とりあえず、入れる場所が無いので、蒸留器を置いている部屋に置くことにする。
ゴールドの部屋から持ってきたスマホや、ノートPCも俺の所にある。
もう、電池が無いので使えないけどな。 帝都からガソリン発電機も持ってきたので、分解してエンジンのクランク軸に、水車か蒸気エンジンを直結してみようかと思っている。
ただ、どのぐらいの回転数で回せば良いのか? ――とかが、全く解らんからなぁ。 そこら辺は、手探りでやるしかない。
せめて、テスターがあれば、出力される電圧を見れば良いのだが……。
そして、パズズの所から持ってきた、白い顕微鏡だが――。
図書館に机を置いて、そこを共同観察スペースとする事で、皆が妥協した。
狭いようであれば、他の部屋を共同実験室にして、そこに移せば良いだろう。 皆が欲しがるが、顕微鏡は一台しかないからな。
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後日、オニャンコポンのニニの所から、預けた俺の金を回収した。
ついでに、青騎士を捕まえた獣人達を探してもらい、金貨の報酬を払ってやる。
彼等は大喜びだったが、すぐに使ってしまうんだろうなぁ……。
お城に帰ると――工作師の皆さんが顕微鏡を見たがっているという話を聞いたので――部屋に案内して、それの説明をした。
図書館の一角に設置された顕微鏡の下へやって来たのは、工作師の面々。
親方のラジルさんと、弟子のラルク。 そして、数人の高弟だ。
ラルクはメキメキと力をつけ、すでにラジルさんの右腕として、その手腕を発揮している。
観察ルームには、サンプルが幾つも置かれていて、すでに利用されているらしい。
植物系の物は師匠。 そして、鉱物系の標本はステラさんだ。
「これが、顕微鏡。 小さな物を拡大して見る装置だ」
「へぇ……こいつは、恐ろしく精密な機械ですな……」
ラジルさんが目を皿のようにして隅々まで観察、持ってきた紙に図を描き、詳細なメモをしている。 機材を構成する定規で引いた線の如く、きっちりと出た平面――そして、寸分違わず噛み合う部品達、これだけでも、この世界では再現が難しい。
「下に、対象物を置いて、このノブを回して、よく見えるように調節するわけだ。 ちょっと、見てみるか?」
工作師達が交代で双眼装置を覗きこむ。
「ショウ様、覗きこむ所が2箇所あるのは?」
ラルクの目が輝く。
「人間の目と一緒だよ。 片目だと奥行きがよく解らないが、両目だと把握できる。 俺の作った望遠鏡があるだろ? あれも双眼にすれば、立体的に見えるぞ」
「それは、作ってみたいですね!」
だが、レンズの加工が難しい。 俺の作った望遠鏡も、ナナミが加工してくれた物だったからな。
「真学師様、ここに映っているトゲトゲは何ですか?」
「それは、花の花粉だよ。 花の花粉は、種類によってそれぞれ固有の形をしている。 花粉を見れば、花の種類も解るってわけだ」
「中々面白い事を考えますね」
不意に後ろから声がして振り向くと、師匠だ。
「どうぞ、師匠」
師匠に顕微鏡の椅子を譲る。
「大体の構造は解ったか? 要は、望遠鏡と似たような仕組みなんだが」
「真ん中が出っ張った形に水晶ガラスを研磨して、それを何枚も組み合わせている……」
ラジルさんが、顕微鏡の仕組みを推察する。
「ご明察です。 これは、望遠鏡より遥かに精密な加工が必要になりますけど」
「こんなの俺達にゃ、逆立ちしたって作れっこねぇ」
「でも、少しずつでも前に進まないと、永久にたどり着きませんからね。 これを作った異世界でも、150年程昔は、ファーレーンと似たような技術水準だったんですよ」
「たった150年で……」
たったと言うべきなのか、150年も掛かったと言うべきなのか。 例えば、エルフから見れば、矢が飛ぶように一瞬だ。
師匠が顕微鏡を使い始めてしまったので、別の物を見せる事にした。
「これは、字を書くペンだけど、見てみるか?」
俺はポケットから、シャーペンとボールペンを取り出して、工作師達に見せた。
「これはまた、恐ろしく精密なペンですな」
ラジルさんが、シャーペンを手に取って、マジマジと見ている。
ここにも、帝都から持ってきたコピー用紙が置いてあるので、一枚取って字を書いてみせる。
「こんなに細かい文字が書けるんですね。 これ、ショウ様が作った鉛筆と同じ理ですよね」
「これは鉛筆のように削る必要がないんだけど――でもまぁ、羽根ペンで済んじゃうし、あまり必要ないかなぁ?」
ボールペンの方も試し書きしてみた。 インクが乾いているらしく、何回かガリガリと紙を擦る。
「ショウ様! それは、どこからインクが出てるんですか? 魔法ですか?」
「違うよラルク、インクはこの筒の中に入ってるんだ」
その話を聞いていた師匠が、俺のボールペンを受け取ると、紙に試し書きをしている。
「ショウ、私もこれが欲しいのですが……」
「ええ? これを作るのは非常に困難なんです。 ペンの先に、目に見えないような小さい球が入っていて、筒に入っているインクを制御しているという」
「球?」
皆がピンと来ないようなので、顕微鏡を使って、ボールペンの先を拡大して見せる。
「先が丸くなっているだろ? これがくるくると転がって、どの方向でもインクが出るんだよ」
「凄い! ――けど、こんな小さな球をどうやって作るのでしょう?」
「それは、俺も知らないなぁ。 このボールペンは無理でも、羽根ペンに自動でインクが流れてくるような仕組みを考えれば、インク壺が要らない物が出来るかもな」
「それは、面白そうですね! 僕が、試作してみますよ!」
以前、俺も万年筆モドキを作ったが、失敗して、そのまま放置していた。
「俺が以前、似たような物を作って失敗した試作品もあるから、それを提供するよ。 完成したら、俺も欲しいし。 師匠も欲しいですよね」
師匠も顕微鏡を覗きながら、手を挙げている。
話は、顕微鏡から工作師の仕事の話に移った。
「ラジルさん、工作師は戦勝祝賀会の舞台造りもやってるんですか?」
「それだけじゃありませんぜ。 半年後には、殿下の戴冠式と、侯爵様のご成婚があるじゃありませんか」
ああ、あるなぁ。 むしろ、そっちがメインイベントだ。
初めて会った時は15歳で、胸もペッタンコだったが――背は俺と変わらない程に伸び、胸も膨らんだ殿下は、既に18歳。
面影は、王宮の壁に飾ってある、殿下の御母堂様にそっくりになりつつあるが、性格や金にうるさいところは、前国王譲りらしい。
18歳になれば、正式に戴冠して、国王陛下になられる。
殿下から聞いた話では、諸外国から要人を何回も呼ぶのは大変だろうと、戴冠式と侯爵様の婚礼の儀を、中日を挟んで連日でやるようだ。
殿下の戴冠式も重要だが、候爵領は飛ぶ鳥を落とすほどの勢いで力をつけている新進気鋭。
繋がりを持ちたい王侯貴族が山程おり――近隣諸国だけではなく、帝国の遙か向こうからやってくる国もある。
だが、その道程は遠く、馬車でファーレーンまでやって来るだけで数週間は掛かり、各国の負担も大きくなる。 可能なら、大きなイベントは纏めてやったほうが得策だろう。
「こりゃ、また大騒ぎになるなぁ」
「住民でも、今から準備している奴がいるぐらいですぜ」
ラジルさんが街の様子を教えてくれた。
「ははは、ここの奴らは本当に祭り好きだからな」
だが、結婚式と言えば、ファンファーレをメンデルスゾーンの真夏の夜の夢にしたいな。
鼓笛隊に相談したら、演奏してくれるだろうか?
う~ん。
工作師への説明は終わったので、大舞台に向けて練習の真っ最中――鼓笛隊を訪ねてみた。
鼓笛隊の皆さんは、本番とは違い地味な作業服のような服を来ていて、練習に励んでいる。
事情を説明して、真夏の夜の夢――所謂、結婚行進曲をアカペラで歌って聞かせて、意見を求めてみる。
この世界にも簡単な楽譜はあるので、楽譜を起こした後、更に俺がアカペラで追加のパートを入れる――。
これを繰り返して、1週間程で結婚行進曲っぽい曲が出来た。
大規模なオーケストラ等は無いので迫力には欠けるが、従来のファンファーレよりは盛り上がって良いのでは?
「真学師様。 この曲を、婚礼の儀の序盤――入場の際に演奏すれば、こりゃ盛り上がりますよ。 各国要人の度肝を抜くでしょうな」
鼓笛隊の皆さんの反応も上々、気に入ってくれたようだ。
そりゃ、元世界でも、定番中の定番だからな。 この世界でも受けるに違いないと思う。
練習だが、本番に近いラッパの音で結婚行進曲が城内に響くと、殿下がメイドさんを引きずりながら飛んできた。
「なんだ、この音楽は!」
やって来た殿下だが、場違いな俺の姿を見つけると、驚嘆の声を上げた。 かなり意外だったのだろう。
「ショウ?! 何故、其方がおる!」
「ミルーナの婚礼の儀に演奏する曲を作っていたんですよ」
それを聞いた殿下が大声を上げ勢い良く、俺に迫ってきた。
「なんだと! 其方の主は誰なのだ! 何故、ミルーナの儀を優先する! 妾の戴冠式が最優先事項だろうが!」
「そ、その通りでございます」
「ならば、妾の戴冠式にも、新しい音楽を用意するがよい!」
「ええ? 私は音楽家じゃないんですけどねぇ」
「それでは、ミルーナの為の音楽は、何 な の だ!」
殿下が俺の胸ぐらを掴んで、前後に揺する。
「解りました! 何か音楽を考えますので」
「うむ、しかと申し付けたぞ! そもそも、其方は――」
殿下は、お小言を垂れ流しならメイドさん達に引きずられ、執務室にお戻りになられた。
戴冠式と婚礼の儀の連日でやる予定なのだが――どうやら、候爵様とミルーナの婚礼の方が注目されているようで、殿下はそれを凄く気になさっているようなのだ。
しかし、新しい音楽と言ってもなぁ、何にしようか。
結婚行進曲に対抗して、やっぱり行進曲かな? ――と言っても、まさか軍艦マーチを流すわけにはいかないしなぁ……。
ファンファーレだけなら、ウィリアムテルとかも良いのだけど。
悩んだ挙句――ウルトラセ○ンのウル○ラ警備隊マーチにすることにした。
鼓笛隊の皆さんの反応も良かったので、ちょっと楽しみだ。