118話 純血の巫女
「お~い、もう少し右だぁ! よ~し、そのまま真っ直ぐぅ~!」
お城の正門を見上げた場所に、ドラゴンの頭蓋骨が設置されようとしているが、タダの白い骨では面白みに欠けるというのか、金箔で模様が書かれ、装飾された。
正門の上には簡易の木製のクレーンが設置されて、その作業に投入されているのだが、実のところ、設置はもう少し後になるはずだった。
だが、帝国の巫女がやって来るという話が進んでいるので、殿下の鶴の一声で、急遽設置の運びと相成った。
殿下は、巫女にこのドラゴンの頭蓋を見せて、ドヤァ――をしたいのであろうと、重量軽減の魔法で作業を補佐しながら、俺は思う。
しかし、帝国は巫女を人質に出すよりは、領地をもっと切り売りしたり、彼等の所有しているという巨大な蛍石を売る方が先だと思うのだが……。
そんな俺の心のモヤモヤをよそに、帝国との借款の話が矢継ぎ早に進んでいる。
その金額――金貨にして2万5千枚(50億円相当)。
どうやら、帝国は急いでいるようだ。 何か問題を抱えているのか? それとも、余程退っ引きならない状態になっているのか?
今回の件には全く関わっていないので、何がどうなっているのか、さっぱりと解らん。
前に話があった通りに、今回の取引にはファルゴーレが同行するようだ。
そして、ダークエルフの長老の1人――リンリン。
そしてもう1人、フェイフェイ。
フェイフェイの話だと、リンリンの腕は確かだと言う。 さすが、ダークエルフの長老、歴戦の勇士といったところか。
計画によれば、馬車3台に金貨を積んで、騎士団で護送。
そして、真学師ファルゴーレと、ダークエルフ達。 斥候と、脇固めはニニ達、獣人が行う。
帝国とファーレーンの国境まで護送して、そこで人質の帝国の巫女と引き換え、そのまま戻ってくる。
ファーレーンの騎士団は巫女を護送して、帝国の騎士団は金貨を護送して引き返す。
こうなる予定だ。
丁度、護送計画の打ち合わせに、ファルゴーレがお城にやって来ていたので、話を聞いてみる事にした。
彼にピコを淹れて、話を切り出す。
「ファルゴーレ、今回の話、どう思う?」
「どう? と言われると?」
「帝国の象徴ともいえる、純血の巫女を人質に出すなんてあり得ると思うか?」
「帝国は、本当に切羽詰まっていますからねぇ。 なりふり構まっていられないのでしょう」
「元帝国人から見てもあり得る話だと?」
「そうですね。 国が破滅すれば、巫女だの何だのとも言っていられなくなりますからねぇ。 皇室の維持にも膨大な予算が掛けられていますし」
ファルゴーレは、コーヒーを一口飲んだ。
「そうか……そういう問題もあるか。 巫女をファーレーンに押し付ければ、その分の金が浮く。 でもなぁ……それこそ、貴族共の予算を削って、皇室に回せば、済むことだろ?」
「それだけ、忠誠心に溢れる貴族がいないという事ですよ。 それに、皇室で率先して身を切れば、貴族たちにも倹約令を命令し易いでしょ」
「そうかなぁ。 領地を切り売りしたり、フローライトを売ったほうが良いのでは?」
「そんなのは、貴族達が許しませんよ。 下手をすると、離反しかねません。 貴方が素晴らしい言葉を仰っていたじゃありませんか。 金の切れ目が縁の切れ目と……」
それを聞いた俺は苦笑いを隠せないのだが、どうも、俺の考えてる皇室と帝国貴族像に認識のズレがあるのかもしれないな……。
「本当に、忠誠心の欠片も無いんだなぁ。 帝国が持ってる天領はどうだ?」
「生憎、ファーレーンの近場に天領はありません。 いきなり、遥か彼方の土地を貰っても、処理に困るだけでしょう?」
今景気が良いのはファーレーンなので、どうしても交渉相手がファーレーンになってしまうらしい。
小国では、帝国の土地を買ったり出来ないからな。
「それもそうだな。 帝国の向こう側の飛び地とか貰ってもどうしようもない」
話は、巫女の話題に移った。
「ファルゴーレは巫女に会ったことがあるのか?」
「ありますよ。 え~と、今年で14でしたかねぇ。 お会いした時は、ヒトエと呼ばれる白い正装を着ておいででした」
ヒトエか……日本にもそういう着物があったよなぁ。 平安時代だっけ十二単衣とかいうのを習った記憶がある。
紫式部とか清少納言の時代だよなぁ。
「その歳じゃ、お前の視野には入らんのだろ?」
「入りませんねぇ。 やはり、女性というのは豊かじゃないと」
ということは、巫女様はペッタンコというわけだ。 実に、解りやすい。
「ありがとう、とても参考になったよ。 情報の対価で、前にちょっと話した事を、証明してやるよ」
倉庫から、以前作った実験機材を引っ張りだすと、ファルゴーレの前で実演してみせる。
真空にした容器の中に黒鉛を入れて、二重圧縮の魔法で高い圧力を掛ける。
すると、そこに残るのは――煌めく透明な石の欠片。
「小さくて、良い使い道が無いけどな」
ファルゴーレが、目の前に突如出現した光を反射して輝く透明な物体に――作業台にかぶりつき、目を見開いてワナワナと震えている。
「こ、これは――もしかして、金剛石ですか?!」
「その通り」
「ふ、不可能と言われた錬金術が、今、目の前で……」
「言っておくが、作れるのは小さい金剛石だけで、金は作れんぞ」
「一体どうやって?!」
「以前、ちょっと話したろう、石炭と金剛石が同じ物だと。 両方、構造がちょっと違うだけで、同じ原料から出来ているんだよ。 炭に高い温度と圧力と掛けると、変化して金剛石になるんだ」
今の実験で二重圧縮を使ったが、例えばファルゴーレが圧縮を掛けて、それに俺が圧縮を掛ければ簡単に二重圧縮が出来るのではないだろうか?
皆で、圧縮の魔法を使えば、3重4重5重とあっという間に、臨界プラズマに。
――そう思うのだが、そうは簡単にいかない。
人の魔法に魔法を重ねると、魔法フィールドの干渉が起こって、打ち消されたり、暴走したりするのだ。
魔法の防御に使う対魔法などは、この現象の応用だと言われている。
俺は使えないので、イマイチ解らないのだが――だいたい俺の使っている防御壁は拾い物の腕輪を使ったインチキだし。
実は、これを知ったのはつい最近。
ドラゴンの躯を皆で重量軽減の魔法を使って動かそうとしている時だ。
ふと思いついて、魔法を重ねたら、もっと軽くなるんじゃないですかね?
そんな俺の言葉に、皆が怪訝な顔。
まさか俺が、そんな魔法の初歩の初歩を知らないなんて、思わなかったらしい。
デカいドラゴンの死骸に、皆で魔法を重ならないように、重量軽減の魔法を掛けていたのだ。
だって、ウチの師匠。 何にも教えてくれないんだもの!
――と、叫びたかったです。
話がズレた。
「信じられません……」
俺が合成した金剛石に見入るファルゴーレ。
「まぁ、ステラさんも、この理を聞いた時には、かなり衝撃を受けていたようだよ」
俺は、ダイヤモンドを皿の上に乗せると、魔法で火を付けた。
「ああ、燃える――金剛石が燃える……」
「炭だからな。 火をつければ燃える。 それが真理だ」
ファルゴーレはちょっとショックを受けたようで呆然としている。
だが、すぐに立ち直ると――。
「もっと、教えてください! 真理を!」
「まぁ、落ち着け我が心の友よ。 真理は逃げはしないぜ」
欲しがる奴に与えるのは容易い。 そして、その対価を引き出す事が出来る。
師匠やステラさんは欲しがらないので、その交渉が出来ないのだ。
「興味ありません」 「やだ」
そう言われたら、それっきりである。
ステラさんはまだ興味を示す事もあるのだが、師匠は全くと言って良いほど、俺の話には耳を傾けない。
俺の話が、禁忌を多分に含んでいるので、警戒しているのであろう。
それでも、ある種のカビが作る成長阻害物質等には興味を示しているのだが……。
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騎士団が金貨を馬車に積んで、巫女を迎えに行ってから早1週間近く。
帝国との国境まで約200km、蒸気自動車なら1日で着ける距離だが、馬や馬車ではそうはいかない。
軽く、3~4日はかかる。 早駆けしては馬が潰れてしまうし、馬車も壊れてしまう。
何と言っても、こちらには急ぐ理由が無いのだ。
とは言え、そろそろ戻ってきてもいい頃なのだが……。
そんな事を考えながら、皆を待っていると、先行隊のニニが戻ってきた。
城下町に近づけば、襲撃される可能性は皆無なのだから、もう獣人達の仕事は無い。
だが、戻ってきたニニが、妙な事を言い出した――。
「真学師様、あの帝国の巫女って女の馬車から、死臭がするんですがねぇ」
「死臭だって?」
いきなり、物騒な話が飛び出した。
人間の身体が死ぬ時は、即死を除き、いきなりは死なない。
まず、四肢への血流が滞り、腎臓や肝臓が止まる。
クソも小便も出なくなると、身体に毒素が溜まって、多臓器不全になり徐々に身体が死んでいく。
心臓や脳みそは、最後の最後まで動いているのだ。
そして、身体が死に始めると、独特の臭いを発する。
病院で、患者の死を看取る猫の話があったりするが、その臭いを嗅ぎつけていると思われる。
当然、鼻が良い獣人達もその臭いに敏感だ。
臭いを嗅ぐだけで、死期が判ると言う。
その獣人のニニが、死臭がすると言うのである。
もう、嫌な予感しかしねぇ。
ニニと2人で話ながら待っていると、ファルゴーレとダークエルフ達も帰ってきた。
戻ってきた彼の話では、乗っているのは巫女で間違いないと言う。
金貨との引き渡しの際には、馬車から白い装束をなびかせて、帝国の兵士達に最後の別れと、祝福を与えたと言う。
帝国の兵士の中には涙を流していた者もいたらしい。
RPG等で、祝福の魔法というのは定番だが、この世界でもその手の魔法が実際にあるのかは、不明だ。
師匠やステラさんが、そういう魔法を使ったのを見たこともないしな。
ファルゴーレとダークエルフ達から道中の話を聞いていると、最後に騎士団と巫女が乗った馬車が正門から入ってきた。
だが、先頭を率いている騎士団長の顔が、いまいち冴えない。 やはり、何かあったのだろうか?
やって来た帝国の馬車はエンジ色の地味な馬車だ。 帝国貴族の馬車はキンキラキンの下品なやつが多いが、やって来たのはごく普通の馬車。
帝国の象徴とやらが乗っているにしては、あまりに地味。
それよりも、奇妙なのは――従者が全員、獣人なのだ。 人の従者は全く見当たらない。
帝国では、被差別カーストに分類されている獣人が、帝国の重鎮の護衛とは、あまりに不自然だ。
帝国貴族などは、獣人達と一緒にいるのですら、嫌がる奴もいるというのに……。
帝国の巫女が、到着したという事で、殿下も正装で出迎にお見えになった。
殿下の後ろには、護衛の任についている師匠、そしてニムがいる。
緩い階段に赤い絨毯が敷かれた、お城の正面玄関に、巫女が乗っている馬車が横付けされるが、殿下も、従者が全員獣人という事に、腑に落ちない表情を浮かべている。
エンジ色の馬車の扉が開き、降り立つ白い人影。
黒髪のショートボブに白い着物姿。
だが、黒髪はパサつき、輝く天使の輪も無い。
この世界で最高の上物だと思われる白い着物は、元世界でお馴染みの巫女服とも違う。 巫女服だと朱が入っているが、全身白い。
白い帯は手前で結ばれ、袴も履いておらず、丈が短い着物からは、白いストッキングらしき物を履いた脚が覗いている。
ちょっと着物とは言えないかも……だって、異世界だしなぁ。
だが、普通に一般人が着ている服装からすれば、かなり東洋寄りの服飾と言える。
懐かしいと言えば、懐かしい。 ちょっとコスプレ風な感じはあるのだが。
様子を見守っていた騎士団が、巫女の姿を見るやいなや、ざわつき始めた。
その喧騒の中、あらためて、じっと佇む巫女という少女を見る。
ファルゴーレは14歳だと言っていたな。 思い浮かぶ言葉は――白い。 印象は、それだ。
顔も袖口から見える細い手も、血の気が無く、真っ白と言える。
まるで、死人のような――。
その白い顔に、俺の脳みそが、またフラッシュバックを起こした。
高校を卒業して、上京する前、しばらく田舎の実家に居たのだが――十年来音信不通だった、叔父が突然訪ねてきた。
一体どうしたんだ、と親父が尋ねると――1週間後に、心臓の手術をすると言う。
そう明るく言い放った、叔父の顔の第一印象は――白い。
真っ白な顔で、屈託の無い笑いを浮かべてニコニコしている。
この叔父、商売で失敗して夜逃げ、いわゆる蒸発をしていたのだ。
だが、病気の手術を控えて、迷惑掛けた人や、親類に会っておきたくなって、わざわざ訪ねてきたと言う。
その日から3日程、親父と一緒に海釣りや渓流釣りを楽しみ、親類縁者と語らい帰っていった。
そして1週間後、手術中に帰らぬ人に。
おそらく、叔父は自分の死を察知していたのだろう。
あの白い顔と笑い顔が目にこびりついて、今も俺の頭から離れない。
あれは、死を覚悟した人の顔だったのだ。
そう! 目の前にいる、巫女という少女の顔が、それだ。
時間が止まったような静寂にしばし包まれたが、階段を登ろうと踏み出した際に、巫女がよろけそうになったのを見て、俺が駆け寄る。
巫女の身体を支えるが、軽――。
そして、あらためて顔をみて気づく、血の気のない顔とコケた頬。
彼女は、袖口からハンカチを出すと、口に当て、咳をし始めた。
そして、紅く染まる白いハンカチ――。
「労咳?」
「そうじゃ……ゴホッ! 其方も感染るぞえ」
「私は、一度この病気に罹患して、治ってますので、心配ご無用です」
「生還者であったか……」
まあ、これは嘘だ。 結核の予防接種をしただけだからな。
だが、元世界の予防接種が、この世界の結核に役に立つのかも一切不明だ。
俺のサポートをするため、ニムが駆け寄ってくるのと入れ違いに、騎士団が後退る。
皆、結核が伝染る病気だと知っているからな。 いくら、屈強の騎士でも病からは逃げられない。
だが、その騒ぎの中――俺達の後ろで停まっていた馬車から、巫女の荷物が降ろされると、一礼した獣人達が乗り込んで帰路についてしまった。
「おい、ちょっと待て……」
呼びかけにも答えず、振り返りもしない――ただその場から離れる事だけが目的と言わんばかりの馬車が小さくなった。
突然、予想外の出来事が起こると、対処出来ないというのは本当だな。 こりゃ、どうすりゃ良いんだ?
だが、従者に獣人しかいなかった理由は解った。 この世界の労咳は、獣人には感染しないからな。
うずくまり膝をつく巫女に、やっと事態を把握したファルゴーレが駆け寄ってきた。
「待ってください! そんな巫女様がご病気なんて!」
彼の言う事も解る。 帝国の象徴である巫女は、病気になれば最高の治療だって受けられるはずだからな。
こんな状態になるまで、手が打てないって事は通常ありえないのだが……。
「ふ、ファルゴーレか。 其方、顔を見かけんと思うたら、こんな所にいたとはな。 本に真学師というのは、節操がないの」
「しかし……国境で見た際には……」
「化粧でもしていたんだろう」
俺の呟きに、巫女がニヤリと笑ったような気がした。
「そ、そんな……」
ファルゴーレは信じられない光景を見ているという顔をしている。
「ファルゴーレ、病気が感染るぞ。 ニニ!」
今にも倒れそうな、巫女を支えながら、手を挙げるとニニを呼びつけた。
「ニニ、悪いが、口の堅い獣人の女を20人ぐらい、お城へ寄越してくれ。 黙って仕事をすれば、礼はたんまり払うからと」
「解りましたよ。 でも、真学師様、その女は……」
「解っている。 頼むよ」
ニニを獣人街に走らせると、殿下が階段を降りてきた。
その後ろには師匠が居て、おそらく治癒の魔法を使っているのだろう――魔法で、一時的に抵抗力を増せば、感染を防ぐことが可能だ。
腕を組み、降りてきた殿下の顔は引きつり――今にも爆発しそう。
俺自身、こんなに怒っている殿下は初めて見た。
「巫女殿。 せっかくの帝国からの客人故、盛大な宴を用意しておったのだが、ちょっと無理そうだのう」
ワナワナと声が震える殿下だが、国のトップという責務から平然を振る舞おうとしている。
「せっかくの催し申し訳ないが、旅の疲れが出たようじゃ」
おそらく、死の淵にいるという巫女だが、その眼光は尖い。
「ショウ! この件、全て其方に任せる!」
「承知いたしました」
そう言い放った殿下は、ドスドスと荒い足音を立てながら、お城の奥へ消えていった。
取っ組み合いでもするんじゃないかと、冷や汗をかいていたのだが、大騒ぎにならなくて良かった……。
しかし、任されたはいいけど、こりゃどうすりゃ良いんだよ。
とりあえず、どこかへ寝かせないと……来賓室は――ダメだ。
お城へ入れたら、感染者が増えるかもしれない。
と、いうことは――俺の工房の隣にある、離か。
巫女に重量軽減の魔法を掛けると、担ぎ上げる。 お姫様抱っこだ。
しかし、軽い! 魔法も必要ないぐらいに軽い。
「離しおれ! この無礼者!」
激昂してジタバタしたのだが、その拍子に激しく咳き込んでしまう。
手足の動きにも全く力が無い。
そういえば、元世界のバイト先の社長が、結核病棟からの生還者で、色々と聞かせてもらったのを思い出した。
学生運動が激しかりし頃、大学生で結核にかかり、突然の吐血から死の淵を彷徨ったという。
その社長が言うには、体力がゼロになると言っていたな。
肺がやられるので、何も出来なくなるそうだ。 もう、階段すら登れなくなると……。
「自力で歩けないぐらい衰弱しているじゃないですか。 黙って、されるがままにしてください」
「ゴホッ……ショウと申したな。 其方が、ファーレーンの悪魔か」
苦しそうに咳き込む、巫女。
「そうですよ。 お見知り置きを、純血の巫女様」
「カミヨ・サクラコじゃ」
そう短く言うと、担ぎ上げた彼女は、そっぽを向いてしまった。
「ニム、メイドさん達を集めて、巫女様の荷物を俺の工房の離れに運んでくれ」
「解ったにゃ!」
「それじゃ、サクラコ様。 しばしのご辛抱を」
サクラコという――黙って眼を瞑ったままの少女を抱えて、俺は自分の工房に到着した。
工房のドアを開けて、彼女を中に入れる。
「う……」
「どうかなさいましたか?」
とりあえず、巫女を俺のベッドに寝かせる。
「エルフを情婦にするとは、いい趣味ではないの……」
ファルゴーレも言ってたが、俺の部屋はエルフの匂いがするのだろう。
「情婦ではありませんよ。 ここが、エルフのたまり場になっているだけでして」
「同じ事であろうよ」
彼女は、仰向けになったままじっと眼を瞑っているのだが、そのまま死んでしまうのではないか? と、不安になるぐらいに弱々しい。
「お客様ですか?」
ナナミが顔をだす。
「そうだ、病人だ」
「承知いたしました」
ニムとメイドさん達が、巫女の荷物を運んできてくれたので、声を掛ける。
「ニム、悪いが、ラジルさんを呼んできてくれ! 殿下のご命令だと言ってな。 至急だ」
「解ったにゃ」
ラジルさんに、工作師を動員してもらい、離れに来賓用のベッドを移設してもらわないと。
ベッドは、分解可能なので、人手があればすぐに終わるだろう。
10分程で、工作師の親方ラジルさんが飛んできた。
病人がいる工房内に入れるわけにはいかないので、工房の外で対応する。
「真学師様、何事ですか?」
工房の外から、ガラス越しに巫女を見せて、彼に事の成り行きを説明する。
「なんてこったい……。 帝国の巫女が来るという話は聞いていましたが、こんな事になっているとは……」
「それで、ラジルさん。 来賓用のベッドを、あそこの離に移設してほしいのですけど。 無論、全部他言無用でお願いいたします」
「解りやした! すぐにやりますんで」
ラジルさんが帰ると、工作師工房の若い職人を連れ、人海戦術の結果30分程で移設が完了した。
離にあった、ソファーやテーブルは、しばらく必要ないので、物置に突っ込んだ。
巫女を離れのベッドに寝かせると、ニニの下から派遣されてきた、獣人の女達がやって来た。
いつもニニの店でたむろしている、馴染みの顔が並ぶが、初めて見る顔もいるな。
人手が増えたので、必要な物を用意して運びこんでもらう。
水瓶や、桶、布、シーツ、着替え用の衝立等々……。
「ショウ様、その女は労咳なの?」
いつも、ニニの店で俺に絡んでくる長身のトラ子が、切り出した。
「そうだ」
獣人達には、結核が感染らないので、結核患者の世話などの仕事も回ってくる。
そういえば、マリアも、獣人に世話をしてもらっていたと言っていたな……。
「帝国人にゃ!」
この子も、ニニの店で見かける、黒い毛皮に手足が白ソックスの子だ。
さすがに、初めて見かける子達は、少々遠慮気味に見ている。
「帝国人は嫌いかもしれないが、大事な客人なんだ、頼むよ」
「大丈夫ですよ。 帝国人のためには働きませんけど、ショウ様のためには働きますから」
「ニニから聞いたかもしれないが、ここで見聞きした事は、他で喋っちゃダメだぞ?」
「解ったにゃあ」
「仕事をやれば、殿下からたんまり金が出るから楽しみにしてろ」
「やったにゃ!」
「ふ、随分と獣人に慕われておるの」
目を瞑ったままの、サクラコがぼそぼそと呟く。
「サクラコ様だって、最後まで付いてきたのは獣人達でしたでしょう」
「皮肉なものじゃ……」
帝国では最下層と言われている獣人達が、最後のお供だったのだから、彼女としても複雑な心境だろう。
集まった獣人達に病気の対処を説明する。
「とりあえず、窓は開けっ放しにしておけ、この病気は空気が淀むのが良くないんだ。 それから、栄養のある食べ物だな。 まぁ、それは俺が用意するが」
離の横には小川が流れていて、お城の裏門から小川の水門まで空気の流れが出来ている。
サナトリウムの場所としては、悪くないだろう。
「冷えるようなら、毛布を沢山な。 獣人は毛皮があるから良いが、俺達は温かい毛皮がないからな」
獣人達は毛皮があるので、人が寒いと言ってる感覚がよく解らないらしい――そこを注意してもらう。
「それと、他の場所へ行く時は、ここで着替えてから行ってくれ」
衝立の向こうには、着替えが沢山持ち込まれて、山積みになっている。
獣人達は字が読めないので、分かりやすくするために、泣き顔の絵が描かれてる箱へ、今まで着ていた服を入れ、笑い顔を描いてある箱から新しい服を取り出す――という事にした。
脱がれた服は、俺が魔法で加熱して、消毒する。
「この絵は、ショウ様が描いたにゃぁ?」
「そうだよ」
「この絵を、服に刺繍したいにゃ」
「まぁ、事が済んだらな」
「後は、移動する時は、この石鹸を使って小川で手足を洗ってくれ」
獣人達に石鹸を見せる。 この石鹸は、灰から作ったアルカリ性なので、一定の消毒効果はあるだろう。
「なんでそんな事するの?」
「病気が広まるのを防ぐためだ。 お前たちがそのまま、お城の中を歩いたり街へ出たりすると、労咳の患者が増えてしまうかもしれないんだ。 簡単に言うと、病気の元がバラ撒かれてしまうんだよ。 獣人達は病気にならないが、街の人間に病が広まると大変だ」
「解った」 「解ったにゃぁ」
医学知識の無い獣人達に色々と説明するのは、大変だ。
しかし、他の感染者を出すわけにはいかない。
巫女が着物のままなので、寝間着に着替えさせようとすると、荷物の中に襦袢があると言う。
彼女の荷物から、襦袢を取り出すと、それはガーゼのような薄い生地の着物だった。
向こうが透けるような薄い襦袢をもって、どうしようかと悩んでいたが、俺が着付けをするわけにいかないので、ナナミに手伝ってもらう事にした。
一体どうなるか全く解らない状態だが、とりあえず、治療の拠点は設置出来た。
殿下に急ぎ報告しなければ。
静かにベッドに横になっている巫女を横目に見つつ、衝立の後ろで服を脱ぎ、魔法で加熱消毒する。
無論、靴や装備もだ――面倒だが、仕方ない。
――俺は、殿下の下へ向かった。