110話 カレークエスト
――ある日、ナナミと一緒に工房の整理をしていた。
今まで作った物、買った物色々ある。 どうも、代々貧乏性なのか、物を貯めこむ癖があるようだ。
工房の整理が一段落した頃、昼近くになっていた。
昼か……何を食おうか……。
「たまには変わった物を食いてぇなぁ……」
思わず、独り言を言ってしまったのだが。
「変わった物?」
「ナナミは、何か食べたい物は無いのか?」
「カレーが食べたいです」
ナナミが自発的に何か言う事はなかったので、聞き直してしまった。
「カレー? カレーか……そう言えば、この世界へ来てからカレーは食ってないなぁ」
実は、手持ちのスパイスで再現しようとした事もあったのだが、カレーの味にはならなかったのだ。
スパイスの種類も分量も解らないので、再現しようがない。
元世界でカレーは作った事があったが、普通は市販のカレー粉やカレールーを使うからな。
スパイスから作る人は滅多にいないだろう。
「ナナミが、食べたいなんて希望を言うのは、自我が芽生えたんじゃないのか?」
「違います。 プログラム上、そういうルーチンになってるだけです」
「つまり、何か食いたいか? っていう質問にはカレーと答えろとプログラミングされている?」
「そうです。 これは個体によって違いがあり、それは個性と認識されるようになっています」
「個体によって、アンパンだったり、蕎麦だったり、ラーメンだったり……確かに何かに固執するのは個性とも言えなくもないが……」
難しい話は置いておいて、カレーのスパイスの話をする。
「ナナミの中にはカレーのスパイスのデータは無いのか」
「あります。 ただ1種類しかありません」
「それで良い、書き出してくれ」
ナナミが書き出したスパイスは――
カイエンペッパー――これは唐辛子粉だろう。 唐辛子は無いが、辛味を出すスパイスはこの世界にもある。
ターメリック――これは知らない。
コリアンダー――これは、カメムシみたいな匂いがする奴だな。 匂いが独特なので、覚えている。 確か、手持ちにあったはずだ。
クミン――これは知らない。
ニンニク――これは、ギョウジャニンニクモドキをこの世界で俺が見つけたので、それが使えるだろう。
以前、商人から色々と買ったスパイスの袋をナナミに見てもらう。
その中にクミンがあった。
「これがクミンか、漢方薬みたいな匂いだな」
「薬でも使われる事があります」
だが、ターメリックが無い。 ターメリック――日本ではウコンと呼ばれる植物だ。
「ウコン、ウコンかぁ。 確か黄色いショウガみたいなやつだよな。 ウ○○の力とか言って、ネタになるやつだ」
「ネタの話は解りませんが、ショウガの仲間なのは合っています」
ナナミが黒板に大きな葉っぱが目立つ植物を描き始める。
そして、パイナップルの上についている緑のギザギザ葉のような花が咲くらしい。
変わってるな。 元世界の花壇でもこんな花は見たことが無い……。
う~ん、いままで歩き回った森の中でも見たことがないなぁ。
こりゃ、聞いた方が早いだろ。 植物と言えば、師匠だ。
早速、師匠の部屋を訪ねる。
「師匠~! この植物って見たことがないですか?」
「なんですか、騒々しい――」
師匠は、ナナミが書きだした植物の図が描かれた黒板を見ると、自分の部屋に山積みになっている黒板の山を崩し始めた。
あちこち場所を変えて漁った後、一枚の黒板を差し出した。
それに描かれている植物は、確かにナナミが描いた図とよく似ている。
ちなみに、師匠は絵があまり上手くない。 その場で見て描く分にはそれなりなのだが、後で描き起こしたりすると、とんでもない絵が出来上がる。
それ故、調査などには毎回大量の黒板を持参するのが常となっている。
だが、紙が普及し始めたお陰で、それが無くなった。 軽い紙と鉛筆、インクや羽根ペンがあれば良くなったので、師匠は大喜び。
最初はナナミを不気味がっていた師匠ではあったが、字が綺麗だし、図を描くのも上手いということで、資料整理にナナミを俺から借りて重宝しているようだ。
図が描かれた黒板を持って、師匠の眼がキラリと輝いた。
「では、行きましょう!」
「行くって何処へ行くんです?」
「ファルタスです」
師匠の話では、この植物はファルタスの森で、小川の縁に群生していたと言う。
さすがに準備無しでは行けないので、午後は準備に費やして、明日の朝に出立する事になった。
一応、殿下に報告すると、手紙等をファルタスへ運んでほしいと言う。
これは、仕事なので仕方ない。
ファルタスへは直線距離で約200km。 だが、途中に山を挟んでいるので、回り道をしなければならない。
峠越えの道もあるのだが、かなりの難所だ。
平坦な道があるなら、整備された街道を蒸気自動車で行った方が早い。
帝国とファーレーンの国境近く――内陸の森から、ファルタスにある大きな湖へ流れ込む川があり、その川沿いに街道が延びている。
蒸気自動車を使う事になったので――水の補充、各ボルトの締め増し、駆動部を獣脂を使ってグリスアップと整備を行った。
------◇◇◇------
――次の日。
朝の霧が晴れた時間に、お城を出発。 黒いローブを着た師匠を助手席に乗せて侯爵領へ向かう。
ナナミには留守番を頼んだ。 彼女が居ればエルフ達の襲撃を防げるかもしれないし――。
もし、エルフ達が部屋を散らかしたら片付けておいてくれ――と、ナナミには言っておいた。
ファルタスへ入国する事をミルーナに告げて、何か頼み事があれば承り、必要ならばファルタスへの紹介状を書いてもらうつもりだったのだが。
「まあ、それでは私もご一緒いたしますわ!」
ミルーナの即決の一言で、彼女も一緒にファルタスへ向かうことになった。
彼女に売却した蒸気自動車1号は2人乗りだったが、2号は4人乗りだ。
最初は1号と同じ2人乗りの設計だったのだが、途中で設計を変更してフレームを延長――4人乗りで完成した。
その4人乗りの車を見て、彼女も一緒に行くつもりになったのだろう。
王女が一緒なら、ファルタスでトラブルに巻き込まれる事はないのではないか? これは渡りに船かと、そう思ったのだが……。
師匠の機嫌が、急転直下で悪くなった。 師匠は俺と2人旅だと喜んでいたので、無理も無いが――しかし、隣国の王女様を無下には出来ん。
宮仕えの悲しいところなんですよ、師匠! と言って、師匠は知らんぷり。
私服のミルーナは、草色のパンツと、白いブラウスで、髪はおさげにして一本に纏めている。
彼女はファーレーンへやって来てから、ずっとこの格好だ。 本人曰く、動きやすくて色々な作業がし易いらしい。
ミルーナと彼女の荷物を載せて、蒸気自動車で帝国との国境を目指す。
国境の手前に川が流れていて、そこを右折してそのまま川沿いに進めばファルタスだ。
以前、帝国の公爵と決闘をしにやってきた時は何も無かったのに、街道沿いに簡易の宿場町が出来たりしている。
侯爵領とファルタスの間で往来が増えて、人が集まってきたようだ。
ミルーナの話では、帝国とファルタスの間では、従来から流通が盛んだったので、川沿いの道にはデカイ宿場町があると言う。
流通が増えれば宿場町が出来、そこに集まる他の商売人も増え、みるみるうちに町が大きくなっていく。
「ゲームみたいだよな」
運転しながら俺が呟く。
「ゲーム?」
「いや、こっちの話。 無理すればファルタスまで行けるけど。 やはり、途中で一泊するか」
「その方が良いですわ。 夜道は危険ですから……」
ミルーナの興味が、俺の蒸気自動車2号機に移ったので、おおよその説明をする。
「一番違うのは、変速機かな? 途中で歯車の比率を変えて、速度を上げられる」
「ちょっと、やってみてくださいまし」
ずっと2速40kmぐらいで走っていたが、3速にいれてスピードアップをしてみる。
「す、凄いですわ!」
編んだおさげ髪をなびかせミルーナが叫ぶ。
しかし、こんな凸凹道でスピード出すのは危険だ。 ギャップでジャンプしただけでバラバラになりそうになる。
自分で作ってなんだが、ブレーキも貧弱過ぎる。
これに付いているブレーキは、金属製の筒に、石を接着した金属を押し付けるドラムブレーキの一種なのだが、元々馬車に使用されていた物を流用している。
これは、ブレーキの強化が必須だな……。
「なるほど、走行中に歯車の比率を変えるとはこういう具合なのですね」
「ドンドン速度は上げられるが、速度を上げれば危険が増す。 衝突したり、ひっくり返ったりしたら、そのまま即死だ」
「諸刃の剣……」
「そうだ。 しかし、真学師が3人も乗っていれば、燃料の心配をせずに済むのが良いな。 魔法でボイラーを温めるだけで良いんだから」
「でも、お湯を沸かすだけで、機械を動かせるなんて、ショウ様はやはり素晴らしいですわ」
そんな話をミルーナとしていると、師匠が割り込んできた。
「ミルーナ様、ショウとそんな事をしている場合ではないはずでは? 婚礼の儀はどうされるのです? 本国からも催促されていると聞きましたよ」
「私にも、侯爵領にも予定がありますから。 それに、もうファーレーンに嫁ぐ身で、もうファルタスは関係ありません」
「そういう訳にもいかないのでは?」
そんな俺の、言葉にも――。
「いきます! それに、ショウ様は同じ真学師として、尊敬しお慕いしているのであって、それ以上ではありません」
「そんな事を信じる人がいると思ってますか? 街でなんと噂されているかご存知ですか?」
「ええ。 でも、弟子に欲情して、日がな一日付け回している何処かの師匠様に比べたら可愛い物だと思いますけど」
ミルーナがそんな事を言いつつ、オホホと笑うので、俺は驚いて師匠の顔を見た。
「え!?」
師匠はプイと反対側を向いてしまった。 車を運転しながらなので、チラ見なのだが、顔が真っ赤だ。
「ホホ、私が何も知らないとお思いですか?」
「それって、ファーレーンにミルーナの密偵みたいのが、いるって事?」
「何の事を言ってるか解りませんわ」
俺の問にも恍ける彼女だが、さすが数千年続いている家系だ。 欲望に対する執念が半端無い。
車の上で火花を散らす二人に挟まれて、針の筵の俺だが、なんとか安全運転で宿場街へ到着した。
川沿いにある結構デカい宿場街だ。 ここは、それなりに歴史があると言う。
今まで、西側の僻地ばかり、旅をしていたので、こういう宿場街は中々新鮮だ。
さて、泊まるところはどうするか? 普通なら、旅籠だが……。
ミルーナは面白そうなので、木賃宿でも良いと言うのだが、王女様をそんな所に泊めるわけにもいかず、本陣へ向かった。
本陣というのは、王侯貴族や大店の商人などが泊まる、高級ホテルのような物だが、無論値段は張る。
それにしても、人混みの中、馬なしで動く自動車は注目の的。 しかも、こいつはオープンカーなので、隠れる所がない。
本陣へ泊まるのは、この車の件もある。 泊り賃は高いが、高価な分サービスが良くて、車に悪戯されたり荷物の盗難を心配する必要もない。
本陣の石造りの門をくぐり、蒸気自動車を馬小屋に持っていく。 馬車じゃないが、ここしか車を駐車する場所が無い。
従業員達が駆け寄ってくると、車を押して、バックさせ始めた。
「こいつは魔法で動く乗り物だからな、餌は要らんぞ」
「存じております」
従業員の話では、ミルーナが何回か蒸気自動車に乗って泊まりに来ていると言う。
俺は、従業員の話を聞きながらボイラーのバルブを開くと、大きな音と共に白い蒸気の柱が立った。
その音を聞き付けて、本陣の中の従業員が走ってくると、声を上げた。 派手な原色の服をヒラヒラさせているが、この本陣の番頭だろう。
「何事です?」
「また世話になりますよ」
「こ、これはミルーナ様。 よくぞお越しくださいました……そちらは」
俺は、平民の格好。 師匠は黒いローブを着ているので、不審に思ったのだろう。 どうみても、本陣に泊まるような身分には見えないからな。
「失礼があってはなりませんよ。 こちらは、ファーレーンのライラ殿下の代理、真学師のショウ様。 そちらは真学師、ルビア様」
「え? あ、あのドラゴン殺しの悪魔と、ファーレーンの魔……」
そこまで言って、番頭は口を押さえたが、すぐに従業員達に、荷物を運んだりするように指示を出し始めた。
本陣の宿泊料金は銀貨1枚(5万円)から。 ミルーナはたまに利用するらしいので、部屋が決まっているそうだ。
所謂、スィートルームって奴に泊まるのだろう。
師匠は風呂がある部屋が良いという事だったので、1泊銀貨2枚(10万円)の部屋に泊まる。
師匠は2人部屋でも良いと言うのだが、そうはいかない。
部屋に入ると、少々狭いが小奇麗な部屋だ。 調度品も良い物を使っている。
料理もこの世界では値段相応だし、風呂には専用の沸かし番(女性)が付いていて、至れり尽くせりだ。
さすが、王侯貴族や大店の商人が泊まるだけある。
寝る際になると、番頭が訪ねてきた。 オプションで女性が呼べるのだと言う。
つまりアレだ。
無論、そんな事をしたら、ウチの女性陣に何をされるか解らんので、チップを渡して丁重にお引取り願う。
まあ、こういう所の女というのは、信用第一なので、口が堅い。
ドラゴン殺しの真学師が来たということで、女達もノリノリで待ち構えているらしい。
遊ぶのもまた一興だが……まあ、止めておこう。
「ついでに、何か面白い話は無いか? 街道沿いだから、情報が集まってくるだろう?」
「そうですなぁ……真学師様と言えば、ショウ様は最近国から出た事は?」
「アルマイネ辺境へ行ったが」
「こらまた、エライ田舎へ……いや、それじゃやはり偽物かもしれませんなぁ」
なにやら、俺の偽物がいるらしい。 俺は、正式な金色のプレートを持たないインチキ真学師だからな。 騙り易いのかもしれない。
偽物が出るという事は、俺も有名になった証だな。 まるで、水戸○門みたいな話だが。
「ふむ、大した事じゃないな。 他には?」
「ファルタスから、木が違法伐採されて出回ってるって話がありますが……」
帝国は燃料不足になっている話を前々から聞いているから、帝国かもしれないな。
「それにしても、ドラゴンを仕留めたという方と仰るのでどんなに恐ろしい方かと思っていましたが、中々気さくな御仁でございますな」
「変人揃いの真学師の中でも、さらに変人って言われてるからな。 しかし、ここは良い本陣だな。 また、贔屓にさせてもらうよ」
「ありがとうございます」
「それと、俺の顔は覚えただろ? 偽物がやって来たら捕まえてくれ」
「承知いたしました」
番頭が頭を下げて帰った後、俺は、虫に食われるような事も無く、清潔なベッドで眠りに就いた。
夜中、師匠とミルーナの声がしたようだったが、中に入ってくる様子もなかったので、そのまま眠ってしまったのだが……。
------◇◇◇------
――次の日。
本陣の食堂で朝食をとるも、女性陣2人に変わった様子も無い。
俺が寝ぼけてただけかな? 半端に現実味がある夢だったりすると、わけが解らなくなる事はある。
「ミルーナ、ファルタスの森で違法伐採が行われていると聞いたけど」
「そうなのです。 ファルタスは小国でございましょう。 警備も軍も足りませんので、苦労しております」
「せめて、現場を押さえられればなぁ」
食事をしながら、ファルタスの森の話もするも、良い解決法は浮かばない。
「そういえば、ミルーナがお城へ治療に来た時に、陛下と王妃様が迎えにきたけど、泊まらずにすぐに帰ってしまったよなぁ」
「はい、そうです」
「馬車じゃここまでは辿り着けないだろうから、野宿したのか?」
「そうですわ。 この宿場街とファーレーンの間には何も無かったのですから。 どうしても一泊は野宿になってしまいます」
危険じゃないのか? と思ったが、重装の騎士と魔導師もいたしな……。
食事後、車に荷物を積み、各部を指さし点検。 水をボイラーに足して魔法でお湯を沸かす――それでは、出発進行!
蒸気自動車が、軽快な音を立てて、川沿いの道を走る。
流れる景色、晴れた空。 美女2人を乗せてオープンカーでドライブって、どんだけリア充なのだろうか。
元世界じゃ考えられないことだわ。
自分の考えに笑いを浮かべながら、川沿いを見ると、結構畑があって人が住んでいる。
雨が少なく、森から発生する霧の恩恵がなければ、実りが少ない土地ではあるが、川の近くならば水が確保出来るというわけだ。
だが、人力で川の水を汲み上げるのは大変だろう。
「ここに蒸気ポンプを売り込んで、水を汲み上げれば、かなり開墾できるなぁ」
「蒸気ポンプは高価ですから、大地主でなければ購入できませんよ」
「先行投資でさ、国でバーンと蒸気ポンプを買い上げて、ここら辺に設置しまくれば――ってここら辺もファーレーンだよね」
「そうですわ」
大型水車で揚水も出来るが、デカい川に設置したりすると突然の増水等に対応出来ない。
引き込む水路を作る土木工事には金がかかる。 蒸気ポンプも高価だが、トータルでどちらが安上がりか? という微妙な話になる。
「侯爵領じゃないし、領主っていたっけ?」
「ここら辺は、主無しですわ」
「領主がいないのか……結構デカイ宿場もあるし、人も住んでいるようだけど……」
「ここは帝国から近いので、成り手がいないのだと殿下からお聞きしましたが」
なるほどな、帝国から侵攻を受ければ真っ先に矢面に立たされるからか。
ミルーナがいる、フィラーゼ領も帝国から真正面だ。 それ故、領主の成り手がおらず、当時子爵という低い身分でも領主を任されたという訳か……。
「そう考えると、侯爵領も危ないよな。 少々ヤバイ所に、ミルーナを紹介してしまった事になるが」
「もちろん、知っておりますし。 覚悟の上の事。 人の生死など、何処にいても一緒ですわ。 帝国の巨大な城壁の中でぬくぬくしていた貴族達もドラゴンの腹の中へ旅立たれてしまいましたし」
ミルーナは、コロコロと笑うのだが。
「それでは、ここら辺を侯爵領に編入する事を進言してみるか……」
「殿下は侯爵領がこれ以上拡大する事に、警戒心をお持ちのようなので、難しいと思います」
「ああ、確かにそんな事を言っていたような――いっそ、俺が領主になっても良いと思うが。 商人が領主になる場合もあるんだろうし」
「それは良いお考えですわ!」
「でも、殿下は反対するだろうな」
俺は笑ったが、殿下は今頃お城でくしゃみをしているだろう。
それに、ここら辺を苦労して開拓しても、帝国に占領されてしまっては、せっかくの投資が水の泡って事になる。
やはり、殿下が渋る理由が尽きない。
俺とミルーナの話を、不機嫌そうに聞いていた師匠の指が伸びてきて俺の耳を引っ張った。
「貴方はそういう事をするために真学師になったのではないはずですよ? 真理の探究はどうしたのです」
「あいたた、師匠運転中なので! 喩え話ですよ。 喩え話!」
師匠とバタバタしていると、ファルタスの森が近づいてきた。
この森は、ファーレーンの近くにある内陸の森と少々違っていて、動植物層も違うが、大きな違いは魔物がいない事だろう。
森の中へ入り、木漏れ日の中を車を走らせると、左へ曲がる道がある。
ここを左に曲がると、リンが帰った帝国のフェルミスター公爵領だ。
師匠がターメリックと似た植物を見たのも、ここから公爵領側へ進んた小川の側だったという。
ここで、ターメリックを探して、持って帰ればここで終了なのだが、殿下から預かったファルタスへの書簡もある。
まずは、お仕事をしなければ。
そして、俺達の前に現れたファルタスの巨大な湖――到着した時にはすでに、夕方になっていた。
目の前に広がる、夕日に染まり果てしなく続く水面……。
デケェェェェ!
北海道の洞爺湖と支笏湖ぐらいしか知らんが、そんなレベルじゃないな。
元世界で直に見たことは無かったが、琵琶湖ぐらいの大きさはあるのではないか。
真っ直ぐ進んだ所に、小さな街と港がある。
ミルーナの話だと、帝国貴族が使う、湖の中之島へ渡るための港だと言う。
中之島には、帝国貴族が建てた別荘が立ち並び、そこからの収入もファルタスを支える大きな資金源になっていると言うのだが――。
ファルタスがファーレーン同盟に加わったため、帝国からの客はめっきり減ったらしい。
無論、ドラゴンに襲われたり、金が無くなったりで、それどころではないのかもしれないが……。
夕日にキラキラと煌めく鏡のような水面。 湖でも風があると波立つのだが、森に囲まれて風が遮断されているせいか、波が立っていない。
その水面に、白鳥の様な大きな鳥達が群れを作っている。
「あれが、ミルーナの言ってた、ルーという鳥かぁ」
「そうですわ」
白鳥に似ているが、頭にはフサフサの大きな冠が乗り、そこから飾りのような長い羽が伸びている。
進路を右にとり、湖沿いに蒸気自動車を走らせる。
蒸気の音に驚いたのか、それとも、見慣れぬ黒い物体に驚いたのか、ルー達は一斉に湖から飛び去った。
「おお~、すげぇ綺麗だ! でも、車で驚かせてしまったかな?」
「大丈夫ですわ。 湖の反対側へでも行ったのでしょう」
「中之島があるってことは、やっぱりカルデラなのかな?」
「カルデラとは?」
ミルーナにカルデラの説明を一通りする――が、カルデラにあるはずの物がここには無い。
「でも、カルデラなら外輪山があるはずだが、ここにはないか……ということは、カルデラじゃないのか」
ファルタスでは、森のなかに住んでいる者はあまりおらず、殆どの住民が湖の畔に暮らしていると言う。
その湖の西側にファルタスの王都がある。
ミルーナの自慢する通りに、ここは美しい国だ。
これで温泉が出れば、観光地としては申し分ない――と考えるのは日本人の性だろうか。
ミルーナに話を聞いても、地下からお湯が出るという事は無いと言う。
う~ん、残念。
しばらく車を走らせると、湖畔の港に沢山の船が並ぶ王都が見えてきた。
ここが、ファルタスの王都か。
俺は、蒸気自動車を街へ乗り入れた。