表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鉄処女のリゾンデートル『冬眠除夜』  作者: 囃子原めがね
7/20

絡まり囚われ三重の花 4


 その少年を見た雲水は、咄嗟の動きで車椅子をバックさせた。

 一秒前まで、そこに彼の姿はなかった。急に亡霊かのごとく現れたのだ。

「誰だ! そいつらの用心棒か?」

「僕がかい? 君は、面白い冗談を言うねえ」

 どっちに向けてなのか、少年はせせら笑うと、サングラスを付け直した。それは一筋の光も通さない遮光レンズだった。

 前の見えない、そして目を見せないサングラスをした少年はまっすぐ歩いてくる。

「……お前、目に障害が?」

「君は足が、だろ? そして君は左腕と左足と、……お腹の中も、色々と無いねえ」

 ヒュゥ、と鋭利が口笛を鳴らした。

「へえ、分かるのか? 心眼の一種かな。男と間違われなかったのも久々な気が……んあれ? 雲水も最初から当ててたっけ?」

「この俺が男と女を間違えるわけないだろ。お前は女じゃないがな」

「僕は目が見えないから、相手のことはほとんど分かるんだよ」

「こいつら意味分かんねえこと言ってんなぁ……。常人のオレには理解出来ねえ」

 嘆息する眼帯の少女に、車椅子と盲人の少年が指を突き付けた。

「いや、お前が一番常人じゃねえからな!」

「時速六十キロで走れて、二十メートル越えの幅跳びが出来て、銃弾を頭に食らってピンピンしているのが常人だったら、世界はもっと昔に崩壊していただろうね」

 むう、と唸って閉口する鋭利。その上で、おもむろに手を打ち、頷いた。

「ああ、なるへそ。オマエか。最後、射撃の方向をずらしてくれたんは」

「そうだよ。彼らの視界を、ちょっと横に『ずらし』てね。お礼は別に良いよ。僕も偶然通りかかって、気まぐれにやっただけだから」

「そ。偶然と気まぐれに感謝だな」

 雲水も頭を下げて言った。

「どうやら、さり気なく助けてくれてたみてえだな。悪いな、用心棒だなんて言って。俺の名前は雲水だ。そっちのは鋭利。あんたは?」

「名前? 持ってないよ。空っぽの僕には必要ないから、さ」

 一切の温度を拒絶するような返答に、雲水は息を呑んだ。

「……名前が必要ないって、何言ってんだ? じゃあいつも何て呼ばれてんだ?」

「直接ではないけれど、ここら辺じゃ『幽霊(ファントム)』だったかな? あるとこじゃ『漂う空虚』とか、『人型の空気』とか、ま、色々だね」

「…………」

 別に二つ名かっこいいなぁとか思ってない。全然思ってないのである。

「どうせすれ違いの仲だ。僕のことは『お前』でいいよ」

「いや、それは……、いくらそっちが良くとも俺の方が嫌だって」

 ちょんちょん、と実際に囁きながら鋭利に肩を突かれた。

「……雲水ー。こいつあれだ、重度の孤児鬼って奴」

「……乞食? 物乞いのことか?」

 違うわ、と頭をど突かれた。衝撃強くて脳震盪しかけた。ちょっとお茶目にボケただけなのに……。この恨み、いつか覚えていろよ……。

 もちろん雲水は知っていた。自分もその一人だから。

 孤児鬼。それは孤児院などの世話にならず、どこのチームにも属さずに、荒れ果てたこの街をたった一人で生きている、一人の力で生きていける鬼形児のことをそう呼ぶ。ここでいう力とは、鬼の持つ異能力も当然含んでいる。

 雲水も諸事情あって昨日からその身分になったが、この鋭利もそうだろう。

 だけど、重度の孤児鬼ってどういうことだ? 

「……まー、つまりだなー、大争乱の後に一度も誰の世話にもならず、誰とも組まずにやって来たせいで、孤独感を心底愛しちゃっている奴らのこーと。エゴイスト多いし、話が通じないんだよねー、奴ら」

 重度の孤児鬼は自ら好んで隠遁生活を送っている場合が多いため、取引材料を積んでも首を縦に振らないし、進んで他人と関わろうとしない。だが、決して目立たぬことが好きというわけではない。その行動基準が通常の感性と世界を隔てているだけで。

「……へそ曲がりの巣窟? ま、一番の説得方法が、力づく」

「……乱暴な話だな。つまりすっげぇまとめると、超面倒な人種ってこと?」

「……オレなんかよりも、数倍ね」

 てめえ自覚あったかやっぱ。俺を騙して、はいないが釈然としねえ。

「話、続けてもいいかな。男女の仲が良いことは宜しいことだけどね」

 コソコソ話していたことを揶揄され、雲水は慌てて頭を離した。

 腰を落としていた鋭利も、ストレッチするように背を伸ばす。

「すまんすまん。続けてくれ、えーと、空っぽ、穴ぼこ、虚無、空虚、空蝉……」

 ブツブツ呟いて、鋭利はやがてポンと手を打った。

 そして無頼に、こう述べた。

「ん。じゃあオマエ、今日から『ウツロ』な」

 彼は目を白黒させた。いや、彼の死んだ目はピクリとも動かなかったが。

「……はあ? 『ウツロ』? 君は何を言っているんだい?」

 雲水も感心で手を合わせ、頷いた。

「おお! それ良いな。語呂も良いし覚えやすい。何よりこいつにピッタリだ」

「いや、君まで何を言っている? 語呂良くないし、明らかに変だろ」

 勝手に話が進んで慌てる『ウツロ』だが、そんな彼を宥めつかす鋭利。

「まあまあ良いじゃんか、覗き変態グラサン野郎よりはマシだろー? 男だったら細かいこと気にすんなってー」

「気にすんなも何も、自分のことなんだけど。ちっとも細かくないし」

「漢字を当てるとすると、ろは風呂の呂だな。そいつで『虚呂』と。よおし名前も決まったことだし。それで、俺らに何か用か? 虚呂」

「……本人の意向全無視で決定なわけね。失礼な人たちだね、君たちは」

「馬鹿言うな。失礼なのはこの鋭利だけだ」

 真横を指差したら、遠慮なしのチョップで叩き落とされた。

 トホホ、と手首を押さえて半泣きする雲水を見て、少年は苦笑した。

「ははっ。君たちは、馬鹿なんだねえ。久しぶりに笑ったよ。ふふっ」

「わ、笑うな。とっとと話戻せよ、何の用だったんだ」

 ああそうだったね、と微笑を湛えたまま虚呂は、こう言った。

「きっと見ず知らずだろう、たかが十人の争乱孤児のために奔走して、奮闘した君らを見てさ、一つ、聞きたいことがあるんだよね。良いかな?」

「聞きたいこと? 何だ?」

 やけに遠回しだな、と怪訝に思ったが先を促した。うん、と虚呂が続ける。

「不思議だったんだ。どうして他人の為にそこまで出来るのか。馬鹿にする気はないけど、無益にしか思えないその行為が、僕にはどうしても理解出来ない。何が君たちを支えて、突き動かしているのか。だからこう聞くよ」

 だから。

「君たちの正義って、一体どんなものなんだい?」

 単純な問いが雲水の耳に染み込んでいった。

 正義。頭の中を反響し、心の水面が共鳴する。胸中にざわめきが生まれるが、それがすぐに言葉になって出てくることはなかった。よく混ぜ込み、吟味する。

 正義。心を熱くするのと同時に、雲水にとって忌避を感じる言葉であった。

 理想と現実の不一致。浅慮と無力。敗北の展望。迷い。弱さ。そして後悔。

 それらが劣等感となって、雲水の自信を削いでいく。

 目の見えない孤独な鬼は、雲水の行動に心を動かされたという。だが、しかし果たして今の自分に正義を語る資格があるのだろうか。

 俺の正義。俺は弱き者を助けたい。それが己を支え、俺を動かす。

 その答えに迷いはない。だが、それを答えることには迷いがあった。

 恥ではなく、自分の情けなさゆえに、まっすぐ答えられる自信が雲水には無かった。

 黙り込んでしまった雲水を見て、虚呂の意識が隣に移った。

「そっちの君は、僕の疑問に答えてくれるかい?」

 わらを掴む思いで、雲水も鋭利に振り向いていた。

 己の正義に迷いを抱いてしまう自分と違って、情け容赦なく悪党を断罪していった鋭利なら、こちらの下らない悩みをも払ってくれるような、力強い答えを見せてくれるのではないか、と。

 黒き鬼は、険悪な眼光を宿していた。

「……正義、だと?」

 声さえも不機嫌極まりないものにして、鋭利は左頬を吊り上げ、嘲笑った。

 恐らく、自分の全てを。

「――オレに、そんなものはない。オレはただの罪人だ」

 憎々しげに吐き捨てると、黒衣の鬼は軽いステップで陸橋のガードに登り、こちらを振り返ることもなく飛び下りていった。

「君たち仲間じゃなかったの?」

「さっき会ったばかりの、真っ赤っ赤の他人だよ。あいつと仲間? 冗談じゃねえ」

 あんな戦闘狂と一緒にいたら、身体が何個あっても足りない。腕っ節やその精神は認めるが、それ以外が危険すぎるので極力関わりたいとは思わない。

「ふーん、そうだったの。それなのにああやって協力し合っていたんだ。ふふっ、急に不機嫌になって彼女どうしたのかね。君も質問に答えてくれないし。でも、ますます興味が沸いてきたよ。君たちに……」

 虚呂の情感の篭った声に、ゾクリと背筋が冷える。

「……先に言っとくが、俺、男に興味ないからな」

「え? 僕もないよ。何を変なことを言っているのかな、君は」

「あ、それなら良いんだ。うん。俺も子供たちんとこ戻んなくちゃ」

 ああそうだった、と虚呂が今、思い付いたように人差し指を立てて、言った。

「もう一つ用件があって、これは伝えなきゃなあ、と思ったんだ」

「何だ、もう一つの用って」

「君が助けた孤児たちなら、逆方面から来たヤクザに攫われたよ」

「……は?」

「あははっ、折角助けたのに、君が目を離した隙にまんまとやられちゃったね。向こうの方が一枚上手だったってことだね。ま、君が落ち込むことはないよ。初めから救われない命だったって思えば、どうでも良いことさ」

 雲水は、軽々しく笑う彼に詰め寄って、叫んだ。

「どうしてそれを、もっと早く言ってくれなかったんだ!」

「え? 君の都合が僕に関係ある? 教えてあげただけでも感謝して欲しいなあ。大体、子供たちの見張りを放棄したのって、どこの誰だっけ?」

 にやけ顔をぶん殴りたい衝動に駆られたが、雲水は虚呂の胸倉から手を離し、急いで外に通じている道路の先に向き直った。車の後影は見えない。

「クソっ! 早くしねえと外に逃げられる! 今から追って間に合うか!」

「諦めないんだね。じゃ、運が良かったらまた会おう」

 彼の姿が、途端に見え難くなる。まるで夏日の陽炎みたいに。

 消えていく虚呂の背中に、手を伸ばした。

「ま、待ってくれ虚呂! 力を貸してくれ! お前の力があればきっと助けられる! 子供たちを助けてくれ! 俺を! 頼む!」

 ふふっ、と虚呂は愉快そうに透明に微笑み、

「それ、僕にメリットがある?」

 と言った。

 思わず無言になってしまう雲水。虚呂は再び爽やかに微笑み、

「じゃあ、ね。一人で頑張って」

 プツンと消え去ってしまう。

 一人取り残された雲水は、しばらく動けなかった。

 脳内を巡る自己嫌悪と罪悪感。二人への八つ当たりとそこからの自己嫌悪。

 春の空の下。橋の上で、泣き叫ぶような鬼子の大声が轟いた。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ