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鉄処女のリゾンデートル『冬眠除夜』  作者: 囃子原めがね
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絡まり囚われ三重の花 1

 第壱章  絡まり囚われ三重の花



 満月に照らされるうらびれた街道を、一台の車椅子が激走していた。 

 必死にタイヤを走らせているのは、斑な黄色の髪をした勝気な少年。使った染髪料が粗悪品だったので奇麗に染まらなかったのだ。

 車椅子だというのにその速度はかなり速い。細々した裏道を二本の足で走るより速く、スイスイと駆けていけるのは、純粋に彼の手腕あってのものだ。

 後方からはいくつもの怒号が聞こえる。荒々しい声が少年を逃がすまいと執拗に追う。斑な金髪の少年、雲水はこの一時間でパンパンに膨れ上がって、そろそろ断裂しそうな両腕を、しかし、さらに唸らせて追手を置き去りにする。

「……もういっちょぉ!」

 自身を鼓舞しながら、雲水は金色に光る糸を延髄から放出し、道端のゴミ箱や看板を倒して妨害作戦に出る。落ちていた小石やスクラップを投げつけるのも忘れない。後ろからの声は少しずつ減ってきているが、反比例して荒々しさは増す一方。今更奴らに捕まってしまったら、生きて朝日を拝めないだろう。

「……短気な奴らだなッ、クソ! バーカバーカ! クソど阿呆!」

 追ってくる声が激昂するが、距離は離れていく。もう安全圏だ。

 素手のヤクザはさして怖くない。だが音速で飛んでくる鉛玉は怖い。そんな雲水は三十分に及んだ逃走劇を、敵を完全に撒くことで終わらせ、安堵の息を吐いた。

 雲水がやんちゃな大人たちと鬼ごっこするに至った経緯は簡単だ。

 見目も麗しい女性にしつこく絡んでいた、彼らが呼ぶところの『若頭』という男を雲水はついカッとなって、春の川面に投げ込んだのだ。それから、どうやらカナヅチらしかった『若頭』を救助したヤクザたちとのレースが始まったというわけだ。 

 後悔は微塵もしていないが、女性に拳を振るったあのいけ好かない成金男が全面的に悪いのだが、雲水の気持ちは苦いものだった。

「はぁあ~、また家を探さなくちゃだな」

 他の地区ならいざ知らず、ヤクザが統治している地区で問題を起こして、今後も暮らしていけるはずもなし。住み込みで働かせてもらっていた旅館とその女将さんに迷惑掛けるわけにもいかない。雲水の居場所はもうこの地区には無かった。

 道路の整備が行き届いた第三地区を去るのは、車椅子生活を余儀なくされている雲水からすれば厳しい選択だった。しかも、ただでさえ不都合の多い〈廃都〉で、雲水のような一目で厄介だと知れる『鬼の子』を置いてくれる場所が一体いくつあるだろうか。

 そう思うと、タールのような溜め息が出てしまうのも仕方がない。

「あーあ。しばらくは根なし草かぁ……」

 しかしまあ、楽な頃を思い出していると辛いが、苦しかった頃のことを思えば言うほど辛くはない。まだまだ苦難と呼ぶには遠い。そうでも思って気を紛らわそう。

「まぁ、色々考えんのは地区を出てからにすっか」

 ここはまだ危険だ。ここから向かえる地区は第九か第五か、第四。

 ……また、一人ぼっちからスタートか。

 後ろ髪引かれるのを無理に断ち切って、雲水は夜の中を進んでいく。


          Fe


 篭った熱気が、孤独に苛まれ、センチに成りかけていた少年を出迎えた。

 最高速度が人並み外れていてもそれは万全な状態での話で、スタミナは根性とか気合でカバーと信じ切っている持久力のない雲水が、疲労に蝕まれた身体に鞭打って車椅子を転がし浅部第四地区に入ったのは、朝方になってのことだった。

 叩き売りのダミ声や喧嘩の声と野次馬の歓声。胡乱な眼をした大人の間を子供たちが無邪気に駆けていく。混然とした空気を、雲水は万感の思いで吸い込んだ。

 何年か前までは、雲水もこんな無秩序な町のスラムで暮らしていた。

この辺りはまだ流通が行き届いている『表の部分』なので活気付いているが、少し行けば荒涼とした廃墟が広がっていることだろう。大通りのここからして倒壊しそうなビルの間で平然と市場が開かれているのがおっかない。

 多くないが少なくもない、そんな人通りの中を車椅子で分けて行くが、非難や迷惑の目を向けてくる者はいない。大人の障害者ならよくいる戦傷者として、良からぬ思惑を持った人種に目を付けられるかも知れないが、子供の障害持ちが一人で〈廃都〉を出歩いている場合、十中八九、鬼形児である。

 災難が降りかかると分かっていて触れてくる悪党はいない。単純な利害のみで行動してくれるスラムの住人は、そういう意味じゃ信用できる。

 鬼形児の異能は見た目じゃ解らないのが雲水にとっては有り難かった。

 雲水の『傀儡糸』は、自分で認めるのも癪だが、性能がかなり低い。

〈金糸〉という糸を通して、対象を自由自在に操る異能。しかし有効範囲は三メートルと狭く、同時に操れる本数も四が限度だ。自分の腕力で持ち上がる物も〈金糸〉じゃ上げられないこともしばしばある。

 その性能を分かりやすく表せば、腕が三、四本余分にある感じ。

 便利なことは便利だが、それならば普通の足が欲しかった。が雲水の本音。

 実際、拳銃を装備した複数のヤクザを相手にした時、雲水は逃走するしかない。囲まれていたら一溜まりもない。そんな己の弱さを鬼形児という身分で誤魔化すためにも、不便であろうと車椅子を見せ付ける必要があった。

 無論、それが別のいざこざを引き起こす可能性もあるのだが、そこは臨機応変。

 雲水がここを選んだのは、この地区に一度も来たことがなかったからだ。

 知り合いがいない。現在逃亡中の雲水が選んだ理由がそれだった。

 また、これは来てみて判断したことだが、管理が地区の全域に及んでいないようなら、住人が一人増えても気付くことはないだろう。

 とはいえ。

「……二度と、こういうとこには踏み入れないって決めてたんだが」

 こっそり独白する。グゥと腹の虫が同調するように唸った。

 泣き子と空腹にはお代官様も勝てない。雲水は定食屋を探した。

 交差点の角に見つけた蕎麦の屋台に車椅子を進めながら、買い物中の娘さんから財布をスった小僧から財布を回収して娘さんのポケットに戻し、往来の真ん中で水商売風の女性と口論していたピアス男の頭に植木鉢を落として、フリーになった四本の〈金糸〉でもって若い女性を路地裏に引っ張り込もうとしていた三人のクズ共をヘドロの川に突き落としてから、雲水はやるせない顔で朝の空を仰いだ。

「だって、全部助けらんねえくせにって、自分の無力を思い知らされるからなあ」

 雲水は暖簾をずらし、店員の兄ちゃんにたぬき蕎麦を注文した。


          Fe


 これは本当に蕎麦なのだろうか。腐った海水をドブ水で薄めて、小石みたいな食感のする蕎麦を入れて、ただ油臭いだけの天カスならぬ天クソを乗せたら、きっとこんな味になるであろうたぬき蕎麦を何とか胃に流し込んで、一応の満腹感と二度と来るもんかという怒りを覚えた雲水は割り箸を置いた。

 徹夜明けでもあったので胃ももたれた。色々と失敗だ。

 屋台の兄ちゃんが極安のクセに先払いシステムにしている理由が判明した。この味じゃ料金払えという方が犯罪だ。食い逃げされても文句は言えない。

 ふう、と胃の中が落ち着くまで屋台の横で息をついていた。

 臆病ゆえの危険察知を地で行っている雲水は、草食動物のように視野が広い。片目でも一八〇度近い視界を確保することが出来る。

 その視界の隅にコンテナトラックが走ってくるのが見えた。車両が立派なビルの地下駐車場に潜っていったのを捉えた時、雲水の胸に不穏な影が差した。

 数分後、クソッタレな予想が確信に変わったのは、地下から戻ってきた車両のコンテナの中から泣き声が聞こえてきたからだった。

 それは助けを呼ぶ声で、幼い子供たちの声だった。

 一気に鼎の脳が沸騰した。全身に壊れそうなほど力が篭もる。

「……ソがッ! 朝っぱらから人身売買かよ!」

 すぐに飛び出そうとする雲水に注意が飛んできた。

 止めときなってお坊主、と。そば屋台の兄ちゃんだ。

「何だ、ゲロマズたぬき」

「ゲロマ……おい坊主よ、本当のことでも言って良いことと悪いことがあるぞ? ったく。正義ごっこも良いがな、ここは抑えときな。あの子たちは孤児院ごと買い取られたんだ。海外の企業にな。今や人気の産地だからなあ、ここは」

「産地? 子供のか」

「ああ、変てこな力を持った餓鬼は、良いソルジャーになるってな」

 鼎は、チラ、と走っていくトラックを目で追う。まだ遠くない、追いつける。

「……紛争地に送る子供兵って奴か。噂には聞いていたがムカっ腹が立つ話だな。ここの統治者は一体何している。まさか、主導してるわけじゃねえだろ?」

「ん、そうさな。手伝ってはいねえが《天楼族》は見て見ぬ振りをしている。おい見えるかい、トラックに描かれた模様。瀬田組の家紋だ。坊主も知ってんだろ? 第三地区の闇の帝王だ。その代紋にビビっちまって、誰も手出しできねえ」

「俺は出したぞ」

「はあ?」

 言い捨てると同時に、雲水は発進した。スタートダッシュで砂埃とタイヤの焦げた臭いを残し、人込みの間を抜けながら加速を重ねる。

 トラックの後尾を捉える。トラックは通行人を轢きかねないスピードで走っているが、幸運なことにそれが通った後は雲水の道も出来ている。

 雲水はグッと上半身を屈めると、一直線に加速した。

 四本の糸を手足のように用いて、タイヤに回転を加えていく。時折、ヒビや段差にタイヤを取られて浮き上がる。

 しかし加速に乗った雲水を止める方法はない。距離は縮まっていく。

 が、この時になって雲水は自分のミスを悟った。というか馬鹿さを。

 救出のプランを考えていなかった。トラックを停止させて売人たちをぶっ倒して、中の孤児たちを救う。でもどうやって? という話だ。

 雲水の〈金糸〉では車両は止められない。雲水がやれるのは挑発して、止めさせるぐらいである。その後、出てきた売人をどう倒す? 不意打ちで二、三人は倒せるだろうが、敵の総数は分かっていない。装備も不明だ。

 そして、それで無事子供たちを救い出せたとしても、その後どうする? 

孤児院ごと買われてしまったなら子供らは今、住居や保護者のいない状態だ。自分がその世話をするのか? その覚悟くらいはある。どうせ他にやりたいこともないし、年下の相手は昔から慣れている。

 だが、瀬田組の因縁も付きまとってくるだろう。必ず。

 自分らの『商品』を奪い取った輩が、先日若頭を襲った野郎と同一人物と知られたら、奴らは復讐しに来る。暴力専門の組織にたった一人で敵うはずもない。味方はいない。どこも匿ってくれないだろう。浅部にいられなくなるかも知れない。

 不可能に難題と無理を重ねて、もらえる報酬が一番の難関。

 それでも、俺はやるのか。子供たちを助けられるのか。

 ふと、車椅子を走らせる動作が鈍って、ああクソ、と奥歯を砕くように集中する。

 感情のまま、馬鹿みたいに飛び出してみれば、これだ。直前になってビビッて、自分の身の安全だけを考えて躊躇っちまう。何も出来ないくせに。何も救えないくせに。理想だけ抱えて何様のつもりだ、この偽善者が。

 クソ、と悪態を吐き、車椅子を飛ばす。

 何をしているんだ、俺は。何を躊躇っているんだ。

 助けたい。助けた方が良いと信じているのに、逆のことばかり思い付きやがる。

もしも返り討ちに遭ったら? 子供らをここで助けても、復讐に巻き込まれて、もっと悲惨な目に遭うかもしれない。もう一度捕まって、結局海外に売り飛ばされるかもしれない。そうなったとしても救えたと、救って良かったと言えるか? お前一人であの中にいる何人もの孤児を養えるのか? 更なる貧困を押し付けるつもりか?

 クソ、と自分への憤慨に、こめかみが痛くなる。

「……自分の弱さが、こんなにも憎い……ッ!」

 コンテナはもう〈金糸〉が届く距離だ。運転手は追跡に気付いていない。気付かれたら攻撃してくるか、速度をさらに上げて雲水を撒くだろう。仕掛けるなら今だ。

 目前にあるコンテナのロック。左右のそれを回すだけで良い。

 滑走を二本の糸に任せて、左腕と二本の〈金糸〉を伸ばす。

 伸ばした腕が、一瞬空を彷徨い、

「……ッ!」

 急にコンテナが遠のいた。トラックが速度を上げたのだ。

 トラックは他に一台もない高速インターを駆け上がっていく。高速道路から街の外に向かう気だ。外に出てから海外の企業とやらに明け渡す段取りなのだろう。

 ここで逃がしたら二度と捕まえられない。だが、どうしようもなく離されていく。

 スピード勝負でトラックに勝てるわけがないだろ、と囁かれる諦めの理由を噛み潰し、雲水は必死になって腕をロックに伸ばす。

 ブツリ、と頭の奥で繊維が断ち切れた。ガクンと車椅子の速度が落ちる。

 一晩中使い続けた〈金糸〉の疲労がとうとう限界に達したのだ。追うのに必死で燃料切れが近いことに気付けなかった。糸で保っていた速度が減っていき、前方との距離間が五mから十m、二十mと広がる。

 五〇mを越えて、雲水の目に陰りが差した。

 痛みを堪えるように、苦渋に染まった顔を落としていく。

 その途中に雲水は、天空から黒い流星が落ちるのを見かけた。

 流れ星は街灯から発射され、丁度真下を通っていたトラックに激突した。

「っは?」

 雲水が見ている前で、コンテナの速度が落ちた。コンテナを置いて、トラックの前部分が足を滑らした子供のように一回転し、跳ねながら転がっていく。

 それを追う、黒い影があった。片手に凶悪な光を掲げて。

 黒い影の手には黒塗りの大剣があった。

 流星は激突したのではない。落下の瞬間にトラックとコンテナの間に刃を通し、後ろを切り離したのだ。コンテナが慣性に煽られ、左右に踊る。中から何人もの悲鳴が上がる。道路上を滑り、タイヤを焼き焦がしつつ停止していった。

 そして、その向こうでは黒い鬼がトラックに飛び掛かり、大剣を振り下ろし、

「……ッ!」

 真っ二つに破断した。

 縦に割れたトラックはなおも転がりつつ左右に分かれ、高架の壁にぶつかり、

「――――」

 右半分だけ、くぐもった音で爆発する。

 火炎に包まれた右と対照的に、左半分は黒ずんだ煙を吐き出すだけ。

 左右の赤炎と黒煙をバックに、大剣を携えた鬼がこっちに歩いてくる。 

 雲水は己でも気付かぬ内に、その姿に、一挙一動に見蕩れていた。

 戦いに生まれ、闘いに生きてきたのだろう完璧なフォルムに心を打たれた。

 が、すぐに自分の役目を思い出し、慌ててコンテナを開ける。

 扉が内側から押され、年端も行かない子供たちが雪崩れて来た。

 泣きっ面や怯え切った子供たちが太陽の光に溶かされて、別の表情になる。

 安堵と幸福の涙。

 子供たちはもう諦めていたのだろう。助けなど来ない、と。

 こちらを見るなり子供たちが抱きついてきた。腕力も異能も底を突いていたので雲水は耐え切れず、車椅子ごと押し倒される。

「……あははは。まあ、みんな助けられて良かった。うん」

 転ばされて痛かったり、走りすぎで肺が苦しかったりしたけれども、元気そうな子供たちを見ていると、ともかくも嬉しさが沸いてきて雲水は笑うことにした。


          Fe


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