冬眠除夜を覚えず 3
その後、米二〇kgと大量の酒の購入も終了し、二人は帰路に着いた。
サイドカーが食材で一杯になったため、銀架は鋭利の後ろに座って帰ることになった。爆走に落とされないよう鋭利のしなやかな腰にしがみ付く。積み切れなかった一個の米袋がお腹に括り付けてある。その重さを感じながら、銀架は言った。
「これ、本当に全部料理するのですか? 一ヶ月分くらいありそうな」
「ははっ、稔珠の食べっぷり見たらそんなこと言えなくなるぜー。冬眠前のアイツの食欲は化けもんだからな。昔は毎年料理屋回って、何店舗も潰したもんだ」
「はた迷惑! 食べすぎて店を潰しちゃうのですか……」
「料理できる屏風が来てくれたのは、そういう意味じゃ有り難かったな」
「あの人、家事は万能ですからね。霧の異能フル活用ですね」
逆にオレらはなー、と自省するように空を仰いで、鋭利は言う。
「オレにできんの料理くらいだからなー。――悪党の」
「私も、できるのは掃除ぐらいですかね。――畜生の」
二人して顔を見合わせ、わははははは! と快活に笑い合う。
エンジンを唸らせること三十分、バイクは《金族》ビルに到着した。
鋭利が、ただいまー、と上に声を掛けて、垂れてきた金色の糸に大盛りの食材たちを運ばせていく。サイドカーが空っぽになり、バイクを一階のガレージに仕舞ってから、二人は電灯なし、幅が狭い、急勾配、の悪徳三拍子が揃った階段を昇っていく。
三階に上がってドアを開けるなり、「あとは頼んだぜ屏風!」と鋭利はキッチンの向こうに檄を飛ばす。おう、と屏風の声が勇ましく返ってくる。
「ただいま戻りました。あ、『白金』さん。おはようございます」
《金族》の最後の族員、別の場所で診療所をやっている『白金』フィリア=トライフォースその人が、ソファに座って煙草を吹かしていた。
「おはよう。朝から御苦労さん、寒かったろ?」
と言って、フィリアは対面に転がっている稔珠に向く。
「で。あんたは相変わらず不摂生しているみたいだけど。こんな時くらいしかあんたはメディカルチェック受けてくれないからね。まあ、最近どうだい。気分は」
「悪くないよ~。ここ最近は~、特に寝入っていたお陰で~」
「ふうん、そら結構。じゃあ、急な頭痛や動悸はなかったかい?」
「ないよ~。でも寝返りうった時に~、クラってしたことあったかな~?」
「貧血ね。血圧が低いのはしょうがないとしても、鉄分不足かしら? ん……」
鼎と虚呂は部屋の片付けを請け負っていた。二人とも己の異能を惜しみなく使って、床に積み重なった雑誌や雑貨、ガラクタたちを仕分けして、不要な物を部屋の外に運んでいく。鋭利の私物らしきガラクタは、ポイポイと窓の外に放り捨てられていた。
「ってうわ馬鹿! 割れ物もあるんだぞ、ちょ、投げたらメインフレームが曲がっ、あ、そのコードはまだ使え、っ、待て待てそれは自分でやる、オマエら触んなあ!」
と慌てふためき、鋭利もガラクタ担当で、片付けに加わった。
銀架は、自分も手伝った方がいいのか迷ったが、三人の隙のないコンビネーションを見ているとつい遠慮が働いて、結局座って待機することにした。
「今年は気合入っているみたいじゃない。ふふふ、今から楽しみだねぇ」
稔珠の健康診断を終えたフィリアは、つつつ、と熱い視線をボウリングのピンみたいに並べられた一升瓶たちに送る。
「煙草を吸って、お酒も飲むんですか? お医者さんなのに」
「煙草とか酒とかでストレスを消さないと、障害が再発しちまうもんでね」
フィリアの鬼としての障害は過食症らしい。やけに食べるなと思っていたが、そんな秘密があったのか。と感心したら、それもストレス解消の一つだとか。
「そりゃあ、症状が出ている時ほどは食べないけどさ。ストレスを減らすために食べて、食べすぎてもそれがストレスになるからまた食べて、の繰り返しよ。油断してたら、あたしの体型はすぐ達磨みたいになっちまうだろうね」
上階から丁度戻ってきた虚呂が、そんな彼女をからかうように言った。
「おや? じゃあフィーは、健康のためにも今年の参加は遠慮しておく?」
「はっ、冗談を言っちゃいけねえわ。それはそれ、これはこれ、よ。何のために今日の診療所を休みにしてきたと思っていんの? 今日じゃない日が怖くて、今日が楽しめるかってんですか」
「……なるほど」
何となく、この神経質な女性が鋭利を筆頭にしたズボラ集団と一緒にいられる真髄を見た気がした。図太いなあ、と深々と思う。
スンスン、と稔珠が鼻をひくつかせて、キッチンに声を投げた。
「屏風く~ん、お料理まだ~? 私もうお腹ペコペコリンだよ~?」
そう言えば、銀架もまだ朝食を食べていない。時計を見ると九時を回っている。何やかんやで目を覚ましてからもう三時間か。忘れていた空腹が蘇ってきた。
「はいはい! もうちょっとで第一弾出来上がるから我慢しててな!」
台所から返された料理人の忙しい声。それに脳みそを刺激されたらしいフィリアが、ああそうそう、と手を打ち合わせた。
「あんたさぁ、年末にこっちに来てパーティー料理作ってくれないかしら?」
「わおっ! 今から忘年会の予約をされるって俺ってちょー便利! さてはそれ目的で来たなフィーちゃん!」
「フィーちゃん言うな!」
フィリアが顔を赤くして怒鳴った。そこに大掃除を終わらせた三人が、長いテーブルといくつかの椅子を運んできた。二つのソファを少し離して、その間にあったテーブルの代わりに、運んできた大きいテーブルが置かれる。
「椅子は足りなくなったら随時足すということで。ひとまず会場かんせー」
「んー。埃っぽいから箒と雑巾も掛けとこうか。頼むよ、雲水」
「おう、掃除は任せとけ!」
鼎はそう返事し、異能の糸に箒と雑巾を装備すると、それぞれ動かし始めた。もやもやと埃が舞うので、すかさず〈金糸〉が走って窓を全開にする。出遅れてしまった銀架は静かに座り直す。鋭利と虚呂の二人も腰掛けて休憩モードに入っているので、これは鼎一人に任せていて大丈夫なようだ。
糸による掃除は十分ほどで終わった。それを待っていたのか、屏風が両手に料理の大皿を乗せて、キッチンから出てきた。
「冷蔵庫に余っていた牛肉と野菜を一緒にローストにした。こっちは野菜炒め。買ってきた方の食材は後でな。一時間後には鶏の丸焼きだ」
わあああ、とみんなの口から歓声とも溜め息とも付かない声が、一斉に上がる。その反応にドヤ顔になった屏風も、テーブル端に着席する。
さあ、と鼎がグラスを掲げ、パーティーが始まった。
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稔珠を送り出す宴は日中を通して行われた。
大食漢とうわばみが何人もいるので、料理と酒はみるみる減っていく。だが、それに負けないスピードで料理がサーブされてくる。一番食べてないのは食の細い虚呂だったが、その次が銀架だった。というよりも、他の者たちが食らい過ぎなのだ。
……うわ。マジにこれ、明日のこと考えていませんね、皆さん。
と、一時間で満腹になってから給仕に回った銀架は思った。
何よりも驚いたのは『錫』の衝動的なまでの食いっぷりである。
金属の食器ごとボリボリ悪食する鋭利や、何だかんだ言って最も食事量が多い『白金』らが可愛く見えるほどの、口の中にブラックホールでも仕込んでいるのではないかと疑うレベルの食い様だった。
実際、運ばれてきた料理の八割がたを、彼女が黙々と摂取している。
お昼過ぎに、どこから聞き出したのか、《長老会》の伽藍が訪れた。昔は仲間だったらしいが、彼の方からこうして来るのは珍しい。
「彼女と話せるのはこんな時ぐらいですから」
と言うも、肝心の本人が食事に夢中なのでまったく話せていない。
一日中この様子だろうと見切りを付けた伽藍は、鼎らと少し話し込んでから、稔珠の顔を見に来ただけと言わんばかりに、食事にも手を付けずに足を返した。
「では皆さん、お達者で」
それを盗人の如くとっ捕まえる、四人の酔っ払い。
「せっかくの宴の最中に、どこに帰ろうってんだ伽藍ちゃーん?」
「まま、グビグビいっときなさい。未来とか細かいことは気にしなさんな」
「結局、去年も一緒に祝ったし、ね。僕らの力尽くでだけど」
「ま、あれだ。ここに来た時点で、てめえもそういうつもりだったんだろ?」
などと言われて強制的に座らせられる伽藍。一度は本気で逃げようとした彼だったが、一瞬で〈金糸〉に捕えられてから、やけ食いに従事している。それを見て、一緒に来ていた補佐の比嘉も苦笑しつつ、隣でご相伴に預かっている。
伽藍が滞在を断った理由として、旧知との馴れ合いを避けるのと別に、屏風と会いたくないからがきっと大きい。二人は顔を合わせれば場所も構わずに喧嘩するほどの仲の良さであるが、しかし今日は祝いの席ということで、二人とも自重していた。
三時頃にケーキの箱を持って、サヤコが訪問した。
「やっほー。盛り上がってるー? ……あああっホントに『錫』だちょー懐かしいいい! あ、これ差し入れ。《金族》に行くって言ったら『死色』の一人が。宜しくって」
「あ~? 《彩》の上級幹部が? どぉーしてまた」
すっかり出来上がっている鼎が舌ったらずに聞いた。さあ? とサヤコも首を傾げ、空いている席に腰掛ける。食べ始めから六時間経ってもなお摂取するスピードが衰えていなかった稔珠が、ふと机に置かれたケーキボックスに目を止め、箱を開いた。
ホールケーキの上に、名刺大のカードが乗っていた。
「……これは~、私宛ての~、メッセージだね~」
稔珠は手に取り、まじまじと読む。偶然後ろにいた銀架も中を覗いた。
『いつになったら金髪のタフボーイを紹介してくれるの? Love Manより』
稔珠は無言で握り潰した。丸めた紙切れを異次元の穴に捨てさった。
「ん、どぉした稔珠? こめかみひくついてっぞ。何が書いてあったんだ?」
「いやいや~。鼎は~、知っちゃいけない世界~」
金髪の鼎にそう言って誤魔化し、彼女は暴飲暴食に戻る。銀架も何かいけない世界を垣間見てしまった気がして、口を噤むことにした。
サヤコが加わり、十人の大所帯になってからも宴会は引き続く。
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屏風がようやっと息を落ち着けたのは、午後十時を回ってからだった。
二〇〇人分は作ったように思えた御馳走も、最後まで食べ続けていた『錫』の腹の中にすっかり消えていった。あれだけ買ってきた食材も底を着きかけている。
激務を終えた屏風は階段の踊り場で煙草を一服してから、動く者のいない部屋に戻った。調理は二時間前にやめて、自分も食べたり呑んだりしていたが、すでに出来上がっているみんなのテンションに付き合うのも楽じゃないし、疲れたもんは疲れた。ようやくみんなが寝静まってくれて一息だ。
サヤコだけ九時ぐらいに帰って、部屋には八人が雑魚寝している。これで汚れた服の洗濯が明日の一番の仕事だろうなあ、と屏風はのんびりと思う。
食って呑んで喋って、大はしゃぎして馬鹿騒ぎして、
「今年も、無事終わりそうだねえ。あと二十九日もあるけど」
酔い潰れたり食い潰れたりした屍どもの間を歩いて、食器を片づけていく。これらを洗って今日の仕事終了だ。何回か往復して皿を回収していった。
静かな夜だ。鼎のいびきだけが響いている。普段隙を見せない虚呂もこんな時ばかりは無防備な寝顔を見せる。丸まって寝ている鋭利とその腕の中で(鉄腕が当たって)寝苦しそうにしている銀架。一升瓶を抱えて離さないフィリア。一人だけソファで寝ている稔珠はいつも通り。部屋隅では酔ってから愚痴り始めた伽藍とその相手をしていた比嘉がそのまま寝落ちている。こうやって皆の寝顔を覗けるのは最後まで起きていた者の特典だ。何人かの醜態も見られて面白い。
五往復目で流しがいっぱいになったので、屏風は洗い始めた。古いボイラーがお湯を沸かし、食器類がぶつかる音が夜の空気に加わる。
「これお皿~」
とふら付いた足取りで稔珠が皿を運んできた。
と思ったら、あとちょっとのところで重ねた皿が傾き、慌てて押さえに入った。
「っと。稔珠さんも寝てていいぜ。これも俺の仕事だから」
食べ残しが出なかったので、作った側からしても感無量である。
その一番の功労者である稔珠は、ダラけ切ったいつもの笑みを浮かべて、
「あっはは~。起きている時くらいね~。私も動かなきゃ~」
と言った。
「……おかしい。この人がこんな真面目なことを言うなんて。……っは! まさかニセモノ! この野郎正体を表せ! 腐り切った稔珠さんをどこにやった!」
「屏風くんは~、私にどうされたいのかな~? お手伝い~? それとも監禁~?」
笑う彼女の横に奈落の穴が開くのを見て、ノンノンと首を振る。
「じゃあ、手伝ってもらおうかな。これでテーブル拭いてきてくれる?」
「うむ~、りょ~かい~」
渡した台拭きを手に、彼女はリクガメの歩みで戻っていく。
皿とコップを洗い終え、放置しておいた鍋とフライパンの山を、さてどう切り崩そうかと一旦お湯を止めたところに、稔珠がズルズルと帰ってきた。
「吹き終わったよ~。みんな食べこぼし多いんだね~」
「床が大変そうだなあ……。手伝いはもういいよ。俺もあれ片したら休むから」
「あそ~。ちょ~と疲れたから~、ここ寝転がっていい~?」
「駄目。寝るんだったらソファか自分のベッドで眠りなさい」
「けちんぼ~。名探偵ケチンボだ~。あはは~」
と注意したというのに、稔珠は台所の床に足を投げ出して座る。
「屏風くんさ~、今年もご苦労様~」
「あぁ、跳ねた油と調味料が……。稔珠さんも、今年は頑張ったじゃない」
「そ~かも~。今年は色々あったからね~。銀架ちゃんが仲間になって~、さらに賑やかになって~。大きい騒動もあって~。今日のみんなの話聞いていたら~、他にもいっぱいやってたみたいで~。今年もみんな無茶してばっかで~」
フンフンと鍋洗いに取り掛かりつつ、稔珠の言葉を耳にする。
「それに巻き込まれる俺の身体ももたないよ。稔珠さんが一番鼎たちと付き合い長いんだよな。昔っからああだったの? 無鉄砲というか無計画というか」
あはは~、と同意している笑いを浮かべる稔珠。
「馬鹿は悪化しているけど~、昔はもっと失敗ばっかしてたよ~。負けて~逃げて~、盗んで~逃げて~、の繰り返し~。四人の頃は~、家も無かったしね~。この地区とビルを手に入れたのは、『白金』が仲間になってすぐだよ~」
「で、その後に俺と頭でっかち眼鏡が入ったってわけか」
微笑みながら、うんうん、と首肯する稔珠。
「眠りに付くまで~、も~少しあるから~、ちょ~と昔のお話しようか~。あの三人がどうやって出会って~、どうやって《金族》を作ったかっていう、昔話をね」
ふと。手を止めて振り返った。
さっきの一瞬、ほんの少し、彼女が別人だったような気がしたのだ。
だが、稔珠の顔はニヘラとしたいつもの顔。違和感はなく彼女でしかない。
「……私も、その話聞きたいです」
勝手口に半目の目を掻きながら銀架が立っていた。酒を飲んでなかった分、眠りが浅かったのだろう。稔珠は笑みを濃くし、よっこいしょ、と腰を持ち上げた。
「ここじゃあ何だからね~。あっちの部屋で続き話そ~」
やけに行動的な『錫』に屏風は銀架と顔を見合わせ、それに従った。
冬の夜が静かに深まっていく。