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鉄処女のリゾンデートル『冬眠除夜』  作者: 囃子原めがね
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冬眠除夜を覚えず 2

          Fe


 冬の街でも市場はまた独特な熱気がある。人が多くいるだけではない、強欲の意志を持った人々の思いがぶつかり合って生まれる、摩擦の熱である。

 誰もが欲望を剥き出しにしたギラギラした空気を苦手という人と、むしろ好きだという人で大きく分かれると思うが、この種の雑多な雰囲気は銀架も嫌いとするものじゃない。人の息吹を直に感じられるからだ。祭りが嫌いな人種はいないのと同じ。

 ズラリと商店が立ち並び、多くの者が行き来している大通り。詰め掛けている通行人や店員の吐く息と、あちこちの店から立ち上る蒸気が合い混じって、雪も降っていない街の空を白く染める。

 買い物に出た銀架と鋭利は、バイクを使って浅部第八地区『老舗街』に足を運んでいた。あと二つ地区を越えれば外縁に出るという立地条件もあって、店頭に並ぶ商品は実に豊富であり、銀架が初めて目にする物も多い。

「じゃあ、豚モモとロースとヒレを二キロずつ。牛の肩ロース、サーロイン、ヒレも同じで。そこに並んだマトンと鹿、あと鶏四匹ちょうだい」

 と、いの一番に行った肉屋で銀架も引くくらい肉を買い占めて、店長を複雑な顔にさせた鋭利が、肉が詰まった紙袋をサイドカーに積んでいく。すでに銀架の座るスペースはない。いくら肉が好きでも生肉の間に座りたくはない。

 初っ端でこれだと、帰る時にはいったい……。

 早々に気が重くなる銀架だが、ルンルンと浮かれている鋭利の様子を見るに、あまり深く考えてないですね、あれは。

「えーと次は野菜でー、店はこっち、と」

『老舗』の名は伊達じゃないようで、うっかりしているとはぐれそうな人の密度だ。銀架はバイクを転がしてどんどん先に進んでいく鋭利に慌てて追いついた。

「随分と買い込むのですね。宴会するにしても、ちょっと多すぎじゃないですか?」

「そらオレたちだけで食べるんだったらねー。でもそこに、稔珠が加わるから買い過ぎがちょーどいいのさ。これでも足りるかどうか」

「……稔珠さんが?」

 記憶を辿ってみるが、あの人が健啖家というイメージはない。

「そ。あいつが本気で食べているとこ、まだ見たことないだろ?」

「本気どころか、食事シーンすら見たことないですけど……。寝そべって駄菓子とかジャンクフードばっか食べているって勝手に思っていました」

「ん、いつもだったらそんな感じ。それで『アレ』って生命の神秘だよな……」

「ええ、ほんとに……」

 二人して彼女のナイス! バディを思い出し、切ない気分になる。

 野菜市場では、幾つかの店舗を回って新鮮野菜を買い集める。「産地直送」やら「早朝取れ立て」などの明らか嘘と分かる立て札が混じっているのが面白い。ところが鋭利に聞いてみるとあながちそうとは言い切れないようで、浅部のどっかに土地のほとんどが農場と化している地区もあるという。何とも眉唾ものだ。

 これでサイドカーの七割が埋まった。帰りは徒歩の可能性がいよいよ増す。

 野菜の山を見て銀架はゲンナリする。根菜はまだ良いが、青菜は嫌いだ。

「そんな顔しなさんな。好き嫌いしていると大きくなれないぞ?」

「屏風さんにもよく言われます。毎回究極の選択です。次は何買うのですか」

「残りは、米と酒と香辛料か。米と酒は帰り道にあったとして、さぁーて、香辛料はどこだろうな、っと」

 鋭利は案内板の前で立ち止まり、地図とメモを見比べる。わざわざこんな物まで設置してあるのは、商業魂の表れか。それだけここの道構造が複雑なのか。

「……『Spice Area』。これかな? この通りを西に進んで、二つ目の角を右に」

 道筋を呟きながら移動が再開される。落ちてきた冬の風が背筋を伝う。ブル、と背中を震わせコートの前を閉じながら、銀架はふと本題を思い出した。

「あ、そういえば。冬眠って何のことですか?」

「ん? ああそのことね。冬が来ちゃう前に支度を済ますための宴なのさ、これは」

「冬篭りって奴ですか。それで、えっとどういうことですか?」

「どういうことって?」

さっきの鋭利の言葉は冬眠の説明であって、主語が足りてなかった。

「だから、どうして私たちが冬眠の準備をするのですか?」

 ああ、と鋭利は得心がいって首肯した。

「そこ言ってなかったね。まー、つまり冬眠するってことだよ」

 何となく答えが見えた気がしたが「誰がです?」と問う。

 こちらの確認に鋭利は、んんん、と喉を鳴らして軽妙な笑みで、

「稔珠が。食い溜めして春まで冬眠すんのさ」

 と言った。


          Fe


 熊ですかあの人は……、と銀架が呆れたように呟くのが愉快だ。

 鋭利は割れた信号機の下を右に曲がる。『Spice Area』は、メインストリートから外れた地区の隅っこにあるが、雑多な空気はひた続いている。

 エリアに踏み込んだのと同時、ブワッと多種多様な香りが鼻の奥に突き刺さる。嗅覚が鋭い鋭利は咳き込みそうになるが、後ろの決壊の方が早かった。

「け、ケホッ。カレーの匂いがあちこちからしますっ」

「あー、何か覚えあると思ったら、この匂いカレーかー。買うのは五種類。クミン、クローブ、ダイウイキョウ、バジル、シナモン」

 鼻を巡らせ、左右列の店頭に並んだスパイスたちの匂いを嗅ぎ比べる。

「……んー、見分け付かねえなー。折角だから利きスパイスやってみる?」

「いえ、遠慮しときます。店員さんに聞いてみたらどうですか?」

「そーだね。プロに任せんのが一番」

 一番近くにあった店に入って、奥にいた店員の青年に買い物メモを渡す。

 これとこれ、で、これネ、と青年は数多くある香辛料の籠の中からパッパと選んで、それぞれ袋に小分けして、まずメモを返してくる。

「一種類五〇g三千円で、五個で一万五〇〇〇円。きっちり払ってネ」

 ちょっと耳を疑った。さっき十kg近く買った野菜でも一万はいかなかったのに。

 インフラが整ってないために高騰してしまう食品もあるが、さて、香辛料もその一つだったということか。払えない額でもないが《金族》の財政状況からして、あまり散財はしたくない。だが屏風もそれを承知でメモに入れたのではないか。

 ううむ。判断が付かない。さてどうしよう。

「外じゃ胡椒一粒が金貨一枚だからネ。安いもんだヨ」

「マジか。金貨と同クラスだったのか。そういう話なら」

 と鋭利は財布を取り出して、その裾を銀架に引っ張られた。

 背伸びで耳打ちされ、ひそひそと囁かれる。

「……ちょっと、これ騙されていませんか?」

「……そうなの?」

 本当はもっと安いかもってこと?

 銀架は顔を曇らせ、自信なさげに言う。

「……いえ断言は出来ませんが」

 うーむ、と訝しむが当の店員は笑顔のポーカーフェイスだし、こちらが香辛料の正式な物価を知らない以上、いちゃもん付けてもゴリ押しされかねない。

 それでも一応抗議してみる。

「あのー、一万五〇〇〇円って、ちょっと高すぎやしない?」

「あっそ。文句言うなら他んとか回るがいいヨ」

 ヒョイ、と小袋を逆さにして、スパイスを元の籠に戻そうとする青年。

 そういうのについつい釣られてしまうのが、自分の悪いとこ。

「っと。タンマタンマ。……一万でどうよ?」

 自分たちの自転車操業の日々を思うと厳しい値段だが、宴準備ということで鋭利も舞い上がっていた。しかし、いーや、と無碍に首を振る店員。

「出来て一万四五〇〇。これ以上負けられないネ」

「むむ、そう来たか。どうか、一万っ」

「お兄さんも強情だネ。仕方ない、一四〇〇〇だ」

「お約束だがオレはお姉さん、だっ。一万!」

「あ、それはすまないヨ。それも含めて大負け! 一万三二〇〇!」

「もう一声! 一万!」

「……ああもう! 分かった分かった! 大サービスで一万二六〇〇!」

「一万!」

「おう! 俺の負けだヨ! 一万一九〇〇円! もう絶対ビタ一文負けないヨ!」

 店員の譲歩に対し、鋭利は高らかに言う。

「いっちまんえん! いっちまんえん!」

「……ってか、ちったあテメエも折れやがれ! もう俺は下げねえヨ!」

 青年がブチ切れる。鋭利は、ふむ、と宥めるように掌を立てて、言い切った。

「では五〇〇〇円!」

「むしろ半分に落ちたぁ!? ふざけてんのか。これじゃ売るもんも売れないネ」

「三〇〇〇円でどうだっ!」

「口答えしたら減ってく鬼ルール!? どうだっ、じゃねええええ! おい、何なのネあんた。買い物に来たんじゃねえのかヨ!」

 んにゃ、と鋭利は指でほっぺたを押して、首を傾げる。

「なーんか値切り交渉していたら、段々どーでもよくなってきた。もう要らねえや」

「……っく! お客の優位性モロに使いやがって! やっぱ要らないってのが一番傷つくんだゾ! 始めの一万でもう良いから買いやがれヨ……」

「ん? いやいや今は一〇〇〇円ですよ?」

「うっせえ! 何だヨその『常識ですが?』って顔! 全くもって知らねえヨ! とんでもない値段になっているし! 仕入れ値下回っちまってるし……」

 交渉成立と一方的に見て、鋭利は壱千円札を出し、彼に握らせる。

「はいお勘定。五つのスパイスぷりーずみー」

「……あんたほど厚顔無恥なのは初めてだネ。一生勝てる気がしねえ」

 肩を落とした店員から、五つの袋を受け取る。

 五つ目の袋を取ろうとした腕が横合いから伸びてきた手に掴まれた。

「あまり苛めてやらないでよ、鋭利さん。彼は最近ここに来たばかりで、まだちょっとお客さんを見る目が足りてないんだ」

「カロンの旦那!」店員の男が地獄から救われたように笑顔を咲かす。

ひらひらと手を振って、鋭利もどこか犬を思わせる少年に挨拶した。

「おっひさー。大きくなったな、カロル=ヤーニフント。一年ぶりか? 風の噂じゃ《マーケット》の支部長に就任したんだってっけ? 大躍進じゃない」

「はい。小さきながら七月に就任式みたいのも挙げてもらって。鋭利さんたちにもぜひ来て欲しかったのですけど……」

 含み笑いでそれとなく二か月前の騒動を揶揄するカロル。

「んまー、あん時はごたごたしていたからなー。すまんすまん」

「いえ。変な話ですが僕、嬉しかったよ。三人とも、あの頃からずっと変わってないんだなって。僕らのヒーローがまだ戦っているんだなって」

「ははッ、オレはヒーローなんて器じゃないさ。今更だけどね」

「あの、どなたですか? この良いとこの坊ちゃんみたいな方は」

「ん? ああ、ずぅっと昔に関わった餓鬼の一人。もう五年か?」

 カロルが腰を折り曲げて、仰々しくならずに恭しく、礼する。

「ああ、申し遅れました。僕は《浅部商業連合(マーケット)》のカロル=ヤーニフントと申します。あなたの名前をお聞かせ願いますか? フロイライン」

 気取った風に言うカロルは、銀架と二、三つしか違わないはずだ。しかし身の内から発せられる気品には天と地の差があり、ゆえに銀架は仰け反った。

「っく、眩しい! あ、飛鳥弓銀架ですっ。初めまして」

 えっえ、と置いてけぼりの店員はカロルを見て、口を挟んできた。

「こ、このお客とお知り合いなんで?」

「僕の恩人です。鋭利さんも許してやってください。この店のスパイスが良質であるのは確かなので。でも一〇〇〇円はちょっとやりすぎだよ」

 思わぬ舞い降りた救援に、青年も気勢を高める。

「カロンさん、もっと言ってやってヨ! 一〇〇〇円は安すぎるネ!」

「仕入れ値で売りなさい」

「……はエ?」

「どうせ他の客に騙し売っている分の儲けがあるでしょう? 詐欺まがいの行為を見逃してあげますから、この人には原価で売りなさい。良いですね?」

「わ、分かったネ。三〇〇〇円のお買い上げです……」

「何だー。結局五分の一が標準値だったのかー。いやあ騙されるとこだったー」

 店員の顔を見るとかなりアウトっぽいが、そんなの鋭利の関与するところじゃない。どうもー、と五個の袋をお手玉のように投げて、店を出る。

 またの御来店を~……、とちっとも本心じゃないであろう声が印象的だった。

「カロルにお礼言わなくちゃだな。治めているのはどこの支部なんだ?」

「ここから二個ほど隣の地区を。今日は報告のため本部に立ち寄っていて」

《商業連合》の本部はこの地区にあるのです、とカロルは補足した。

「ふーん。他の奴も元気だったりするのか?」

「聞くくらいなら、たまには教会に来てよ。みんな会いたがっているよ?」

「んん~、どうもそれはねー。感謝されに行くのは、どうも」

 相変わらずだね、と朗らかに笑って彼は踵を返した。まだ支部に帰ってやることが山積みらしい。無理するなよ、というのは余計な老婆心か。

 後ろ手を振って、犬顔の少年は雑踏の中に紛れていく。

「鼎さんや虚呂さんにもよろしく言って置いてくださーい。僕らは、まだあの時に救われた御恩は忘れていませんからってー!」

「昔のことなんざとっとと忘れなー」

 軽い足取りで去っていく彼の背中を見送り、すいと視線を下ろした。

「じゃ、買い物に戻るか。銀架」

「はい。……私もまだ感謝しているんですからね?」

「そう。じゃあ、いつか大きくなったら返してくれよ?」

 銀色の髪を撫でると、銀架は嬉しそうに綻んだ。

 この場に鼎や虚呂がいたら、先の鋭利の発言に驚愕とまでは言わなくても、強い興味を抱いていたことだろう。何せ鋭利という鬼は、他人から恩を返されるのも自分から催促するのも、一切したがらない鬼だからだ。

 その理由は判然としないが、貸し借りにはひどくストイックな鋭利がさっきのように素直にお礼を受け止めることはとても貴重であった。五年来の仲間である鼎や虚呂に対しても鋭利が甘えることは少ない――ほぼゼロとも言える。

 そんな真実を知ってか知らずか、銀の少女は元気よく頷いた。

「はいっ! 必ず!」


          Fe 



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